今年2回目の風邪.
原因は不規則,睡眠不足と自分では分かっているものの,週末2日とも論文作成やら飲みやらで京阪神の3都物語を演じてみたり,まぁ風邪が悪化するのもしょうがない.
前回はインフルエンザだったが.今回は熱はないものの声がでない程喉がやられる系だ.4年に一度くらい声が出なくなる風邪にかかっているような気がする.
声が出なくなるのは,本当にしんどいです.
まぁ完全に出なくなるわけではないんやけど,自分の思うような音量やトーンが出せなくなる.そうなると,人とのコミュニケーションがやや不安になる.自分自身のことをうまく伝えれなくなると,自分からコミュニケーションを控えてしまう姿勢になる.
あるアメリカの心理学者が行なった『人が他人から受け取る情報の割合』の研究で,「言葉」「声質」「顔の表情」という3つの情報のうち,「顔の表情」が55%,「声質」が38%,「言葉」はわずか7%だという.相手の顔の表情,声音,声量などと言葉とで矛盾した情報が与えられた場合,人は言葉以外の非言語情報を9割以上の割合で重視して相手を判断するという実験結果がある.
こう考えると,昨日の同じ大学内定者の飲み会での僕の情報伝達力は格段に低かったと思われる.実際,「今日はあんまりしゃべらんなぁ」と言われた.うまく声が出ないと思うので,表情もこわばり,声量もうまく出せていないので,上の心理学者の見解では僕は伝えたい事の1割しか相手に伝わっていない事になる.
ということで今日は論文よりも喉の回復を最優先し,自宅療養をした.と言ってもここぞとばかりに寝まくっていただけ.夕方になって,声が治る気配もないので行きつけの病院にいく事にした.注射を打って,薬をもらった.
話は前後するが,本来なら今日は助教授と研究の打ち合わせがあった.昼頃に研究室の秘書さんから,「先生が風邪で休みなので打ち合わせは延期」との連絡があり,ややホッとした.助教授意外と病弱でナイス.
が,論文の提出期日は変わる事なく,明日からは再び研究室な生活だ.
友人に喉の風邪にはりんごと生姜が良いと聞いたので,今りんごを食べながらこれを書いています.密が詰まっててマイウーです.
2006/01/22
仮説思考とやら
最近の生活は2日に1日は研究室で,もう1日は自宅で寝る生活.研究の頭でやや混沌としてたので,一昨日の帰りに雑誌を買って気分転換.
買った雑誌は年に4回東洋経済からだされている,THINK.いわゆるビジネス雑誌で,面白いトピックの刊は買うようにしている.
今回は仕事で実践するコンサル力がテーマで,別に自分がコンサルタントになる訳じゃないけど,このテーマに関しては関心があるので購入.
気分転換のつもりで読んでいたが,今やっている論文作成の行為に直結するアイデアを吸収できた.
それは仮説思考という考え方.
ボストンコンサルティンググループの内田和成さんの項でこの仮説思考の利点について説明していた.仮説思考の定義は「物事を答えから考えること.」
まず,仮の答えを出し(予想し),その答えまでのプロセスを導いていくやり方.
彼は「コンサルタントとして鍛えられていく中で,仮説思考を基にした仕事の進め方を身に付けていくために,問題解決のスピードが格段に早くなる.」と語る.
自分も含め,多くの人がそうであると思うが,仮の答えを見出す事が困難だと感じる.
この点(仮の答えを出す事)に関して,内田さんは将棋の羽生善治の例を出して,直観力,カンの働きが重要になると話す.羽生名人は将棋の一つの局面に80通りの指し手の可能性があるが,そのうち2、3の手だけを直感で選び自分のカンを頼りに検証していく.ただ,単なるヤマカンではなく経験や学習を通じて自分自身の中にストックされたデータベースを基に,それらを活用しながら集中して考える事で筋のよさそうな仮説が浮かび上がってくるのではないかと言っている.
確かに,今自分が作成している修士論文においても,卒業論文の頃よりも仮説(結果)が自分の中で明確化されているように思う.それは,おそらく土木計画という分野の研究室に曲がりなりにも3年間属し,その分野の論文にも多く目を通し,数々の背景を基にした研究の目的を自分なりに理解できるようになったからではないかと思う.なので,学部4年の頃のカンよりも,現時点の研究に対するカンはより洗練されたものではないかと思う.
ただ,その仮説に関しては間違っていても問題はないと内田氏は話す.「どんどん仮説を立て,検証して間違っていたら別の仮説を立てる.よさそうならば,その仮説を進化させる.それの繰り返しだ.すなわち仮説・検証の回数が重要だ」と.
確かに,分析を進める上で予想外の展開や新たな発見により軌道修正が必要なことは自分自身の経験からも理解している.失敗のパターンや成功のパターンを自分の中に暗黙知ではなく形式知としてストックする事で,確かなカンを構築する事ができるのだと思う.
そのカンってのが将来を展望する先見力にもつながるのかな.
とりあえず吸収したものは実践しないと意味がないと思うたちなので,今回の仮説思考の項で得た事を研究で実践する事にした.
研究における大局的な仮説をさらに細分化して,章毎の仮説,節毎の仮説を決めどんどん論文としての形にまとめ上げていく.最後の最後まで良い結果をだそうと分析をうじうじやるよりも,現時点でだせるだけの結果を出し論文の枠組みを仕上げて,修正という形で分析をやり直すアプローチで臨もうと思う.
買った雑誌は年に4回東洋経済からだされている,THINK.いわゆるビジネス雑誌で,面白いトピックの刊は買うようにしている.
今回は仕事で実践するコンサル力がテーマで,別に自分がコンサルタントになる訳じゃないけど,このテーマに関しては関心があるので購入.
気分転換のつもりで読んでいたが,今やっている論文作成の行為に直結するアイデアを吸収できた.
それは仮説思考という考え方.
ボストンコンサルティンググループの内田和成さんの項でこの仮説思考の利点について説明していた.仮説思考の定義は「物事を答えから考えること.」
まず,仮の答えを出し(予想し),その答えまでのプロセスを導いていくやり方.
彼は「コンサルタントとして鍛えられていく中で,仮説思考を基にした仕事の進め方を身に付けていくために,問題解決のスピードが格段に早くなる.」と語る.
自分も含め,多くの人がそうであると思うが,仮の答えを見出す事が困難だと感じる.
この点(仮の答えを出す事)に関して,内田さんは将棋の羽生善治の例を出して,直観力,カンの働きが重要になると話す.羽生名人は将棋の一つの局面に80通りの指し手の可能性があるが,そのうち2、3の手だけを直感で選び自分のカンを頼りに検証していく.ただ,単なるヤマカンではなく経験や学習を通じて自分自身の中にストックされたデータベースを基に,それらを活用しながら集中して考える事で筋のよさそうな仮説が浮かび上がってくるのではないかと言っている.
確かに,今自分が作成している修士論文においても,卒業論文の頃よりも仮説(結果)が自分の中で明確化されているように思う.それは,おそらく土木計画という分野の研究室に曲がりなりにも3年間属し,その分野の論文にも多く目を通し,数々の背景を基にした研究の目的を自分なりに理解できるようになったからではないかと思う.なので,学部4年の頃のカンよりも,現時点の研究に対するカンはより洗練されたものではないかと思う.
ただ,その仮説に関しては間違っていても問題はないと内田氏は話す.「どんどん仮説を立て,検証して間違っていたら別の仮説を立てる.よさそうならば,その仮説を進化させる.それの繰り返しだ.すなわち仮説・検証の回数が重要だ」と.
確かに,分析を進める上で予想外の展開や新たな発見により軌道修正が必要なことは自分自身の経験からも理解している.失敗のパターンや成功のパターンを自分の中に暗黙知ではなく形式知としてストックする事で,確かなカンを構築する事ができるのだと思う.
そのカンってのが将来を展望する先見力にもつながるのかな.
とりあえず吸収したものは実践しないと意味がないと思うたちなので,今回の仮説思考の項で得た事を研究で実践する事にした.
研究における大局的な仮説をさらに細分化して,章毎の仮説,節毎の仮説を決めどんどん論文としての形にまとめ上げていく.最後の最後まで良い結果をだそうと分析をうじうじやるよりも,現時点でだせるだけの結果を出し論文の枠組みを仕上げて,修正という形で分析をやり直すアプローチで臨もうと思う.
