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2013/12/01

映画『ハンナ・アーレント』

映画「ハンナ・アーレント」を観た。思考とは何かを学んだ。

哲学者ハイデカーの愛弟子、ハンナ・アーレント(1906-1975)はユダヤ人でナチスの強制送還から逃れた女性。ハイデカーの思想に影響を受けながらアメリカに亡命し、哲学者として大学で教鞭をとっていた。

彼女が雑誌「ニューヨーカー」からの依頼で、ナチス戦犯者(アドルフ・アイヒマン)のイスラエルにおける彼の戦争犯罪(ユダヤ人強制送還・虐殺)裁判を傍聴し、当雑誌に投稿した事で多くの反響を呼んだ。
主にユダヤ人からの負の反響(侮蔑・脅迫等)が強く、多くのユダヤ人が彼女を敵視し、多くの親しい人との縁も崩壊してしまう。


『思考とは何か』、ハイデカーから影響を受けた根源的な問い。彼女は今回の裁判の傍聴記録、主張で彼の思想を応用する。
「思考停止に陥ると善悪の判断ができない、モラルすらも失ってしまう。」
それはハイデカーから学んだ『思考とは、善悪を判断し、道徳的な良識を人類が持つべき知恵だ。』の裏返しの論理でもある。


戦時下でその判断ができないナチスのユダヤ人強制送還課の長(アイヒマン)を彼は平凡な悪を犯した人間であり、彼は法に従って任務を遂行しただけだった。」とユダヤ人にとってナチスの擁護とも取れる自論を展開する。600万人のユダヤ人(彼女にとっては同胞)が虐殺された事実があるにもかかわらず…。
彼が元SS(ナチスの秘密警察)だったというだけで、ユダヤ人を憎んでいたという証明にはならないとも。
極めつけは、『ナチスのユダヤ人強制送還に手を貸したユダヤ人協力者の存在がなければ、もう少し犠牲者が少なかったであろう』という主張に対しては、多くのユダヤ人から反論と侮蔑・憎悪の声が上がった。

しかし、それは彼女なりの事実を伝えたものであり、推測ではない。
『迫害者と被迫害者の協力と抵抗の間の何かを言及することはできないが、その存在を否定することはできない。』とも。

彼女は何もユダヤ人からの反論を招く事を期待したのではないと思う。アンチユダヤの主張をしたかったわけでも当然のようにない。
ハイデカー哲学の継承者として、「フラットに戦犯者の証言を自らの耳でヒアリング」し、「論拠のない主張(ムーブメント)を徹底的に排除」し、「哲学者としてフラットに事実を自論を伝えたかった」のだと思う。


多くのリスクが伴う彼女の主張を動機付けたものは何か、までは語られて無かったが、『思考をする』事の大切さを伝えたかったのだと思う。
思考ができない状態の人間の判断とは、意味のなさないものと言いたかったのだろうか。


そしてナチス戦犯者は絞首刑になった。

2013/09/17

映画『ブロンクス物語』

2回目の映画。ロバート・デニーロ監督。
前回観たのは、2010/2/22。この映画から得た言葉がメモに記録されていた。

「一番の悲しみは、才能を無駄に失うこと」

「帆に吹く風となる最高の女性は生涯に3人居る」


ニューヨークのイタリア人移民街・ブロンクスを舞台に、少年がバス運転手の父親(ロバート・デニーロ)に育てられると共に、ある出来事がきっかけでマフィアのボスにも可愛がられ、生きていく上で必要な多くを学び成長していく。
少年はスリリングなマフィアのボスに惹かれていくが、両親は当然ながら良く思わない。


実の父親からは、正しく生きる事を学ぶ。
「一番の悲しみは、才能を無駄に失うこと。だから真っ当に生きろ。」

一方、マフィアのボスからは、生き抜くための教訓、嗅覚を学ぶ。(彼は決して自分の道に少年を踏み入れさせようとはしない。少年には別の人生を歩む事を勧める。)

