2014/01/28

アメリカの社会


アメリカ国内を移動するには大きく4つある。飛行機、車、汽車orバス、記載の順に一般的な到着時間の速さを表すが、圧倒的に飛行機は速いがコストも高い。しかし、ローコストキャリアの台頭により航空券の価格はかなり下がっている。
場合によっては鉄道よりも安い。

アメリカでは車を中心とした街づくりがなされており、基本的にはガソリン消費が促進されているような印象がある。都心部になると地下鉄等の都市機能が発達していて移動しやすいが、郊外に出ようとすると車がないとほぼ不可。バスは走っているがローカルの人のように使いこなすには時間がかかるし、頻度は多くない。

オイル会社と政治家のつながりが大きく(特に共和党)、オイル業界からの国政に対する発言権が大きいと聞いたことがある。(共和党のライス元国務長官はシェブロンの取締役等)
同様に銃社会のアメリカにて銃協会の会長が政治に与える影響が大きい等、どうしても一部の人間の利益を満たす国づくりがなされているように感じる。

直近で話題になっているマリファナのアメリカ各州における合法化についてもそれを感じてしまう。
2014/1/8The Wall Street Journalにてマリファナ合法化における各州の動きが記載されていたが、合法化にする一つの根拠として、ある有識者の主張としてマリファナよりも中毒性の高い物としてアルコールを挙げている。アルコールが合法化されているのだから、マリファナも合法化されるべきだと。
おそらくマリファナを合法化等の緩和をする事で、莫大な市場が形成され、特定の人物に巨大な利益をもたらすのかと思う。
コロラド州とワシントン州では既に合法化されており、カリフォルニア州等複数では医療用のマリファナ使用は可としている。
LAのサンタモニカ等のビーチ周辺には、マリファナ使用者が多かったが、医師(?)からのマリファナ依存証明を得る事ができればマリファナを吸う事ができるらしい。その証明は100ドル程度で得られるらしいが、正確な金額は不明。
マリファナ使用者が警察から尋問を受けた際にその証明を持っていれば「セーフ」、持っていなかったら「アウト」。
確かに街にはいくつかマリファナのマークを掲げた薬局のようなところがあった。そこで証明を受けるのであろう。これが、医療用のマリファナ使用は可としている州の現状。
種々LAに住む友人から聞いた。


医療制度はほぼ崩壊していると聞く。高額の医療費を払えず自己破産する人も多く、結果ホームレスになる人も多いとのこと。
高額の医療保険に入っていないと医師の診断を受けた際の費用を全てカバーできず、よっぽどじゃないと医師の診断を受けない状況にある。(高額の医療保険とは月々400ドル程度を指す。NYからの飛行機で横になったアメリカ人から聞いた。)
テレビを見ていても医療保険会社のCMが多い印象があった。
一方、医薬品は日本よりも安い印象。

タバコの値段も他国と比べるとかなり高い。大凡10ドル程度。サンフランシスコでは土地の値段が直近でも上がっており、ホームレスが増える要因になっているとの事。


何が言えるか。金持ちだけが住める国を作ろうとしているのではないか、アメリカ。
資本主義の行く着く先、とまでは言わないが、色々と現状を知る事ができた。


アムトラック


アムトラックはおもしろい。
今回の大陸横断でほぼこのアムトラック(鉄道)を利用した。距離やアメリカの国土の広さを感じる事ができる手段と考えたからだ。
アムトラックとはAmericatrack(軌道)でAmtrak。アメリカ全土に路線が広がっており、ワシントン州のシアトルからカルフォルニア州のサンディエゴまでの2000kmを結ぶcoast line(途中サンフランシスコやロサンジェルスを経由する)は西海岸の北から南へ縦断する。
他に、ロサンジェルスから中部のテキサス・ダラスまで約3000kmを東に向かうTexas Eagleは西海岸から内陸に向けて走行する。
また、ニューオーリンズからニューヨークの約2000km30時間かけて走行するcrescent lineなど10くらいの路線があり、いずれも2000kmを超える長距離路線となっている。

