何気にPCに入れてあるスキャン済みの写真を整理をしてたら、2年前にインドからの帰りにストップオーバーして3日間ほど立ち寄った香港の写真がでてきた。どうせだから、Photo albumに追加しておこうと思う。さっさと南米やらの写真をスキャンしてUPしたいのだが・・・。
基本まだアナログで撮って、現像→プリントのパターンなのでPCに入れるにはスキャンが必要になる。ネガスキャナーを欲しいのだが、友人曰く紙をスキャンするよりも解像度は高くないらしい。その友人は店に出してネガをデジタル化してもらっているらしい。最近はスキャンしてPCに取り込んだ写真をフォトショップでいじったりするのが楽しくなってきてるので、アナログからデジタルへの質的満足が得られて且つ迅速なやり方を模索中。
2005/11/28
Tanguera



タイトル『 Tanguera 』
学祭で展示してた、モノクロの組写真。
これはタイトルの通りTangueraにちなんだ写真。今年の9月17日、アルゼンチン・ブエノスアイレスにて。Tangueraとはタンゴにミュージカルの要素を加味したもの。そのTangueraが催されていた建物や入り口を撮影したもの。
タンゴはサッカーで有名Boca Juniorの本拠地でもあるLa Boca地域が発祥になっている。そこは港近くのエリアで、港運などに従事する多くの労働者が暮らしている地域。タンゴは男と女がセットで踊る事をイメージするが、初期は労働者の男達だけで踊っていたらしい。その辺のうんちくは一緒にこれを見に行った、若干日本語ができるメキシコ人の方が教えてくれた。そのメキシコの方はメキシコの民族音楽のミュージシャンらしいが、あんましオーラなかった(すんません)。で、彼が若干日本語ができた理由は、日本に雅楽を学ぶため奈良県・天理市に住んでいたかららしい。これは余談。
Tangueraの幕開けとともにブエノスアイレス港をイメージしたセットで男達だけのタンゴがはじまる。それからは男女混合系のタンゴが主流にミュージカルが進行していく。内容はブエノスアイレス港に降り立った美女をものにしようと、労働者の男とマフィアのボスが取り合う。要するに女の取り合い!非常にシンプル。で、基本的にタンゴ・タンゴ♪で進んでいく。めーっちゃ良かった。めちゃくちゃ感動したのを覚えている。。
ブエノスアイレスはイタリア・ジェノバと古くから交易があり(母を訪ねて三千里のマルコがジェノバからブエノスアイレスを目指していた事からもわかる)、その影響もあってか街のセンスが自分が行った南米の街の中でも格段に良かった。というか歩いている人のセンスが良かった。南米のパリと言われるくらいやし。ペルー・チチカカ湖で会ったパリっ子もブエノスアイレスはお気に入りやったらしく、「欧州にいるみたいでよかった。」とか言ってなー。
僕自身ブエノスアイレスは非常に良い印象を持っている。街は綺麗し、何よりも物価が安い!ベテランウェイターがいるような歴史あるステーキ屋(名前はpippoだった)で、子牛の柔らかめのステーキ食って、メンドーサ産のワイン飲んで等しても1200円くらいやったような気がする。治安に関しても夜中に出歩いても全く危険な感じがしなかった。むしろ週末は朝方まで外がうるさいくらい賑わっていた。もちろん地域的な差はあると思うが。何しかブエノスアイレスはよかった。是非おすすめします。
2005/11/20
実質と名目
今日は久しぶりに日曜に研究室に行き研究に励んだ(?)。が、実質と名目という言葉にやきもきさせられた。
最近、研究に関連して東アジア諸国(中国、韓国、台湾、香港)の経済指標を扱っている。中国は省単位で。いわゆるGDP(国内総生産)とかCPI(消費者物価指数)とかです。こういう経済指標ってやたらと定義も曖昧で、年度毎に定義が変わっている事もある。日本でも今は一般的に国の成長力を表す指標としてGDP(国内総生産)が使われているけど、一昔前まではGNP(国民総生産)が使われていた。
GNPは日本国籍の者が生産する分しか計上されないので、外国人が日本で生産してもGNPには反映されない。GDPは日本国内で生産される分は外国人労働者や外資企業であれ反映される。今後、国内に外国人労働者や外資への企業誘致が進むのなら、GDPの方が日本の成長力を表面化してくれるんだろうと考える。まぁ統計の国際基準に合わすという意味でも今はGDPにしてると思うんだが。
それはそうと、GDP含む経済指標値は中々統一したものを提供してくれない。IMFやら世銀やら各国の統計機関で出された値を比較して扱うようにしているのだが、名目ならまだしも実質になると相当ばらつきがある。名目GDPはその年に計上された値をそのまま示しているのだが、実質GDPはインフレ率や為替レート等を考慮してある年を基準とした値として算出している。
その国の経済成長を時系列的に把握する場合、実質GDPをみる方が理解しやすいが、その値を出している機関によってばらつきがあるのでかなり困惑してしまう。それも結構な違いもあるので、機関毎にどのように集計・算出されているか確認しておかないと結果がきちんと出てもなーんかしっくりこないように思うからだ。かといって前に進まないのも困る。んーー。
最近、研究に関連して東アジア諸国(中国、韓国、台湾、香港)の経済指標を扱っている。中国は省単位で。いわゆるGDP(国内総生産)とかCPI(消費者物価指数)とかです。こういう経済指標ってやたらと定義も曖昧で、年度毎に定義が変わっている事もある。日本でも今は一般的に国の成長力を表す指標としてGDP(国内総生産)が使われているけど、一昔前まではGNP(国民総生産)が使われていた。
GNPは日本国籍の者が生産する分しか計上されないので、外国人が日本で生産してもGNPには反映されない。GDPは日本国内で生産される分は外国人労働者や外資企業であれ反映される。今後、国内に外国人労働者や外資への企業誘致が進むのなら、GDPの方が日本の成長力を表面化してくれるんだろうと考える。まぁ統計の国際基準に合わすという意味でも今はGDPにしてると思うんだが。
それはそうと、GDP含む経済指標値は中々統一したものを提供してくれない。IMFやら世銀やら各国の統計機関で出された値を比較して扱うようにしているのだが、名目ならまだしも実質になると相当ばらつきがある。名目GDPはその年に計上された値をそのまま示しているのだが、実質GDPはインフレ率や為替レート等を考慮してある年を基準とした値として算出している。