「帆に吹く風となる最高の女性は生涯に3人居る。ではそれらの女性を見抜くには?」というような事。(あえて詳細を書かないが、要すれば気が利く人間か否かと言う事。同じような観点で池波正太郎の著書「男の作法」でも記載があった。)

「感情のままに動くのではなく、起こした行動をもう一度考えろ。」
少年が不良グループの抗争に巻き込まれそうになった時、上の教訓が彼の頭を支配する。だけどもう後に引けない。
そんな中マフィアのボスが彼を救い出す。そして不良グループは死ぬ。

人が言っている事の説得性を持つのは、事実としてそれが生じた時。
多くは教訓に気づかされた時、「時すでに遅しの状態」になっている事が多い。


多くの教訓、自分に必要な教訓はどのように人生に応用が出来るのか。
誰から何を得て、どう判断するか。それは自分次第。


さらに今回はラストシーンで新しい言葉を得た。

『自分でした選択が人生を決める。』

多くを学んだ少年がそれを悟る。

2013/09/16

映画『エビータ』

強く、美しく、逞しい女性。
エビータ。 

第二次世界大戦前後、アルゼンチンのペロン大統領のファーストレディーとして、壮絶な33年間の生を全うした女性の物語。

エビータ役はマドンナ。 

貧しい家庭から成り上がり、女優、ラジオキャスター、そして大統領婦人へ。
ファーストレディーのポジションだけに留まらず、美貌とメディアでの認知度を携えて自らも政治に多大な影響を与える。
 特に農民等貧困層から圧倒的な支持を受け、夫であるペロン大統領を支え続ける。 


よく「男の成功の半分はその伴侶に依る」、と言われるがこのペロン大統領の場合はエビータが大半を占めていたのかと思う。

彼が選挙活動でくじけそうになった時、何度か「パラグアイにでも亡命しようか」と切り出す。 エビータはその度、「自らはどんな境遇でもこれまで敗けた事は一度もなかった。弱音を吐かないで。」と檄を飛ばす。
檄を飛ばすだけでなく、自らが表舞台に立って民衆の大統領への指示を獲得しようと行動する。


 彼女の行動で、大統領はエビータへの信頼を愛情と共に厚くする。


行動でしか信頼を獲得することは出来ない。

時として、信頼は愛情以上に大切なこと。


 とても良い映画だった。

2012/04/19

映画『チェチェンへ アレクサンドラの旅』

チェチェン・アレクサンドラの旅

終わりのない戦争。何のために。ロシアがチェチェンを独立させないため。ロシアのエゴ。そんな事を感じた映画だった。直接的な戦闘シーンはないが、チェチェンの最前線にある、ロシアの軍事キャンプを撮影している。この紛争、戦争に至る背景、場所等に関して何の説明もなされていない。

祖国とは何か。祖国のため。ロシアの女はカネ、テレビを見すぎる。

武器や暴力で真実を表すことはできない。
日本人の老女が語っていた。重要な事は理性だ。終わりのない物事は一切ない。

破壊ばかりしていて、建設はいつ学ぶの?

チェチェン人の少年は、いつ解放されるのかアレクサンドラに尋ねる。
アレクサンドラはその少年に、行きたい国はどこかを尋ねる。彼はメッカか、サンクトペテルブルクと答える。そこで、彼はイスラムを信仰している事を知る。事実、チェチェン人の大半はイスラム教を信仰している。

チェチェン人の女性はアレクサンドラを家に連れて温かく迎える。

チェチェンの伝統とは、家財を売り出しても、他者を迎え入れる事。

何を感じるのか。現在も行われている、戦闘状態。ロシアが現にチェチェンに侵攻している状態である事。

それは第二次世界大戦を描いている、自らの現況と異なると認識した上で見る戦争映画ではない。

リアルタイムで起きている事実。
実際のキャンプで撮影が行われている。
言論統制が成されているロシアで、このような映画を撮影し、許可でる事は意外だという印象があるが、直接的な事実に触れていない。
間接的に、何かを伝える。その読み取り手に様々な解釈があるが、描写によって、確かに何かを伝えようとしている。

