2006/09/27

社長・副社長・専務・常務の方々と

今日は仕事後、タイトルの方々(自分の会社の)とどっぷりと話す機会があった。
会社の企画で、アフターファイブに2時間くらい、社員60人と、社長・副社長・専務・常務(15人くらい)と立食形式で食事をしながら・ビールを飲みながらざっくばらんに話すというものだった。同期がだれも来ていなかったので、最初はやや緊張気味だった。

短時間に色んな人と話して、より会社の事が見えたというか、何か言葉にしにくい刺激というか。まぁただ役員の人らはかなり気さくな方々だったし、最終的な意思決定をしている方々と思ったらなんか、色々と参考にしたい(すべき)部分が見えたというか。まとめると貴重な経験だったわけだ。

最初だけテーブルに案内されて、そこには人事の常務が居られた。
通常でかい組織の中に居ると、課長やら部長やらというポジションがあるわけやけど、常務とか専務とか役員になるとそれはもう大分上の存在に思ってしまうのも事実な訳で(ましてや新入社員からすると)。学生の時は会社組織外から会社を見ており、メディアに出るのはたいてい役員な訳だから、結構身近に感じていたのだが・・・。 

最初はそんな事を考えてビビッていたが(ましてや人事だ)、徐々に普通に会話しているというか、色々と自分が入社してから思う事を含め必要最低限自分が話して、それに対する含蓄ある答えを吸収していた。結構ざっくりな方だったが、大局はきっちりと掴んで、部下をぐいぐい引っ張っていきそうな感じがした。色々と自分の業務に対するアドバイスも頂いた。

お次は社長。うぁっ出た。って感じ。6人くらいに囲まれていて、会場内ではやはり人気。生で見たのは初めてだったので、ちょっとだけ感動した。この方がこのくそでかい会社組織の長と思うと、ちょっと感動。話をしていた方々が気を使ってくれて、マンツーに近い形で色々と話をさせていただいた。
 社長はかなりざっくばらんとしていて、遊び心があって、何なんだろう、風貌含め児玉源太郎のような人だった。あくまでも自分の児玉源太郎像は「坂の上の雲」からで、将としての器量等を含め尊敬に値する一人です。
 社長の言葉の節々・表情から、柔軟な何か、深い何か、遊び心がある何か、この先を見据えたどっしりとした何かを感じた。
自分と同じ部署に10年間居られた経緯もあるという事だったので、業務の話を含め自分に対する貴重なアドバイスも頂いた。何か限りなく広い視点からのアドバイスだったので、今後もそれを忘れないでおこうと思う。要は専門性を持てという事。ゆるぎない何かを持てという事。

次はうちの部署の専務。
以前にもお会いした事があるが、スマートな感じで、ジェントルマンですな。

最後は副社長。
ビールを注ぎに行くと同時に完全にマンツーマン。自分も結構ビールがすすんでいたので、もう普通に接していた。やたらメディアで見たことがあったので、親近感あり。
自分が5連の時ベトナムの当社現地法人に行った話を踏まえて、ビジネスのローカライズの難しさ、今後さらにグローバルに展開していくためには、ビジネスのローカル化がより重要性を持つ事等について、一番くだけて話をさせて頂いた。 
副社長のポジションに居る事への率直な話も聞かせてもらって、より親近感を持てた。


はじめにも書いたが、この会を振り返ると、役員というポジションに居られる方々は形式上恐れ多い印象があるが、実際は総じて気さくな方々だった。自分が居る組織を率いている方々と接し、くだけた話しをする事で、でかい組織ではあっても、自分がその歯車ではなく主体的に仕事をできるモチベーションをもらう事ができたのではないかなと思う。要は組織を動かしている人がどんな人であるかを知る事で、会社に対してクリアーになることが多く、自分が置かれている立場の明確化に繋がったのかな。新人でも思い切って参加してよかった。