カウチシートとスリーピングシートがあり、乗客はそのどちらかを選択する。その他の車両として、食事ができるダイニング車、パノラマな景色を楽しめる車両、カフェの機能を持つ車両があり自由に行き来できる。
バスよりも圧倒的に楽で電源のコンセントもあるので電子機器の充電もできる。上位車両にはフリーWi-Fiもあるとの事。

今、Texas eagleに乗っているのだが、大半はアメリカ人(黒人、白人、メキシコ系orメキシカンが同割合でそれにアジア系が少数加わるイメージ)で、自分が座っているのは座席でずっと過ごすカウチシートで、スリーピングシートよりも当然ながらコストが安く、富裕層らしき人は居ない。飛行機を使えない層なので中流よりも下の層であろう。後は若者。

夜の22時にロサンジェルスを出発して今は23時。皆何かしら食べている。特に年をとっている人達はスナック菓子を買ってがつがつ食べている。当然彼らは痩せてはいない。

Texas eagleは一日に一本のみロスからテキサスのダラスまで走っている(日によっては、シカゴまで行っているようだ)。どこの区間のアムトラックも大抵一日に一本。大陸を縦断、横断する路線で需要も乏しい(飛行機、車が主流)ので頻度は多くない。その割にたいてい2席を1人で独占できる。ただし、ニューオーリンズからニューヨークのcrescent lineは最も混んでいて、一人一席だった(やはりニューヨークは人を集めるようだ。)。
多くの人がアメリカ国内の移動を飛行機にて移動する時代に電車を使うとはよっぽどの物好きか、経済的な理由だろう。

自分はTexas eagleでロスからオースティンまで行く。なぜオースティンかの明確な理由はないが、比較的日本でも耳にするテキサスの都市にも行ってみたかった。ルイジアナのニューオーリンズには行く予定で、その後、ニューオーリンズから直接ニューヨークまでAmtrakCrescent lineで向かうのでその前に一つの都市でストップオーバーしたいと考えていた。

真っ暗な車窓、時折ロードサイドの暖色系電灯を見つめ、ロスに住む友達が車内用にとくれたアサヒスーパードライ(カナダで生産されており水より安いらしい)を飲みながら、音楽アプリがミックスしたマイルスデイビスとビルエヴァンスを聴いている。
車内のほとんどは眠りについている。
今自分はどこにいるだろう。
iPhoneはデータローミングしておらず車内Wi-Fiもないため、ネットワークにアクセス出来ない。よってGoogleマップも起動できず、ただただTexas eagleの進路に付き合うのみ。

2014/01/23

SF-LAの人的輸送について



サンフランシスコから約12時間かけて鉄道(アムトラック)を利用してロサンゼルスに向かっている。
もう既に半分程の道のりは経過しており、残る約半分、太平洋を望む窓際から書いているものの、海はあまりよく見えずcoastlineとは名ばかりのものなのかなと思ってしまう。と思っていると、ちょうど17時過ぎにサンタバーバラの手前、海岸沿いを通過して見事なまでの夕暮れに遭遇する事ができた。まさに太陽が海に沈んでいくその瞬間であった。

SFからLAまでは大凡600km程度の道のり(470mile)、因にシアトルからLAまでは1300mile、時速換算だと50km/時なのでゆるゆる運転だ。
このSF-LA区間に近い将来、高速鉄道(新幹線!?)を導入する計画がある。確かにカリフォルニア州の主要都市でシリコンバレー・Bay Areaの世界経済に大きな影響を与えるstart upの企業群を考えると、西海岸随一の経済都市LAとの結節は合理的な投資かと思う。

現在は、上記区間の移動の大半はローコストキャリア等の航空機の輸送、主にSouth westJet Blue等のキャリアが運航している。SFOSan Joseの空港からLong beachLAXに飛んでいる。片道約1.5時間の飛行だが、空港までの移動を含め、主たる目的地までの移動を考えると片道約3時間は要すると思われる。

