2005/12/20

中間発表→忘年会→北新地

40時間起きつづけた後、さっき8時間の睡眠から起床した。

昨日は修論の中間発表。
僕自身、基本的に発表の前の日は最低数時間は眠るようにしているのだが、今回はそうはいかなかった。
この中間発表が終わるともう論文提出後まで発表する機会はないし、なんとしても現時点で提示できるような有意性のある結果をまとめて、陳腐なプレゼンにならないようにしたかった。

「節目節目で結果を出せないと、この先も同じだぞ。」って自分に鞭をうちながら、結果を出すことに執着した。故に、睡眠欲も吹き飛ぶくらい集中力が維持されたまま作業に集中できて、なんとか発表できるレベルの結果を出せた。

プレゼン自体も現段階のベストを尽くしたと思う。先生方からは、自分には無い視点で色んな示唆をいただけたし、自分自身研究を整理する上でも非常に有意義な発表だった。

その後、研究室のOB含む教授の教え子とその知人、研究室学生からなる忘年会が福島であった。学生以外は年齢層高め&スーツを着るような若干硬めな忘年会だったが、それはそれで有意義な時間となる。この時点でねむい度MAX。

こうしてやっと長い一日が終わったと思って、外の冷たい新鮮な空気を吸っていると・・・。

研究会でお話する元お役人の社長さんが、僕ともう一人の学生を北新地に連れて行ってくれると言う。
何やら、もう一人の学生が以前ノリでアポをとっていたという。


結局何故か僕もお呼ばれする事になり、夜の北新地へ。

新地の華やかな世界に驚愕する事が多々ありましたが、まぁ良い社会勉強ということで!敢えて英語が通じないブロンズ美女オンリーなお店とか・・・(笑)てか、来てるお客さん明らか重役っしょ、みたいな店ばっかやったし。社長さん、いつもこんなとこで遊んでるんですね。最近は減って2日に1回とか言ってたが・・・。


中間発表→忘年会→新地、   

大人の階段のーぼるぅ♪ な一日でした。

2005/12/09

ベンチャー魂

今日はベンチャーに関する講演会に行ってきた。とても有意義だった。

東京の友人から紹介があった、その名も「関西だってベンチャーできるぞ!」プロジェクト。
主催は関西学研都市知的クラスターという、いわゆる京阪奈地域の学術的な結びつきと向上を元に同志社や奈良先端大等が中心に発足した機関。

僕はただ単に講演会をしてくれるスタンフォード(コンピューター・サイエンス学科)のエドワード・ファイゲンバウム教授の話を聞きたかっただけ。彼はシリコンバレーでは3社のベンチャー創設等で名が知られて、コンピューター界のノーベル賞と言われるACMチューリング賞を携えておられる方。どんな人なのか、どんな話を聞けるのか気にならない訳はない。まぁ御年70歳という事でなかなかのおじいさんです。

他にもシリコンバレーから来られたFirst Compass Groupジェネラルパートナー等を務める外村仁さんがオーガナイザーとなり、関西で実際にベンチャーを立ち上げている起業家6人のパネルディスカッション等があった。

ファイゲンバウム氏の講演では、日本及び関西でベンチャーが育ちにくい理由を、シリコンバレーとの比較により論じていた。

また企業が勝っていくための要素として、ファイゲンバウム氏は一貫してINNOVATION、革新を強調していた。ソニーを例にとって、企業組織の肥大化が革新のスピードを遅らせ、グローバル競争に勝てなくなっている事を話したり等など。
聞いていると、大企業組織に入るのが鬱になるような事もボンボン出て来る。新入社員として意気揚揚と入社した人間が、組織に埋もれ、例え部長クラスになったとしても若い頃の熱いハートが消えている・・・と。彼は一般論をしているわけであって、この事に関して反発する必要はないが若干の不安は生ずる。

結局、ベンチャーがイノベーションを起こすのに最適だという風に繋がる。で、そのベンチャーが成り立つための要素として制度面、ベンチャーキャピタルの存在、失敗を成功にするカルチャーの変更など等を指摘していた。

全プログラムが終了した後、懇親会があるというのでせっかくなので出てみた。無料やったし(笑)