2006/01/18
震災の記憶@研究室


今研究室でふと1月17日阪神大震災について触れたら、淡路の人間に軽軽しく語るなとか言われました。俺も一応大阪在住なんで、頭にCDラジカセくらいは落ちてきたんですがね・・・。
まぁ自分の席の左手には上の写真(携帯でとりました)にあるように昼と夜で神戸の景色がいつも見えていて、10年前にはものすごい事が起こったのだと思うと、少し冷静になってしまう。
この間研究室を掃除していると、当時の研究室の学生が綴った震災当日の日記があった。折角なので、自分がこの事実を振り返る意味も込めて少し抜粋してそのまま載せようと思う。
以下日記より(1995年1月17日地震発生後、明るくなりはじめた頃から)
空がちょっと白んできたので、私は車を学校に持っていくことにした。ブロックをのけて学校へ走り出すと信号は作動していないし、道路はいたるところで割れているし、JRの高架は落ちてるしでえらいことになっていた。ところが、学校に着くと、学校は何事もなかったかのようだった。私の原チャリも倒れていなかった(倒れてまた立ったという説もある)。ここで、実家に電話して無事を知らせ部屋に戻った。
部屋に戻ると(ちなみに部屋は御影石町)うちのマンションの周りは騒然としていた。うちのマンションの古い木造住宅はほとんど倒壊していたが、それらに火がまわってしまったらしい。「母と妹がまだ家の中にいるんです」という女の人の声がして、周りの人たちと助けようとして行ったが、もうすでに火が回っていてどうしようもできない状態になっていた。消防車は来ないし、消火栓から水も出ない。家族の人が「さっきまで声がしてた。まだ生きているから助けてあげてー」と叫ぶが誰も何もできなかった。そうこうしているうちに、一面火の海になってしまって、とうとううちのマンションにまで延焼しそうになった。
近所の住人と一丸となってバケツリレーをして、なんとかそれ以上の延焼はまぬがれたが、それでもかなりの面積が焼失してしまった。
このバケツリレーは朝の8時過ぎから昼の2時過ぎまで延々続いた。途中チャリンコでMが来て手伝ってくれた。
やっと下火になったので、Mと原チャリに2ケツして学校に向かった。もう道路は大渋滞していてローソンも長蛇の列だった。
私とMは飲み物を確保し、学校に来ると見事に電気が来ておりTVもうつった。
その晩はSも加わり3人で寒さと余震に震えながら研究室で明かした。
その次の日、朝農学部で炊き出しのおにぎりを2個もらい昼過ぎ、Mと私は「地獄のアウトロー」と化し、2ケツ、ノーヘル、歩道走りで西宮北口まで逃げ出した。阪急で梅田まで行くと、まるで何事もなかったかのように普段どおりだった。知り合いの阪急の姉ちゃんは相変わらず笑顔で商品券を売っていた。力が抜けた・・・
以上 日記より。
微妙にオチがついていたが、結構リアルな内容だった。もちろんほんの一部の震災エピソードやけど、貴重な体験談としてのこの日記をあの時ごみ箱にポイしなくてよかった。他にももっと大変な事があったんやろうなと思いながら、また左手に見える神戸の空をみてしまう深夜@研究室でした。
2006/01/14
世の中デジタル化?
ニコンが銀塩フィルム市場におけるカメラ・レンズ生産の大幅縮小の記事をみて.高級機のF6とマニュアル入門機FM10を残し,レンズに関してはオートではなく,マニュアルレンズのいくつかだけを残すらしい.
僕はキャノンユーザーなので,直接的なダメージはないのだが,最近,撮影のバイトで先輩にニコンのF100を借りて初めてニコンカメラを使ったのだが,キャノンのオートフォーカスよりもボディーやレンズがアナログ的な設計で硬派な印象を持っている.この点に結構惹かれてニコン機に乗り換えてもいいかなと思っていた.
今回の記事に関して思ったことを少々。
1,ニコンユーザーのメンテはどうなるの?
うちの写真部には結構F80とかF100を使っている人がいるのだが,そのどちらもが生産中止,さらにオートフォーカスのレンズも生産中止なので,長期的に見たらそれらのメンテナンスが厄介になりそうだ.特に古くに生産されていたマニュアル式のカメラと比較して,これらのオートフォーカス製品は電化製品的気質が強く,電子部品が各々に設置されている.ので,他でまかなえるような代替部品はなく,修理にはメーカーを通す必要がある.
ただ,デジタル一眼のレンズ等の部品で補える可能性もあるし,ニコンにとっては既存ユーザーに対するブランド力を低下させないためにも,その辺の策は考えていることだろう.
2,キャノンが銀塩カメラ市場独占?
日本における銀塩市場で,キャノンとニコンが2大メーカーだが,この内のニコンが縮小となると,キャノンが銀塩のオートフォーカスカメラに関してはニコンユーザーを囲い込む構図になるのか。いくらフィルム市場が減少しても,今後も少なからず需要は存在すると思うので,キャノンがどのような手をうって来るのかが気になる。
今回のようなニコンのフィルム市場縮小の影響で一般消費者はよりデジタル一眼へ向かうのか,それともフィルム一眼なら選択肢の多いキャノンにしようと思う人が増えるのか。
3,ていうか銀塩自体が消える?
先の記事から,
昨年1月から11月の国内全体の出荷台数累計は、フィルムカメラが前年比49.2%減の28万5344台と大幅減。デジカメは前年比1.1%減の757万3630台と横ばい。レンズ交換式デジタル一眼レフは、前年比52.3%増の50万513台と需要が拡大という内容に関して。
数字だけみると,各メーカーはデジタル一眼に資源を集中させたいと思うが,この市場に関しては有望市場であるがその点競合が多い。
松下やソニー,富士フィルム,など等フィルムカメラ市場では存在しなかった企業が競合となる。もちろんキャノンもだ。
デジタル一眼に関して,ニコンは蓄積されたノウハウで高級路線で他者と差別化していくだろうと思うが,今後どうなっていくだろう.
根強く残ったフィルムカメラユーザーはキャノンが奪っていくのか。
自分は銀塩を愛している一人なので,使うものに関してはできるだけ多くの選択肢を持ちたいし,将来的にみても根強く残るユーザーだと思うので,このニュースは少し悲しいものである.
というのも現像の際,露光によって潜像を生じた乳剤中のハロゲン化銀を金属銀に還元するプロセスを,あの暗くて薄赤い空間で眺め,何とも言えない感情を今後も持ちつづけたいと思うからだ。ある意味,自分にとっての癒しの空間である暗室に,今後とも篭る動機を与えてもらう必要があるのです(笑)
僕はキャノンユーザーなので,直接的なダメージはないのだが,最近,撮影のバイトで先輩にニコンのF100を借りて初めてニコンカメラを使ったのだが,キャノンのオートフォーカスよりもボディーやレンズがアナログ的な設計で硬派な印象を持っている.この点に結構惹かれてニコン機に乗り換えてもいいかなと思っていた.
今回の記事に関して思ったことを少々。
1,ニコンユーザーのメンテはどうなるの?
うちの写真部には結構F80とかF100を使っている人がいるのだが,そのどちらもが生産中止,さらにオートフォーカスのレンズも生産中止なので,長期的に見たらそれらのメンテナンスが厄介になりそうだ.特に古くに生産されていたマニュアル式のカメラと比較して,これらのオートフォーカス製品は電化製品的気質が強く,電子部品が各々に設置されている.ので,他でまかなえるような代替部品はなく,修理にはメーカーを通す必要がある.
ただ,デジタル一眼のレンズ等の部品で補える可能性もあるし,ニコンにとっては既存ユーザーに対するブランド力を低下させないためにも,その辺の策は考えていることだろう.
2,キャノンが銀塩カメラ市場独占?
日本における銀塩市場で,キャノンとニコンが2大メーカーだが,この内のニコンが縮小となると,キャノンが銀塩のオートフォーカスカメラに関してはニコンユーザーを囲い込む構図になるのか。いくらフィルム市場が減少しても,今後も少なからず需要は存在すると思うので,キャノンがどのような手をうって来るのかが気になる。
今回のようなニコンのフィルム市場縮小の影響で一般消費者はよりデジタル一眼へ向かうのか,それともフィルム一眼なら選択肢の多いキャノンにしようと思う人が増えるのか。
3,ていうか銀塩自体が消える?
先の記事から,
昨年1月から11月の国内全体の出荷台数累計は、フィルムカメラが前年比49.2%減の28万5344台と大幅減。デジカメは前年比1.1%減の757万3630台と横ばい。レンズ交換式デジタル一眼レフは、前年比52.3%増の50万513台と需要が拡大という内容に関して。
数字だけみると,各メーカーはデジタル一眼に資源を集中させたいと思うが,この市場に関しては有望市場であるがその点競合が多い。
松下やソニー,富士フィルム,など等フィルムカメラ市場では存在しなかった企業が競合となる。もちろんキャノンもだ。
デジタル一眼に関して,ニコンは蓄積されたノウハウで高級路線で他者と差別化していくだろうと思うが,今後どうなっていくだろう.