その国の経済成長を時系列的に把握する場合、実質GDPをみる方が理解しやすいが、その値を出している機関によってばらつきがあるのでかなり困惑してしまう。それも結構な違いもあるので、機関毎にどのように集計・算出されているか確認しておかないと結果がきちんと出てもなーんかしっくりこないように思うからだ。かといって前に進まないのも困る。んーー。
2005/11/18
カラー2枚目@写真展

学祭写真展に展示したカラー2枚目。
タイトル 『 Poppin' 』
この写真はボリビアのCopacabana(ブラジルにもイパネマとならぶ有名ビーチとして知られるコパカバーナとは異なる)というチチカカ湖沿いの街にて。標高は3000m以上はあったと思う。ペルーのPUNOから国境を通過しボリビアに入った時、ラパスへのバスに乗り継ぐために3時間ほど立ち寄った所。
街自体道路の石が白く、それに燦々と降り注ぐ太陽の光が街の白さに拍車をかけていた。街中から坂を下る際、少し遠くに望むチチカカ湖の青さと街の白が妙に調和して非常に美しかった。街の白さが軒に並べられている色々をさらにカラフルにみせる。その光景に思わず目と足が止まりシャッターを切る。その袋の中身は普通のポップコーン☆
2005/11/14
写真展@学祭

昨日、一昨日と学生最後の学園祭があり、部で写真を展示していた。モノクロの3枚(組写真)とカラー3枚(それぞれ単作品)を出展した。久々の友達やら内定先の友達やら、研究室の仲間やら多くの人が自分の作品を観にきてくれた。色んな会話を楽しめてとても良い最後の学祭だった。学部三年くらいから学祭の楽しみ方は人と会うことが重点的になったような気がするなぁ。結構写真の方も評判がよろしかったようです。
カラー一枚目
タイトル 「 Horizon at DAWN 」
これは今年8月末、南米に行く際の飛行機の中から撮ったもの。トロント→リマ間の飛行中、南米大陸に入った時くらいに朝、陽が昇りきろうとする瞬間を捉えた作品。最初窓の外を見たとき、視界に広がる自然現象が理解できないくらい幻想的な光景が広がっていた。陽が完全に上ってしまって雲海に朝日が満ちる前にどうしてもこの自然現象の中に生まれる幾何学性を切り取りとっておきたかった。飛行機の中を歩き回って、数十カットは撮ったと思う。若干周りの目には怪しく映ったかもしれないが、そんな事、お構いなし。撮らずに悔やむより、撮って悔やむほうがいい。旅先では大抵こんな事を考えながら、自分を動機付ける。こうしてできた作品が上の写真。
2005/11/07
初おかまほられたー
ええ、本日初の交通事故に遭いました。
ええ、夜6時10分頃、43号線の神戸市東灘区辺りで信号待ちで止まった瞬間、後ろから乗用車に追突されました。結構な衝撃で。
研究室の友達3人で神戸から大阪に向かうところでした。家の車で僕が運転してたので、色々手続きが要って大変でしたわ。警察やら何やらで。まぁ相手が100%悪い形で収束してるんでこっちのマイナスには一切ならないんやけど、色々時間的なものや手続きが面倒くさい。とりあえずは無事なのですが、病院にいって一番被害の可能性が高い友人の診断をして我が家に戻ってきました。といっても、事故後は右後ろのタイヤがバンパーに挟まれて動かん状態だったが、車運ぶ気満々のJAFのおじさんが何とか応急措置を施してくれました。
まぁ相手側とは紳士的にやりとりしようと思うし、この際に損保の方も実体験をもとに勉強できるかなと。こんなポジティブシンキングです。
詳細はまた後日。アドバイスあれば誰か教えてね。
ええ、夜6時10分頃、43号線の神戸市東灘区辺りで信号待ちで止まった瞬間、後ろから乗用車に追突されました。結構な衝撃で。
研究室の友達3人で神戸から大阪に向かうところでした。家の車で僕が運転してたので、色々手続きが要って大変でしたわ。警察やら何やらで。まぁ相手が100%悪い形で収束してるんでこっちのマイナスには一切ならないんやけど、色々時間的なものや手続きが面倒くさい。とりあえずは無事なのですが、病院にいって一番被害の可能性が高い友人の診断をして我が家に戻ってきました。といっても、事故後は右後ろのタイヤがバンパーに挟まれて動かん状態だったが、車運ぶ気満々のJAFのおじさんが何とか応急措置を施してくれました。
まぁ相手側とは紳士的にやりとりしようと思うし、この際に損保の方も実体験をもとに勉強できるかなと。こんなポジティブシンキングです。
詳細はまた後日。アドバイスあれば誰か教えてね。
2005/10/30
記録的な写真より旅を振り返る



学祭ではカラー作品を出そうと考えているが、モノクロに関しても年度末に計画している展覧会との兼ね合いも考えて作品化していこうかと。
ここでは記録的な写真(まぁただの旅行写真やけど)として、2005年9月1日南米最初の訪問地リマのホステル、Flying Dog Backpackersで出会ったファンキーなやつら。イギリス、スイス、カナダ、オーストラリア、イタリア、ドイツ、スペイン、フィンランド、地元のペルーGUYS。ほんと色んな所から来てるなーと思った。だいたい自分と同年代。
旅のはじまりとして、とても良い時間を過ごした。だれかれともなく酒を飲もうという話になって、皆が乗り気。少なくとも南米に旅に来ているというだけで、かなり大きな共通点。話題はいくらでもある。お互いの旅に関して興味があるし、他国のことについても興味がある。また、政情不安定なボリビア等の国家状況を実際に行った人の生の情報を得る事ができる。実際に外務省が出している海外安全情報等はリスクが強調されすぎている感があるし、その部分だけ見ると誰でも恐怖感が先行してしまう。しかしその情報は大変参考になるのも事実。現にボリビア南部でデモによる道路封鎖も見事に体験した。その時は外務省の情報にあったなと思い、状況の理解は早かったが、それでも誰一人観光客がいない状況では結構焦った。現地の旅行者と仲良くなっていたからなんとか彼らのサポートで抜けきる事ができた(過去の記事3段落目参照)。
僕自身当初はボリビアに行く予定はなく、このパーティで話したドイツからの女性の話を聞いてボリビア行くかもーって思った。話してくれたボリビアの話は特に良い事ではなかったが、未知数の多い国が明らかになっていく事で興味が増していくのを感じた。旅中はこのようにリアルな話を自分に蓄積し、その中から自分の考えとすり合わせながら行く先を決めていたように思う。まぁこの夜はかなり酔っ払っていたので、あまりどんな事を話していたか忘れたが、かなり楽しかったという記憶だけはある。