せっかく出たので、ファイゲンバウム先生に話したいなと思う。英語オンリーという事もあるのか、あまり多くの人ががっついていないのでがっついてみた。

自分が来年からベンチャーと極にあると考えられるいわゆる大きい組織を持つ企業で働く上で、その後、起業に結びつけるとしたらどのようなアプローチがあるのかを聞いた。

僕自身、これからのキャリアビジョンで起業という選択肢を消去する訳ではないし、チャンスがあればその時のタイミングでチャレンジしてみるのも悪くないと今現在は思っている。そこで、短期的には来年4月からいわゆる大企業に入って、そこからどういう意識で3年を過ごすか、どれほどアンテナを張り巡らす事ができるのか、この点が重要だと外村さんもファイゲンバウム先生も伝えてくれた。もう少し具体的に事も話してくれたが、なんか僕がまだ入ってもないのに早くも会社辞める気満々な奴みたいなので控えておく。

後は、急速に世界規模で情報化が進む上で先進諸国と後進諸国とのinformation gapの是正に関しての意見を求めたところ、この答えに関してはかなり難しいので、これを専門にして2005年Honda Foundation Prizeを受賞しているカーネギーメロン大のProfessor Raj Reddy の文献やWEBでも漁ってくれと言っていたので、ちょっとチェックしてみようと思う。

他にも松下や関電に属しながらベンチャーを考えている方々とお話する事ができて、これから自分が企業に入り、どのような意識で過ごしていくかを考える良い機会になった。

2005/12/03

ラーメン屋の本気度

 昨日、研究室の帰りに一緒に帰っていたMっち(研究室仲間)と思い立って上新庄駅の近くにある天神旗というラーメン屋に行って来た。名前に天神とついている事からも博多系の豚骨ラーメンなのは想像できるでしょう。

 そこに7,8回は行った事があるくらいそこのラーメンが好きだ。関西でも結構色んなラーメン屋に行ってるが、そこのラーメン屋の本気度はかなり高い。その本気度と比例して味もかなり本気。まず、入った時に豚骨の臭みが鼻につく。とりあえずその時点でむぅりぃな人もいるかと。

 豚骨ラーメンは好き嫌いがあると思うが、本気のラーメンを食べたいと思う人は行ってみたらいいと思う。大将のあの目つきは本物や。ほんまにええ仕事してる目つきでラーメンを作ってくれている。かといって愛想が悪いわけじゃない。ラーメンをみて、客をみて、ラーメンをみて、客をみて、奥から自分の店を常に把握している。かといってその視線を客は感じる事はない。俺がこそっと、客を観察して本気でラーメンやってる大将を観察してただけ。

 ここのラーメンを注文する際の注意。ラーメンは大まかに塩とんこつと醤油とんこつがある。これはまぁそれほど大差なく、醤油とんこつの方がチャーシューに醤油味がきいてるなくらいの印象。
ここからが肝心、老と若というとんこつの濃さの違いも選ぶのだが、ここでややあっさりと書かれている若を選ぶと負け。勝ち負けとかじゃないけど、この店に来るならやっぱ本家本元の老を頼んでできるだけこってりして帰るべきだと思う。一回、若を食べてかなり後悔してしまったのだ。若を食べるのなら同系統の一風堂とかで普通に食べる方がいいかと。


実はその日の昼にもひょんな事でふうりんという東灘にあるラーメン屋に行った。朝から以前の追突事故の関係で東灘警察に行く用事があったので。天神旗に行ったMっちプラスKZさんの3人で、KZさんリコメンのふうりんへ。まぁ3人とも事故の被害者なんで警察署に行ったついでに。

ふうりん・・・。KZさんあれはないわぁ。うそうそ。ないわぁってことはないね普通においしいよ。でも普通過ぎるし、本気度が低いっしょ。
てか、財布見つかってよかったね。結局自分んとこのトイレでとか、それが一番ないぅわぁ。


結局最近、自分なりのラーメン屋を選ぶ基準って大将(もしくはラーメンを作っている人)の本気度かなーと思う。その本気具合が店内や店員や、もちろん味にも影響を与えているような気がする。