根強く残ったフィルムカメラユーザーはキャノンが奪っていくのか。
自分は銀塩を愛している一人なので,使うものに関してはできるだけ多くの選択肢を持ちたいし,将来的にみても根強く残るユーザーだと思うので,このニュースは少し悲しいものである.
というのも現像の際,露光によって潜像を生じた乳剤中のハロゲン化銀を金属銀に還元するプロセスを,あの暗くて薄赤い空間で眺め,何とも言えない感情を今後も持ちつづけたいと思うからだ。ある意味,自分にとっての癒しの空間である暗室に,今後とも篭る動機を与えてもらう必要があるのです(笑)
2006/01/09
2006/01/02
新年を展望する
次に2006年が自分にとってどんな年なのか展望してみると・・・初社会人になる年である。
生まれて初めて自分が社会に飛び出すわけだ。なかなか感慨深いが、これまでも別に社会と切り離された存在だった訳じゃないし、社会人になる事で特殊な環境に放り込まれる、とも思っていない。むしろ今の自分にとって未知の領域が広がってそうで楽しみだ。人の出会いとかはもっと楽しみだ。
根本的に何かしらの生産をしてお金をもらう訳だから、学生の頃よりもシビアな世界であるのは間違いない。安藤忠雄さんとバイト中に会ったときこう話してくれた。『自分の研究室の生徒に対しては厳しくない。でも設計事務所の部下に対しては相当厳しい。なぜなら後者の人間にはお金が発生するから。』
そういえば表参道ヒルズが楽しみだ。
まぁ、社会人に対して色々想いを巡らせていても後3ヶ月な訳だから、今ある学生の時間を最大限有効活用すべき事を考えていこう。それが、4月からのモチベーションにも繋がると思うから。
2月上旬の修論提出までは、それに大半の時間と労力を注ぎ込もうと思っているが・・・。常に部分をチェックし全体を俯瞰する事を心掛け、一日一日のタスクを決めて確実に実行していこう。それと並行して、自分に足りない部分を補うべく本、その時に最も関心がある本を効率よく読もう。
で、修論提出後は写真に関する何らかのイベントをしよう。旅行もちょっこっとしよっかな。うーん、あっという間に3ヶ月が過ぎていきそうだ。
後悔のない日々を送る事。これに尽きる。
生まれて初めて自分が社会に飛び出すわけだ。なかなか感慨深いが、これまでも別に社会と切り離された存在だった訳じゃないし、社会人になる事で特殊な環境に放り込まれる、とも思っていない。むしろ今の自分にとって未知の領域が広がってそうで楽しみだ。人の出会いとかはもっと楽しみだ。
根本的に何かしらの生産をしてお金をもらう訳だから、学生の頃よりもシビアな世界であるのは間違いない。安藤忠雄さんとバイト中に会ったときこう話してくれた。『自分の研究室の生徒に対しては厳しくない。でも設計事務所の部下に対しては相当厳しい。なぜなら後者の人間にはお金が発生するから。』
そういえば表参道ヒルズが楽しみだ。
まぁ、社会人に対して色々想いを巡らせていても後3ヶ月な訳だから、今ある学生の時間を最大限有効活用すべき事を考えていこう。それが、4月からのモチベーションにも繋がると思うから。
2月上旬の修論提出までは、それに大半の時間と労力を注ぎ込もうと思っているが・・・。常に部分をチェックし全体を俯瞰する事を心掛け、一日一日のタスクを決めて確実に実行していこう。それと並行して、自分に足りない部分を補うべく本、その時に最も関心がある本を効率よく読もう。
で、修論提出後は写真に関する何らかのイベントをしよう。旅行もちょっこっとしよっかな。うーん、あっという間に3ヶ月が過ぎていきそうだ。
後悔のない日々を送る事。これに尽きる。
2006/01/01
旧年を振り返る
久しぶりにこのブログで文を書くような気がする。
2006年にもなった事だし、少しは2005年を振り返ってみるのもありかな。と。
2005年を軽く振り返ってみる。
大きく分けて 1、就職活動 と 2、南米旅行
1、就職活動
に関して結論から言うと、人との出会いそのものだった。
後悔のない就職活動をしたいと思っていたので、その通り後悔のない就活ができた。
行動に移す事に重きを置いていたので、本当に良く動いた。自分の可能性を存分に引き出したかったし、機会を失う事が何よりも嫌だったので、夜行バスを使って何度も東京に行ってた。その行為は特につらくなかった。機会を失う事に比べては。おかげで本当に幅広い分野の業種を見ることができたし、多くの貴重な人との出会いもあった。
色んな分野を試した自分、五感で感じてきた自分だからこそ、4月から働く会社が最適だと思えるようになったんじゃないかなと思う。
本質的な事は経験しないと分からない、人と会ってみないと分からないと真剣に思えるようになった。それが自分にとっての就職活動だった。このスタンスは今後の自分の価値観に大きな影響を与えるものとなる。
今思うと、就職活動期に仲良くなった友達とは今後とも仲良くやっていけそうな気がする。
2、南米旅行
2005年の8月30日ー9月30日の期間、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、ブラジル、帰りに3日間トロントを巡った旅。
この旅の詳細は過去のアーカイブ(2005年8月 2005年9月 2005年10月)を見てもらったら分かると思うが、とりあえず未知の何かを求めたいという探究心が行動に移させたと思う。
このような旅をする事で自分が世界的な問題に対して身を持って感じ、考える機会になる。それが長期的に自分の中に形式的にしろ暗黙的にしろストックされ、経験したトピックがあると容易に自分の中に入ってきてくれる。さらに、容易にその際に考えていた問題意識も蘇る。
例えばボリビアの話。
最近(2005年12月28日)のトピックで、ボリビア大統領が初の先住民系(インディオ)のモラレス氏になった事。この方、社会主義運動党らしく、さらに最近のトピックではキューバに訪問してカストロ氏と会談したりしている。
この件に関して、2005年9月中旬に自分が訪れた際、先住民による道路封鎖デモの経験から考えた事。
彼らは市場経済の流れについていけない事からくる貧困が理由に、おそらく単純な思いで社会主義というものを熱望していた。それと並行して、少なからずゲバラの影響が彼らにとって大きい事がいくつかの場面で感じ取れた。町にいくつかのキューバ料理屋もあり(実際に食べた)、親キューバ的である面も感じとれた。
上のように自分が経験から考えた事が、数ヵ月後に今のボリビアを考える上でのキーワードとして現れてきた。なので、どういう状況で、どのような背景でこの社会主義運動党の人物が選ばれたのか想像する事はできた。少なからず人口の40%を占める先住民の思いが通じた選挙だったのかもしれない。
今回、社会主義党で先住民の大統領選ばれた理由としては、ボリビアの市場経済導入による腐敗政治や貧富の格差に対して、国民の不満が溜まっていた事が挙げられている。
このような遠くの南米の最貧国の選挙にも、自国のように夢中になって好奇心を持ちつづけられる事、これが僕にとって旅をする意義かもしれない。
2006年にもなった事だし、少しは2005年を振り返ってみるのもありかな。と。
2005年を軽く振り返ってみる。
大きく分けて 1、就職活動 と 2、南米旅行
1、就職活動
に関して結論から言うと、人との出会いそのものだった。
後悔のない就職活動をしたいと思っていたので、その通り後悔のない就活ができた。
行動に移す事に重きを置いていたので、本当に良く動いた。自分の可能性を存分に引き出したかったし、機会を失う事が何よりも嫌だったので、夜行バスを使って何度も東京に行ってた。その行為は特につらくなかった。機会を失う事に比べては。おかげで本当に幅広い分野の業種を見ることができたし、多くの貴重な人との出会いもあった。
色んな分野を試した自分、五感で感じてきた自分だからこそ、4月から働く会社が最適だと思えるようになったんじゃないかなと思う。
本質的な事は経験しないと分からない、人と会ってみないと分からないと真剣に思えるようになった。それが自分にとっての就職活動だった。このスタンスは今後の自分の価値観に大きな影響を与えるものとなる。
今思うと、就職活動期に仲良くなった友達とは今後とも仲良くやっていけそうな気がする。
2、南米旅行
2005年の8月30日ー9月30日の期間、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、ブラジル、帰りに3日間トロントを巡った旅。
この旅の詳細は過去のアーカイブ(2005年8月 2005年9月 2005年10月)を見てもらったら分かると思うが、とりあえず未知の何かを求めたいという探究心が行動に移させたと思う。
このような旅をする事で自分が世界的な問題に対して身を持って感じ、考える機会になる。それが長期的に自分の中に形式的にしろ暗黙的にしろストックされ、経験したトピックがあると容易に自分の中に入ってきてくれる。さらに、容易にその際に考えていた問題意識も蘇る。
例えばボリビアの話。
最近(2005年12月28日)のトピックで、ボリビア大統領が初の先住民系(インディオ)のモラレス氏になった事。この方、社会主義運動党らしく、さらに最近のトピックではキューバに訪問してカストロ氏と会談したりしている。