皆に他の写真含め添付メールしてあげよう思う。
2005/10/29
暗室にて
先日修士論文の中間発表があり、それまでは結構バタバタしていたように思うが、ある先生からお褒めの言葉を頂くなどいい形で終える事ができたので、さらにやる気アップで次のステップに進めそう。
という事で研究に対するやる気はあるとは言いつつも、節目の後はゆとりを持ちたいので昨日の晩から暗室に篭って写真を焼く事にした。結局寝る間も含めて今日の夕方まで部室に居た。合計8時間くらい暗室に篭っていたと思う。焼いたのは南米のモノクロ。ネガ現像は帰国後すぐにやっていたので今回はプリントのみ。今回の南米旅行でモノクロは14本撮っており、一日やそこらでネガの段階で印象的なもの全てをプリントする事は不可能と思っていたので、旅中に知り合った人へ送るものを優先的にプリントした。
視界が黒98%赤2%の暗室で印画紙に像を焼き付けて、現像液に浸し、像が浮かび上がってくるのを眺めていると同時に、その像の時空間を存在していた自分の五感が蘇ってくる。完全に定着させ、作品として出来上がったものから受ける記憶の回復よりも、プリント最中の方が鮮明に当時の五感を復元することができる。なぜだかわからないが、あのほぼ真っ暗な空間(暗室)で水洗の音と調和してリラックスした音楽を耳に入れ、プリントの完成を願いながら印画紙を現像液に浸している最中に、当時を思い出したいという自身のプログラムが本能的に始動しているからかもしれない。プリント作業への集中力が高まっている時間だと思う(ちなみに昨日最高に集中できた曲はWalts for Debby/Bill Evans Trio)。
正直、暗室から出て六甲の山を下るとき、素晴らしくいい景色に毎回感動しながらも、テスト後のような何か物凄く集中した後の感覚がある。今回もそうだった。
ともあれ、今回の旅ではいい感じのモノクロ作品がたくさんできそう。そんな気がする。ネガも良い状態で仕上がってるので、プリントで色々ためす事ができそうや。
という事で研究に対するやる気はあるとは言いつつも、節目の後はゆとりを持ちたいので昨日の晩から暗室に篭って写真を焼く事にした。結局寝る間も含めて今日の夕方まで部室に居た。合計8時間くらい暗室に篭っていたと思う。焼いたのは南米のモノクロ。ネガ現像は帰国後すぐにやっていたので今回はプリントのみ。今回の南米旅行でモノクロは14本撮っており、一日やそこらでネガの段階で印象的なもの全てをプリントする事は不可能と思っていたので、旅中に知り合った人へ送るものを優先的にプリントした。
視界が黒98%赤2%の暗室で印画紙に像を焼き付けて、現像液に浸し、像が浮かび上がってくるのを眺めていると同時に、その像の時空間を存在していた自分の五感が蘇ってくる。完全に定着させ、作品として出来上がったものから受ける記憶の回復よりも、プリント最中の方が鮮明に当時の五感を復元することができる。なぜだかわからないが、あのほぼ真っ暗な空間(暗室)で水洗の音と調和してリラックスした音楽を耳に入れ、プリントの完成を願いながら印画紙を現像液に浸している最中に、当時を思い出したいという自身のプログラムが本能的に始動しているからかもしれない。プリント作業への集中力が高まっている時間だと思う(ちなみに昨日最高に集中できた曲はWalts for Debby/Bill Evans Trio)。
正直、暗室から出て六甲の山を下るとき、素晴らしくいい景色に毎回感動しながらも、テスト後のような何か物凄く集中した後の感覚がある。今回もそうだった。
ともあれ、今回の旅ではいい感じのモノクロ作品がたくさんできそう。そんな気がする。ネガも良い状態で仕上がってるので、プリントで色々ためす事ができそうや。
2005/10/16
写真『ウユニ塩湖』



2005年9月11日、今から一ヶ月程前、写真にあるボリビアのウユニ塩湖(salar de Uyuni)に僕は居た。そこは標高3600mにあり、琵琶湖の約12倍の面積で一面が塩の湖。塩の湖と聞くと、中東にある死海をイメージする人も居るかと思われるが、水分はなく塩オンリーの砂漠だ。スキー場の雪が全て塩になった感じ。なので、昼夜の気温差は激しくおそらく僕の感覚では昼間は15度くらいあり、夜は0度近く(もしくはそれ以下)になってるんじゃないかと思うくらい寒い。
というのもラパスからウユニに来る途中のバス(ラパスからウユニまで約9時間)ではこの塩湖辺りをを通っていたとき窓が完全に凍っていたし、半端なく寒くて泣きそうだった。そのバスは道なき道を進み、短いアップダウン(しょぼいジェットコースターくらい)を繰り返し、おまけに暖房はなしで、バス内で空気を吸うと必ず咳き込んでしまうくらい煙だらけでかなりきつかった。このようにボリビア南部のバス事情はひどかった。ラパスからウユニに向かう旅行者は多いはずで、バスの行き来も盛んだ。でもラパス?ウユニ間(特にOruro?Uyuni間)の道路事情はよろしくなかった。ボリビアの国家レベルを実感する機会になる。
ウユニの塩湖にはウユニの街でツアーに申し込む必要がある。街には30くらいの旅行代理店があり、どの店でもツアーの相場が決められている。利用するのは大半が外国人旅行者なので、高い価格が設定されている。とりあえずラパスの日本人学生からの情報を元に、旅行代理店を選定し1泊2日のツアーに申し込んだ。ウユニ塩湖の真ん中にある塩のホテルに泊まりたかったので、そのプランを用意してある旅行代理店を選んだ。交通費やホテル宿泊料を含めて40US$。4WDじゃないと塩湖を移動することは難しいし、個人で手配する事も難しいのでこのツアー料金で納得するしかない。この値段は非常に高い。なぜならボリビアでは3US$(バックパッカーのドミトリー部屋)で一泊できるし、食事も2US$でできる。ちなみにバーガーキングのセットは15Boliviano(約2US$)。これは現地の人にとってはカジュアルではないと思う。
写真に映っている風景はウユニ塩湖にあるHotel Playa Blancaという塩のホテルの近くで撮ったもの。一面が塩の風景に最初ショックを受けた。何度も塩を採ってなめたがやっぱり塩で、それが琵琶湖の12倍て。もちろんその塩を売り物にしている訳で、その塩の値段を聞いたのだが40tトラック一台積んでいくらと思います??
40Bolivianoです。500円です!!!40000kgの塩が500円です。やばくないですかい?