2005/11/30

香港2003

何気にPCに入れてあるスキャン済みの写真を整理をしてたら、2年前にインドからの帰りにストップオーバーして3日間ほど立ち寄った香港の写真がでてきた。どうせだから、Photo albumに追加しておこうと思う。さっさと南米やらの写真をスキャンしてUPしたいのだが・・・。

基本まだアナログで撮って、現像→プリントのパターンなのでPCに入れるにはスキャンが必要になる。ネガスキャナーを欲しいのだが、友人曰く紙をスキャンするよりも解像度は高くないらしい。その友人は店に出してネガをデジタル化してもらっているらしい。最近はスキャンしてPCに取り込んだ写真をフォトショップでいじったりするのが楽しくなってきてるので、アナログからデジタルへの質的満足が得られて且つ迅速なやり方を模索中。

2005/11/28

Tanguera





タイトル『 Tanguera 』

学祭で展示してた、モノクロの組写真。
これはタイトルの通りTangueraにちなんだ写真。今年の9月17日、アルゼンチン・ブエノスアイレスにて。Tangueraとはタンゴにミュージカルの要素を加味したもの。そのTangueraが催されていた建物や入り口を撮影したもの。

タンゴはサッカーで有名Boca Juniorの本拠地でもあるLa Boca地域が発祥になっている。そこは港近くのエリアで、港運などに従事する多くの労働者が暮らしている地域。タンゴは男と女がセットで踊る事をイメージするが、初期は労働者の男達だけで踊っていたらしい。その辺のうんちくは一緒にこれを見に行った、若干日本語ができるメキシコ人の方が教えてくれた。そのメキシコの方はメキシコの民族音楽のミュージシャンらしいが、あんましオーラなかった(すんません)。で、彼が若干日本語ができた理由は、日本に雅楽を学ぶため奈良県・天理市に住んでいたかららしい。これは余談。

Tangueraの幕開けとともにブエノスアイレス港をイメージしたセットで男達だけのタンゴがはじまる。それからは男女混合系のタンゴが主流にミュージカルが進行していく。内容はブエノスアイレス港に降り立った美女をものにしようと、労働者の男とマフィアのボスが取り合う。要するに女の取り合い!非常にシンプル。で、基本的にタンゴ・タンゴ♪で進んでいく。めーっちゃ良かった。めちゃくちゃ感動したのを覚えている。。

ブエノスアイレスはイタリア・ジェノバと古くから交易があり(母を訪ねて三千里のマルコがジェノバからブエノスアイレスを目指していた事からもわかる)、その影響もあってか街のセンスが自分が行った南米の街の中でも格段に良かった。というか歩いている人のセンスが良かった。南米のパリと言われるくらいやし。ペルー・チチカカ湖で会ったパリっ子もブエノスアイレスはお気に入りやったらしく、「欧州にいるみたいでよかった。」とか言ってなー。

僕自身ブエノスアイレスは非常に良い印象を持っている。街は綺麗し、何よりも物価が安い!ベテランウェイターがいるような歴史あるステーキ屋(名前はpippoだった)で、子牛の柔らかめのステーキ食って、メンドーサ産のワイン飲んで等しても1200円くらいやったような気がする。治安に関しても夜中に出歩いても全く危険な感じがしなかった。むしろ週末は朝方まで外がうるさいくらい賑わっていた。もちろん地域的な差はあると思うが。何しかブエノスアイレスはよかった。是非おすすめします。

2005/11/20

実質と名目

 今日は久しぶりに日曜に研究室に行き研究に励んだ(?)。が、実質と名目という言葉にやきもきさせられた。
最近、研究に関連して東アジア諸国(中国、韓国、台湾、香港)の経済指標を扱っている。中国は省単位で。いわゆるGDP(国内総生産)とかCPI(消費者物価指数)とかです。こういう経済指標ってやたらと定義も曖昧で、年度毎に定義が変わっている事もある。日本でも今は一般的に国の成長力を表す指標としてGDP(国内総生産)が使われているけど、一昔前まではGNP(国民総生産)が使われていた。