この件に関して、2005年9月中旬に自分が訪れた際、先住民による道路封鎖デモの経験から考えた事。
彼らは市場経済の流れについていけない事からくる貧困が理由に、おそらく単純な思いで社会主義というものを熱望していた。それと並行して、少なからずゲバラの影響が彼らにとって大きい事がいくつかの場面で感じ取れた。町にいくつかのキューバ料理屋もあり(実際に食べた)、親キューバ的である面も感じとれた。
上のように自分が経験から考えた事が、数ヵ月後に今のボリビアを考える上でのキーワードとして現れてきた。なので、どういう状況で、どのような背景でこの社会主義運動党の人物が選ばれたのか想像する事はできた。少なからず人口の40%を占める先住民の思いが通じた選挙だったのかもしれない。
今回、社会主義党で先住民の大統領選ばれた理由としては、ボリビアの市場経済導入による腐敗政治や貧富の格差に対して、国民の不満が溜まっていた事が挙げられている。
このような遠くの南米の最貧国の選挙にも、自国のように夢中になって好奇心を持ちつづけられる事、これが僕にとって旅をする意義かもしれない。
2005/12/20
中間発表→忘年会→北新地
40時間起きつづけた後、さっき8時間の睡眠から起床した。
昨日は修論の中間発表。
僕自身、基本的に発表の前の日は最低数時間は眠るようにしているのだが、今回はそうはいかなかった。
この中間発表が終わるともう論文提出後まで発表する機会はないし、なんとしても現時点で提示できるような有意性のある結果をまとめて、陳腐なプレゼンにならないようにしたかった。
「節目節目で結果を出せないと、この先も同じだぞ。」って自分に鞭をうちながら、結果を出すことに執着した。故に、睡眠欲も吹き飛ぶくらい集中力が維持されたまま作業に集中できて、なんとか発表できるレベルの結果を出せた。
プレゼン自体も現段階のベストを尽くしたと思う。先生方からは、自分には無い視点で色んな示唆をいただけたし、自分自身研究を整理する上でも非常に有意義な発表だった。
その後、研究室のOB含む教授の教え子とその知人、研究室学生からなる忘年会が福島であった。学生以外は年齢層高め&スーツを着るような若干硬めな忘年会だったが、それはそれで有意義な時間となる。この時点でねむい度MAX。
こうしてやっと長い一日が終わったと思って、外の冷たい新鮮な空気を吸っていると・・・。
研究会でお話する元お役人の社長さんが、僕ともう一人の学生を北新地に連れて行ってくれると言う。
何やら、もう一人の学生が以前ノリでアポをとっていたという。
結局何故か僕もお呼ばれする事になり、夜の北新地へ。
新地の華やかな世界に驚愕する事が多々ありましたが、まぁ良い社会勉強ということで!敢えて英語が通じないブロンズ美女オンリーなお店とか・・・(笑)てか、来てるお客さん明らか重役っしょ、みたいな店ばっかやったし。社長さん、いつもこんなとこで遊んでるんですね。最近は減って2日に1回とか言ってたが・・・。
中間発表→忘年会→新地、
大人の階段のーぼるぅ♪ な一日でした。
昨日は修論の中間発表。
僕自身、基本的に発表の前の日は最低数時間は眠るようにしているのだが、今回はそうはいかなかった。
この中間発表が終わるともう論文提出後まで発表する機会はないし、なんとしても現時点で提示できるような有意性のある結果をまとめて、陳腐なプレゼンにならないようにしたかった。
「節目節目で結果を出せないと、この先も同じだぞ。」って自分に鞭をうちながら、結果を出すことに執着した。故に、睡眠欲も吹き飛ぶくらい集中力が維持されたまま作業に集中できて、なんとか発表できるレベルの結果を出せた。
プレゼン自体も現段階のベストを尽くしたと思う。先生方からは、自分には無い視点で色んな示唆をいただけたし、自分自身研究を整理する上でも非常に有意義な発表だった。
その後、研究室のOB含む教授の教え子とその知人、研究室学生からなる忘年会が福島であった。学生以外は年齢層高め&スーツを着るような若干硬めな忘年会だったが、それはそれで有意義な時間となる。この時点でねむい度MAX。
こうしてやっと長い一日が終わったと思って、外の冷たい新鮮な空気を吸っていると・・・。
研究会でお話する元お役人の社長さんが、僕ともう一人の学生を北新地に連れて行ってくれると言う。
何やら、もう一人の学生が以前ノリでアポをとっていたという。
結局何故か僕もお呼ばれする事になり、夜の北新地へ。
新地の華やかな世界に驚愕する事が多々ありましたが、まぁ良い社会勉強ということで!敢えて英語が通じないブロンズ美女オンリーなお店とか・・・(笑)てか、来てるお客さん明らか重役っしょ、みたいな店ばっかやったし。社長さん、いつもこんなとこで遊んでるんですね。最近は減って2日に1回とか言ってたが・・・。
中間発表→忘年会→新地、
大人の階段のーぼるぅ♪ な一日でした。
2005/12/09
ベンチャー魂
今日はベンチャーに関する講演会に行ってきた。とても有意義だった。
東京の友人から紹介があった、その名も「関西だってベンチャーできるぞ!」プロジェクト。
主催は関西学研都市知的クラスターという、いわゆる京阪奈地域の学術的な結びつきと向上を元に同志社や奈良先端大等が中心に発足した機関。
僕はただ単に講演会をしてくれるスタンフォード(コンピューター・サイエンス学科)のエドワード・ファイゲンバウム教授の話を聞きたかっただけ。彼はシリコンバレーでは3社のベンチャー創設等で名が知られて、コンピューター界のノーベル賞と言われるACMチューリング賞を携えておられる方。どんな人なのか、どんな話を聞けるのか気にならない訳はない。まぁ御年70歳という事でなかなかのおじいさんです。
他にもシリコンバレーから来られたFirst Compass Groupジェネラルパートナー等を務める外村仁さんがオーガナイザーとなり、関西で実際にベンチャーを立ち上げている起業家6人のパネルディスカッション等があった。
ファイゲンバウム氏の講演では、日本及び関西でベンチャーが育ちにくい理由を、シリコンバレーとの比較により論じていた。
また企業が勝っていくための要素として、ファイゲンバウム氏は一貫してINNOVATION、革新を強調していた。ソニーを例にとって、企業組織の肥大化が革新のスピードを遅らせ、グローバル競争に勝てなくなっている事を話したり等など。
聞いていると、大企業組織に入るのが鬱になるような事もボンボン出て来る。新入社員として意気揚揚と入社した人間が、組織に埋もれ、例え部長クラスになったとしても若い頃の熱いハートが消えている・・・と。彼は一般論をしているわけであって、この事に関して反発する必要はないが若干の不安は生ずる。
結局、ベンチャーがイノベーションを起こすのに最適だという風に繋がる。で、そのベンチャーが成り立つための要素として制度面、ベンチャーキャピタルの存在、失敗を成功にするカルチャーの変更など等を指摘していた。
全プログラムが終了した後、懇親会があるというのでせっかくなので出てみた。無料やったし(笑)
せっかく出たので、ファイゲンバウム先生に話したいなと思う。英語オンリーという事もあるのか、あまり多くの人ががっついていないのでがっついてみた。
自分が来年からベンチャーと極にあると考えられるいわゆる大きい組織を持つ企業で働く上で、その後、起業に結びつけるとしたらどのようなアプローチがあるのかを聞いた。
僕自身、これからのキャリアビジョンで起業という選択肢を消去する訳ではないし、チャンスがあればその時のタイミングでチャレンジしてみるのも悪くないと今現在は思っている。そこで、短期的には来年4月からいわゆる大企業に入って、そこからどういう意識で3年を過ごすか、どれほどアンテナを張り巡らす事ができるのか、この点が重要だと外村さんもファイゲンバウム先生も伝えてくれた。もう少し具体的に事も話してくれたが、なんか僕がまだ入ってもないのに早くも会社辞める気満々な奴みたいなので控えておく。
後は、急速に世界規模で情報化が進む上で先進諸国と後進諸国とのinformation gapの是正に関しての意見を求めたところ、この答えに関してはかなり難しいので、これを専門にして2005年Honda Foundation Prizeを受賞しているカーネギーメロン大のProfessor Raj Reddy の文献やWEBでも漁ってくれと言っていたので、ちょっとチェックしてみようと思う。
他にも松下や関電に属しながらベンチャーを考えている方々とお話する事ができて、これから自分が企業に入り、どのような意識で過ごしていくかを考える良い機会になった。
東京の友人から紹介があった、その名も「関西だってベンチャーできるぞ!」プロジェクト。
主催は関西学研都市知的クラスターという、いわゆる京阪奈地域の学術的な結びつきと向上を元に同志社や奈良先端大等が中心に発足した機関。
僕はただ単に講演会をしてくれるスタンフォード(コンピューター・サイエンス学科)のエドワード・ファイゲンバウム教授の話を聞きたかっただけ。彼はシリコンバレーでは3社のベンチャー創設等で名が知られて、コンピューター界のノーベル賞と言われるACMチューリング賞を携えておられる方。どんな人なのか、どんな話を聞けるのか気にならない訳はない。まぁ御年70歳という事でなかなかのおじいさんです。