理性が大切である事。
何も敵対的な感情を持っていない。早く解放されたいと少年は言う。チェチェンの老女の家族は、ロシア軍に殺害されている。でも、ロシア女性を家に迎え入れる。訪問者をもてなす心。彼らチェチェン人にはそのような心を持っている事を映し出している。

現実を知る事。ロシアの劇場爆破事件、チェチェン人が起こしたテロ行為だと表明している。現実はどうか、ロシアが自作自演で企てた犯行等、いくつかの諸説が飛び交っているが、未だ真実が分かっている事ではない。少なくとも日本のメディアは、チェチェン人の起こした犯行であると伝えていた。
テロ=イスラム過激派という構図が最近ではとても一般的になってきて、それはメディアを通じた知識である。
対テロ戦争の大義名分の元、ロシアはチェチェンに侵攻している。
四国程の面積。

そこがロシアではない事を、アレクサンドラがバザールに赴き、老女と話した時に明らかになる。

リアルを知る事。それは今の自分の立ち位置を認識する上でとても重要な事。自分は何をすべきか、だからこそ今自分がする事。この事象に対して、自分は何かする事が出来るのか?直接的には非常に難しいかも知れない。

チェチェンの失業率、78%。
産業も成り立っていない。

原油に依存している経済であるため、原油価格の乱高下もダイレクトに影響を受ける経済。その他の主要産業も整っていない。産業が復興していない要因としても、これまでのロシアとの紛争が考えられる。

1、ロシアの石油資源の権益確保。
2、ロシア連邦の統制。













2011/08/20

映画『Peace』

映画『Peace』/ 想田和弘 @ シアターイメージフォーラム

映像から多くのピースを感じることができる良い映画。

観察映画として、監督の妻の父や母の日常生活(主に体の不自由な方のボランティア)に焦点を当てたドキュメンタリー映画。

日常の中で、作者の義理の父が猫にえさをやるpeace、体の不自由な方を目的地まで運ぶpeace、年配の方(橋本さん)がタバコを吸う一時を表すpeace。

果たしてピースとは誰のどのようなものなのだろうか、そんな事を考えさせてくれる映画。
しかし、一方でpeaceとは誰の周りにもある身近なものである事も教えてくれる。

想田和弘監督の『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』を併読する事でより彼の作品の理解が深まる。

1シーンのDetailに数々の思考がちりばめられており、監督の思考の深さとドキュメンタリーの偶然性に感銘を受けた。
また、観察映画の前提として、既存の物事から大半を作り出すという、写真の連続帯の様な印象を受けた。

ドキュメンタリーとして、「テーマから映画を撮るのではなく、世の中を切り取った結果何か(表現したいもの)が現れた。」との監督の思考には写真に通ずる共感を覚えた。

今後は彼の他の作品の「精神」と「選挙」も観てみたい。

2009/03/04

映画『お早よう/小津安二郎』

暫く更新をしていなかった。
年度末ですが元気です。

それはさておき、さっき小津安二郎の『お早よう』を観た。1959年の作品でとても面白かった。

引っ越して近辺にTSUTAYAがなく(前もなかったが・・・)、DVDを借りる事がなくなっていたのだけれど、年明けから赤坂のTSUTAYAを利用しだしてDVDを観る機会が増えた。

平日の夜に観ていると、(内容に係らず)70%の確率で途中で寝てしまうので、1本を2日に分けて観たりしている。

映画って何を観たのか忘れがちで、映画の内容以前に何の映画を観たのか思い出せない事も多いので、備忘録的にも良い映画は書き留めておいた方がいいかなと思っていた。
その行為に何の意味があるかわからないけど、何かを感じとれる映画にしたいという意識を持って観る方がいいかなと思っている。
本や音楽と一緒で、最近はできるだけ多くの映画に触れたいと強く思うようになった。