 GNPは日本国籍の者が生産する分しか計上されないので、外国人が日本で生産してもGNPには反映されない。GDPは日本国内で生産される分は外国人労働者や外資企業であれ反映される。今後、国内に外国人労働者や外資への企業誘致が進むのなら、GDPの方が日本の成長力を表面化してくれるんだろうと考える。まぁ統計の国際基準に合わすという意味でも今はGDPにしてると思うんだが。

 それはそうと、GDP含む経済指標値は中々統一したものを提供してくれない。IMFやら世銀やら各国の統計機関で出された値を比較して扱うようにしているのだが、名目ならまだしも実質になると相当ばらつきがある。名目GDPはその年に計上された値をそのまま示しているのだが、実質GDPはインフレ率や為替レート等を考慮してある年を基準とした値として算出している。

 その国の経済成長を時系列的に把握する場合、実質GDPをみる方が理解しやすいが、その値を出している機関によってばらつきがあるのでかなり困惑してしまう。それも結構な違いもあるので、機関毎にどのように集計・算出されているか確認しておかないと結果がきちんと出てもなーんかしっくりこないように思うからだ。かといって前に進まないのも困る。んーー。

2005/11/18

カラー2枚目@写真展


学祭写真展に展示したカラー2枚目。

タイトル 『 Poppin' 』

 この写真はボリビアのCopacabana(ブラジルにもイパネマとならぶ有名ビーチとして知られるコパカバーナとは異なる)というチチカカ湖沿いの街にて。標高は3000m以上はあったと思う。ペルーのPUNOから国境を通過しボリビアに入った時、ラパスへのバスに乗り継ぐために3時間ほど立ち寄った所。
 街自体道路の石が白く、それに燦々と降り注ぐ太陽の光が街の白さに拍車をかけていた。街中から坂を下る際、少し遠くに望むチチカカ湖の青さと街の白が妙に調和して非常に美しかった。街の白さが軒に並べられている色々をさらにカラフルにみせる。その光景に思わず目と足が止まりシャッターを切る。その袋の中身は普通のポップコーン☆

2005/11/14

写真展@学祭


昨日、一昨日と学生最後の学園祭があり、部で写真を展示していた。モノクロの3枚(組写真)とカラー3枚(それぞれ単作品)を出展した。久々の友達やら内定先の友達やら、研究室の仲間やら多くの人が自分の作品を観にきてくれた。色んな会話を楽しめてとても良い最後の学祭だった。学部三年くらいから学祭の楽しみ方は人と会うことが重点的になったような気がするなぁ。結構写真の方も評判がよろしかったようです。

カラー一枚目

タイトル 「 Horizon at DAWN

 これは今年8月末、南米に行く際の飛行機の中から撮ったもの。トロント→リマ間の飛行中、南米大陸に入った時くらいに朝、陽が昇りきろうとする瞬間を捉えた作品。最初窓の外を見たとき、視界に広がる自然現象が理解できないくらい幻想的な光景が広がっていた。陽が完全に上ってしまって雲海に朝日が満ちる前にどうしてもこの自然現象の中に生まれる幾何学性を切り取りとっておきたかった。飛行機の中を歩き回って、数十カットは撮ったと思う。若干周りの目には怪しく映ったかもしれないが、そんな事、お構いなし。撮らずに悔やむより、撮って悔やむほうがいい。旅先では大抵こんな事を考えながら、自分を動機付ける。こうしてできた作品が上の写真。

2005/11/07

初おかまほられたー

ええ、本日初の交通事故に遭いました。
ええ、夜6時10分頃、43号線の神戸市東灘区辺りで信号待ちで止まった瞬間、後ろから乗用車に追突されました。結構な衝撃で。

研究室の友達3人で神戸から大阪に向かうところでした。家の車で僕が運転してたので、色々手続きが要って大変でしたわ。警察やら何やらで。まぁ相手が100%悪い形で収束してるんでこっちのマイナスには一切ならないんやけど、色々時間的なものや手続きが面倒くさい。とりあえずは無事なのですが、病院にいって一番被害の可能性が高い友人の診断をして我が家に戻ってきました。といっても、事故後は右後ろのタイヤがバンパーに挟まれて動かん状態だったが、車運ぶ気満々のJAFのおじさんが何とか応急措置を施してくれました。