新しく導入される大量高速輸送網は片道約2.5時間でSF-LAを結ぶ計画なので、時間短縮のメリットも享受できるし、定時運行をほぼ約束される。東京-大阪間の新幹線移動と距離的・時間的にも同じイメージ。誰が投資主体なのかは現時点で調べられていないが、サービスを開始すると間違いなくLCCの競合となるだろう。

参照URL:California High Speed Rail Authority

2014/01/20

ニューオーリンズ


JAZZの街、ニューオーリンズを後にして、ニューヨークに向かう鉄道(アムトラッ
ク、(crescent line)の中に居る。ニューオーリンズからニューヨークまで約30
間、2200km

ニューオーリンズはやはりJAZZを中心とした音楽が街中に溢れていて、人の多くが音楽を好む性質を持っているように感じた(そもそも観光客が多いのだが)。音楽も良いし、料理も美味しいしとても好印象を持った。

Preservation hallblue niled.b.a等のjazz clubに行ったところ、日本人ミュージシャンも活躍しており多くの刺激を受けた。トロンボーン演奏者の菊池ハルカ(haro)さん、ピアニストの辻さん、居酒屋「雪」を経営している、ゆきさん。

ディキシースタイルのJAZZ、モダンジャズ、RB、ファンク、フランス音楽とJAZZが融合されたケイジャンミュージック、クレオールミュージック。
ベトナム戦争による難民を当地域で受け入れたため、多くのベトナム人が住んでいる。事実、居酒屋「雪」にはベトナム人従業員が多数在籍していた。

一方で、ニューオーリンズは犯罪率が全米で2位(2012年の犯罪統計)に位置づけられる等、治安面での不安はあった。因に一位は街自体が財政破綻したデトロイト。
犯罪率が高まる一般的な要因としては、産業の空洞化(デトロイトではGM等の自動車産業が海外勢の台頭による不振)で失業者が増える。⇒職に就けずホームレス等貧困層が増加する。⇒薬物売買等アウトローな手段で何とか生きようとする。or略奪等暴力・犯罪行為が生じる。

ニューオーリンズは何が理由だろう?

2005年のハリケーンカトリーナでの大被害以降、治安はさらに悪化したとの報道があった。確かにオースティンからグレイハウンド(バス)でヒューストン経由ニューオーリンズに向かう12時間を費やすにつれて、徐々になんとなくだが、黒人の柄の悪そうな連中の割合が増えた印象を受けた(ただの思い込みかもしれないが。)。
治安面の事もあり(アメリカの国内移動手段でバスは一般的に最も低い所得層が乗る傾向がある)、できれば自由に景観を楽しめる、車内を動けるので疲れにくい等の理由でオースティンからも鉄道を利用したかったのだが、ロスからニューオーリンズまで結ぶアムトラック(路線名:texas eagle)は、ニューオーリンズがオースティンの延長上になく、一度サンアントニオまで戻る必要があった。よって、鉄道利用では動線的に不利なので、今回は止む無くバスを利用する事にした。

話が逸れたが、ニューオーリンズの治安が悪い要因は、直近の自然災害による被害を受けて悪化傾向にあった事以外明確につかめなかったものの、この地の歴史に古く根付いたものがあると言う印象を受けた。
それは奴隷貿易に紐づく、アフリカンアメリカン等の低所得層の存在というのが自分なりの理解。

ニューオーリンズはミシシッピ川が流れ、メキシコ湾にも面している港町。18世紀初頭には、フランスやスペイン等の領土で多くの奴隷が連れてこられていた地域である。奴隷貿易の中心都市がニューオーリンズであったのだが、その理由は、当時・当地の法律で一定の奴隷には自由を与え、クレオール(フランス人等との混血)コミュニティを容認したからとの事(ある程度奴隷にも人権を与えたという事)。
現在でも大規模プランテーションでの労働者として、多くのアフリカンアメリカンが従事しているとの事だが、低所得層が多数を占める。