そこで『お早よう』。
これは、TSUTAYAに行った際、雑誌FRaUが『子供がいい味を出している映画』を推薦している棚があり、その一つとして『お早よう』があったので、直感的に借りたもの。確かにめちゃくちゃ子供がいい味を出していた。色んな事を気づかせてくれた深い映画だった。

舞台は1950年代後半の東京・荒川の土手近辺にある数件の住宅が共存するエリア。
まだほとんどの家庭で3種の神器(冷蔵庫、テレビ、洗濯機)が揃わず、子供はテレビを観に隣の家にお邪魔するという、"お隣さん"の概念が色濃く残る時代を映している。
主人公は兄と弟の二人兄弟。

ある時、彼ら2人がテレビを買ってくれと両親にあまりに無理を言うので、彼らは両親から『余計な事を言うな』と叱られる。そこで彼らは、大人も『お早よう』、『いい天気ですね』、『お元気ですか』等余計な事を言っているじゃないかと反論。それでも叱られる彼らは反抗の意を込めて言葉を発しない戦略を打って出る。

彼らは言葉を発しないがために、近隣の人にも挨拶をしなくなり、学校でも全く何も話さないので、"お隣さん"からその子達の家庭に対して陰口を言われるようになる。

彼らが言葉を発しない様子をみて、理由を耳にしたある大人は、『確かに生きて行く上で無駄な事が多いように思う。でもその無駄がないと人生はつまらない。』という。またある大人は、『お客と無駄な事を話して、車を売っている』ともいう。
生きて行く上で、何が無駄で何が本質かという、壮大な意を暗示しているかのよう。

ただ、終始子供達のコミカルな様子(おでこを押した途端に、おならをする事にハマっている等)が描写されていて、微笑ましい内容。
また、Nationalのテレビや各種家具等1950年代後半の日常を伺い知れる記録的要素も強い映画だった。

今後、小津作品をもっとみたいと思った。

2007/01/30

映画『フラガール』

週末、フラガールをみた。渋谷のアミューズCQNにて。
当初は酒井家のしあわせを見る予定だったが、一日前に終わっていた。

フラガールの上映開始時間にタイミングが合ったので、半ばしゃあなしでフラガールをみようと思ったわけだ。前回シネカノン系の映画を観た際に予告でやっていたので、作品の存在自体は知っていた。でも、これほどまでに素晴らしい映画だとは思わなかった。本当によかった。

このタイトルから予想するストーリーは、一般的に大体こんなものだろう。
「これまで全く何もできない連中が、団結してフラガール大会かなんかに出て優勝してはい感動!涙ーパチパチーっ」て感じだと思う。大体そんな感じのストーリーが多いのも事実。

ほんとは以下のようなお話。
昭和40年代の福島県いわき市。時代は石炭から石油の時代へと切り替わりつつある。そのような時代背景のもと炭鉱が閉山の方向に向かい、炭鉱会社は次のビジネスへ切り替える必要性に迫られる。そこで炭鉱会社は現在も存在する常磐ハワイアンセンターを営む事を決定する。そんな中炭鉱業に従事している人々(家族)の中にも解雇者が多数出てきて、何か新しい職に就かなければならないのだが、それまで何代にも渉って炭鉱と共に人生を送ってきた人々には新しい生き方には戸惑いがある。炭鉱の元に生まれ、大人になると必然的に炭鉱に入る。それを当然と生きてきた人々には、フラダンスのような半ば自分たちと相容れないものを排除しようとする意識が主流。ただそんな中でも、炭鉱で一生を終える事に疑問を感じ、何か新しい世界に憧れをもつ少女を含む何人かの人間も居る。

ま、ストーリーはこれくらいにしておいて、結果的にはフラダンスという未知のものへの感動が人を変えていくという事

次第に人間の保守性が崩れ始め、新しいものを受け入れはじめる。未知なものは誰だって恐怖感がある。自分の知らないものとはできるだけ触れ合いたくない。そんな意識よりもフラダンスの感動が勝ってしまって・・・という事を全面的に押し出しているわけではなく、実はフラダンスの感動云々よりも、時代が変わることによって、それでも人は生きていく必要があり、その働き方の一つとして、フラガールという選択肢があった事。