まぁ相手側とは紳士的にやりとりしようと思うし、この際に損保の方も実体験をもとに勉強できるかなと。こんなポジティブシンキングです。

詳細はまた後日。アドバイスあれば誰か教えてね。

2005/10/30

記録的な写真より旅を振り返る





 学祭ではカラー作品を出そうと考えているが、モノクロに関しても年度末に計画している展覧会との兼ね合いも考えて作品化していこうかと。

 ここでは記録的な写真(まぁただの旅行写真やけど)として、2005年9月1日南米最初の訪問地リマのホステル、Flying Dog Backpackersで出会ったファンキーなやつら。イギリス、スイス、カナダ、オーストラリア、イタリア、ドイツ、スペイン、フィンランド、地元のペルーGUYS。ほんと色んな所から来てるなーと思った。だいたい自分と同年代。
 
 旅のはじまりとして、とても良い時間を過ごした。だれかれともなく酒を飲もうという話になって、皆が乗り気。少なくとも南米に旅に来ているというだけで、かなり大きな共通点。話題はいくらでもある。お互いの旅に関して興味があるし、他国のことについても興味がある。また、政情不安定なボリビア等の国家状況を実際に行った人の生の情報を得る事ができる。実際に外務省が出している海外安全情報等はリスクが強調されすぎている感があるし、その部分だけ見ると誰でも恐怖感が先行してしまう。しかしその情報は大変参考になるのも事実。現にボリビア南部でデモによる道路封鎖も見事に体験した。その時は外務省の情報にあったなと思い、状況の理解は早かったが、それでも誰一人観光客がいない状況では結構焦った。現地の旅行者と仲良くなっていたからなんとか彼らのサポートで抜けきる事ができた(過去の記事3段落目参照)。

僕自身当初はボリビアに行く予定はなく、このパーティで話したドイツからの女性の話を聞いてボリビア行くかもーって思った。話してくれたボリビアの話は特に良い事ではなかったが、未知数の多い国が明らかになっていく事で興味が増していくのを感じた。旅中はこのようにリアルな話を自分に蓄積し、その中から自分の考えとすり合わせながら行く先を決めていたように思う。まぁこの夜はかなり酔っ払っていたので、あまりどんな事を話していたか忘れたが、かなり楽しかったという記憶だけはある。
皆に他の写真含め添付メールしてあげよう思う。

2005/10/29

暗室にて 

 先日修士論文の中間発表があり、それまでは結構バタバタしていたように思うが、ある先生からお褒めの言葉を頂くなどいい形で終える事ができたので、さらにやる気アップで次のステップに進めそう。

 という事で研究に対するやる気はあるとは言いつつも、節目の後はゆとりを持ちたいので昨日の晩から暗室に篭って写真を焼く事にした。結局寝る間も含めて今日の夕方まで部室に居た。合計8時間くらい暗室に篭っていたと思う。焼いたのは南米のモノクロ。ネガ現像は帰国後すぐにやっていたので今回はプリントのみ。今回の南米旅行でモノクロは14本撮っており、一日やそこらでネガの段階で印象的なもの全てをプリントする事は不可能と思っていたので、旅中に知り合った人へ送るものを優先的にプリントした。

 視界が黒98%赤2%の暗室で印画紙に像を焼き付けて、現像液に浸し、像が浮かび上がってくるのを眺めていると同時に、その像の時空間を存在していた自分の五感が蘇ってくる。完全に定着させ、作品として出来上がったものから受ける記憶の回復よりも、プリント最中の方が鮮明に当時の五感を復元することができる。なぜだかわからないが、あのほぼ真っ暗な空間(暗室)で水洗の音と調和してリラックスした音楽を耳に入れ、プリントの完成を願いながら印画紙を現像液に浸している最中に、当時を思い出したいという自身のプログラムが本能的に始動しているからかもしれない。プリント作業への集中力が高まっている時間だと思う(ちなみに昨日最高に集中できた曲はWalts for Debby/Bill Evans Trio)。
 正直、暗室から出て六甲の山を下るとき、素晴らしくいい景色に毎回感動しながらも、テスト後のような何か物凄く集中した後の感覚がある。今回もそうだった。