1900年前半には上述したとおり、多数の国の文化の融合で新しい価値観、新しい音楽が生み出され、その代表格がJAZZとなった。
他にもミシシッピ川やニューオーリンズ近海で採れる魚介類を使って作られるケイジャン料理(クレオールによりもたらされた料理)。特にオイスター料理が盛んで、メキシカン風にアレンジした牡蠣料理はスパイシーで美味しかった。

文化の融合が新しい価値観を生み出すこと、この街に来て身をもって感じた。

2013/12/01

映画『ハンナ・アーレント』

映画「ハンナ・アーレント」を観た。思考とは何かを学んだ。

哲学者ハイデカーの愛弟子、ハンナ・アーレント(1906-1975)はユダヤ人でナチスの強制送還から逃れた女性。ハイデカーの思想に影響を受けながらアメリカに亡命し、哲学者として大学で教鞭をとっていた。

彼女が雑誌「ニューヨーカー」からの依頼で、ナチス戦犯者(アドルフ・アイヒマン)のイスラエルにおける彼の戦争犯罪(ユダヤ人強制送還・虐殺)裁判を傍聴し、当雑誌に投稿した事で多くの反響を呼んだ。
主にユダヤ人からの負の反響(侮蔑・脅迫等)が強く、多くのユダヤ人が彼女を敵視し、多くの親しい人との縁も崩壊してしまう。


『思考とは何か』、ハイデカーから影響を受けた根源的な問い。彼女は今回の裁判の傍聴記録、主張で彼の思想を応用する。
「思考停止に陥ると善悪の判断ができない、モラルすらも失ってしまう。」
それはハイデカーから学んだ『思考とは、善悪を判断し、道徳的な良識を人類が持つべき知恵だ。』の裏返しの論理でもある。


戦時下でその判断ができないナチスのユダヤ人強制送還課の長(アイヒマン)を彼は平凡な悪を犯した人間であり、彼は法に従って任務を遂行しただけだった。」とユダヤ人にとってナチスの擁護とも取れる自論を展開する。600万人のユダヤ人(彼女にとっては同胞)が虐殺された事実があるにもかかわらず…。
彼が元SS(ナチスの秘密警察)だったというだけで、ユダヤ人を憎んでいたという証明にはならないとも。
極めつけは、『ナチスのユダヤ人強制送還に手を貸したユダヤ人協力者の存在がなければ、もう少し犠牲者が少なかったであろう』という主張に対しては、多くのユダヤ人から反論と侮蔑・憎悪の声が上がった。

しかし、それは彼女なりの事実を伝えたものであり、推測ではない。
『迫害者と被迫害者の協力と抵抗の間の何かを言及することはできないが、その存在を否定することはできない。』とも。

彼女は何もユダヤ人からの反論を招く事を期待したのではないと思う。アンチユダヤの主張をしたかったわけでも当然のようにない。
ハイデカー哲学の継承者として、「フラットに戦犯者の証言を自らの耳でヒアリング」し、「論拠のない主張(ムーブメント)を徹底的に排除」し、「哲学者としてフラットに事実を自論を伝えたかった」のだと思う。


多くのリスクが伴う彼女の主張を動機付けたものは何か、までは語られて無かったが、『思考をする』事の大切さを伝えたかったのだと思う。
思考ができない状態の人間の判断とは、意味のなさないものと言いたかったのだろうか。


そしてナチス戦犯者は絞首刑になった。

2013/09/24

書籍『心/姜尚中』

夏目漱石の「こころ」の現代版だろうか。

それとも本書の雑誌(青春と読書)連載時のタイトルは「新・君たちはどう生きるか」なので、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」の構成を基にした書籍か。

