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2014/01/28

アメリカの社会


アメリカ国内を移動するには大きく4つある。飛行機、車、汽車orバス、記載の順に一般的な到着時間の速さを表すが、圧倒的に飛行機は速いがコストも高い。しかし、ローコストキャリアの台頭により航空券の価格はかなり下がっている。
場合によっては鉄道よりも安い。

アメリカでは車を中心とした街づくりがなされており、基本的にはガソリン消費が促進されているような印象がある。都心部になると地下鉄等の都市機能が発達していて移動しやすいが、郊外に出ようとすると車がないとほぼ不可。バスは走っているがローカルの人のように使いこなすには時間がかかるし、頻度は多くない。

オイル会社と政治家のつながりが大きく(特に共和党)、オイル業界からの国政に対する発言権が大きいと聞いたことがある。(共和党のライス元国務長官はシェブロンの取締役等)
同様に銃社会のアメリカにて銃協会の会長が政治に与える影響が大きい等、どうしても一部の人間の利益を満たす国づくりがなされているように感じる。

直近で話題になっているマリファナのアメリカ各州における合法化についてもそれを感じてしまう。
2014/1/8The Wall Street Journalにてマリファナ合法化における各州の動きが記載されていたが、合法化にする一つの根拠として、ある有識者の主張としてマリファナよりも中毒性の高い物としてアルコールを挙げている。アルコールが合法化されているのだから、マリファナも合法化されるべきだと。
おそらくマリファナを合法化等の緩和をする事で、莫大な市場が形成され、特定の人物に巨大な利益をもたらすのかと思う。
コロラド州とワシントン州では既に合法化されており、カリフォルニア州等複数では医療用のマリファナ使用は可としている。
LAのサンタモニカ等のビーチ周辺には、マリファナ使用者が多かったが、医師(?)からのマリファナ依存証明を得る事ができればマリファナを吸う事ができるらしい。その証明は100ドル程度で得られるらしいが、正確な金額は不明。
マリファナ使用者が警察から尋問を受けた際にその証明を持っていれば「セーフ」、持っていなかったら「アウト」。
確かに街にはいくつかマリファナのマークを掲げた薬局のようなところがあった。そこで証明を受けるのであろう。これが、医療用のマリファナ使用は可としている州の現状。
種々LAに住む友人から聞いた。


医療制度はほぼ崩壊していると聞く。高額の医療費を払えず自己破産する人も多く、結果ホームレスになる人も多いとのこと。
高額の医療保険に入っていないと医師の診断を受けた際の費用を全てカバーできず、よっぽどじゃないと医師の診断を受けない状況にある。(高額の医療保険とは月々400ドル程度を指す。NYからの飛行機で横になったアメリカ人から聞いた。)
テレビを見ていても医療保険会社のCMが多い印象があった。
一方、医薬品は日本よりも安い印象。

タバコの値段も他国と比べるとかなり高い。大凡10ドル程度。サンフランシスコでは土地の値段が直近でも上がっており、ホームレスが増える要因になっているとの事。


何が言えるか。金持ちだけが住める国を作ろうとしているのではないか、アメリカ。
資本主義の行く着く先、とまでは言わないが、色々と現状を知る事ができた。


アムトラック


アムトラックはおもしろい。
今回の大陸横断でほぼこのアムトラック(鉄道)を利用した。距離やアメリカの国土の広さを感じる事ができる手段と考えたからだ。
アムトラックとはAmericatrack(軌道)でAmtrak。アメリカ全土に路線が広がっており、ワシントン州のシアトルからカルフォルニア州のサンディエゴまでの2000kmを結ぶcoast line(途中サンフランシスコやロサンジェルスを経由する)は西海岸の北から南へ縦断する。
他に、ロサンジェルスから中部のテキサス・ダラスまで約3000kmを東に向かうTexas Eagleは西海岸から内陸に向けて走行する。
また、ニューオーリンズからニューヨークの約2000km30時間かけて走行するcrescent lineなど10くらいの路線があり、いずれも2000kmを超える長距離路線となっている。

カウチシートとスリーピングシートがあり、乗客はそのどちらかを選択する。その他の車両として、食事ができるダイニング車、パノラマな景色を楽しめる車両、カフェの機能を持つ車両があり自由に行き来できる。
バスよりも圧倒的に楽で電源のコンセントもあるので電子機器の充電もできる。上位車両にはフリーWi-Fiもあるとの事。

今、Texas eagleに乗っているのだが、大半はアメリカ人(黒人、白人、メキシコ系orメキシカンが同割合でそれにアジア系が少数加わるイメージ)で、自分が座っているのは座席でずっと過ごすカウチシートで、スリーピングシートよりも当然ながらコストが安く、富裕層らしき人は居ない。飛行機を使えない層なので中流よりも下の層であろう。後は若者。

夜の22時にロサンジェルスを出発して今は23時。皆何かしら食べている。特に年をとっている人達はスナック菓子を買ってがつがつ食べている。当然彼らは痩せてはいない。

Texas eagleは一日に一本のみロスからテキサスのダラスまで走っている(日によっては、シカゴまで行っているようだ)。どこの区間のアムトラックも大抵一日に一本。大陸を縦断、横断する路線で需要も乏しい(飛行機、車が主流)ので頻度は多くない。その割にたいてい2席を1人で独占できる。ただし、ニューオーリンズからニューヨークのcrescent lineは最も混んでいて、一人一席だった(やはりニューヨークは人を集めるようだ。)。
多くの人がアメリカ国内の移動を飛行機にて移動する時代に電車を使うとはよっぽどの物好きか、経済的な理由だろう。

自分はTexas eagleでロスからオースティンまで行く。なぜオースティンかの明確な理由はないが、比較的日本でも耳にするテキサスの都市にも行ってみたかった。ルイジアナのニューオーリンズには行く予定で、その後、ニューオーリンズから直接ニューヨークまでAmtrakCrescent lineで向かうのでその前に一つの都市でストップオーバーしたいと考えていた。

真っ暗な車窓、時折ロードサイドの暖色系電灯を見つめ、ロスに住む友達が車内用にとくれたアサヒスーパードライ(カナダで生産されており水より安いらしい)を飲みながら、音楽アプリがミックスしたマイルスデイビスとビルエヴァンスを聴いている。
車内のほとんどは眠りについている。
今自分はどこにいるだろう。
iPhoneはデータローミングしておらず車内Wi-Fiもないため、ネットワークにアクセス出来ない。よってGoogleマップも起動できず、ただただTexas eagleの進路に付き合うのみ。

2014/01/23

SF-LAの人的輸送について



サンフランシスコから約12時間かけて鉄道(アムトラック)を利用してロサンゼルスに向かっている。
もう既に半分程の道のりは経過しており、残る約半分、太平洋を望む窓際から書いているものの、海はあまりよく見えずcoastlineとは名ばかりのものなのかなと思ってしまう。と思っていると、ちょうど17時過ぎにサンタバーバラの手前、海岸沿いを通過して見事なまでの夕暮れに遭遇する事ができた。まさに太陽が海に沈んでいくその瞬間であった。

SFからLAまでは大凡600km程度の道のり(470mile)、因にシアトルからLAまでは1300mile、時速換算だと50km/時なのでゆるゆる運転だ。
このSF-LA区間に近い将来、高速鉄道(新幹線!?)を導入する計画がある。確かにカリフォルニア州の主要都市でシリコンバレー・Bay Areaの世界経済に大きな影響を与えるstart upの企業群を考えると、西海岸随一の経済都市LAとの結節は合理的な投資かと思う。

現在は、上記区間の移動の大半はローコストキャリア等の航空機の輸送、主にSouth westJet Blue等のキャリアが運航している。SFOSan Joseの空港からLong beachLAXに飛んでいる。片道約1.5時間の飛行だが、空港までの移動を含め、主たる目的地までの移動を考えると片道約3時間は要すると思われる。