このウユニ塩湖で赤穂の塩ブランドは高く売れるのでしょうか。
そのホテルプラヤブランカ。ホテルと名がついてるだけで、普通にイメージするホテルと思ってはいけません。そのとき泊まってたのは僕一人。ガソリンで発電してるだけなので、夜になると燃料節約のためろうそくの灯りのみ。風呂なんぞ当然なし。便所はあるが流れない。ホテルで一家族(写真の子供達はその家族)が住んで運営しているが、夜7時になると自分達の部屋に入ってしまう。夜は気温が下がるし、吹雪くが、星がすさまじいほど綺麗。天の川に手が届きそうな感じ。かな。
その夜、ろうそくの灯りで本(たぶんモーターサイクルダイアリーズ)を読んで、電気の大切さを感じる。そこから派生して自分が置かれている恵まれた環境を思ってしまう。最初は電気がない事にとてもストレスに感じたが、自分の常識というものを改めて考える機会になった。自分が思う常識から外れるとストレスを感じるが、塩湖のど真ん中に身を置き冷静に考えてみる。「この場所で住むひとつの家族がいる。彼らは必要以外電気をもたず、夜になると眠る生活を送っている。彼らにはそれが常識。こうして地球の裏側に生きている人がいる。僕の常識なんて世界的にみると全然非常識なんだ。」と考えていると、ろうそくの灯りがやたらと明るく感じて貴重に思った。ろうそくの灯りがレトロで格好良くみえた。その灯りの元での読書はその本の言葉以上のものをインプットしたように思う。
本来人間は保守的で、変化を嫌う生き物なのかな、と。でも変化が訪れた時、その変化を自分なりに解釈し吸収する事により新たな価値観が芽生え、成長していけるのかな等考えていたんだろう。
2005/10/09
少しアートな@東京
先日東京に行った際、少しアートな日を過ごした。
現在六本木ヒルズで開催中の杉本博司写真展に行ってきた。これはホント行って良かった。規模も大きく2時間半くらい会場に居たと思う。最近BRUTUSでも彼の特集されてましたな。
写真展というか、会場自体が写真との調和を考えて作家自体が構想されたもので、空間自体面白い。それまで杉本博司に関しては建築物をピンボケで撮影した作品群しかしらなかったのだが、今回会場を去るときにはこんなにも奥の深い偉大な写真家だったのだという印象を持った。と同時に写真に対しても色々考えさせられる事があった。特にコンセプトの大切さを改めて感じさせられた。
リンク先の一面、会場の最初の一枚でもある彼の劇場を撮った作品に関して、最初観た際は大判で撮影して黒も締まって非常に美しい作品だなくらいの印象しかなかった。しかし、彼のコンセプトは映画を一本丸ごと撮影するというものだった。映画一本分(約2時間)シャッターを開き放しで、結果的にできた写真はスクリーンの光が強すぎて観客等の姿は消し去られた理想的なものだと言う。長時間露光をする上で適正露出のもと作品を完成させるには、多くの時間を費やしたと思うし、彼がこの展覧会全体で表現しようとしている時間というコンセプトとも通じている。他にもまだまだ面白いコンセプトと写真技術を元にした作品が多く展示されてあった。建築物のピンボケ写真のコンセプトに関しても建築家が持つ設計前段階の構想をイメージしたそうだが、このような一貫したコンセプトで長期間、継続的に撮りつづけている彼の姿勢に作品を通じて感銘を受けた。
僕のように杉本博司をほとんど知らない、または知らない人でも会場では丁寧に彼のコンセプトが文章で書かれているので、写真(モノクロ)の美しさ面白さを感じ取れると思う。
後、MOLESKIN EXHIBITIONにも行ってきた。これは青山ブックセンター等の少しのスペースで無料で行われているもので、イラストレーターやデザイナーなどが各々のセンスでMOLESKINに描写等した作品が展示されている。僕が行った青山ブックセンター本店ではクリスチャン・ラクロワ等の作品があった。
現在六本木ヒルズで開催中の杉本博司写真展に行ってきた。これはホント行って良かった。規模も大きく2時間半くらい会場に居たと思う。最近BRUTUSでも彼の特集されてましたな。
写真展というか、会場自体が写真との調和を考えて作家自体が構想されたもので、空間自体面白い。それまで杉本博司に関しては建築物をピンボケで撮影した作品群しかしらなかったのだが、今回会場を去るときにはこんなにも奥の深い偉大な写真家だったのだという印象を持った。と同時に写真に対しても色々考えさせられる事があった。特にコンセプトの大切さを改めて感じさせられた。
リンク先の一面、会場の最初の一枚でもある彼の劇場を撮った作品に関して、最初観た際は大判で撮影して黒も締まって非常に美しい作品だなくらいの印象しかなかった。しかし、彼のコンセプトは映画を一本丸ごと撮影するというものだった。映画一本分(約2時間)シャッターを開き放しで、結果的にできた写真はスクリーンの光が強すぎて観客等の姿は消し去られた理想的なものだと言う。長時間露光をする上で適正露出のもと作品を完成させるには、多くの時間を費やしたと思うし、彼がこの展覧会全体で表現しようとしている時間というコンセプトとも通じている。他にもまだまだ面白いコンセプトと写真技術を元にした作品が多く展示されてあった。建築物のピンボケ写真のコンセプトに関しても建築家が持つ設計前段階の構想をイメージしたそうだが、このような一貫したコンセプトで長期間、継続的に撮りつづけている彼の姿勢に作品を通じて感銘を受けた。
僕のように杉本博司をほとんど知らない、または知らない人でも会場では丁寧に彼のコンセプトが文章で書かれているので、写真(モノクロ)の美しさ面白さを感じ取れると思う。
後、MOLESKIN EXHIBITIONにも行ってきた。これは青山ブックセンター等の少しのスペースで無料で行われているもので、イラストレーターやデザイナーなどが各々のセンスでMOLESKINに描写等した作品が展示されている。僕が行った青山ブックセンター本店ではクリスチャン・ラクロワ等の作品があった。
2005/10/04
ボリビアの道路封鎖デモ
サンパウロは南米旅行の終着点でその間のスケジュールは非常に不確定。ボリビア・ポトシ(POTOSHI)からアルゼンチン・ブエノスアイレスに行く際、ボーダー通過手続き等も含め通常2日で行ける。
が、ポトシ近辺で大雪のためバス内で12時間ストップ。チェーンという概念もありません、もちろんスタッドレスタイヤなんてものも存在しません。夜が明けてみると同じようにストップしていたバスがずらーっと列をなしていた。その先に見事に横転しているバスを発見。雪で足元を救われたのでしょう。そらそんなものを目の当たりにして、標高4000mの山道を走る事はできませんね。そして、その後順調に進んでいたかと思うとまたストップ。今度は何かと思うと、バス乗客が一斉に荷物を持ってバスを降りだす。仲良くなったボリビア人の青年2人が「VAMOS、VAMOS(バモース、バモース)」さぁ行こう、さぁ行こう。と言ってるので、訳もわからずとりあえず僕もバスを降り山道を歩き始める。
すると同じように多くのバスから降りて歩き出す乗客いる。しかし、外国人旅行者(欧米系・アジア系)は全くいない。少し道から外れた所が青空トイレになって、多くの人がトイレをしている(ボリビアだけが僕が行った4ヶ国のうち唯一バスにトイレがなかった)。そういう光景を横目に歩いていると僕も腹が痛くなってきた・・・。その後進んで行くと何やら人がやたらと(50-80人くらい)集まっている個所がある。
僕はその時「土砂崩れがあって、それにみんな野次馬してるんだな。」と予想した。その場所に近づくにつれて、何やら旗が見える、人が言い合っている、辺りの道路上に不自然にサボテンや茨等の痛い系植物、岩等が散在している。そう、それは道路封鎖だった。その封鎖の仕方がかなり原始的で少し笑ってしまった。そのような道路封鎖ポイントが3箇所くらいあり最終ラインは明らかに先住民系のおばちゃんで構成された人のブロックができあがっていた。彼女らの表情は憂いに満ちていて、とりあえず封鎖しとこうという惰性的なものに感じられた。