映画のワンフレーズで炭鉱夫役の豊川悦治のセリフで、炭鉱が閉山し縮小され行く行くは別の仕事に就く必要性がある現実を知ったとき、『なんで時代の流れに自分たちがあわせなくちゃならないんだ。』と、対極に立つ視点も肯定的に描かれている。

上でも記したように未知のものへの感動(フラダンス)が人の固定観念を変えていく。感動を受けた者は過去の価値観への否定がはじまり、結果的に新しい価値観が登場人物自身の中を占有していく。そんな登場人物の内面的な変化が地方特有の方言と相まって、感動を運んでくれた。

言葉より語るもの。どんな言葉で説得するよりも、表現で気持ちを伝える事ができたら素晴らしい。本作品ではそれがフラダンスだった。

映画の作り手としてはフラガールという題材を用いて、次の3点を伝えたかったのではないかな(主観が十分に含む)。
1、時代の変化に順応する事も時には必要
2、現代に通ずる女性の社会的地位の変化のポテンシャルが、昭和40年代の炭鉱であっても存在していた事
3、過去の考えに固執せず、未知なものを受け入れる素晴らしさ


上記を踏まえて良かった点をまとめると
・何を否定する訳でもなく、新しいもの(フラガール)、旧いもの(炭鉱)のどちらも大切であるというバランスの良さ
・邦画だから味わえる、日本語独特の方言を通じて表現される感動
・フラガールという一見軽そうなイメージの題材で、現在の社会構造を表現するかの如く内容に深みを感じたこと

おすすめですだ。

2006/11/24

映画『麦の穂をゆらす風/ケン・ローチ』

麦の穂をゆらす風を見てきました。シネカノン系、渋谷のシネ・アミューズ で。

本当に有意義な映画だった。
見ようと思った動機として、北アイルランド問題・IRA等など、何気に耳にするがよくわからない事象に関して、イギリスと関連した表面的な知識はあるものの、なんか深いところまで突っ込むきっかけがなかったので、その辺りをこの映画で知りたい、または知るきっかけになれればなと思っていた。

結果的に自分が知りたいと思っていた事は、1920年のイギリスからの自由(独立)を目指したアイルランド人の戦争について、映像とリンクしたリアリティのある知識としてストックされたと思う(全てを確実なものと思うつもりはないが)。因みに「麦の穂をゆらす風」とはアイルランドの伝統歌(アイリッシュ・トラッド)の『The wind that shakes the barley』でイギリスによる弾圧からの抵抗の意を含んでいるみたいです。

歴史的な事実と共に、この映画から戦争や紛争を通じた普遍的な人の行動を知ることができた。
イギリスからの独立のためにどのような行動をとればよいのか。自分の命を犠牲にしてでも、自分たちの国の事を真剣に考え、自分たちの国がどのような政治体制を取れば最善なのか。イギリスからの名目上自由を獲得した後、多くの要因で自らの信念を固執してしまうために、兄弟関係すらも敵対してしまう事の悲惨さ。

映像的に悲惨なものが多いけど、この映画で伝えたいのはイギリスとアイルランドの単なる一国と一国の歴史上の事実ではなく、イギリスからの自由獲得後のアイルランド国内の大きく2派に別れ、昨日の仲間は明日の敵のような事態に陥ってしまう無政府状態の国民の心理状態の危うさかなと思う。何が正しいか分からないが、イギリスからの長い統治から解放を目指し、自らの信念で国を導こうとする人間達の様々な思いが錯綜する事で衝突してしまう結果を、最終スポットに当てられていたが、それは現在も存在する北アイルランド問題に起因したものなのだと理解した。

アイルランドに行きたくなった。
映像を通じた風景もそうだが、歴史からの興味はさらに訪れる動機を掻き立てる。訪れて色々感じてみたいなと。
純粋に本当に世界中には色々な問題があるんだなと視野が広がる時間でもあった。

こういう意味のある、個人的に本当に有意義と思われる映画をもっと多くの映画館で上映されればいいのにねー。まぁ映画に対して個人差があるのは理解できるが。

2006/03/31

大阪最後の日? 会社とは・・・

でもないと思うけど.
今日は朝から一人で九条にあるシネ・ヌーヴォーへ.
現在モーニングショーで公開されているTHE CORPORATIONを観ようと思って.
 