新しく導入される大量高速輸送網は片道約2.5時間でSF-LAを結ぶ計画なので、時間短縮のメリットも享受できるし、定時運行をほぼ約束される。東京-大阪間の新幹線移動と距離的・時間的にも同じイメージ。誰が投資主体なのかは現時点で調べられていないが、サービスを開始すると間違いなくLCCの競合となるだろう。

参照URL:California High Speed Rail Authority

2014/01/20

ニューオーリンズ


JAZZの街、ニューオーリンズを後にして、ニューヨークに向かう鉄道(アムトラッ
ク、(crescent line)の中に居る。ニューオーリンズからニューヨークまで約30
間、2200km

ニューオーリンズはやはりJAZZを中心とした音楽が街中に溢れていて、人の多くが音楽を好む性質を持っているように感じた(そもそも観光客が多いのだが)。音楽も良いし、料理も美味しいしとても好印象を持った。

Preservation hallblue niled.b.a等のjazz clubに行ったところ、日本人ミュージシャンも活躍しており多くの刺激を受けた。トロンボーン演奏者の菊池ハルカ(haro)さん、ピアニストの辻さん、居酒屋「雪」を経営している、ゆきさん。

ディキシースタイルのJAZZ、モダンジャズ、RB、ファンク、フランス音楽とJAZZが融合されたケイジャンミュージック、クレオールミュージック。
ベトナム戦争による難民を当地域で受け入れたため、多くのベトナム人が住んでいる。事実、居酒屋「雪」にはベトナム人従業員が多数在籍していた。

一方で、ニューオーリンズは犯罪率が全米で2位(2012年の犯罪統計)に位置づけられる等、治安面での不安はあった。因に一位は街自体が財政破綻したデトロイト。
犯罪率が高まる一般的な要因としては、産業の空洞化(デトロイトではGM等の自動車産業が海外勢の台頭による不振)で失業者が増える。⇒職に就けずホームレス等貧困層が増加する。⇒薬物売買等アウトローな手段で何とか生きようとする。or略奪等暴力・犯罪行為が生じる。

ニューオーリンズは何が理由だろう?

2005年のハリケーンカトリーナでの大被害以降、治安はさらに悪化したとの報道があった。確かにオースティンからグレイハウンド(バス)でヒューストン経由ニューオーリンズに向かう12時間を費やすにつれて、徐々になんとなくだが、黒人の柄の悪そうな連中の割合が増えた印象を受けた(ただの思い込みかもしれないが。)。
治安面の事もあり(アメリカの国内移動手段でバスは一般的に最も低い所得層が乗る傾向がある)、できれば自由に景観を楽しめる、車内を動けるので疲れにくい等の理由でオースティンからも鉄道を利用したかったのだが、ロスからニューオーリンズまで結ぶアムトラック(路線名:texas eagle)は、ニューオーリンズがオースティンの延長上になく、一度サンアントニオまで戻る必要があった。よって、鉄道利用では動線的に不利なので、今回は止む無くバスを利用する事にした。

話が逸れたが、ニューオーリンズの治安が悪い要因は、直近の自然災害による被害を受けて悪化傾向にあった事以外明確につかめなかったものの、この地の歴史に古く根付いたものがあると言う印象を受けた。
それは奴隷貿易に紐づく、アフリカンアメリカン等の低所得層の存在というのが自分なりの理解。

ニューオーリンズはミシシッピ川が流れ、メキシコ湾にも面している港町。18世紀初頭には、フランスやスペイン等の領土で多くの奴隷が連れてこられていた地域である。奴隷貿易の中心都市がニューオーリンズであったのだが、その理由は、当時・当地の法律で一定の奴隷には自由を与え、クレオール(フランス人等との混血)コミュニティを容認したからとの事(ある程度奴隷にも人権を与えたという事)。
現在でも大規模プランテーションでの労働者として、多くのアフリカンアメリカンが従事しているとの事だが、低所得層が多数を占める。

1900年前半には上述したとおり、多数の国の文化の融合で新しい価値観、新しい音楽が生み出され、その代表格がJAZZとなった。
他にもミシシッピ川やニューオーリンズ近海で採れる魚介類を使って作られるケイジャン料理(クレオールによりもたらされた料理)。特にオイスター料理が盛んで、メキシカン風にアレンジした牡蠣料理はスパイシーで美味しかった。

文化の融合が新しい価値観を生み出すこと、この街に来て身をもって感じた。

2010/10/24

白州蒸溜所見学

サントリーの白州蒸溜所に行ってきた。
サントリーウィスキー「白州」を製造している工場だ。この商品名に関して、白州次郎を連想し、「しらす」と思われがちだが、山梨県北杜市白州町の蒸溜所の名称どおりで、読み方は「はくしゅう」である。
同敷地には、サントリー南アルプスの天然水を製造している工場もある。

今回、酒を飲むのでさすがに鉄道を使った。
新宿から特急あずさで蒸溜所最寄りのJR小淵沢駅まで2時間。(小淵沢駅から工場まではタクシーで10分程度。)
特急あずさに乗ったのは初めてで、新宿からの乗車券(特急券+乗車券)で5500円。(ま、こんなもんなのか。チケットは金券ショップがおすすめ。片道4000円くらいで買える。通常における、この値段の下がり方からして、各種回数券に関して供給過剰の状態が伺える。余談。)

白州工場に行くに至った背景として、銀座のdi puntoというカジュアルイタリアンの店でたまたま「森香るハイボール」という、白州でつくったハイボールを飲んで旨いと感じて以来、この「白州」に最近はまっている事もあり、今回①蒸溜所見学(事前予約不要、無料)②ハイボール体感講座(事前予約必要、一人700円)に参加するために行ってきた。

①蒸溜所見学で得た事。
・最初の蒸溜工程で生じる、大麦を水を通して発酵させた麦汁の匂いが何とも表現し難い匂いであった事。
・ウィスキーの味の要素は大きく2点、樽の種類と水を含む製造する土地の周辺環境。(樽が味に大きく影響を与えている事は知らなかった。)
・シングルモルト(麦芽)ウィスキーのシングルとは単一蒸溜所の原酒のみで造られている事を示している。
・樽の貯蔵庫の温度調整はしていない。
・ビール、焼酎と比して、ウィスキーの製造工程は長い。原料はいずれも主に麦(焼酎は色々あるが。)で、蒸溜工程がビールはなし、焼酎は一回に比べてウィスキーは2回。ウィスキーは長期にわたる樽熟成。


②ハイボール体感講座で得た事。
・講座が開催された敷地内BAR白州のバーカウンターは、昔銀座8丁目にあった「バーうさぎ」のカウンターバーをそのまま譲り受けた。
・山崎との飲み比べもできるが、個人的な嗜好は、白州。山崎の方がスモーキーな印象で、白州の方がフルーティな印象。
・白州12年の方が10年よりもまろやかな印象を持った。
・おつまみとして出された京都小倉山荘のチョコ柿の種が抜群に旨かった事。
・アンケートの項目に「blogにこの講座の事を紹介しますか?」あった事。(チェックをしていないが、こうして紹介していること。)
・上記、森香るハイボールを初めて飲んだ店(di punto)はもろにサントリー系列だった事。
・「森香るハイボール」とは、白州をソーダでわったハイボールを指す、サントリー側の造名称であること。


白州工場は自然もよく、空気も綺麗し、週末のリフレッシュプランにおすすめです。
ウィスキーとか、ハイボール好きな人にとってはさらに良いです。
ウィスキー自体に興味が湧いたし、スコッチとか本場のものとの違いについても今後は興味を持ち始めそう。