ボリビアに入る前から政情不安という事は頭に入れており、デモや道路封鎖も頻繁にあると聞いていたが、実際どのような理由でどのような人がどのようにそれを行っているかを知りたかった。チリに行くのをやめてあえて政情不安による治安悪化のリスクが存在するボリビアに入ったのも、実際デモという形で自分達の考えを主張する行為の裏側にあるものを知りたかったし、五感を持ってそれを感じたかった。道路封鎖という手段でデモを行っていた人たちは間違いなく先住民族のインディオ系の方々だった。彼らが何を望むか、それは貧困からの脱出である。仮に共産主義体制を平等の体制と彼らが理解しているのなら、本当にそれを臨んでいるかもしれない。一説によるとそれは真だと聞く。道路封鎖の現場を撮影したがったが、撮れていても1、2枚だと思う(モノクロフィルムで撮ったのでまだ現像はしていない)。最終ラインのインディオのおばさん達が作り出しているブロックを通過した時には異様な雰囲気で、カメラを出して撮ったときの多少の危険性を感じたので撮影を控えた。何せ明らかな外国人旅行者は僕くらいだったから。そしてその先に同じバス会社のバスが待機しており、それに乗ってボリビアとアルゼンチンの国境の町VILLAZONへと向かった。バス会社としても道路封鎖を想定してる事がわかったので、頻繁に道路封鎖が起こっている事が理解できる。
というような経験をしていると、簡単にサンパウロに辿りつけそうな気がしないのは理解できるでしょう(上記の経験は特にボリビアに限った事だが)。後、サンパウロ都市圏は1500万の人が住んでいる程の大都市で簡単に目的住所に辿り着けるとは思わないからだ。ましてやブラジルではほぼ英語は通じないし。
が、ポトシ近辺で大雪のためバス内で12時間ストップ。チェーンという概念もありません、もちろんスタッドレスタイヤなんてものも存在しません。夜が明けてみると同じようにストップしていたバスがずらーっと列をなしていた。その先に見事に横転しているバスを発見。雪で足元を救われたのでしょう。そらそんなものを目の当たりにして、標高4000mの山道を走る事はできませんね。そして、その後順調に進んでいたかと思うとまたストップ。今度は何かと思うと、バス乗客が一斉に荷物を持ってバスを降りだす。仲良くなったボリビア人の青年2人が「VAMOS、VAMOS(バモース、バモース)」さぁ行こう、さぁ行こう。と言ってるので、訳もわからずとりあえず僕もバスを降り山道を歩き始める。
すると同じように多くのバスから降りて歩き出す乗客いる。しかし、外国人旅行者(欧米系・アジア系)は全くいない。少し道から外れた所が青空トイレになって、多くの人がトイレをしている(ボリビアだけが僕が行った4ヶ国のうち唯一バスにトイレがなかった)。そういう光景を横目に歩いていると僕も腹が痛くなってきた・・・。その後進んで行くと何やら人がやたらと(50-80人くらい)集まっている個所がある。
僕はその時「土砂崩れがあって、それにみんな野次馬してるんだな。」と予想した。その場所に近づくにつれて、何やら旗が見える、人が言い合っている、辺りの道路上に不自然にサボテンや茨等の痛い系植物、岩等が散在している。そう、それは道路封鎖だった。その封鎖の仕方がかなり原始的で少し笑ってしまった。そのような道路封鎖ポイントが3箇所くらいあり最終ラインは明らかに先住民系のおばちゃんで構成された人のブロックができあがっていた。彼女らの表情は憂いに満ちていて、とりあえず封鎖しとこうという惰性的なものに感じられた。
ボリビアに入る前から政情不安という事は頭に入れており、デモや道路封鎖も頻繁にあると聞いていたが、実際どのような理由でどのような人がどのようにそれを行っているかを知りたかった。チリに行くのをやめてあえて政情不安による治安悪化のリスクが存在するボリビアに入ったのも、実際デモという形で自分達の考えを主張する行為の裏側にあるものを知りたかったし、五感を持ってそれを感じたかった。道路封鎖という手段でデモを行っていた人たちは間違いなく先住民族のインディオ系の方々だった。彼らが何を望むか、それは貧困からの脱出である。仮に共産主義体制を平等の体制と彼らが理解しているのなら、本当にそれを臨んでいるかもしれない。一説によるとそれは真だと聞く。道路封鎖の現場を撮影したがったが、撮れていても1、2枚だと思う(モノクロフィルムで撮ったのでまだ現像はしていない)。最終ラインのインディオのおばさん達が作り出しているブロックを通過した時には異様な雰囲気で、カメラを出して撮ったときの多少の危険性を感じたので撮影を控えた。何せ明らかな外国人旅行者は僕くらいだったから。そしてその先に同じバス会社のバスが待機しており、それに乗ってボリビアとアルゼンチンの国境の町VILLAZONへと向かった。バス会社としても道路封鎖を想定してる事がわかったので、頻繁に道路封鎖が起こっている事が理解できる。
というような経験をしていると、簡単にサンパウロに辿りつけそうな気がしないのは理解できるでしょう(上記の経験は特にボリビアに限った事だが)。後、サンパウロ都市圏は1500万の人が住んでいる程の大都市で簡単に目的住所に辿り着けるとは思わないからだ。ましてやブラジルではほぼ英語は通じないし。
2005/10/03
内定式で東京へ&少し旅を振り返る
明日10月3日から会社の内定式が理由で3日間程東京に行ってくる(会社関係は月曜と火曜の午前だけだが)。東京在住の友人やら、同じようにあっちで内定式の友人何人かと会ってくる。2年前音楽と写真でコラボってライブをやった時(僕は写真だが)の友人が早くもタイに駐在してしまうので、しばしの別れを惜しむ会などもやってくる。
そういえば南米旅行の際に内定先のサンパウロ支店に足を運び、幸運な事に現地駐在員の方とお会いしたというラッキーな事がありました。最初はネタのつもりでどんな建物かを見る程度の計画だったんやけど、目的地住所が近づくにつれてどうせなら誰かに会いたいと思いはじめた。
いざサンパウロ支店の前に着くと、予想以上にセキュリティが高い様子で簡単に入れる感じでもなかった。日本の会社とは違い建物の周りに庭がありその周りを高い柵で取り囲んでいるような状態。なので建物に入るためには2つの玄関を通過する必要がある。敷地内に入る最初の玄関で、もう既に入れるような状態ではない。英語が通じない事が予想できるし、入る必要性がある存在とみなされる格好もしてなかったから。なんせ1ヶ月間寝るときも何をするときも一つのズボンでしたから(もちろん洗ってもいません)。
そこで柵越しに敷地内を覗くと何やらアジア系の人がタバコを吸って休憩している姿が見える。チャーンスと思い、若干躊躇はしたがもう建物の中に入ってしまいそうだったので、思いきって少々大声で「すいませーん」と呼びかける。するとその方は僕が若干失礼に思いながらも手を振っている姿に気づいてくれる。柵は棒と棒の間に十分な隙間があるのでそれ越しに会話をする。その方は少しの日本語と英語を話せる現地採用で日系ブラジルの方。僕がどういう理由でここに来ているかを熱弁すると、中に入れてくれる手続きを取ってくれた。後で分かったのだが、その方は僕がこの会社で働きたいと思っていると理解していたそうだ。英語の微妙なニュアンスが伝わっていなかったのだろう、無念。日本からの駐在員の方と話したいと告げると建物内に案内してくれて、駐在の方を呼びに行ってくれた。
少し時間が経った後に駐在員の方が現れる。日本語スピーカーつまり日本からの駐在の方はその方だけで社長補佐という役職に就かれていた。とてもお忙しい様子だったので少しの時間しかお会いする事はできなかった。その時はもろオフィスアワーだったし、ノンアポだったのでアポを取っておいてくれたら時間を取れたと言ってくれていたが僕にとってアポを取る行為はリスクのある事だった。