他にもシリコンバレーから来られたFirst Compass Groupジェネラルパートナー等を務める外村仁さんがオーガナイザーとなり、関西で実際にベンチャーを立ち上げている起業家6人のパネルディスカッション等があった。
ファイゲンバウム氏の講演では、日本及び関西でベンチャーが育ちにくい理由を、シリコンバレーとの比較により論じていた。
また企業が勝っていくための要素として、ファイゲンバウム氏は一貫してINNOVATION、革新を強調していた。ソニーを例にとって、企業組織の肥大化が革新のスピードを遅らせ、グローバル競争に勝てなくなっている事を話したり等など。
聞いていると、大企業組織に入るのが鬱になるような事もボンボン出て来る。新入社員として意気揚揚と入社した人間が、組織に埋もれ、例え部長クラスになったとしても若い頃の熱いハートが消えている・・・と。彼は一般論をしているわけであって、この事に関して反発する必要はないが若干の不安は生ずる。
結局、ベンチャーがイノベーションを起こすのに最適だという風に繋がる。で、そのベンチャーが成り立つための要素として制度面、ベンチャーキャピタルの存在、失敗を成功にするカルチャーの変更など等を指摘していた。
全プログラムが終了した後、懇親会があるというのでせっかくなので出てみた。無料やったし(笑)
せっかく出たので、ファイゲンバウム先生に話したいなと思う。英語オンリーという事もあるのか、あまり多くの人ががっついていないのでがっついてみた。
自分が来年からベンチャーと極にあると考えられるいわゆる大きい組織を持つ企業で働く上で、その後、起業に結びつけるとしたらどのようなアプローチがあるのかを聞いた。
僕自身、これからのキャリアビジョンで起業という選択肢を消去する訳ではないし、チャンスがあればその時のタイミングでチャレンジしてみるのも悪くないと今現在は思っている。そこで、短期的には来年4月からいわゆる大企業に入って、そこからどういう意識で3年を過ごすか、どれほどアンテナを張り巡らす事ができるのか、この点が重要だと外村さんもファイゲンバウム先生も伝えてくれた。もう少し具体的に事も話してくれたが、なんか僕がまだ入ってもないのに早くも会社辞める気満々な奴みたいなので控えておく。
後は、急速に世界規模で情報化が進む上で先進諸国と後進諸国とのinformation gapの是正に関しての意見を求めたところ、この答えに関してはかなり難しいので、これを専門にして2005年Honda Foundation Prizeを受賞しているカーネギーメロン大のProfessor Raj Reddy の文献やWEBでも漁ってくれと言っていたので、ちょっとチェックしてみようと思う。
他にも松下や関電に属しながらベンチャーを考えている方々とお話する事ができて、これから自分が企業に入り、どのような意識で過ごしていくかを考える良い機会になった。
2005/12/03
ラーメン屋の本気度
昨日、研究室の帰りに一緒に帰っていたMっち(研究室仲間)と思い立って上新庄駅の近くにある天神旗というラーメン屋に行って来た。名前に天神とついている事からも博多系の豚骨ラーメンなのは想像できるでしょう。
そこに7,8回は行った事があるくらいそこのラーメンが好きだ。関西でも結構色んなラーメン屋に行ってるが、そこのラーメン屋の本気度はかなり高い。その本気度と比例して味もかなり本気。まず、入った時に豚骨の臭みが鼻につく。とりあえずその時点でむぅりぃな人もいるかと。
豚骨ラーメンは好き嫌いがあると思うが、本気のラーメンを食べたいと思う人は行ってみたらいいと思う。大将のあの目つきは本物や。ほんまにええ仕事してる目つきでラーメンを作ってくれている。かといって愛想が悪いわけじゃない。ラーメンをみて、客をみて、ラーメンをみて、客をみて、奥から自分の店を常に把握している。かといってその視線を客は感じる事はない。俺がこそっと、客を観察して本気でラーメンやってる大将を観察してただけ。
ここのラーメンを注文する際の注意。ラーメンは大まかに塩とんこつと醤油とんこつがある。これはまぁそれほど大差なく、醤油とんこつの方がチャーシューに醤油味がきいてるなくらいの印象。
ここからが肝心、老と若というとんこつの濃さの違いも選ぶのだが、ここでややあっさりと書かれている若を選ぶと負け。勝ち負けとかじゃないけど、この店に来るならやっぱ本家本元の老を頼んでできるだけこってりして帰るべきだと思う。一回、若を食べてかなり後悔してしまったのだ。若を食べるのなら同系統の一風堂とかで普通に食べる方がいいかと。
実はその日の昼にもひょんな事でふうりんという東灘にあるラーメン屋に行った。朝から以前の追突事故の関係で東灘警察に行く用事があったので。天神旗に行ったMっちプラスKZさんの3人で、KZさんリコメンのふうりんへ。まぁ3人とも事故の被害者なんで警察署に行ったついでに。
ふうりん・・・。KZさんあれはないわぁ。うそうそ。ないわぁってことはないね普通においしいよ。でも普通過ぎるし、本気度が低いっしょ。
てか、財布見つかってよかったね。結局自分んとこのトイレでとか、それが一番ないぅわぁ。
結局最近、自分なりのラーメン屋を選ぶ基準って大将(もしくはラーメンを作っている人)の本気度かなーと思う。その本気具合が店内や店員や、もちろん味にも影響を与えているような気がする。
そこに7,8回は行った事があるくらいそこのラーメンが好きだ。関西でも結構色んなラーメン屋に行ってるが、そこのラーメン屋の本気度はかなり高い。その本気度と比例して味もかなり本気。まず、入った時に豚骨の臭みが鼻につく。とりあえずその時点でむぅりぃな人もいるかと。
豚骨ラーメンは好き嫌いがあると思うが、本気のラーメンを食べたいと思う人は行ってみたらいいと思う。大将のあの目つきは本物や。ほんまにええ仕事してる目つきでラーメンを作ってくれている。かといって愛想が悪いわけじゃない。ラーメンをみて、客をみて、ラーメンをみて、客をみて、奥から自分の店を常に把握している。かといってその視線を客は感じる事はない。俺がこそっと、客を観察して本気でラーメンやってる大将を観察してただけ。
ここのラーメンを注文する際の注意。ラーメンは大まかに塩とんこつと醤油とんこつがある。これはまぁそれほど大差なく、醤油とんこつの方がチャーシューに醤油味がきいてるなくらいの印象。
ここからが肝心、老と若というとんこつの濃さの違いも選ぶのだが、ここでややあっさりと書かれている若を選ぶと負け。勝ち負けとかじゃないけど、この店に来るならやっぱ本家本元の老を頼んでできるだけこってりして帰るべきだと思う。一回、若を食べてかなり後悔してしまったのだ。若を食べるのなら同系統の一風堂とかで普通に食べる方がいいかと。
実はその日の昼にもひょんな事でふうりんという東灘にあるラーメン屋に行った。朝から以前の追突事故の関係で東灘警察に行く用事があったので。天神旗に行ったMっちプラスKZさんの3人で、KZさんリコメンのふうりんへ。まぁ3人とも事故の被害者なんで警察署に行ったついでに。
ふうりん・・・。KZさんあれはないわぁ。うそうそ。ないわぁってことはないね普通においしいよ。でも普通過ぎるし、本気度が低いっしょ。
てか、財布見つかってよかったね。結局自分んとこのトイレでとか、それが一番ないぅわぁ。
結局最近、自分なりのラーメン屋を選ぶ基準って大将(もしくはラーメンを作っている人)の本気度かなーと思う。その本気具合が店内や店員や、もちろん味にも影響を与えているような気がする。
2005/11/30
香港2003
何気にPCに入れてあるスキャン済みの写真を整理をしてたら、2年前にインドからの帰りにストップオーバーして3日間ほど立ち寄った香港の写真がでてきた。どうせだから、Photo albumに追加しておこうと思う。さっさと南米やらの写真をスキャンしてUPしたいのだが・・・。
基本まだアナログで撮って、現像→プリントのパターンなのでPCに入れるにはスキャンが必要になる。ネガスキャナーを欲しいのだが、友人曰く紙をスキャンするよりも解像度は高くないらしい。その友人は店に出してネガをデジタル化してもらっているらしい。最近はスキャンしてPCに取り込んだ写真をフォトショップでいじったりするのが楽しくなってきてるので、アナログからデジタルへの質的満足が得られて且つ迅速なやり方を模索中。
基本まだアナログで撮って、現像→プリントのパターンなのでPCに入れるにはスキャンが必要になる。ネガスキャナーを欲しいのだが、友人曰く紙をスキャンするよりも解像度は高くないらしい。その友人は店に出してネガをデジタル化してもらっているらしい。最近はスキャンしてPCに取り込んだ写真をフォトショップでいじったりするのが楽しくなってきてるので、アナログからデジタルへの質的満足が得られて且つ迅速なやり方を模索中。
2005/11/28
Tanguera



タイトル『 Tanguera 』
学祭で展示してた、モノクロの組写真。