上記から、自分はサントリーの回し者ではありませんので。

しかし、当企業は広告とか宣伝が旨いなーと感じる。
ハイボールという軸で、ウィスキー市場を拡大させつつある事を踏まえると、今回の見学会等でも「森香るハイボール」のPRに余念がなかった。
マーケティングの根本である、マーケットの創出を地道に実践しているように思えた。
高付加価値のハイボールとして、現在盛り上がっているハイボール市場に一線を画そうとしているのだろうか。
いい戦略だと思う。普通に美味しいし。

2010/05/15

深い河

GWにインドから帰国した1週間後、八雲図書館で遠藤周作の深い河を読んだ。

インドを旅行している時からずっと読みたかった本であり、遠藤周作の宗教観を集約した本である。
今回のバラナシにおけるガンジス河で抱き、悶々とした感情をクリアにしたかった。

自分が先日のGWと2003年に訪れて、インドに対して持ったどこか他の諸外国と異なる感情、想いは何か、日本で暮らしていて何か通ずるものがあるのは何故かを明らかにしたかったのだ。
この一冊にすべての疑問解決を委ねる事はしなかったが、解決の糸口を得るツールとして期待した。

期待は裏切らなかった。映画化もされているが、未だVHSしかなくDVDは未発売。

現代を舞台に、ヒンドゥー教を含めたキリスト教に対する遠藤の宗教観についても記載されている小説。

主な主人公は5人居て、現代におけるそれぞれの個人がインド旅行ツアーに参加し、主にバラナシにおけるガンジス河をメインにそれぞれの想いを交錯させるもの。それぞれの個人が何故インド旅行に来ているのかという切り口で過去に遡り、例えば、妻の死を皮切りに輪廻転生の発想を持つ者、過去、ビルマ戦線に参加した老人が仲間の肉を口にしてしまう事による善悪、カルマ思想を持つきっかけとなった者。

これが、デリー、アーグラ、ジャイプル、バラナシと偶然にも今回自分が友人達と行った内容とぴったり同じだった事は驚きだった。まぁ北インドの定番ルートなのでしょうが。

つらつらと、内容を備忘のため記載するつもりはないが、はじまりは磯辺という50代の男の妻が末期癌に亡くなる章から始まる。彼の妻が死ぬ間際に輪廻転生を思わせる言葉を残す事から、彼がインドに行くきっかけとなる。

人が信じる神をそれぞれに選ぶのは、生まれた国の文化や伝統や各自の環境による事が多いと思う。

自分が印象に残った点として、「善悪不二」について。内容は次のとおり。
「人間のやる所業には絶対に正しいことはないと言えることはない。逆にどんな悪行にも救いの種が潜んでいる。何事も善と悪とが背中合わせになっていて、それを刀で割ったように分けてはならぬ、分別してはならぬ。」

上記内容は全くガンジスの沐浴と通ずる。遺灰を流すその横で人々がその横で幸せそうに沐浴をしている。(その水は横で遺灰が流されている事を知らぬような表情)

それはまさに宗教心の現れであり、彼らにとって輪廻転生が日々を過ごす上で当たり前である事が伺える光景であったように思えた。

2010/05/09

Incredible India 2

インド所感の続き

◆バラナシ
前回行けなかったバラナシに今回は行った。ガンジス河畔のヒンドゥー教と仏教の一大聖地。

ガンジス河自体がヒンドゥー教ではガンガーと呼ばれる神を表しているので、ヒンドゥー教徒はこの河で沐浴をして体を清めたり、この河の水を飲んだりしている事は有名な話。ヒンドゥー教の成り立ちは紀元前5世紀あたりとされているため、現在もほぼ同様の形式で上記行為が存続している事自体が驚き。

ヒンドゥー教では、バラナシのガンジス川周辺で死をむかえると輪廻から解脱できると考えられている。そのため、この地でひたすら死を待つ人々が多くいる。

バラナシは「大いなる火葬場」とも呼ばれており、年中煙の絶えることはなく、死者はガンガーに浸されたのちに火葬場としての役割を果たしているガート(川岸に設置された階段。洗濯場のほか、巡礼者の沐浴の場)で荼毘(火葬)に付され、遺灰はガンガーへ流される。金が無い人、赤ん坊、妊婦、蛇に噛まれて死んだ人はそのまま流される。
ヒンドゥー教では魂のぬけた亡骸になんの未練も持たず、死体は空の器として不要とされているので、墓はつくらない。

実際、船に引っかかっている一体の遺体を見た。誰も驚く事なく、それが自然の営みと教わると、その現実を受け入れざるを得ない独特な空間がそこにはあった。
その時、藤原新也がガンガーに流された水死体が犬に食われる現実をみて残した言葉「人間は犬に食われるほど自由だ」が頭によぎった。
今回みた水死体が岸壁に流れ着いて、野良犬に囲まれると彼がとった写真と同じ構図になる。(参考:藤原新也のweb内mementmori

火葬場で遺体を燃やして、灰を河に流しているわずか30M程の場所で、同じ河で洗濯をして水浴びをしている。これらの現実を理解するには、彼らの信仰心以外に存在しないと思う。
では自分は?と考えると、実際何を拠り所に生きているのかわからなくなった。
特にないというのが今の自分の答えかもしれないが、ある人にとっては、宗教というもので、多くのしきたりはあるものの、これを拠り所にする事で人生における幸福度が増すと考えているのだと思う。(ヒンドゥーにおいては、輪廻にまつわるもっと深い何かがあるのだと思うが。)

イギリスからの独立運動を指導したマハトマ・ガンディーも熱心なヒンドゥー教徒であったが、イギリスに留学してインドに戻ってきた際に、ヒンドゥーの仕来りにより牛の尿を飲んで体を清める等の行為を最初は拒んだという。(ヒンドゥー教/森本達雄著)
今後インドがより世界に解放された際に、ヒンドゥー教徒の宗教観はどのような変遷を遂げるのだろうか。ガンディーのように他国の習慣等を客観視する人々が増えたしても、依然悠久なる時間の中でガンジスの営みが行われ続けるのだろうか。

少なくとも急速に都市化が進むデリーの街では、この国がヒンドゥー教の国だと決定づける事象には、遭遇しにくくなっている。(マクドナルドの数も2003年よりも明らかに増えていた。)それだけインド国内もグローバライズされている。

ただ、インドの人のアイデンティティは間違いなくヒンドゥー教に由来している。(インドにおけるヒンドゥー教徒は8.3億人)
それはボリウッドを代表とする映画、音楽等文化的な側面と共に彼らの精神面での支えにもなっているのだと思う。

今後インド経済が成長する中で、彼らのアイデンティティとしてのヒンドゥー教の考えを保持する事も他方で検討する事が必要になってくるのだと思う。

ガンジスの夕方の火葬風景と早朝の沐浴風景をガンジス河上の船からみたが、携帯でも写真を撮ったのでいくつか掲載する。


Incredible India 1

GWはインドに行ってきた。
学生時代のMRIインターンシップ時代の友人で、現在重電メーカーで働く友人が海外研修生としてデリーに滞在しているため、日本から同コミュニティの友人6名で遊びに行ってきた。

30日に出発して昨日東京に戻ってきたが、やはりインドは暑かった。
いつもオフィスの中で籠りきっているので、40度くらいの気温で熱風が吹くインドの灼熱はきつかった。
その点、日本の今の気候は最高ですな。
まずはそういう感想。

2003年の9月に一人旅で訪れて以来約7年ぶりのインドであったが、インフラ整備、携帯電話の普及等多くの点で圧倒的な成長を感じた。
デリーを拠点として、車と飛行機を使っての移動だった。コースは以下のとおり。
デリー→アーグラ(タージマハル)→ジャイプル→デリー:車2台をチャーターして移動。
デリー→バラナシ(サルナート):飛行機(航空会社、行き:Kingfisher、帰り:Spicejet)