ボリビアの道路封鎖デモに続く
そういえば南米旅行の際に内定先のサンパウロ支店に足を運び、幸運な事に現地駐在員の方とお会いしたというラッキーな事がありました。最初はネタのつもりでどんな建物かを見る程度の計画だったんやけど、目的地住所が近づくにつれてどうせなら誰かに会いたいと思いはじめた。
いざサンパウロ支店の前に着くと、予想以上にセキュリティが高い様子で簡単に入れる感じでもなかった。日本の会社とは違い建物の周りに庭がありその周りを高い柵で取り囲んでいるような状態。なので建物に入るためには2つの玄関を通過する必要がある。敷地内に入る最初の玄関で、もう既に入れるような状態ではない。英語が通じない事が予想できるし、入る必要性がある存在とみなされる格好もしてなかったから。なんせ1ヶ月間寝るときも何をするときも一つのズボンでしたから(もちろん洗ってもいません)。
そこで柵越しに敷地内を覗くと何やらアジア系の人がタバコを吸って休憩している姿が見える。チャーンスと思い、若干躊躇はしたがもう建物の中に入ってしまいそうだったので、思いきって少々大声で「すいませーん」と呼びかける。するとその方は僕が若干失礼に思いながらも手を振っている姿に気づいてくれる。柵は棒と棒の間に十分な隙間があるのでそれ越しに会話をする。その方は少しの日本語と英語を話せる現地採用で日系ブラジルの方。僕がどういう理由でここに来ているかを熱弁すると、中に入れてくれる手続きを取ってくれた。後で分かったのだが、その方は僕がこの会社で働きたいと思っていると理解していたそうだ。英語の微妙なニュアンスが伝わっていなかったのだろう、無念。日本からの駐在員の方と話したいと告げると建物内に案内してくれて、駐在の方を呼びに行ってくれた。
少し時間が経った後に駐在員の方が現れる。日本語スピーカーつまり日本からの駐在の方はその方だけで社長補佐という役職に就かれていた。とてもお忙しい様子だったので少しの時間しかお会いする事はできなかった。その時はもろオフィスアワーだったし、ノンアポだったのでアポを取っておいてくれたら時間を取れたと言ってくれていたが僕にとってアポを取る行為はリスクのある事だった。
ボリビアの道路封鎖デモに続く
2005/09/30
阪神優勝
てか、一昨日帰国したら阪神がマジック1ですか。一ヶ月前出発する時にはまだ中日と競ってたのに。で、昨日阪神優勝ですね。研究室の仲間4人が甲子園でみていたらしく、僕の研究室からの帰りとタイミングがあったため、ミナミに繰り出す計画を実行。道頓堀川は完全に封鎖されている事は分かっていたけど、どんな感じに盛り上がっているか楽しみだった。
やはり道頓堀は盛り上がっていた。ほんと祭りだった。あれだけの人を狂乱させる阪神のパワーは物凄いと思った。道頓堀の飛び込みが不可となると、何か別のおもろい事を考える(大阪人のDNAなのでしょうか)。引っ掛け橋南の地上4階程の高さがある広告塔に数人が交互によじ登り、お立ち台ですか。楽しいアホな事をされていました。いやーVIVA阪神なエンターティナーがたくさんいるものです。しばらくミナミの街を徘徊したあと、東心斎橋のBARと湊町のオープンテラスでカジュアルな飲み屋2軒を梯子して朝まで久々の再会を兼ねて話してました。もちろん辺りは阪神優勝ムード一色でした。
なんか大阪が以前よりもさらに好きになりました。
やはり道頓堀は盛り上がっていた。ほんと祭りだった。あれだけの人を狂乱させる阪神のパワーは物凄いと思った。道頓堀の飛び込みが不可となると、何か別のおもろい事を考える(大阪人のDNAなのでしょうか)。引っ掛け橋南の地上4階程の高さがある広告塔に数人が交互によじ登り、お立ち台ですか。楽しいアホな事をされていました。いやーVIVA阪神なエンターティナーがたくさんいるものです。しばらくミナミの街を徘徊したあと、東心斎橋のBARと湊町のオープンテラスでカジュアルな飲み屋2軒を梯子して朝まで久々の再会を兼ねて話してました。もちろん辺りは阪神優勝ムード一色でした。
なんか大阪が以前よりもさらに好きになりました。
2005/09/29
帰国
今日一ヶ月の旅から帰ってきました。9月27日(火)の9時30分エアカナダ、トロント発バンクーバー経由で9月28日(水)の17時関空着でした。帰りの飛行機はずっと昼間で寝れるか心配だっが、バンクーバー発の機内食でビールとワインを連続で飲んだので結構よく寝れた。特に疲れもなく関空に着いた訳だが、何やら今、蚊にかまれたようなできものが体、特に腕に広がっている。自分でそれを見て鳥肌が立つくらい。うぁーきもっ。関空の検疫所ではマラリアの潜伏期間は4週間とか言ってたので少し心配。先ほど洗濯物を出すときに親が変な虫を発見。明らかに日本に居なさそうな虫。あーきもっ。虫はほんと嫌い。マチュピチュに居た得たいの知れない小さい虫もうざかった。小さいのにやたらと攻撃力が高い。蚊にかまれたみたいなかゆさがあるのだが、かゆみと痕がひどいと2週間ほど続く。旅での虫系だけは注意が必要。
今日はこのできものが早く治る事を祈りながら眠ります。
今日はこのできものが早く治る事を祈りながら眠ります。
2005/09/26
i`m in Toronto.i`ll back to Japan tomorrow
hi!now 9/26 am 10:30,i`m in Toronto.it`s rainy today.i came here from Sao Paulo yesterday.
In Sao Paulo,i watched football game of Sao Paulo FC.it was very nice.amd I saw some architecture by oscar nemyer.for example,memory of Latine America and copan edifico.
yesterday,I walked around in Toronto.it`s clean,safety traffic,nice building.but i felt normal,not exciting.i felt excited little to Chinatown.In that place,they are vitarity same as other place of Chinatown. and i ate Chinese food(wantang-noodle,spring roll).
today,i`ll go to record and book shop and so on.i`ll chill out here.
In Sao Paulo,i watched football game of Sao Paulo FC.it was very nice.amd I saw some architecture by oscar nemyer.for example,memory of Latine America and copan edifico.
yesterday,I walked around in Toronto.it`s clean,safety traffic,nice building.but i felt normal,not exciting.i felt excited little to Chinatown.In that place,they are vitarity same as other place of Chinatown. and i ate Chinese food(wantang-noodle,spring roll).
today,i`ll go to record and book shop and so on.i`ll chill out here.
