2005/10/04

ボリビアの道路封鎖デモ

 サンパウロは南米旅行の終着点でその間のスケジュールは非常に不確定。ボリビア・ポトシ(POTOSHI)からアルゼンチン・ブエノスアイレスに行く際、ボーダー通過手続き等も含め通常2日で行ける。

 が、ポトシ近辺で大雪のためバス内で12時間ストップ。チェーンという概念もありません、もちろんスタッドレスタイヤなんてものも存在しません。夜が明けてみると同じようにストップしていたバスがずらーっと列をなしていた。その先に見事に横転しているバスを発見。雪で足元を救われたのでしょう。そらそんなものを目の当たりにして、標高4000mの山道を走る事はできませんね。そして、その後順調に進んでいたかと思うとまたストップ。今度は何かと思うと、バス乗客が一斉に荷物を持ってバスを降りだす。仲良くなったボリビア人の青年2人が「VAMOS、VAMOS(バモース、バモース)」さぁ行こう、さぁ行こう。と言ってるので、訳もわからずとりあえず僕もバスを降り山道を歩き始める。
 すると同じように多くのバスから降りて歩き出す乗客いる。しかし、外国人旅行者(欧米系・アジア系)は全くいない。少し道から外れた所が青空トイレになって、多くの人がトイレをしている(ボリビアだけが僕が行った4ヶ国のうち唯一バスにトイレがなかった)。そういう光景を横目に歩いていると僕も腹が痛くなってきた・・・。その後進んで行くと何やら人がやたらと(50-80人くらい)集まっている個所がある。
 僕はその時「土砂崩れがあって、それにみんな野次馬してるんだな。」と予想した。その場所に近づくにつれて、何やら旗が見える、人が言い合っている、辺りの道路上に不自然にサボテンや茨等の痛い系植物、岩等が散在している。そう、それは道路封鎖だった。その封鎖の仕方がかなり原始的で少し笑ってしまった。そのような道路封鎖ポイントが3箇所くらいあり最終ラインは明らかに先住民系のおばちゃんで構成された人のブロックができあがっていた。彼女らの表情は憂いに満ちていて、とりあえず封鎖しとこうという惰性的なものに感じられた。

 ボリビアに入る前から政情不安という事は頭に入れており、デモや道路封鎖も頻繁にあると聞いていたが、実際どのような理由でどのような人がどのようにそれを行っているかを知りたかった。チリに行くのをやめてあえて政情不安による治安悪化のリスクが存在するボリビアに入ったのも、実際デモという形で自分達の考えを主張する行為の裏側にあるものを知りたかったし、五感を持ってそれを感じたかった。道路封鎖という手段でデモを行っていた人たちは間違いなく先住民族のインディオ系の方々だった。彼らが何を望むか、それは貧困からの脱出である。仮に共産主義体制を平等の体制と彼らが理解しているのなら、本当にそれを臨んでいるかもしれない。一説によるとそれは真だと聞く。道路封鎖の現場を撮影したがったが、撮れていても1、2枚だと思う(モノクロフィルムで撮ったのでまだ現像はしていない)。最終ラインのインディオのおばさん達が作り出しているブロックを通過した時には異様な雰囲気で、カメラを出して撮ったときの多少の危険性を感じたので撮影を控えた。何せ明らかな外国人旅行者は僕くらいだったから。そしてその先に同じバス会社のバスが待機しており、それに乗ってボリビアとアルゼンチンの国境の町VILLAZONへと向かった。バス会社としても道路封鎖を想定してる事がわかったので、頻繁に道路封鎖が起こっている事が理解できる。

 というような経験をしていると、簡単にサンパウロに辿りつけそうな気がしないのは理解できるでしょう(上記の経験は特にボリビアに限った事だが)。後、サンパウロ都市圏は1500万の人が住んでいる程の大都市で簡単に目的住所に辿り着けるとは思わないからだ。ましてやブラジルではほぼ英語は通じないし。

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