◆デリー
・道路が整い、バスも電光版を備えたものが普及、デリーメトロの一号線も開通して都市化が促進されていたが、急激な自動車の増加により渋滞が蔓延していた。

・感覚的に牛が少なくなっていた。どこにいったのでしょうか?野良牛が居住するにも、草木の箇所がアスファルト整備されてしまうと食料にありつけないので自然と郊外に追いやられる流れになると思う。さらに草木の生長を促進するために、牛等に食べられないような柵も張り巡らされていた。他の都市でも同様で、政府のCO2削減対策との事(バラナシのガイド談。)


◆航空業界
・デリーからバラナシ(約600KM)は鉄道ではなく、飛行機で行った。(鉄道では約11時間かかるが、飛行機では約1時間。)

・行きは、Kingfisher、帰りは格安航空会社のSpicejetを利用した。値段はKingfisherは6,500Rs(約13,000円)、Spicejetは2,500Rs(約5,000円)。

・Kingfisherはインドのビール会社ユナイテッド・ブリュワリーズ(UB)傘下の航空会社。(インド滞在中は何度も同名のビールを何度も飲んだ。日本の味に近く、美味しい。)機内サービスが充実しており、約1時間のフライトの割に機内食も支給してくれる。機材はエアバス。

・Spicejetは、完全にローコストキャリアを前提にした戦略をとっており、機内サービスは水のみ(画面も音楽もない)。上記のとおり、値段はKingfisherと比して半分以下。機材はBoeing737。インド国内全域を満遍なく11都市に就航している。Spicejetの名は欧州のローコストキャリアEasyjetを思い浮かべる。(戦略も同様!?)

・上記どちらのフライトも空席はほぼなかったが、乗客はインドの富裕層もしくは観光客。鉄道はKingfisherの値段を基に考えると、一等でも約4分の1、一般庶民が乗るエアコンなし2等では約30分の1の値段。

・デリーのIndira Gandhi国際空港の国内線ターミナルの整備状況を拝見するに、上記航空会社の他にIndigoやAirsahara等の新興航空会社が競合しており潜在需要を感じられる。実際、デリー、ムンバイ等の大都市間の高速鉄道の整備がない状況、インドの国土規模、毎年約6%のGDP成長率等を考慮すると今後ますます拡大する市場になると思う。(当面は富裕層、観光客向けビジネスになると思うが。)


◆ホテル
・インド滞在の友人が全て以下のホテルを手配をしてくれたので、本当に感謝だった。日本でも馴染みのあるシャングリラホテル等いずれも相当良いホテルだった。自分が一人旅で使うような宿とはかけ離れていた。
Delhi:Vasant Continental、Shangri-la Hotel、The Leela hotel
Jaipur:Trident
Varanasi:Ramada Plaza

・ホテルの価格決定要素は立地、内装、外装、スタッフのサービス、料理の質、部屋の仕様、部屋からの眺望等が挙げられると思うが、その点首都機能を有するデリーのホテルは軒並み、ジャイプル、バラナシのホテルよりも高かった。

・デリーのホテルでは、空港からのアクセスが良い新興都市Gurgaon(外資や日本企業の拠点があり、重要な金融センターの位置づけでもある。)、The Leela hotelが最も高かった。

・個人的には立地以外の要素ではシャングリラホテルが良かった。


以上は経済的な側面のインドの所感。
Incredible India 2ではバラナシに行って感じた事を記す。

2009/10/01

Arabesqu,Hallelujah,Picasso

今朝スペインから帰国した。
旅の感性は後半になるほど成熟する。
今回の旅も後半にエッセンスが詰まっていたように思う。

旅前、何か漠然とした感情を抱きながらアンダルシアを周り始めたのだが、それがマラガ(MALAGA)で明らかになった。

マラガはスペイン南部、地中海に面し、ピカソが生まれて幼少期を過ごした港町。
気候が良く、魚介類を主としたTapasが有名でおいしい。
また、Museo Picasso Malaga(ピカソ美術館・マラガ)は多くの観光客が訪れる。(自身もその一人)
地中海を挟んでアフリカ大陸に向かうフェリーも出ており、アフリカ大陸(モロッコ等)との結びつきが強い。
古くイスラムの領土であった事もあり、名前においてもアラブ=イスラム色が残る町名(イスラムの呼び名はマラカー)となっている。

旅をして思ったが、アンダルシア一帯は、Alが頭に付いている町(これはアラブを意味する)が多い。特に地中海沿岸にそれが象徴されており、リゾートで有名なAlicante、比較的大きな都市であるAlmeriaやジブラルタルの隣にあるAlgeciras等多くはアフリカ大陸と近接する港町だ。もちろん、グラナダのAlhambraもそれにまつわる意。少し脱線。

マラガでの話。
町の中心に40Mを超えるドームを備える大聖堂(カテドラル)とALCAZABAと呼ばれるイスラムを象徴する宮殿が現存する。
そのカテドラルの壮厳たる内部空間に身をおきながら、ゆっくりとこの土地の事を考えた。
カトリシズムにまつわる音楽を聴きたかったが、生憎なかったので、Debussyの2つのアラベスク−アラベスク第1番を聴いた。

アンダルシア地方は、15世紀のレコンキスタ(カトリック勢力の国土回復運動)により、現在に至るまでカトリックを主として文化、建造物が構築されているが、イスラムの文化が細々とマラガを含むアンダルシア地方に残っている。
グラナダのアルハンブラ宮殿もそうだが、カトリックの時代になってからもそのアイデンティティとなるイスラム色の強い建築等を破壊す事なく、実際に使用した。

この地で生まれたピカソはキュビズム、シュールレアリスムの旗手として多くの新しい芸術を生み出した。
彼の生まれ育った上記歴史的背景を有するアンダルシアの地が、彼の芸術に少なからず影響を与えていると思われる。
彼の作品に多く牛が描かれるのも、マラガでの幼少期によく親とともに通った闘牛場での出来事が影響しているのだという。
アルハンブラやALCAZABA等でみた、美しいアラベスク模様を有するイスラム建築の装飾は非常に幾何学的な側面を有し、キュビズムの創出に少なからず影響しているのかも知れない。

このようなイスラムとカトリックの融合の歴史と文化が、現在のこの地に住む人々の食や芸術に影響を与えている事を肌で感じ取れた事が、今回の旅の大きな収穫と考える。

2009/09/28

Cadiz from Malaga

Hola!
I'm in Cadiz(oldest port-town of Europe)from Malaga(4hours by bus).It gets light until 8PM here.
Now,Catholic festival(VIRGEN DE LA MERCED) was performed on outside of the Hostal my stay.
The owner of the Hostal can speak Japanese very well because he stayed to work Spanish Restaurant of Tokyo(Nakano-ward) for 20 years.
He is very kind to talk about this festival,Cadiz's history and so on.

In this trip,I traveled mainly Andalcia(southern part of Spain,Granada,Malaga,Cadiz)
And I'm impressed by many things(people,drink&dishes,architecture including Alhambra,nice weather,and so on).

It's last part of this trip and I'll back to Madrid 5 hours by train tomorrow.