2005/09/22
I'm in Rio de Janeiro.next to Sao poulo
Bon noches!9/21 PM22.i'm in Rio de janeiro.yesterday i came here from Igauz by bus.it took 24hours and i felt it to be very tired because i used flight from Buenos aires to Iguaz.i was very impressed to Iguaz fall.i respected nature.
i stay hostel in Ipanema.It's very nice around here.But I hear it's dangerous little bit in Rio,so I'm in hostel now.today I walked around Rio de Janeiro by using some transportation.for example I went to Ipanema,Copacabana,niteroi and so on.i went to niteroi museum by Oscar Niemeyer(i wanted to go there before).Inside exbition is not good,but Architecter is good.Ipanema,Copacabana beach is wonderful,so if possible i want to swim tomorrow.i have swim pants.
tomorrow i'll go to corcovado and so on.and evening i'll go to Sao paulo by bus(about 7hours).day after tomorrow,i ll see football game of Sao paulo FC.my friend live in sao paulo will invite me that football game.when i crused in Puno,i met with him.
i stay hostel in Ipanema.It's very nice around here.But I hear it's dangerous little bit in Rio,so I'm in hostel now.today I walked around Rio de Janeiro by using some transportation.for example I went to Ipanema,Copacabana,niteroi and so on.i went to niteroi museum by Oscar Niemeyer(i wanted to go there before).Inside exbition is not good,but Architecter is good.Ipanema,Copacabana beach is wonderful,so if possible i want to swim tomorrow.i have swim pants.
tomorrow i'll go to corcovado and so on.and evening i'll go to Sao paulo by bus(about 7hours).day after tomorrow,i ll see football game of Sao paulo FC.my friend live in sao paulo will invite me that football game.when i crused in Puno,i met with him.
2005/09/17
now i'm in Buenos aires.
Buenos noches.
i'm in Buenos aires.now it's seprember 16th 23:00.
3hours ago,i just came here from san salvadol de jujuy in Argentina.
it's take 2days by bus from potoshi in Bolivia,because there is many happenings.
one is snow,and the other is blocked road by Indio in Bolivia.
The fuct of blocked road tell me about bad policy situation of Bolivia.
it's incredible for me.i want to tell in detail after,and use japanese font.
i feel Buenos aires is good city,and there are many fashionable people look like Europe.I felt so when i had dinner and i walk around here. and i think it's not dangerous here.
now i'm sleepy because i had much cerveza(beer) and vino(wine) with two guys from Bolivia.I came from Potoshi with two guys and one family.so it's fun for me to spend time on bus.
tomorrow,i will dig and walk aroud this city.i'm looking forward to.
good night,ciao.
i'm in Buenos aires.now it's seprember 16th 23:00.
3hours ago,i just came here from san salvadol de jujuy in Argentina.
it's take 2days by bus from potoshi in Bolivia,because there is many happenings.
one is snow,and the other is blocked road by Indio in Bolivia.
The fuct of blocked road tell me about bad policy situation of Bolivia.
it's incredible for me.i want to tell in detail after,and use japanese font.
i feel Buenos aires is good city,and there are many fashionable people look like Europe.I felt so when i had dinner and i walk around here. and i think it's not dangerous here.
now i'm sleepy because i had much cerveza(beer) and vino(wine) with two guys from Bolivia.I came from Potoshi with two guys and one family.so it's fun for me to spend time on bus.
tomorrow,i will dig and walk aroud this city.i'm looking forward to.
good night,ciao.
2005/09/14
i'm in potoshi. next (villazon) argentina
hi.now,i'm in potoshi.but sooner i must go bus terminal in potoshi(rest 30minutes).i will go to villazon.it,s border town between argentina and bolivia. from there,i go directly to buenosaires. just go bus stastion. story of potoshi and uyuni is later.
ciao!
ciao!
2005/09/12
Boliva.I'm in Uyuni(salar de Uyuni),next to Potosi
Buenas tardes!こにゃにゃちわ。9月11日正午現在、ボリビアのウユニという、とてつもなくでかい
塩の平原(salar de Uyuni)の近くの町にいます。意外と日本語フォントが入ってるものです。日本人観光客が多い証拠です。今日は午後4時頃から、塩の平原に向かい、そのど真ん中にあるホテルに泊まる予定。やぶぁいらしいです。ほんと、マチュピチュより感動したっていう人をよく聞きます。
てか、昨日ラパスからバスでORUROを経由してトータル12時間くらいでここにやってきたのですが、そのバス最悪でした。ORUROを出てからはずっと砂利道の上を走って(7時間くらい)、バスもしょぼいし、窓が氷つくほど激寒やし、何といっても砂煙がバスの中を覆ってたことはきつかった。且つ縦ゆれ、横揺れのオンパレード。当初はこれくらいの事を予想していたんやけど、ペルーのバスの感覚が抜けきれずやった。
ラパスから南の観光地に行く際の道が整備されていない事は、この国の状況を表しているのだろうか。物価に関しては、ペルーよりも格段に安いです。1US$は8BOLIVIANO(ボリビアの通貨)で、普通のホテルはシングルで25BOLIVIANO程で泊まれる。さっき食べた外国人向けの朝食も10BOLI。昨日夜食べた、南米でメジャー食事、鶏(ケンタッキーみたいなん)とポテトの組み合わせが7BOLI。まぁこんな感じで安いのです。ただ今日の夕方からの塩のホテルに泊まって塩の平原をくまなく楽しむ1泊2日のツアーは40US$。
そして、明日の夕方にUyuniに戻り、そのままバスで標高4000mの銀山の町ポトシに向かいます。鉱山の現状を知るツアーに行く予定。その後、国境を越えアルゼンチンに入る予定。てか、かなり急ぎめでいかないと旅を終結できないなと感じ始めている。
塩の平原(salar de Uyuni)の近くの町にいます。意外と日本語フォントが入ってるものです。日本人観光客が多い証拠です。今日は午後4時頃から、塩の平原に向かい、そのど真ん中にあるホテルに泊まる予定。やぶぁいらしいです。ほんと、マチュピチュより感動したっていう人をよく聞きます。
てか、昨日ラパスからバスでORUROを経由してトータル12時間くらいでここにやってきたのですが、そのバス最悪でした。ORUROを出てからはずっと砂利道の上を走って(7時間くらい)、バスもしょぼいし、窓が氷つくほど激寒やし、何といっても砂煙がバスの中を覆ってたことはきつかった。且つ縦ゆれ、横揺れのオンパレード。当初はこれくらいの事を予想していたんやけど、ペルーのバスの感覚が抜けきれずやった。
ラパスから南の観光地に行く際の道が整備されていない事は、この国の状況を表しているのだろうか。物価に関しては、ペルーよりも格段に安いです。1US$は8BOLIVIANO(ボリビアの通貨)で、普通のホテルはシングルで25BOLIVIANO程で泊まれる。さっき食べた外国人向けの朝食も10BOLI。昨日夜食べた、南米でメジャー食事、鶏(ケンタッキーみたいなん)とポテトの組み合わせが7BOLI。まぁこんな感じで安いのです。ただ今日の夕方からの塩のホテルに泊まって塩の平原をくまなく楽しむ1泊2日のツアーは40US$。
そして、明日の夕方にUyuniに戻り、そのままバスで標高4000mの銀山の町ポトシに向かいます。鉱山の現状を知るツアーに行く予定。その後、国境を越えアルゼンチンに入る予定。てか、かなり急ぎめでいかないと旅を終結できないなと感じ始めている。
I had my pocket picked in Lapaz!!
ラパスでの話。結果的に9月10日午前11時ごろ、初スリに会いました!