これはタイトルの通りTangueraにちなんだ写真。今年の9月17日、アルゼンチン・ブエノスアイレスにて。Tangueraとはタンゴにミュージカルの要素を加味したもの。そのTangueraが催されていた建物や入り口を撮影したもの。
タンゴはサッカーで有名Boca Juniorの本拠地でもあるLa Boca地域が発祥になっている。そこは港近くのエリアで、港運などに従事する多くの労働者が暮らしている地域。タンゴは男と女がセットで踊る事をイメージするが、初期は労働者の男達だけで踊っていたらしい。その辺のうんちくは一緒にこれを見に行った、若干日本語ができるメキシコ人の方が教えてくれた。そのメキシコの方はメキシコの民族音楽のミュージシャンらしいが、あんましオーラなかった(すんません)。で、彼が若干日本語ができた理由は、日本に雅楽を学ぶため奈良県・天理市に住んでいたかららしい。これは余談。
Tangueraの幕開けとともにブエノスアイレス港をイメージしたセットで男達だけのタンゴがはじまる。それからは男女混合系のタンゴが主流にミュージカルが進行していく。内容はブエノスアイレス港に降り立った美女をものにしようと、労働者の男とマフィアのボスが取り合う。要するに女の取り合い!非常にシンプル。で、基本的にタンゴ・タンゴ♪で進んでいく。めーっちゃ良かった。めちゃくちゃ感動したのを覚えている。。
ブエノスアイレスはイタリア・ジェノバと古くから交易があり(母を訪ねて三千里のマルコがジェノバからブエノスアイレスを目指していた事からもわかる)、その影響もあってか街のセンスが自分が行った南米の街の中でも格段に良かった。というか歩いている人のセンスが良かった。南米のパリと言われるくらいやし。ペルー・チチカカ湖で会ったパリっ子もブエノスアイレスはお気に入りやったらしく、「欧州にいるみたいでよかった。」とか言ってなー。
僕自身ブエノスアイレスは非常に良い印象を持っている。街は綺麗し、何よりも物価が安い!ベテランウェイターがいるような歴史あるステーキ屋(名前はpippoだった)で、子牛の柔らかめのステーキ食って、メンドーサ産のワイン飲んで等しても1200円くらいやったような気がする。治安に関しても夜中に出歩いても全く危険な感じがしなかった。むしろ週末は朝方まで外がうるさいくらい賑わっていた。もちろん地域的な差はあると思うが。何しかブエノスアイレスはよかった。是非おすすめします。
2005/11/20
実質と名目
今日は久しぶりに日曜に研究室に行き研究に励んだ(?)。が、実質と名目という言葉にやきもきさせられた。
最近、研究に関連して東アジア諸国(中国、韓国、台湾、香港)の経済指標を扱っている。中国は省単位で。いわゆるGDP(国内総生産)とかCPI(消費者物価指数)とかです。こういう経済指標ってやたらと定義も曖昧で、年度毎に定義が変わっている事もある。日本でも今は一般的に国の成長力を表す指標としてGDP(国内総生産)が使われているけど、一昔前まではGNP(国民総生産)が使われていた。
GNPは日本国籍の者が生産する分しか計上されないので、外国人が日本で生産してもGNPには反映されない。GDPは日本国内で生産される分は外国人労働者や外資企業であれ反映される。今後、国内に外国人労働者や外資への企業誘致が進むのなら、GDPの方が日本の成長力を表面化してくれるんだろうと考える。まぁ統計の国際基準に合わすという意味でも今はGDPにしてると思うんだが。
それはそうと、GDP含む経済指標値は中々統一したものを提供してくれない。IMFやら世銀やら各国の統計機関で出された値を比較して扱うようにしているのだが、名目ならまだしも実質になると相当ばらつきがある。名目GDPはその年に計上された値をそのまま示しているのだが、実質GDPはインフレ率や為替レート等を考慮してある年を基準とした値として算出している。
その国の経済成長を時系列的に把握する場合、実質GDPをみる方が理解しやすいが、その値を出している機関によってばらつきがあるのでかなり困惑してしまう。それも結構な違いもあるので、機関毎にどのように集計・算出されているか確認しておかないと結果がきちんと出てもなーんかしっくりこないように思うからだ。かといって前に進まないのも困る。んーー。
最近、研究に関連して東アジア諸国(中国、韓国、台湾、香港)の経済指標を扱っている。中国は省単位で。いわゆるGDP(国内総生産)とかCPI(消費者物価指数)とかです。こういう経済指標ってやたらと定義も曖昧で、年度毎に定義が変わっている事もある。日本でも今は一般的に国の成長力を表す指標としてGDP(国内総生産)が使われているけど、一昔前まではGNP(国民総生産)が使われていた。
GNPは日本国籍の者が生産する分しか計上されないので、外国人が日本で生産してもGNPには反映されない。GDPは日本国内で生産される分は外国人労働者や外資企業であれ反映される。今後、国内に外国人労働者や外資への企業誘致が進むのなら、GDPの方が日本の成長力を表面化してくれるんだろうと考える。まぁ統計の国際基準に合わすという意味でも今はGDPにしてると思うんだが。
それはそうと、GDP含む経済指標値は中々統一したものを提供してくれない。IMFやら世銀やら各国の統計機関で出された値を比較して扱うようにしているのだが、名目ならまだしも実質になると相当ばらつきがある。名目GDPはその年に計上された値をそのまま示しているのだが、実質GDPはインフレ率や為替レート等を考慮してある年を基準とした値として算出している。
その国の経済成長を時系列的に把握する場合、実質GDPをみる方が理解しやすいが、その値を出している機関によってばらつきがあるのでかなり困惑してしまう。それも結構な違いもあるので、機関毎にどのように集計・算出されているか確認しておかないと結果がきちんと出てもなーんかしっくりこないように思うからだ。かといって前に進まないのも困る。んーー。
2005/11/18
カラー2枚目@写真展

学祭写真展に展示したカラー2枚目。
タイトル 『 Poppin' 』
この写真はボリビアのCopacabana(ブラジルにもイパネマとならぶ有名ビーチとして知られるコパカバーナとは異なる)というチチカカ湖沿いの街にて。標高は3000m以上はあったと思う。ペルーのPUNOから国境を通過しボリビアに入った時、ラパスへのバスに乗り継ぐために3時間ほど立ち寄った所。
街自体道路の石が白く、それに燦々と降り注ぐ太陽の光が街の白さに拍車をかけていた。街中から坂を下る際、少し遠くに望むチチカカ湖の青さと街の白が妙に調和して非常に美しかった。街の白さが軒に並べられている色々をさらにカラフルにみせる。その光景に思わず目と足が止まりシャッターを切る。その袋の中身は普通のポップコーン☆
2005/11/14
写真展@学祭

昨日、一昨日と学生最後の学園祭があり、部で写真を展示していた。モノクロの3枚(組写真)とカラー3枚(それぞれ単作品)を出展した。久々の友達やら内定先の友達やら、研究室の仲間やら多くの人が自分の作品を観にきてくれた。色んな会話を楽しめてとても良い最後の学祭だった。学部三年くらいから学祭の楽しみ方は人と会うことが重点的になったような気がするなぁ。結構写真の方も評判がよろしかったようです。
カラー一枚目
タイトル 「 Horizon at DAWN 」
これは今年8月末、南米に行く際の飛行機の中から撮ったもの。トロント→リマ間の飛行中、南米大陸に入った時くらいに朝、陽が昇りきろうとする瞬間を捉えた作品。最初窓の外を見たとき、視界に広がる自然現象が理解できないくらい幻想的な光景が広がっていた。陽が完全に上ってしまって雲海に朝日が満ちる前にどうしてもこの自然現象の中に生まれる幾何学性を切り取りとっておきたかった。飛行機の中を歩き回って、数十カットは撮ったと思う。若干周りの目には怪しく映ったかもしれないが、そんな事、お構いなし。撮らずに悔やむより、撮って悔やむほうがいい。旅先では大抵こんな事を考えながら、自分を動機付ける。こうしてできた作品が上の写真。
2005/11/07
初おかまほられたー
ええ、本日初の交通事故に遭いました。
ええ、夜6時10分頃、43号線の神戸市東灘区辺りで信号待ちで止まった瞬間、後ろから乗用車に追突されました。結構な衝撃で。
研究室の友達3人で神戸から大阪に向かうところでした。家の車で僕が運転してたので、色々手続きが要って大変でしたわ。警察やら何やらで。まぁ相手が100%悪い形で収束してるんでこっちのマイナスには一切ならないんやけど、色々時間的なものや手続きが面倒くさい。とりあえずは無事なのですが、病院にいって一番被害の可能性が高い友人の診断をして我が家に戻ってきました。といっても、事故後は右後ろのタイヤがバンパーに挟まれて動かん状態だったが、車運ぶ気満々のJAFのおじさんが何とか応急措置を施してくれました。
まぁ相手側とは紳士的にやりとりしようと思うし、この際に損保の方も実体験をもとに勉強できるかなと。こんなポジティブシンキングです。
詳細はまた後日。アドバイスあれば誰か教えてね。
ええ、夜6時10分頃、43号線の神戸市東灘区辺りで信号待ちで止まった瞬間、後ろから乗用車に追突されました。結構な衝撃で。