2009/09/22

休みでアンダルシアへ

明日火曜の朝から成田→フランクフルト→マドリッドでスペインに行ってきます。2002年に、バルセロナにはどっぷり行ったので、今回はアンダルシアを中心に行ってきます。気が向けばポルトガルにも行こうかな、と。

もう9月は仕事がないので、開放感に浸りながら行きたいのですが、始発で成田に向かわないといけないのに未だ荷物も詰めず呑気にラジオ聞きながら、こうしてブログを更新しています。

結局1週間そこそこの旅だし、だいたい今の日本と気温が変わらなさそうなので、それほど準備するものも多くないかなと。むしろ本のチョイスが重要。Lonely Planet Spain、Transitのスペイン特集、ドン・キホーテ、ジャン・コクトーの小説、銀河鉄道の夜を一緒に。

カメラは未だ24mmレンズ一つのみ。今回は三脚を新調したし、フィルムも多数買い込んだ。

久しぶりの旅行なので、とりあえず楽しみだ。

心を自由に、行ってきます。

2008/09/30

上海で会った彼

感情と記憶が風化しないように記す。

彼とは2006年3月に学生時代を締めくくる卒業旅行で中国を旅行した時、上海・外灘のユースホステルで出会った。
最初、旅慣れたヒッピーっぽい日本人のにぃちゃんが居るなぁと思っていた。色は黒く、髪は括ってフレームの細いスタンダードな黒ぶち眼鏡をかけ、Tシャツにちょっと破れたストレートの埃がかったブルーデニムを穿いていた。自分以上にコテコテ、というよりも大阪市内で話される大阪弁を話していた。事実、大阪市内在住の自分より4歳程下の“彼”であった。

彼とは、他に居たゲストハウスの日本人と共に2日間くらい、普通に晩飯を食って飲んだりした。でも彼とは特に夜中によく話した。話をする内に無限の広がりがある時間を過ごしている気分になった。世界の事、人間の事、そんな本質的で根源的な話ばかりしていた。

夜中ビールを買いに行く時、敢えて中国系のコンビニに行って、サービス精神の無さが共産主義に起因していることを、同じく上海市内にある日系のローソンと比較して議論してみたり。

彼は旅から多くを学んでいたので、そもそも社会主義体制を敷いているキューバの街中や人はどんな様子か、彼がすばらしい国(素晴らしい湖がある)と称するグァテマラの話など多く聞いた。危険な話も聞いた。また、彼が自分と会う数日前に中国の雲南で軟禁にあって身ぐるみを剥がされた話も具体的に聞いた。その時の悪人の様子や連携プレーはどのようなものだったか。リアルで面白かった。金がなくなったので、上海から大阪までは船で帰ると言っていた。

その時自分自身は、河合隼雄の精神世界、立花隆の脳科学、茂木健一が提唱するクオリアについて興味を持っていた時期だったので、そんな話をしていくつかの本を紹介した。

僕は彼の事を世の中の形式ばった事は分かっている訳じゃないけど、生きて行く上で本質的なものを掴みきっているような感じがした。とても抽象的だけどそんな印象を持った。だからこそ、彼がどんな人間になるのか楽しみだった。間違いなく社会の枠にとらわれる事なく、生きて行くのだろうと思っていた。

帰国後3週間後くらいの3月下旬に学生時代の締めくくりとして自分が開催した大阪・中崎町の写真展にもふらっと顔を出してくれた。それ以降彼の近況はSNS上で確認していた。連絡等は特にしないが、相変わらず自由で生きているなぁと刺激をもらっていた。

そして、つい最近の日曜の朝、大阪から東京に戻ってネットを付けた時、SNS上で彼のお姉さんから、彼が亡くなったとの連絡があった。事故で。報告の文字がとても重かった。

9月の頭に自分が休みで大阪に帰った時、何故か無性に彼に会いたいと思っていた。彼は無限の可能性を感じさせる何かを持っているので、久々にどんな事を考えて過ごしているのか知りたいと思っていた。未知なる価値観を吸収したいがために会いたい友達は、自分の中でもそうはいない。でも結局会えず、次に大阪に帰ってくる時に会おうと思った。そして上記事実。後悔はあったが、全てを受け入れるしかない。

あまり死について長々と書くつもりはないが、身近な事象である事を改めて感じた。
彼のお姉さんから、彼が旅先で会った写真家に影響を受けて写真をし始め、その写真家が自分ではないかとの連絡を頂いた。もし自分であればそれはとても嬉しい事。

人の人生に良い影響を与えられる人間になりたい。

2008/04/27

NIKKO IS NIPPON

今週末、大阪から両親が上京していたので、東京・日光観光をしてきた。
父の日光に行きたいとの希望があったので、関空−羽田の飛行機往復、新宿−日光・鬼怒川温泉間直通特急スペーシア(JRと東武の相互乗り入れで2006年から運用開始)のチケット、鬼怒川温泉の宿を手配していた。
母は関西圏の番組でみのもんたが赤坂サカスを紹介していたとの理由で、そこに行きたがっていたが、時間的制約で却下(僕も行った事がないので、案内のしようがない)。
とりあえず現在開催中の恵比寿の写真展を見せて、その後、スペーシアで新宿から鬼怒川温泉へ。あいにくの雨だったので、宿でゆっくり、夜はゆば料理を食した。ゆばは日光エリアの名物です。

翌日は、鬼怒川温泉から日光へ。
日光東照宮へは、2006年に入社した後の研修期間中に同期と研修先(栃木県)からレンタカーで行った事があったが、若干懐かしく感じられた。
親の世代の小学・中学校時代の修学旅行先に日光が選ばれる事が多かったらしく、事実母の中学生時代の修学旅行先も日光だったとの事。父も20年くらい前に訪れていたとの事。

そういった意味で、上述した新宿−日光間を繋ぐ特急スペーシアのHPは良く出来ている(今回特に親がこのHPを見た訳ではないが。)。
団塊世代が一度は訪れた事がある日光へもう一度足を運ばせようとの狙いがあり、且つバスで訪れる事が大半である日光の観光客を取り込もうとの狙いがあるのだと思う。
キャッチコピーは『あの日のあなたへ、走ります。』。『走ります』の語呂がしっくり来ないが、電車のPRなのでまぁしょうがない。
ほのぼのとして、懐かしい気分にさせてくれる。ひとつひとつの写真もよいが、ローディングに時間がかかる。でも、トータルして何か日光に行きたいと思ってしまうようなHP。

で、実際スペーシアで行ってみた感想。
ニーズの創出を図るべくHP内には色々な日光の名所を示してくれているが、実際電車で日光を訪れ、それらの名所を行こうと思うと車の方が利便性が高い。スペーシアのチケットには日光の東武バスのフリーチケットも付いているが、バスは運行頻度も少なく自由度に欠け、短時間に網羅的に路線を把握する事は困難。
シンプルに日光東照宮に行くのならばスペーシアの選択肢でOKですな。
若者ではなく年輩を対象にしているHPの構成からしても、マーケティングがきっちりできているなぁと思った。

日光東照宮とかって、壮大で徳川の偉大さを感じれる(因にわたくしはむしろ倒幕した坂本龍馬たちを激しくすごいと思った。)ものであるけど、未だに何故この土地に行きたいと思うのかがよくわからない。親に聞いた日光に行きたい動機も、「懐かしさ」からだという結論。一般的には、歴史を学ぶ事と近い感覚で訪れる人が多いのかな。参拝するという事。何に対して参っているのか。先祖、神?参拝するという一種生まれながらに備わっている先天的なものがある!?
と考えてしまったが、特にこれに関しては意味を見いだす必要はないのかな。でも、この件についてお詳しい人、独自の考えをお持ちの方がいれば教えて頂きたいなぁ。

日光を後にして、上今市という所にある日光街道沿いの杉並木を訪れたが、そこに関しては特別天然記念物と文化遺産にも登録されているだけあり、東照宮に続く道としての神聖さが長い間備わっている、そんな感覚を持つ事ができた。高野山の奥の院の感覚に似ていた。

その後東京に戻り、親が自分が勤める会社の近くに行きたいとの要望(←ありがち)もあったので、丸の内辺りを案内した。東京における新宿等のターミナルと比して、東京駅を出た丸の内側の道幅と建築敷地間のゆったりさと、それが皇居の緑に続く様をオフの視点で改めて眺めると、整然としていて一種の神聖な感覚を持ってしまった。でも、この風景から活力は感じられなかった。今ふと思ったが、「神聖である事」と「活力がある事」は相反する事象になるのだろうか。神聖さは必ずしも活力を生み出さないのだろうか。(発散しがちなのでこの辺でやめる)