2006/09/15

ベトナム

 現在5連休を併せて10連休を満喫しているATSUYUKI@ベトナムです。11日からべトってます。結局社会人になっても汚らしい格好で一人旅をしています。なんか、ベトナムに来てやっと落ち着いたって気がしています。
 先週末に友人の結婚式で大阪に戻り、関空?ホーチミンと来て、ホーチミンの喧騒が若干嫌になって、今はダラット(DALAT)という、ホーチミンから東へ車で6時間程行った標高1500M程の街にいます。この街は中々良いです。仏の植民地時代から避暑地として有名で、街の中心には湖があり、湖畔沿いにカフェ、レストラン、ホテルが立ち並んでいる。今日はバイクをレンタルして街を散策していた。ホンダの50CCのカブ式だが、俺が大学の始めの頃乗っていたオンボロDAXと比べても相当性能が良いし、早い早い。デザインもスポーティでクール。ベトナムではバイクの免許も何も要らないから(50CCくらいは)、ノーヘルで快適に異国の地を飛ばしていた。ここは冷涼な土地とあり、郊外まで足を運ぶと高原野菜(主にキャベツ)の収穫風景を伺えた。農業の風景は日本のそれと大差はなく、遠く離れた土地でも同じような方法で栽培されて収穫されて、トラックに積まれていた。
 また、夕方の湖畔沿い、夕焼けが湖に映えてすごく美しい瞬間が街に存在する時、バイクや車(バイクが圧倒的に多い)で行き交う人々を見ながら、やはりここでも自分たちが住む国と大した違いはなく、異なるものは歴史、文化(言葉含む)、風土のようなものであり、本質的な人間の営みは変わらないんだと改めて思った。旅にでるといつも、日本の生活では感じることがない純粋な感性が蘇ってくる。こんな青くさい文章を普段の生活では恐らく書く勇気もないが、今は純粋に自分はこんな事を思っているのでしょう。上記異なるものとして、歴史を挙げたが、これが自分の中でひっかかり、その後色々と考えるきっかけとなった。

考えたこと。半ばメモ代わりにこのBLOGを使います。

1.なぜアメリカがベトナム戦争を引き起こしたのか。
2.ベトナム社会主義共和国とあるけど、本当に社会主義国家なのか。
3.今後世界中が市場経済に飲み込まれてしまうのではないか。



まず、
1.なぜアメリカがベトナム戦争を引き起こしたのか。

 この動機として、上記重複になるが11日にホーチミンに入り、メコンデルタツアーや各種戦争、歴史系博物館等を巡った結果、自分にとって最も引っかかるキーワードはベトナム戦争だった。ホーチミンの戦争証跡博物館では、ベトナム戦争の悲惨な記録が展示されてあり、まぁ予想通り悲惨だった。なんか、もう自分が趣味でもなんでも写真なんか撮りたくないと思うほどリアリティに溢れて、何かを感じずにはいられないものばかりが並んでいた。博物館にお昼の休憩があることを知らず、実際その博物館の展示をみたのはほんの一部だったが、残りに関しても悲惨の記録が列挙されていることは明らかだったので、午後から見ようと固執はしなかった。それよりも、その戦争の本質的な部分は何かをベトナムに居る間に考えたかった。

 ベトナム戦争の細部は詳しくないが、結果的には1973年南ベトナム政府率いるアメリカ側が破れ、北・南ベトナム解放民族戦線側が勝利した。これによって1976年にベトナム社会主義共和国が形成され現在に至る。アメリカがこの戦争を起こしたきっかけとして、よく言われているのは冷戦期における、中国に並ぶ社会主義国家をアジアに形成することが自国(アメリカ)にとってあらゆるマイナス要素を秘めているからだという事。
 この事に関して、今回の旅に持参した本のひとつに以前からずっと気になっていた ルービン回顧録/日本経済新聞社 なるものがある。この本の著者のロバート・ルービンは米国財務省長官を長年務め、メキシコ政府のデフォルトに対する回避や、アジア通貨危機を防いだとされている方。つまりはアメリカの財務面での政治介入の意思決定を行ったと言える人物。1995年メキシコのデフォルト危機に対して、IMF等の機関だけではなく、アメリカの立場として為替安定基金なるものを用いた融資を行った事に対して、「メキシコ政府の債務不履行によりアメリカの成長と繁栄が鈍化するからだ」と語っている。
 アメリカのメリット・デメリットの観点での対外政策は現在の数々の事象をみても、ベトナム戦争期と変わっていないと考えられる。


2.ベトナム社会主義共和国とあるけど、現在、本当に社会主義国家なのか。(知識は中学社会科レベル)