****
先生(姜尚中)と出版サイン会に来ていたある青年(大学生)とのメールのやり取りで物語は進行してゆく。

先生がその青年に惹かれ、親身になって彼の悩みや相談事に対応していたのには理由があった

それは近い過去に他界した姜尚中先生自身の息子とその青年が重なってしまったからだと最後に記されている。

以前、NHKのドキュメンタリーでも特集していたのでそれは事実だと思われる。作品のモデルとなった青年とも面会していた。


本書の中身はフィクションが含まれていると思うのだが、青年は「①親友の病死」、「②病死した親友と自分が愛した女性」について悩む。

「何故若くして親友が病死しなければならなかったのか」、一方、「親友が他界する間際に、自分と同じく好きな女性の事を好きだと告げられて、どう生きればよいのか」等の深い悩みを抱え、都度先生にメールで相談する。そして先生が親身に応える。

青年が、生と死について考えたいと思い志願した東日本大震災の海中不明者の捜索ボランティア。

遺体を引き上げていく過程で自ら悟った「死」とは何かについて。

遺体を引き上げる都度、死と直面し、青年はその意味を考える。同時に若くして他界した親友の死を重ね合わせる。


『「死」は「生」を輝かせてくれるもの』、多くの感情の紆余曲折を経て、そう結論づけた青年。


主眼は「生と死」だが、ゲーテの「親和力」の内容を多分に引用し、男女間の複雑性についても述べる。ゲーテの「親和力」自体、理性を超越した男女間の愛により悲劇が訪れる様と内面的感情の挙動を描いているのだが、それは現代に至る普遍性を持つから引用しているのだと思われる。

青年から愛を告げられる意中の女性。

女性はその青年に好意を寄せるもののドイツに残してきた彼との狭間で揺れる。
女性は言う、「その彼は一緒にいると張り合う感じがあって、いいところを見せようとして自分を作ってしまう。会う前後でも緊張する。」。
一方、青年といる時みたいに素になれないとも言う。

「でも、それ(前者)が胸の高鳴りみたいなものに繋がって、そういうものを恋というものじゃないかと思ったりする。」と。

どちらが正しいか分からないので少し距離を置きたい、ドイツに行くと言う。青年は落胆。

時間が経ち結果的に女性は青年の元に戻ってくるのだが、その間、先生は青年に多くを伝える。

・人間は○か×か、黒か白かに弁別できるほど単純ではなく、もっと混沌としたもの。
・他の生きものと違って生半可に知恵を持っているだけに、人間はそれを分析し、分類し、自分の支配下に置こうとしたがるが、そんな事ができるはずはない。
・混沌というそのものが、まさに人間という自然でもある。
・愛が強くなれば強いほど、また愛がピュアであって欲しいと思えば思うほど、かすかな濁りですらも許せなくなる。しかし、濁りがあればあるほど、愛が募り、ピュアなものへの憧れが強くなっていくように思う。
・愛と不信、純粋と汚濁とは、手に手をとって人の心に熱を与えつづけているとも言える。


重要なことは、ものごとの正解・不正解を弁別することではない。右か左のどちらかを選ぶことでもない。両方を受け入れること。

これは「死」と対峙する時にこそ重要で、「死」から得るものはまさにその人の一生に何があったとしても受け止めること。

死は生の中にくるまれて存在している。死と隣り合わせ、死と表裏一体でつながっているからこそ、生は輝き、意味のあるものになる。


そんな事をこの本から気づかされた。
自身の人生の糧にしたいと思う。

2013/09/17

映画『ブロンクス物語』

2回目の映画。ロバート・デニーロ監督。
前回観たのは、2010/2/22。この映画から得た言葉がメモに記録されていた。

「一番の悲しみは、才能を無駄に失うこと」

「帆に吹く風となる最高の女性は生涯に3人居る」


ニューヨークのイタリア人移民街・ブロンクスを舞台に、少年がバス運転手の父親(ロバート・デニーロ)に育てられると共に、ある出来事がきっかけでマフィアのボスにも可愛がられ、生きていく上で必要な多くを学び成長していく。
少年はスリリングなマフィアのボスに惹かれていくが、両親は当然ながら良く思わない。