 興味を持ったきっかけは,最近企業とは・・・みたいな事に関心があったから.いくつか読んでいる本の中で会社はだれのものか/岩井克人がある.この本の中で,まず企業と会社の言葉の定義を明確にして,さらに株主・経営者・従業員が明確に分離されているものを会社とし,その会社の価値を2つにわけている.それは1:モノとしての会社の価値と,2:法人として規約されるヒトとしての会社の価値.簡単に言うと1:モノとしての会社の価値とは株式のこと.2:ヒトとしての会社の価値とは,法人格を持つ会社がヒトとして所有している資産の価値としている.
 例えば,ライブドアのニッポン放送の買収を通じてフジテレビの支配権を握ろうとした問題において,ライブドアが断念せざるを得ない背景として産業資本主義におけるおカネの論理と,ポスト産業資本主義におけるヒトの論理との違いがあったという事を示している.
 つまり,ホリエモンの「カネで何でも買える」という思想は,会社の買収を試みた際,モノの側面のみをみた発言で,会社のヒトの側面を無視した行為だと筆者は論じている.ここであの時のニュースを思い出したのだが,フジテレビの番組に出ているタレントがホリエモンが仮にトップに君臨したら自分が出演している番組を降板すると言っていた事.これらタレントは2の価値に当てはまると思う.フジテレビの社員に関しても2の価値で,この事件がきっかけで彼らが会社を離れてしまうとフジテレビの資産価値が弱まる.まぁ現時点では,資本主義のルールに乗っからない行為をしたライブドアの問題を取り上げるのはナンセンスかもしれないな.
 現在の日本をポスト産業資本主義と定義した上で,産業資本主義の時と違って製造業に関しても,他社との違いにより付加価値を生み出す必要があると説明している.その付加価値を生み出す事に関してヒトの果たす重要性がますます高まり,元来ヒトが資産と言われている業種(メディアなど)に関しては顕著に現れるという.このヒトの価値の高まりが,おカネだけでは会社は買えない理由であり,この本の筆者の主張として,これからますますヒトに対するおカネの価値は低下していく事を挙げている.
 まだ1回しかこの本を読んでないので完全理解には乏しいが,自分が上で記したポスト産業資本主義などの抽象的な言葉に対する説明・定義づけもしっかりされていて,これから会社はどうなっていくのかを考える上で基本的な下地が形成できる,わかりやすくて良い本だと思う.
 
 で,肝心な今日観た映画the corporationでは,会社を擬人化して,利益を追求する強欲なものと理解した上で,利益をあげるためにどんな事をして,社会にどんな弊害を及ぼすのかを示している.というのも現在,会社(狭義の企業)が社会に絶対的な影響力を持ち,自己中心的に世の中を支配していると示している.
 完全なドキュメント映画なので,事例が多く出てきたが,例えばウガンダの少年兵問題に関して,計量武器の供給は大半が先進諸国企業である事.この事は以前の項でも自分は考えていた.
 その他には,ボリビアのコチャバンバの水道業務をアメリカの建設業を軸に何でもやっている会社ベクテルが民営化を試みた際に起きたエピソード.リンク先をみてもらったら分かると思うが,迂闊に人間が生きていく上で必須の水を,営利団体(すなわち会社)に業務させる事は非常に怖い.以下引用.