一通り丸の内を案内した後羽田へと向かった。かなりタイトなスケジュールだったのでお疲れになった事でしょう。僕も結構疲れました。








2007/08/03

サハラ

モロッコから帰ってきたのは、もう1ヶ月前の事だが、最近はバタバタと時間が過ぎているような気がする。
先週は会社同期の素晴らしい結婚式(にしだ、まおさんおめでとうね!)に出席するために久々にゆっくりと実家に帰ってリフレッシュしたが。やっぱ大阪はマイホームタウンいう感じがした。
最近は時間に後押しされているような気がする。これを書いている瞬間も金曜の深夜なのに何故か急かされている感じがする。以前よりも会社に居る時間は増えたかもしれないが。なぜだろう。


という事で、日記を辿り、モロッコでサハラ砂漠に行った際のあの自由な感情を取り戻してみようかなと思う。

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モロッコにて。
マラケシュで2泊3日の現地ツアーを組んでサハラに向かう。途中数々の街に立寄り、アルジェリアの国境近くの街に到達し、そこからサハラ入りを果たす。

サハラ。何もない世界。音のない世界だと認識する。
太陽の日差しが予想以上に強く、全ての水分を一瞬にして蒸発させてしまうだろうという感覚を持つ。
べっとりとした西日の中を、ベルベル人のハッサンが先導するアジア人で編成されたキャラバンは進んでいく。
時折、太陽の造影は実像よりもくっきりと映る。

やがて、砂丘の合間にいくつかのテントが見える。そこが、その日サハラを過ごす場所。

着いて間もなく、まだ熱の残る砂丘を駆け上がり、日が没する光景をみようと頂を目指す。
乾ききった砂に触れるたび、体の水分が奪われる。一瞬で喉がカラカラになり、下に水を置いてきた事を若干後悔する。

砂丘の頂に到達(結構達成感あり)し、辺りを見渡す。日が完全に没するまでにまだ時間はあった。大声を出してみたが、こだまはなかった。

何となく砂丘を背に仰向けになって空をみた。
左方に、次の夜には満月になっているであろう月。右方に、マンガのような分かりやすい星。空の色は右方だけやや赤みがかった深いネイビー。背中には昼間太陽に照りつけられ熱せられた砂の余温があった。

耳を澄ました。音がなかった。虫の音も、風の音もなかった。無の空間だった。

音のない空をずっとみていると、時間がたったような気がしてはっと起き上がった。

西方は赤とネイビーのグラデーションが出来上がり、自分を中心とした半径100KMは音のない、無の世界が広がっているという実感を持ってしまうほど壮大な光景が広がっていた。




2007/06/26

In Morocco

Bonjour.
Now I'm in Marrakech,Morocco.
I spend a week's holiday of my company in this country.
I haven't upgrade this blog for a long time,so I try it with free feeling here.
I want to write much by using Japanese lungage.
But I can't use it here,and in addition,it's hard for me to use keyboard of French spec.

Yesterday morning(6/24 AM 9 local time:time difference between Tokyo and Morocco is 9hours),I arrived at Casablanca in Morocco by air.
Total flight from Haneda to Casablanca is about 20hours via Kansai,Doha by using Qatar airline.
I use this airline for the first time,I think it's nice service.
Recently Qatar air make an alliance with ANA,so mileage traveled by using this airline are added frequent flyer program of ANA,and I did so this time.

And in Casablanca.
I directly came to Marrakech by train from airport of Casablanca(it takes 4hours),without staying in Casablanca.
Because I thought instinctively it's not interesting there.
Casablanca is famous for movie...

In Marrakech.
The old town(called "Medina" in Arabian country)of Marrakech is a UNESCO world heritage site.
Markets of Medina(called "Souk" in Arabian country)have an atomosphere of energize,exciting,crowded,historical,traditional,caos and so on.
All of people in here are many kinds of business.
For example,it's peformer of snake,entertainer,craftsman of traditional item(cattle and sheep leather,shoes),artisan of metallic item and so on.
Sorry,it's difficult for me(my poor English) to explain everything about medina and souk.
Anyway,it's nice.
But here,it's hot during the daytime,so I get tired easily when I walk outside.

Tomorrow,I will join a tour(3days-2night) of the Sahara Desert.
A little while ago,I entered this at the tourist office.
This plan is to go over Atlas mountain from Marrakech,to pitch a tent and spend night in the Sahara Desert and so on.
I'm very looking forward to this.
I will feel grand and free more and more.

and show the picture in this web after back to Japan.
maybe good pic...

enjoy the rest.
Bye.

2007/05/15

Garota de Ipanema


なんとなく写真をスキャンしたので、ついでにupしてみる事にした。
ブラジルのリオの写真。
リオ。
街と海の距離が近くて、とてもいい印象を持っている。
街と海の物理的距離というよりも、人が海に対する精神的距離が近いと感じた。
暮らしている人が海を愛しているからなのだろうか、人と街と海が調和していた。
人の生活に海の存在が浸透していたように思う。
おかげで空気が軽かった。

イパネマ海岸からちょっと歩いた所にあるカフェ、Garota de Ipanema。
Anotonio Carlos Jobinが店の名前同様の曲をつくるきっかけになったところ。
もちろん、Jobinの曲が先で店名が後。作曲当時の店名はヴェローゾだったらしい。自分は、jobinがこのカフェで座っていたとき、美しい女性が窓越しに通り過ぎていったのをきっかけに曲がつくられたというエピソードを元に、それっぽい写真をとってみたのを覚えている。でも、よう考えたら通行人を意識して撮ってる訳やから俺めっちゃきもいやつやん!はずかし。載せるんじゃなかった。

Garota de Ipanema(邦名:イパネマの娘)は色んなアーティストにカバーされているけど、一番好きなのは Samba Pa Ti/V.Aに入ってるJarabe de PaloのLa chica De Ipanema。相当さわやかな空気感を感じ取れるはず。

そろそろ、旅の季節(?)なので、どこかに行こうかなと思っている。

2006/09/15

ベトナム

 現在5連休を併せて10連休を満喫しているATSUYUKI@ベトナムです。11日からべトってます。結局社会人になっても汚らしい格好で一人旅をしています。なんか、ベトナムに来てやっと落ち着いたって気がしています。
 先週末に友人の結婚式で大阪に戻り、関空?ホーチミンと来て、ホーチミンの喧騒が若干嫌になって、今はダラット(DALAT)という、ホーチミンから東へ車で6時間程行った標高1500M程の街にいます。この街は中々良いです。仏の植民地時代から避暑地として有名で、街の中心には湖があり、湖畔沿いにカフェ、レストラン、ホテルが立ち並んでいる。今日はバイクをレンタルして街を散策していた。ホンダの50CCのカブ式だが、俺が大学の始めの頃乗っていたオンボロDAXと比べても相当性能が良いし、早い早い。デザインもスポーティでクール。ベトナムではバイクの免許も何も要らないから(50CCくらいは)、ノーヘルで快適に異国の地を飛ばしていた。ここは冷涼な土地とあり、郊外まで足を運ぶと高原野菜(主にキャベツ)の収穫風景を伺えた。農業の風景は日本のそれと大差はなく、遠く離れた土地でも同じような方法で栽培されて収穫されて、トラックに積まれていた。
 また、夕方の湖畔沿い、夕焼けが湖に映えてすごく美しい瞬間が街に存在する時、バイクや車(バイクが圧倒的に多い)で行き交う人々を見ながら、やはりここでも自分たちが住む国と大した違いはなく、異なるものは歴史、文化(言葉含む)、風土のようなものであり、本質的な人間の営みは変わらないんだと改めて思った。旅にでるといつも、日本の生活では感じることがない純粋な感性が蘇ってくる。こんな青くさい文章を普段の生活では恐らく書く勇気もないが、今は純粋に自分はこんな事を思っているのでしょう。上記異なるものとして、歴史を挙げたが、これが自分の中でひっかかり、その後色々と考えるきっかけとなった。