研究室の友達3人で神戸から大阪に向かうところでした。家の車で僕が運転してたので、色々手続きが要って大変でしたわ。警察やら何やらで。まぁ相手が100%悪い形で収束してるんでこっちのマイナスには一切ならないんやけど、色々時間的なものや手続きが面倒くさい。とりあえずは無事なのですが、病院にいって一番被害の可能性が高い友人の診断をして我が家に戻ってきました。といっても、事故後は右後ろのタイヤがバンパーに挟まれて動かん状態だったが、車運ぶ気満々のJAFのおじさんが何とか応急措置を施してくれました。
まぁ相手側とは紳士的にやりとりしようと思うし、この際に損保の方も実体験をもとに勉強できるかなと。こんなポジティブシンキングです。
詳細はまた後日。アドバイスあれば誰か教えてね。
2005/10/30
記録的な写真より旅を振り返る



学祭ではカラー作品を出そうと考えているが、モノクロに関しても年度末に計画している展覧会との兼ね合いも考えて作品化していこうかと。
ここでは記録的な写真(まぁただの旅行写真やけど)として、2005年9月1日南米最初の訪問地リマのホステル、Flying Dog Backpackersで出会ったファンキーなやつら。イギリス、スイス、カナダ、オーストラリア、イタリア、ドイツ、スペイン、フィンランド、地元のペルーGUYS。ほんと色んな所から来てるなーと思った。だいたい自分と同年代。
旅のはじまりとして、とても良い時間を過ごした。だれかれともなく酒を飲もうという話になって、皆が乗り気。少なくとも南米に旅に来ているというだけで、かなり大きな共通点。話題はいくらでもある。お互いの旅に関して興味があるし、他国のことについても興味がある。また、政情不安定なボリビア等の国家状況を実際に行った人の生の情報を得る事ができる。実際に外務省が出している海外安全情報等はリスクが強調されすぎている感があるし、その部分だけ見ると誰でも恐怖感が先行してしまう。しかしその情報は大変参考になるのも事実。現にボリビア南部でデモによる道路封鎖も見事に体験した。その時は外務省の情報にあったなと思い、状況の理解は早かったが、それでも誰一人観光客がいない状況では結構焦った。現地の旅行者と仲良くなっていたからなんとか彼らのサポートで抜けきる事ができた(過去の記事3段落目参照)。
僕自身当初はボリビアに行く予定はなく、このパーティで話したドイツからの女性の話を聞いてボリビア行くかもーって思った。話してくれたボリビアの話は特に良い事ではなかったが、未知数の多い国が明らかになっていく事で興味が増していくのを感じた。旅中はこのようにリアルな話を自分に蓄積し、その中から自分の考えとすり合わせながら行く先を決めていたように思う。まぁこの夜はかなり酔っ払っていたので、あまりどんな事を話していたか忘れたが、かなり楽しかったという記憶だけはある。
皆に他の写真含め添付メールしてあげよう思う。
2005/10/29
暗室にて
先日修士論文の中間発表があり、それまでは結構バタバタしていたように思うが、ある先生からお褒めの言葉を頂くなどいい形で終える事ができたので、さらにやる気アップで次のステップに進めそう。
という事で研究に対するやる気はあるとは言いつつも、節目の後はゆとりを持ちたいので昨日の晩から暗室に篭って写真を焼く事にした。結局寝る間も含めて今日の夕方まで部室に居た。合計8時間くらい暗室に篭っていたと思う。焼いたのは南米のモノクロ。ネガ現像は帰国後すぐにやっていたので今回はプリントのみ。今回の南米旅行でモノクロは14本撮っており、一日やそこらでネガの段階で印象的なもの全てをプリントする事は不可能と思っていたので、旅中に知り合った人へ送るものを優先的にプリントした。
視界が黒98%赤2%の暗室で印画紙に像を焼き付けて、現像液に浸し、像が浮かび上がってくるのを眺めていると同時に、その像の時空間を存在していた自分の五感が蘇ってくる。完全に定着させ、作品として出来上がったものから受ける記憶の回復よりも、プリント最中の方が鮮明に当時の五感を復元することができる。なぜだかわからないが、あのほぼ真っ暗な空間(暗室)で水洗の音と調和してリラックスした音楽を耳に入れ、プリントの完成を願いながら印画紙を現像液に浸している最中に、当時を思い出したいという自身のプログラムが本能的に始動しているからかもしれない。プリント作業への集中力が高まっている時間だと思う(ちなみに昨日最高に集中できた曲はWalts for Debby/Bill Evans Trio)。
正直、暗室から出て六甲の山を下るとき、素晴らしくいい景色に毎回感動しながらも、テスト後のような何か物凄く集中した後の感覚がある。今回もそうだった。
ともあれ、今回の旅ではいい感じのモノクロ作品がたくさんできそう。そんな気がする。ネガも良い状態で仕上がってるので、プリントで色々ためす事ができそうや。
という事で研究に対するやる気はあるとは言いつつも、節目の後はゆとりを持ちたいので昨日の晩から暗室に篭って写真を焼く事にした。結局寝る間も含めて今日の夕方まで部室に居た。合計8時間くらい暗室に篭っていたと思う。焼いたのは南米のモノクロ。ネガ現像は帰国後すぐにやっていたので今回はプリントのみ。今回の南米旅行でモノクロは14本撮っており、一日やそこらでネガの段階で印象的なもの全てをプリントする事は不可能と思っていたので、旅中に知り合った人へ送るものを優先的にプリントした。
視界が黒98%赤2%の暗室で印画紙に像を焼き付けて、現像液に浸し、像が浮かび上がってくるのを眺めていると同時に、その像の時空間を存在していた自分の五感が蘇ってくる。完全に定着させ、作品として出来上がったものから受ける記憶の回復よりも、プリント最中の方が鮮明に当時の五感を復元することができる。なぜだかわからないが、あのほぼ真っ暗な空間(暗室)で水洗の音と調和してリラックスした音楽を耳に入れ、プリントの完成を願いながら印画紙を現像液に浸している最中に、当時を思い出したいという自身のプログラムが本能的に始動しているからかもしれない。プリント作業への集中力が高まっている時間だと思う(ちなみに昨日最高に集中できた曲はWalts for Debby/Bill Evans Trio)。
正直、暗室から出て六甲の山を下るとき、素晴らしくいい景色に毎回感動しながらも、テスト後のような何か物凄く集中した後の感覚がある。今回もそうだった。
ともあれ、今回の旅ではいい感じのモノクロ作品がたくさんできそう。そんな気がする。ネガも良い状態で仕上がってるので、プリントで色々ためす事ができそうや。
2005/10/16
写真『ウユニ塩湖』



2005年9月11日、今から一ヶ月程前、写真にあるボリビアのウユニ塩湖(salar de Uyuni)に僕は居た。そこは標高3600mにあり、琵琶湖の約12倍の面積で一面が塩の湖。塩の湖と聞くと、中東にある死海をイメージする人も居るかと思われるが、水分はなく塩オンリーの砂漠だ。スキー場の雪が全て塩になった感じ。なので、昼夜の気温差は激しくおそらく僕の感覚では昼間は15度くらいあり、夜は0度近く(もしくはそれ以下)になってるんじゃないかと思うくらい寒い。
というのもラパスからウユニに来る途中のバス(ラパスからウユニまで約9時間)ではこの塩湖辺りをを通っていたとき窓が完全に凍っていたし、半端なく寒くて泣きそうだった。そのバスは道なき道を進み、短いアップダウン(しょぼいジェットコースターくらい)を繰り返し、おまけに暖房はなしで、バス内で空気を吸うと必ず咳き込んでしまうくらい煙だらけでかなりきつかった。このようにボリビア南部のバス事情はひどかった。ラパスからウユニに向かう旅行者は多いはずで、バスの行き来も盛んだ。でもラパス?ウユニ間(特にOruro?Uyuni間)の道路事情はよろしくなかった。ボリビアの国家レベルを実感する機会になる。
ウユニの塩湖にはウユニの街でツアーに申し込む必要がある。街には30くらいの旅行代理店があり、どの店でもツアーの相場が決められている。利用するのは大半が外国人旅行者なので、高い価格が設定されている。とりあえずラパスの日本人学生からの情報を元に、旅行代理店を選定し1泊2日のツアーに申し込んだ。ウユニ塩湖の真ん中にある塩のホテルに泊まりたかったので、そのプランを用意してある旅行代理店を選んだ。交通費やホテル宿泊料を含めて40US$。4WDじゃないと塩湖を移動することは難しいし、個人で手配する事も難しいのでこのツアー料金で納得するしかない。この値段は非常に高い。なぜならボリビアでは3US$(バックパッカーのドミトリー部屋)で一泊できるし、食事も2US$でできる。ちなみにバーガーキングのセットは15Boliviano(約2US$)。これは現地の人にとってはカジュアルではないと思う。
写真に映っている風景はウユニ塩湖にあるHotel Playa Blancaという塩のホテルの近くで撮ったもの。一面が塩の風景に最初ショックを受けた。何度も塩を採ってなめたがやっぱり塩で、それが琵琶湖の12倍て。もちろんその塩を売り物にしている訳で、その塩の値段を聞いたのだが40tトラック一台積んでいくらと思います??