わずか60ドルの月給で生活するしかない母親が、とにかく水道を使い続けるだけのために、15ドル余りを支払うように指示されたのだ。

ありえない・・・

 他に,かなりショックだった事例として,第2次世界大戦時ナチスのユダヤ人粛清のための管理に,だれがどのように対処されるのかを記録するためにアメリカのIBMのパンチカード機器「ホレリス」が必須だったらしい.映像でも流れていたが,5はガス室送りや6は特別処刑(例えば銃殺)など,一人一人がどのようになったかを記録されている.
 この映画は初志一貫して会社は利益を追求するものとして扱い,ある意味ミクロ経済の点からもそれは明らかだけど,かなり冷徹な存在としてCORPORATIONというものが描かれている.

映画の内容はここまでとし,以下少し話はそれながらも続ける.

 次のような本を読んでみて,これまたなんか企業にとっては奇麗事やなと思ってしまう.日本をロハスに変える30の方法 ? BUSINESS LOHAS/ローハスクラブ
LOHAS=Lifestyle Of Health And Sustainable頭文字をとったものだが,健康的で持続可能な環境に配慮した生活を行なう.みたいな事.まぁそのままやけど.健康的に生きることや地球を大切にしようと言う姿勢を持つ事は自分でもクールだと思うし,自分もそうありたいと思う.どっちかというと環境にも体にも良いものを食べたいと思うし.そう思い,具体的に実行する事がLOHAS的な生き方なんだとさ.
 だけど,それ(環境配慮など)を企業が行なうのは矛盾していると思う.というか,それを前面に押し出しているのは嘘のような気がする.この考えは先の「会社は誰のものか」の著者,岩井克人さんのものだが,結局は長期的な利益を求めて,環境に配慮している会社,地球に優しい会社だと認識させ,ブランドイメージ向上の結果,株価の向上を期待しているとある.
 最近では日本の会社が,環境配慮の時流にあり,それに乗っかるように色んな会社が環境配慮を謳っているが,今の中国市場で一般国民にそんな事をアピっても何にもならんと思う.高度成長期の日本に環境配慮を謳う会社があったかどうかを考えると理解できる.例えあったとしても,少数派であると会社として環境配慮を謳うメリットはない.理由は多数派になって環境配慮の時流を作らないと,一般国民にも浸透しないし,消費者に浸透しないとそれが消費へのインセンティブに加味されないから,投資家もカネを出してくれない.

 まぁ明日からちょうど4月1日で,今日が学生と社会人の節目の日でもあるし,これから属することになる会社についてちょっと批判的につらつらと書いてみましたがな.
 
 明日の午後に上京して,インターンシップ時のメンバーと,千鳥ケ淵緑道で夜桜してその後新宿で飲みに行こうという計画になっている.久々の再会なので楽しみや.4月3日入社式はどこの会社もそうやろね.しばし大阪を離れます.みんなGOODLUCK.俺もGOODLUCK.では.

2005/07/04

映画『モーター・サイクル・ダイアリーズ』

 昔よく行ってた中崎町の古着屋にこの前久々に行った際、馴染みの店員さんと南米の話で盛り上がりタイトルに挙げた映画の事を薦められた。チェ・ゲバラが主人公の映画だが、彼については高校の時から興味を持っていて、Tシャツを買う等していたが、キューバ革命の指導者くらいの理解しかなかった。そんなチェ・ゲバラにこの映画を観てさらに惹き付けられた。

 モーター・サイクル・ダイアリーズ。内容はチェ・ゲバラが革命家になる前の医大生時代、友人と2人で南米をバイクで旅した事に焦点が当てられている。彼が記録として残したものが題材にされているので、多少脚色があっても実話である。
 
 ゲバラは23歳のハンセン病を学ぶ医大生。旅の目的を特に定めず、彼の生まれた土地アルゼンチンからはじまり、チリ、ペルー等を経てエクアドルまで到達する。この旅での出来事がきっかけで、彼がその後革命家として志すようになる。これまで自国(アルゼンチン)だけで生き、国家間の障壁など考えなかったゲバラが、共産主義を志すが故に浮浪者の道を歩まざるを得なくなった夫婦や、チリのチュキカマタ銅山にて働く者達に会った際、何か言葉にできないものが湧き上がる。その時からの心情を言葉を通じて表したのは、彼がペルーのハンセン病療養所でボランティアを行った際のスピーチだった。
「無意味な国籍による障壁があるが、南米大陸は一つの混血民族から成り立っている。ゆえに偏差な地方主義はやめてペルーと統一された南米大陸に乾杯!!」
(僕、感激!!)