考えたこと。半ばメモ代わりにこのBLOGを使います。

1.なぜアメリカがベトナム戦争を引き起こしたのか。
2.ベトナム社会主義共和国とあるけど、本当に社会主義国家なのか。
3.今後世界中が市場経済に飲み込まれてしまうのではないか。



まず、
1.なぜアメリカがベトナム戦争を引き起こしたのか。

 この動機として、上記重複になるが11日にホーチミンに入り、メコンデルタツアーや各種戦争、歴史系博物館等を巡った結果、自分にとって最も引っかかるキーワードはベトナム戦争だった。ホーチミンの戦争証跡博物館では、ベトナム戦争の悲惨な記録が展示されてあり、まぁ予想通り悲惨だった。なんか、もう自分が趣味でもなんでも写真なんか撮りたくないと思うほどリアリティに溢れて、何かを感じずにはいられないものばかりが並んでいた。博物館にお昼の休憩があることを知らず、実際その博物館の展示をみたのはほんの一部だったが、残りに関しても悲惨の記録が列挙されていることは明らかだったので、午後から見ようと固執はしなかった。それよりも、その戦争の本質的な部分は何かをベトナムに居る間に考えたかった。

 ベトナム戦争の細部は詳しくないが、結果的には1973年南ベトナム政府率いるアメリカ側が破れ、北・南ベトナム解放民族戦線側が勝利した。これによって1976年にベトナム社会主義共和国が形成され現在に至る。アメリカがこの戦争を起こしたきっかけとして、よく言われているのは冷戦期における、中国に並ぶ社会主義国家をアジアに形成することが自国(アメリカ)にとってあらゆるマイナス要素を秘めているからだという事。
 この事に関して、今回の旅に持参した本のひとつに以前からずっと気になっていた ルービン回顧録/日本経済新聞社 なるものがある。この本の著者のロバート・ルービンは米国財務省長官を長年務め、メキシコ政府のデフォルトに対する回避や、アジア通貨危機を防いだとされている方。つまりはアメリカの財務面での政治介入の意思決定を行ったと言える人物。1995年メキシコのデフォルト危機に対して、IMF等の機関だけではなく、アメリカの立場として為替安定基金なるものを用いた融資を行った事に対して、「メキシコ政府の債務不履行によりアメリカの成長と繁栄が鈍化するからだ」と語っている。
 アメリカのメリット・デメリットの観点での対外政策は現在の数々の事象をみても、ベトナム戦争期と変わっていないと考えられる。


2.ベトナム社会主義共和国とあるけど、現在、本当に社会主義国家なのか。(知識は中学社会科レベル)

 ベトナムに来て思ったのは、アジアでは中国やタイに比べてもコンビ二もマクドナルドも見当たらない。単に規制がかかっているのだと思われるが。この点については、特に社会主義云々よりも、国の外交的問題にあたると思う。それよりも自分的には経済システムにおける社会主義がどのように影響を与えているのか気になった。
 1976年以降、ホーチミン主導によりベトナム社会主義共和国が建国され、1986年の刷新(ドイモイ)政策により社会主義を維持しつつ、市場経済を導入し、対外外交を促進させたと歴史的にはある。市場経済(自由経済、資本主義を象徴)と計画経済(社会主義を象徴)は対をなすものと理解しており、その計画経済により政府が生産と分配を統制するものと考えた結果、市場経済を導入することで国家体制は社会主義でなくなるのではないだろうか。(こんな事を議論するのに細部の言葉の定義も詳細にせずによくもべらべらと書き記していると自分でも情けなく思うが続ける。)
 ドイモイにより市場経済を導入し、生産や価格は市場に依存した形になる。結果的には政府の統制力が弱まり、生産者に競争原理が働き、多く稼ぐ者が現れる。多く稼ぐ者から税金として国が徴収し、それを国民に再配分したとしても所得を平準化するまでには至らないと思う。こうして次第に貧富の差が生じてくる思うのだが、どうでしょう。あくまでも、所得を平準化するのが社会主義と解釈している自分が間違っている可能性大。所得の平準化(貧富の差をなくす)に関しては、共産主義になって初めて実現しうると理論的には考えられているのでしょうか。
 結局はベトナムも対外的に貿易を促進させ、特に自国の産業としては有力なものがなさそうに思うが、短・中期的には外国資本の投下により、安定的な経済成長が見込めるのでないでしょうか。って偉そうに誰かから聞いたように書いていますが、実際、ワーカーレベルとしては高いものがあると感じる。理由として、アジアで典型な農耕民族であり、農耕における整然とした農地の整理や、きめ細かな手作業、この国の人全般からくる誠実そうな印象を挙げる(説得力に欠けるね)。


 
3.今後世界中がアメリカが主導する市場経済に飲み込まれてしまうのではないか。

 話は飛躍して、中国にしろ、ロシアにしろ、現在は市場経済による移行がなされ、ベトナムと同じような現象が起こっていると思う(むしろ、中国の方が先に移行していたか)。いわゆるアメリカに代表される、あらゆるものを市場に任せ、競争原理により国家的成長を目指す経済システムに向かっているという事。
 日本だって郵政民営化に代表されるように、小さな政府を目指して、市場に通じた競争原理の元、商売繁盛で頑張って下さいな。と言わんばかりの方策を採っているし。二極化、二極化と言われるのも、日本の経済システムも完全市場経済に移行している事を示すものだと考える。市場経済の行き着く先は、勝者と敗者なのだと思う。利益を出す者が勝ち、利益を出さないものが負ける。日本において、利益を出さない銀行を公的資金で介入するのは、市場原理に反しモラルハザードの際たるものだが、時として経済理論に則らない事が起こるのが現実の市場なのだと理解するしかない(もちろんあらゆる側面を考慮された意思決定だとは思う)。
 この先、仮に二極化が進み、貧富の差が激しくなった際に起こる、国家政治(経済システム含む)に対する圧力って何なんだろうか。なんとなく、富の平準化の圧力が発生しそうな。本当にどうなるんやろうね。他のアジアの国に比して、あまり国家成長を見込めない国がどんな策をとればいいんやろうね。完全市場経済(自由経済)における富の配分って、まさしくビル・ゲイツが立てた基金(それにウォーレン・バフェットが出資したり)で、世界の貧富の差を縮小する方向で使用される訳だけど。やはり、もうそれは国ではなく、個人(企業)の力で富を平準化するしかないんかね、この先。



なんか、こんな事を考えていると、本当にもっともっと知りたいことが増えた。やっぱり経済システムには興味があるし、理論経済学をもっとゆっくり学びたくなった。この点に詳しい方々に日本、東京に戻ってできる限りコンタクトをとっていこうと思う。ベトナムで曲がりなりにも色んな事を考える時間を持てて本当に良かった。今、俺ロバート・ルービンに影響受けまくっています。今回の旅は強烈な人との出会いはないが、良い本と出会えて良かった。明日は、ホーチミンに戻って、明後日に帰国します。

2006/04/08

あー休みだ

今餃子で有名な宇都宮です。ネットカフェも全くないので、フレッツカフェで高速ネットを体験という名目でネットしてます。メールもみれないし、MIXIもガードされてるみたいなので、せめてBLOGだけでも更新してやろうと。
えー今栃木で会社の研修やってまして。
今週一週間は怒涛の如くでした。初社会人なわけで、疲れた疲れた。なんか長かったなぁ。
入社式があったりで、その後はおべんきょおべんきょで講義の日々でした。でもなんか新しい実際的な事を学ぶってたのしい。周りの意識も高いし、ええ奴らで毎日飲んでる。研修所が鬼のようにクールで空間が素晴らしく、飯も相当うまいし、ルームサービスも行き届いているし、各部屋や研修所内の至る所にROY LICHTENSTEIN のアートが飾られている。談話室の椅子とかも、デザイン効いてて、バーゼルのVITRA DESIGN MUSEUMでみたようなものだし。とりあえず素晴らしい環境で研修ができてて嬉しい。さすが建築大賞とってるわ。
明日は同期とレンタカー借りて、足尾銅山や渡良瀬川や日光に行く予定。
来週の週末はTOKIOに繰り出そうかなと。
初社会人のみんなはどうしてるんやろうなー。

2006/03/16

帰国して思うこと ソウル編

昨日,中国(少し韓国)の旅から帰ってきました.
徐々に振り返って,自分なりに整理してみようと思う.