 ベトナムに来て思ったのは、アジアでは中国やタイに比べてもコンビ二もマクドナルドも見当たらない。単に規制がかかっているのだと思われるが。この点については、特に社会主義云々よりも、国の外交的問題にあたると思う。それよりも自分的には経済システムにおける社会主義がどのように影響を与えているのか気になった。
 1976年以降、ホーチミン主導によりベトナム社会主義共和国が建国され、1986年の刷新(ドイモイ)政策により社会主義を維持しつつ、市場経済を導入し、対外外交を促進させたと歴史的にはある。市場経済(自由経済、資本主義を象徴)と計画経済(社会主義を象徴)は対をなすものと理解しており、その計画経済により政府が生産と分配を統制するものと考えた結果、市場経済を導入することで国家体制は社会主義でなくなるのではないだろうか。(こんな事を議論するのに細部の言葉の定義も詳細にせずによくもべらべらと書き記していると自分でも情けなく思うが続ける。)
 ドイモイにより市場経済を導入し、生産や価格は市場に依存した形になる。結果的には政府の統制力が弱まり、生産者に競争原理が働き、多く稼ぐ者が現れる。多く稼ぐ者から税金として国が徴収し、それを国民に再配分したとしても所得を平準化するまでには至らないと思う。こうして次第に貧富の差が生じてくる思うのだが、どうでしょう。あくまでも、所得を平準化するのが社会主義と解釈している自分が間違っている可能性大。所得の平準化(貧富の差をなくす)に関しては、共産主義になって初めて実現しうると理論的には考えられているのでしょうか。
 結局はベトナムも対外的に貿易を促進させ、特に自国の産業としては有力なものがなさそうに思うが、短・中期的には外国資本の投下により、安定的な経済成長が見込めるのでないでしょうか。って偉そうに誰かから聞いたように書いていますが、実際、ワーカーレベルとしては高いものがあると感じる。理由として、アジアで典型な農耕民族であり、農耕における整然とした農地の整理や、きめ細かな手作業、この国の人全般からくる誠実そうな印象を挙げる(説得力に欠けるね)。


 
3.今後世界中がアメリカが主導する市場経済に飲み込まれてしまうのではないか。

 話は飛躍して、中国にしろ、ロシアにしろ、現在は市場経済による移行がなされ、ベトナムと同じような現象が起こっていると思う(むしろ、中国の方が先に移行していたか)。いわゆるアメリカに代表される、あらゆるものを市場に任せ、競争原理により国家的成長を目指す経済システムに向かっているという事。
 日本だって郵政民営化に代表されるように、小さな政府を目指して、市場に通じた競争原理の元、商売繁盛で頑張って下さいな。と言わんばかりの方策を採っているし。二極化、二極化と言われるのも、日本の経済システムも完全市場経済に移行している事を示すものだと考える。市場経済の行き着く先は、勝者と敗者なのだと思う。利益を出す者が勝ち、利益を出さないものが負ける。日本において、利益を出さない銀行を公的資金で介入するのは、市場原理に反しモラルハザードの際たるものだが、時として経済理論に則らない事が起こるのが現実の市場なのだと理解するしかない(もちろんあらゆる側面を考慮された意思決定だとは思う)。
 この先、仮に二極化が進み、貧富の差が激しくなった際に起こる、国家政治(経済システム含む)に対する圧力って何なんだろうか。なんとなく、富の平準化の圧力が発生しそうな。本当にどうなるんやろうね。他のアジアの国に比して、あまり国家成長を見込めない国がどんな策をとればいいんやろうね。完全市場経済(自由経済)における富の配分って、まさしくビル・ゲイツが立てた基金(それにウォーレン・バフェットが出資したり)で、世界の貧富の差を縮小する方向で使用される訳だけど。やはり、もうそれは国ではなく、個人(企業)の力で富を平準化するしかないんかね、この先。



なんか、こんな事を考えていると、本当にもっともっと知りたいことが増えた。やっぱり経済システムには興味があるし、理論経済学をもっとゆっくり学びたくなった。この点に詳しい方々に日本、東京に戻ってできる限りコンタクトをとっていこうと思う。ベトナムで曲がりなりにも色んな事を考える時間を持てて本当に良かった。今、俺ロバート・ルービンに影響受けまくっています。今回の旅は強烈な人との出会いはないが、良い本と出会えて良かった。明日は、ホーチミンに戻って、明後日に帰国します。