実の父親からは、正しく生きる事を学ぶ。
「一番の悲しみは、才能を無駄に失うこと。だから真っ当に生きろ。」

一方、マフィアのボスからは、生き抜くための教訓、嗅覚を学ぶ。(彼は決して自分の道に少年を踏み入れさせようとはしない。少年には別の人生を歩む事を勧める。)

「帆に吹く風となる最高の女性は生涯に3人居る。ではそれらの女性を見抜くには?」というような事。(あえて詳細を書かないが、要すれば気が利く人間か否かと言う事。同じような観点で池波正太郎の著書「男の作法」でも記載があった。)

「感情のままに動くのではなく、起こした行動をもう一度考えろ。」
少年が不良グループの抗争に巻き込まれそうになった時、上の教訓が彼の頭を支配する。だけどもう後に引けない。
そんな中マフィアのボスが彼を救い出す。そして不良グループは死ぬ。

人が言っている事の説得性を持つのは、事実としてそれが生じた時。
多くは教訓に気づかされた時、「時すでに遅しの状態」になっている事が多い。


多くの教訓、自分に必要な教訓はどのように人生に応用が出来るのか。
誰から何を得て、どう判断するか。それは自分次第。


さらに今回はラストシーンで新しい言葉を得た。

『自分でした選択が人生を決める。』

多くを学んだ少年がそれを悟る。

2013/09/16

書籍『こころ/夏目漱石』

精神的にすがる思いで一気に読んだ。
気がついたら明け方だった。

 「先生」が「私」に伝えたかった事は何なのだろう。 

生きること。
人間は正しく、真っ当に生きること。

 裏切り、憎しみ、悲しみ…、人が生きて行く上で避けたいもの。
でもそれらは生きて行く上で時として避けられないもの。

 避けられず悩み、苦しみ、自ら命を絶った「K」と「先生」。 

人生において予期せぬこと、まさかこんな事が自分に降りかかってくるとは、こんなにも壮絶な苦しみが世の中に存在したのか。
経験して初めて知るおぞましさ、後悔。 

できればそれらを避けて一生を終えたい。
出会い、別れも何とか年輪を重ねた経験から想像できる範疇の喜び、悲しみで留めていたい。

ただ、人の一生は予期できぬこと、自らの過去の経験から何かを得てもその多くは未来に応用は効かぬもの。

 でも、他人の一生から何かしらのヒントは得られるもの。

だから我々は学ぶ。人の中で生きる。 
きっと「先生」は「私」に対して、その「生きるためのヒント」を与えてくれたのだと思う。

 「私」はそのヒントを受けて、また、生きていかなければならない。

映画『エビータ』

強く、美しく、逞しい女性。
エビータ。 

第二次世界大戦前後、アルゼンチンのペロン大統領のファーストレディーとして、壮絶な33年間の生を全うした女性の物語。

エビータ役はマドンナ。 

貧しい家庭から成り上がり、女優、ラジオキャスター、そして大統領婦人へ。
ファーストレディーのポジションだけに留まらず、美貌とメディアでの認知度を携えて自らも政治に多大な影響を与える。
 特に農民等貧困層から圧倒的な支持を受け、夫であるペロン大統領を支え続ける。 


よく「男の成功の半分はその伴侶に依る」、と言われるがこのペロン大統領の場合はエビータが大半を占めていたのかと思う。

彼が選挙活動でくじけそうになった時、何度か「パラグアイにでも亡命しようか」と切り出す。 エビータはその度、「自らはどんな境遇でもこれまで敗けた事は一度もなかった。弱音を吐かないで。」と檄を飛ばす。
檄を飛ばすだけでなく、自らが表舞台に立って民衆の大統領への指示を獲得しようと行動する。


 彼女の行動で、大統領はエビータへの信頼を愛情と共に厚くする。


行動でしか信頼を獲得することは出来ない。

時として、信頼は愛情以上に大切なこと。


 とても良い映画だった。