 
 まるで坂本竜馬の発想だと思ったが、やはりチェ・ゲバラも坂本竜馬を尊敬していたらしい。彼が革命家として、マルクス主義を掲げるキューバ革命、つまり社会主義国家としてキューバを成り立たせるために先導したが、なぜ彼が社会主義を選んだのかはこの映画では分からなかった。社会主義国家を広める事で南米大陸が統一する事ができたのだろうか。直感的に現在の結果論として成り立っている国家群を眺めると厳しそうな気はするが、彼なりの理想とする社会主義国家群像があったのだろうと思う。竜馬は理想通りに日本を統一した。ゲバラは結果的に南米は統一していないが、彼のアプローチ(社会主義体制を国家に適応する事)でどんなシナリオを描いていたのか、それが非常に気になった。

 このようなゲバラに興味津々になってしまうと同時に、映画の中の視覚的部分で南米にもさらなる興味を持ってしまった・・・

2005/06/23

映画『THE LIFE AQUATIC』

 今日は公務員試験を教える講師バイトがあり、大阪医専という梅田にある医療専門学校に行ってきた。今日は物理を教えたが、かなり基礎的な部分が中心なので自分も思い出しながら勉強が必要。人に教える事前提でインプットする必要があるので、自分が簡単に思う事象でも意外とむずい。そもそも、どんな知識でもアウトプットをイメージしながらインプットする事が重要ではないかと思ったりした。じゃないと言語化できていない知識が自分に入っているだけで、定着しにくく短時間で自分から離れていくような気がする。


 バイトの後、帰路に梅田ガーデンシネマがあったのでふらっと寄ってきた。特にどの映画を観ると決めていたわけではなく、時間がジャストだったTHE LIFE AQUATICを観た。内容は海洋探検!!で海洋ドキュメンタリー映画を撮るべく冒険にでる主人公達。といってもまじめ度は少なく、所々CGを用いたアニメーション等が盛り込まれており、ジョークも頻繁にでる。
 感想は・・・、良かった。特に衣装と音楽に惹かれた。海洋探検のクルーのユニフォームや帽子などにセンスを感じた。かなり格好良いマリンスタイルだった。アディダスがこの映画用のチームシューズを提供する等、ファッション的な要素が多くのシーンに散りばめられている。音楽はデヴィット・ボウイの曲をボサノヴァ調にアレンジされたものや、かなりUPPERめなテクノポップなんかな、DEVOの一人が手がけた曲も要所要所で流れる等、多様なジャンルのものがチョイスされていて楽しかった。

2005/05/06

映画『パリ テキサス』

昨日、BSでやってたパリ、テキサスを観た。ヴィム・ヴェンダースの作品で以前からも観てみたかったんだが、レンタルする必要もなくラッキー。タイトルのパリ、テキサスとあるが、パリの土地は全く出てこず、舞台としてテキサス、ロス、ヒューストン。ま、実際にテキサスの中にあるパリという町は関係しているのだが。観て思った事、内容はさておき、映像が気持ちE!同じ被写体を撮影するにしても、風景の気持ちよさを存分に引き立てる構図を提供してくれている。こういうロードムービーをみると、無性に旅行に行きたくなってしまう。若干行ったつもりにもなってしまう。アメリカを車で旅行したら面白いでしょうねー。相当気持ちE!(使いすぎ?)でしょうね。GWの脳内バケーションには持ってこいだったかな。僕は中々家で本を読むのは苦手なようで、家では映画にかぎるな。外では本かな。