旅の半ばで気が緩んでいたのかもしれないが、街中で悠々とシャッターを切っていた。果物のフレッシュジュースを屋台で悠々と飲んで居たときにチェックされていたのだろう。ジュースを飲み終えた後、お金を払い(2BOLI)、財布をズボンの左ポケットに入れ、肩にカメラをぶら下げたまま人が行き交うごみごみとした市場の細い路地へ歩み始めた。
商店の軒と青空市場の間を通り過ぎようとしたその時、何かわからない水分が自分の顔にかかった。その瞬間、反射的に上から何か水が落ちてきたのかと思い上を見上げた。その時両サイドには2、3人の男の気配。彼らも水分がかかったのかと思うようなリアクション。かなり一瞬なので顔も確認できないくらい。その後、左ポケットに手をあてると明らかに財布がない空虚な感覚。その瞬間2、3人の男の行方を見たが、どれも違う方向に消えていった。さらに反射的にその財布の重要度を確認。あまり重要でない事が判明。旅行でしか使わない6年前に買った財布。中身は15US$と250BOLIVIANO。合計4000円くらい。
ほんと、不幸中の幸いだった。ラパスで3日間滞在したホステルの支払いを済ませたとこだったし、現地通貨がなくなっていたので両替に行こうとしていたとこだった。犯人は支払いの際に出し入れしていた財布を狙っての犯行だったが、僕の旅の時の命は右ポケットなんですよね。あまり具体的に話すと今後恐いので止めときます。ただ、この件をきっかけに旅の安全面に関してかなり気が引き締まった。安全対策委員会が1時間ほど自分の中で行われた。ただ、あの時顔にかかった水分、おそらく唾だと思います。唾かけスリがボリビアであるという内容を何かでチェックしていた。そう思うと無性に腹がたった。
スリに遭う前の話。ラパスに着いた時、ボリビアの政情があまりよろしくないと聞いていたが、ストなどで騒がしい感じではなかった。夕方になると、ボンボンと何やら爆発の音がするのだが、花火を上げているらしい。市民の政治に対する反発と捉えていいのだそうだ。町中を小型バスで移動している時、警官が武装し銀行や官邸など一つの場所に集まっているのを見えた。少し緊張する瞬間だった。
ville de Luna(月の谷)で会った日本人学生に連れられて、日本人folkloreミュージシャン(福田大治さん)のコンサートに行った。ゲバラにささげる曲はボリビアの人にオオウケだった。やはりこの国においてゲバラは英雄らしい。その関係だと思うがキューバ料理屋が目に付いた。そのコンサートが終わってから、ボリビアに留学している日本人留学生含め、キューバ料理屋に行った。MOJHITOはうまかった。CUBANITOというラムとトマトとタバスコを入れた酒は僕にとって罰ゲームだった。
何かこの国、ボリビアの政情に関してもう少し深く知りたいと思うようになった。民主主義、市場経済主義を敷いている国の体制に不満を持つ貧困層(主に先住民のインディオ)がストやデモを引き起こしている事。確かにペルーに比べてボリビアの方が先住民族の数が目立つ。先住民的な意識では誰もが平等を良しとする社会主義的な政権を望んでいるのだろうか。もし彼らの中にゲバラを崇拝する事が政治的願望とリンクするなら、それをこの国に身を置き感じれた経験は僕にとってpricelessだ。では、なぜこの現時点の体制が先住民を中心とする貧困層を生み出すのかだが、一つに主要産業がないことが挙げられる。それ以外にもっと根元的なもの民族的なものがあるように感じる。この点はゲバラが南米の政治体制に矛盾を感じていた通ずる。次に行くポトシ銀山でも何か新しい発見があるように思う。
旅の半ばで気が緩んでいたのかもしれないが、街中で悠々とシャッターを切っていた。果物のフレッシュジュースを屋台で悠々と飲んで居たときにチェックされていたのだろう。ジュースを飲み終えた後、お金を払い(2BOLI)、財布をズボンの左ポケットに入れ、肩にカメラをぶら下げたまま人が行き交うごみごみとした市場の細い路地へ歩み始めた。
商店の軒と青空市場の間を通り過ぎようとしたその時、何かわからない水分が自分の顔にかかった。その瞬間、反射的に上から何か水が落ちてきたのかと思い上を見上げた。その時両サイドには2、3人の男の気配。彼らも水分がかかったのかと思うようなリアクション。かなり一瞬なので顔も確認できないくらい。その後、左ポケットに手をあてると明らかに財布がない空虚な感覚。その瞬間2、3人の男の行方を見たが、どれも違う方向に消えていった。さらに反射的にその財布の重要度を確認。あまり重要でない事が判明。旅行でしか使わない6年前に買った財布。中身は15US$と250BOLIVIANO。合計4000円くらい。
ほんと、不幸中の幸いだった。ラパスで3日間滞在したホステルの支払いを済ませたとこだったし、現地通貨がなくなっていたので両替に行こうとしていたとこだった。犯人は支払いの際に出し入れしていた財布を狙っての犯行だったが、僕の旅の時の命は右ポケットなんですよね。あまり具体的に話すと今後恐いので止めときます。ただ、この件をきっかけに旅の安全面に関してかなり気が引き締まった。安全対策委員会が1時間ほど自分の中で行われた。ただ、あの時顔にかかった水分、おそらく唾だと思います。唾かけスリがボリビアであるという内容を何かでチェックしていた。そう思うと無性に腹がたった。
スリに遭う前の話。ラパスに着いた時、ボリビアの政情があまりよろしくないと聞いていたが、ストなどで騒がしい感じではなかった。夕方になると、ボンボンと何やら爆発の音がするのだが、花火を上げているらしい。市民の政治に対する反発と捉えていいのだそうだ。町中を小型バスで移動している時、警官が武装し銀行や官邸など一つの場所に集まっているのを見えた。少し緊張する瞬間だった。
ville de Luna(月の谷)で会った日本人学生に連れられて、日本人folkloreミュージシャン(福田大治さん)のコンサートに行った。ゲバラにささげる曲はボリビアの人にオオウケだった。やはりこの国においてゲバラは英雄らしい。その関係だと思うがキューバ料理屋が目に付いた。そのコンサートが終わってから、ボリビアに留学している日本人留学生含め、キューバ料理屋に行った。MOJHITOはうまかった。CUBANITOというラムとトマトとタバスコを入れた酒は僕にとって罰ゲームだった。
何かこの国、ボリビアの政情に関してもう少し深く知りたいと思うようになった。民主主義、市場経済主義を敷いている国の体制に不満を持つ貧困層(主に先住民のインディオ)がストやデモを引き起こしている事。確かにペルーに比べてボリビアの方が先住民族の数が目立つ。先住民的な意識では誰もが平等を良しとする社会主義的な政権を望んでいるのだろうか。もし彼らの中にゲバラを崇拝する事が政治的願望とリンクするなら、それをこの国に身を置き感じれた経験は僕にとってpricelessだ。では、なぜこの現時点の体制が先住民を中心とする貧困層を生み出すのかだが、一つに主要産業がないことが挙げられる。それ以外にもっと根元的なもの民族的なものがあるように感じる。この点はゲバラが南米の政治体制に矛盾を感じていた通ずる。次に行くポトシ銀山でも何か新しい発見があるように思う。
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