大まかに言うと,
重慶(チョンキン)に入国⇒そこから長江を3泊4日で船に乗って下り,三峡ダムを通過⇒宜昌(イーチャン)に到着⇒バス4時間で武漢(ウーハン)⇒鉄道14時間で西安(シーアン)⇒鉄道17時間で上海⇒飛行機でソウル⇒日本
という流れ.

 一昨日,午後に上海からソウルにOZで移り24時間ステイしての帰国だった.仁川国際空港で大きな荷物を預けて,ガイドも何も持っていなかったので空港においてあった地図を持って明洞行きのバスに乗ってソウルの中心部に行った.

 偶然居合わせている友人との待ち合わせ時間まで,明洞(ミョンドン)や新村などを散策して,活気に満ちた街を楽しんでいた.

 5年前,大学1年の春休みに訪れたソウルとは相当変化していたような気がする.その際に10日間程滞在していた,東大門近くの街並みは劇的に変化していた.あの時は大通りを外れると,哀愁が漂い趣がある路地などが存在していたのだが,大学路辺りは裏路地まで近代的な建物が立っていてがらりと雰囲気が変わっていていた.『こんなにも活気がある場所だったっけ』て思うほど活気に満ちていた.
 街並みもそうだが,物価面でも相当変化していた.例えば梨花女子大近くのスタバで飲んだカフェモカは3800ウォンだった.100円が800ウォンなので日本円換算で470円くらいか.高いですよねー.ソウル中心部までのバスも8000ウォンで約1時間だったっけ.

 その後友人と久々の再会をして飯を食って,彼は仕事で結構忙しそうだったので日本でまたねと言って別れた.で,まぁちょうど感度3200のフィルムがカメラに入っていたので夜の街でも撮ろうかと思い,東大門からそれた辺りの趣のある路地を撮ったりしていた.
 ちなみに,感度(ISO)が大きくなればなるほど,少ない光でもシャッターを切ることができるので,夜でもノーフラッシュで撮影できます.その分粒子が粗いので,画質的には感度の低いものよりも劣ります.感度3200やと空港のX線に通すと感光してしまいます.感度(ISO)1000までなら大丈夫みたいです.少し余談.

 で,かなーり寒くなってきたので宿を見つけようと思い,マクロな地図にゲストハウス(Seoul Backpackers)を発見していたのでそこに向かう事に.東大門から西に2駅行ったところなのだが,いざ行ってみると周りはラブホ街で結構怪しい雰囲気.でもなんかそこらのハングル文字とネオンがいい感じでおもろかったので,パシャパシャ撮っていた(相当怪しいはず).ハングル文字ばっかなので,簡単に見つけれそうもないと思ったが,唯一HOTELと書いてある観光ホテルで尋ねて,詳細な所在が分かり発見&到着.

 そこで素晴らしい出会いがあった.受付の兄ちゃんなのだが,今年の1月まで日本にワーホリで来ていたので日本語が堪能.その人と中国のことについてなど少し会話をした後,なんか妙に話が合うなって印象.
 その後彼の仕事が終わってから飲みにいこうと誘ってくれて,近くの飯屋に.めっちゃ辛いホルモン料理をアテに飲んでいた.彼は自分よりも一つ下で,軍隊も2年経験して,今はマーケティングの会社でインターンをして,夜はゲストハウスでバイトをしている.最初,自分よりも年上と感じたのは軍隊を経験しているからだろうか.ほんと礼儀正しくて,配慮もきちんと出来ていて,なんて気持ちのいい奴なんだと節々で思う.
 将来的に彼は叔父さんの現在日本市場に卸している衣料品会社に入る事になっているため,今はそれに向けて様々な修行をしている.生産地が中国やベトナム,ロシア等様々な国にあるため,それぞれの現場を経営者になっても感じたいの事から,中国語と英語をマスターする目的でいるらしい.近々イギリスに留学すると言っていた.後,経営的なものもグローバルマーケティングに柱を置いてよく勉強されてる.そこで,今の韓国のインフレの状態やアジア地域の国民性,中国の事,彼が日本で感じたこと,その他プライベートな事までほんと色々話した.
 ただ,韓国の経済については憂いていた,公務員の初任給で比較しても日本とほぼ同じ状態になっているのだが,それは為替の影響が強くて,実質的なコアとなる産業に不安が残ると話す.現代・サムスン・LG等製造メーカーが経済の柱を形成しているが,それらが今後日本と中国の兼ね合いでどのような位置付けでやっているのかが不安要素と彼は見ていた.気が付くと深夜4時を回っていた.
 人との出会いって不思議ですな.なんで日本におってもそこまで思考パターンとか,その他様々な要素で会う人ってそれほど多くはないのに,こんなとこでこんな感じに出会うことになるんだろうって.空港で何気なしに取った地図にいくつもあるゲストハウスから感覚的に一つに赤丸を付けて,住所も詳細の情報も載っていないのにそこにふらっと行く事になって・・・.


 思えば5年前,本格的な旅をしようと思い立ったのがここソウルだった.あれから色んな国をみて来て,学生の最後に再びこの国に訪れた.韓国の経済的変化を物価や街並みを通じて実感したが,それと同時に時間の流れも実感した.この5年間で自分の視野は格段に広がって,とても濃い5年だったんだろうかなと思う.
 特にこんな想いを得たいがために,韓国を訪れた訳じゃないのだけど,同じ国に時間を置いて訪れる事で何か物凄い懐かしさを感じられた.色んなものが絡み合って言葉にするのは難しい.たぶんそれは時間的なものだけじゃなく.自分自身の事も大いに関係していると思うのだけれど・・・.

2006/03/03

チャイナー&写真・個展

はい.
明日の昼1時の便でチャイナに行ってきます.2週間弱行ってきます.重慶IN,上海OUTです.んでアシアナで行くので帰りにソウルでストップオーバーして,偶然居るらしい友人と肉食うつもりです.
特にいつもの旅みたいに,テンションが上がってませんな.まぁ,まったり内陸部から沿岸部に鉄道移動しようかなと.近い国でメディアからの情報は多いけど,逆に未知数が多い国なので色々感じることは多いのかなと.今回の旅は前回同様,あまりバカンス的な意味合いが強くなさそうなので,社会人になったらそろそろ短期ゴージャス型のバカンス旅行を満喫したいとか思っている.てか,休みの日数的にそれしかできなくなるのか.

とか何とか言ってるが,この時間になって何も準備してない.今日の帰りに衣類圧縮袋とアップルストアーでipodの携帯バッテリーとヨドバシでモノクロとカラーのフィルムを買ったくらい.

はい.
昨日卒業確定です.2日前の時点ではある必要な単位が放棄になっていて相当焦りまくってました.まぁ,結果的に担当教官のミスが明らかだったので問題はなかったが,必要以上の労力が要った.なんせ,研究室旅行で岡山美作の湯郷温泉滞在中に,助教授と家から電話がかかってきたからね.処理に大変だった.
節目で一波乱あるようです.

はい.
写真の個展やります.
旅行から帰ってきたらそっちモードに切り替えます.
3月27日(月)ー30日(木)まで,梅田・中崎町でやります.
この個展で学生を締めくっくて,とりあえず東京に向かおうかなと.
来てくださいね.
詳細は帰国後お伝えします.