40Bolivianoです。500円です!!!40000kgの塩が500円です。やばくないですかい?
このウユニ塩湖で赤穂の塩ブランドは高く売れるのでしょうか。
そのホテルプラヤブランカ。ホテルと名がついてるだけで、普通にイメージするホテルと思ってはいけません。そのとき泊まってたのは僕一人。ガソリンで発電してるだけなので、夜になると燃料節約のためろうそくの灯りのみ。風呂なんぞ当然なし。便所はあるが流れない。ホテルで一家族(写真の子供達はその家族)が住んで運営しているが、夜7時になると自分達の部屋に入ってしまう。夜は気温が下がるし、吹雪くが、星がすさまじいほど綺麗。天の川に手が届きそうな感じ。かな。
その夜、ろうそくの灯りで本(たぶんモーターサイクルダイアリーズ)を読んで、電気の大切さを感じる。そこから派生して自分が置かれている恵まれた環境を思ってしまう。最初は電気がない事にとてもストレスに感じたが、自分の常識というものを改めて考える機会になった。自分が思う常識から外れるとストレスを感じるが、塩湖のど真ん中に身を置き冷静に考えてみる。「この場所で住むひとつの家族がいる。彼らは必要以外電気をもたず、夜になると眠る生活を送っている。彼らにはそれが常識。こうして地球の裏側に生きている人がいる。僕の常識なんて世界的にみると全然非常識なんだ。」と考えていると、ろうそくの灯りがやたらと明るく感じて貴重に思った。ろうそくの灯りがレトロで格好良くみえた。その灯りの元での読書はその本の言葉以上のものをインプットしたように思う。
本来人間は保守的で、変化を嫌う生き物なのかな、と。でも変化が訪れた時、その変化を自分なりに解釈し吸収する事により新たな価値観が芽生え、成長していけるのかな等考えていたんだろう。
2005/10/09
少しアートな@東京
先日東京に行った際、少しアートな日を過ごした。
現在六本木ヒルズで開催中の杉本博司写真展に行ってきた。これはホント行って良かった。規模も大きく2時間半くらい会場に居たと思う。最近BRUTUSでも彼の特集されてましたな。
写真展というか、会場自体が写真との調和を考えて作家自体が構想されたもので、空間自体面白い。それまで杉本博司に関しては建築物をピンボケで撮影した作品群しかしらなかったのだが、今回会場を去るときにはこんなにも奥の深い偉大な写真家だったのだという印象を持った。と同時に写真に対しても色々考えさせられる事があった。特にコンセプトの大切さを改めて感じさせられた。
リンク先の一面、会場の最初の一枚でもある彼の劇場を撮った作品に関して、最初観た際は大判で撮影して黒も締まって非常に美しい作品だなくらいの印象しかなかった。しかし、彼のコンセプトは映画を一本丸ごと撮影するというものだった。映画一本分(約2時間)シャッターを開き放しで、結果的にできた写真はスクリーンの光が強すぎて観客等の姿は消し去られた理想的なものだと言う。長時間露光をする上で適正露出のもと作品を完成させるには、多くの時間を費やしたと思うし、彼がこの展覧会全体で表現しようとしている時間というコンセプトとも通じている。他にもまだまだ面白いコンセプトと写真技術を元にした作品が多く展示されてあった。建築物のピンボケ写真のコンセプトに関しても建築家が持つ設計前段階の構想をイメージしたそうだが、このような一貫したコンセプトで長期間、継続的に撮りつづけている彼の姿勢に作品を通じて感銘を受けた。
僕のように杉本博司をほとんど知らない、または知らない人でも会場では丁寧に彼のコンセプトが文章で書かれているので、写真(モノクロ)の美しさ面白さを感じ取れると思う。
後、MOLESKIN EXHIBITIONにも行ってきた。これは青山ブックセンター等の少しのスペースで無料で行われているもので、イラストレーターやデザイナーなどが各々のセンスでMOLESKINに描写等した作品が展示されている。僕が行った青山ブックセンター本店ではクリスチャン・ラクロワ等の作品があった。
現在六本木ヒルズで開催中の杉本博司写真展に行ってきた。これはホント行って良かった。規模も大きく2時間半くらい会場に居たと思う。最近BRUTUSでも彼の特集されてましたな。
写真展というか、会場自体が写真との調和を考えて作家自体が構想されたもので、空間自体面白い。それまで杉本博司に関しては建築物をピンボケで撮影した作品群しかしらなかったのだが、今回会場を去るときにはこんなにも奥の深い偉大な写真家だったのだという印象を持った。と同時に写真に対しても色々考えさせられる事があった。特にコンセプトの大切さを改めて感じさせられた。
リンク先の一面、会場の最初の一枚でもある彼の劇場を撮った作品に関して、最初観た際は大判で撮影して黒も締まって非常に美しい作品だなくらいの印象しかなかった。しかし、彼のコンセプトは映画を一本丸ごと撮影するというものだった。映画一本分(約2時間)シャッターを開き放しで、結果的にできた写真はスクリーンの光が強すぎて観客等の姿は消し去られた理想的なものだと言う。長時間露光をする上で適正露出のもと作品を完成させるには、多くの時間を費やしたと思うし、彼がこの展覧会全体で表現しようとしている時間というコンセプトとも通じている。他にもまだまだ面白いコンセプトと写真技術を元にした作品が多く展示されてあった。建築物のピンボケ写真のコンセプトに関しても建築家が持つ設計前段階の構想をイメージしたそうだが、このような一貫したコンセプトで長期間、継続的に撮りつづけている彼の姿勢に作品を通じて感銘を受けた。
僕のように杉本博司をほとんど知らない、または知らない人でも会場では丁寧に彼のコンセプトが文章で書かれているので、写真(モノクロ)の美しさ面白さを感じ取れると思う。
後、MOLESKIN EXHIBITIONにも行ってきた。これは青山ブックセンター等の少しのスペースで無料で行われているもので、イラストレーターやデザイナーなどが各々のセンスでMOLESKINに描写等した作品が展示されている。僕が行った青山ブックセンター本店ではクリスチャン・ラクロワ等の作品があった。
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