ともあれ、今回の旅ではいい感じのモノクロ作品がたくさんできそう。そんな気がする。ネガも良い状態で仕上がってるので、プリントで色々ためす事ができそうや。

2005/10/16

写真『ウユニ塩湖』





2005年9月11日、今から一ヶ月程前、写真にあるボリビアのウユニ塩湖(salar de Uyuni)に僕は居た。そこは標高3600mにあり、琵琶湖の約12倍の面積で一面が塩の湖。塩の湖と聞くと、中東にある死海をイメージする人も居るかと思われるが、水分はなく塩オンリーの砂漠だ。スキー場の雪が全て塩になった感じ。なので、昼夜の気温差は激しくおそらく僕の感覚では昼間は15度くらいあり、夜は0度近く(もしくはそれ以下)になってるんじゃないかと思うくらい寒い。
というのもラパスからウユニに来る途中のバス(ラパスからウユニまで約9時間)ではこの塩湖辺りをを通っていたとき窓が完全に凍っていたし、半端なく寒くて泣きそうだった。そのバスは道なき道を進み、短いアップダウン(しょぼいジェットコースターくらい)を繰り返し、おまけに暖房はなしで、バス内で空気を吸うと必ず咳き込んでしまうくらい煙だらけでかなりきつかった。このようにボリビア南部のバス事情はひどかった。ラパスからウユニに向かう旅行者は多いはずで、バスの行き来も盛んだ。でもラパス?ウユニ間(特にOruro?Uyuni間)の道路事情はよろしくなかった。ボリビアの国家レベルを実感する機会になる。

ウユニの塩湖にはウユニの街でツアーに申し込む必要がある。街には30くらいの旅行代理店があり、どの店でもツアーの相場が決められている。利用するのは大半が外国人旅行者なので、高い価格が設定されている。とりあえずラパスの日本人学生からの情報を元に、旅行代理店を選定し1泊2日のツアーに申し込んだ。ウユニ塩湖の真ん中にある塩のホテルに泊まりたかったので、そのプランを用意してある旅行代理店を選んだ。交通費やホテル宿泊料を含めて40US$。4WDじゃないと塩湖を移動することは難しいし、個人で手配する事も難しいのでこのツアー料金で納得するしかない。この値段は非常に高い。なぜならボリビアでは3US$(バックパッカーのドミトリー部屋)で一泊できるし、食事も2US$でできる。ちなみにバーガーキングのセットは15Boliviano(約2US$)。これは現地の人にとってはカジュアルではないと思う。

写真に映っている風景はウユニ塩湖にあるHotel Playa Blancaという塩のホテルの近くで撮ったもの。一面が塩の風景に最初ショックを受けた。何度も塩を採ってなめたがやっぱり塩で、それが琵琶湖の12倍て。もちろんその塩を売り物にしている訳で、その塩の値段を聞いたのだが40tトラック一台積んでいくらと思います??

40Bolivianoです。500円です!!!40000kgの塩が500円です。やばくないですかい?
このウユニ塩湖で赤穂の塩ブランドは高く売れるのでしょうか。

そのホテルプラヤブランカ。ホテルと名がついてるだけで、普通にイメージするホテルと思ってはいけません。そのとき泊まってたのは僕一人。ガソリンで発電してるだけなので、夜になると燃料節約のためろうそくの灯りのみ。風呂なんぞ当然なし。便所はあるが流れない。ホテルで一家族(写真の子供達はその家族)が住んで運営しているが、夜7時になると自分達の部屋に入ってしまう。夜は気温が下がるし、吹雪くが、星がすさまじいほど綺麗。天の川に手が届きそうな感じ。かな。

その夜、ろうそくの灯りで本(たぶんモーターサイクルダイアリーズ)を読んで、電気の大切さを感じる。そこから派生して自分が置かれている恵まれた環境を思ってしまう。最初は電気がない事にとてもストレスに感じたが、自分の常識というものを改めて考える機会になった。自分が思う常識から外れるとストレスを感じるが、塩湖のど真ん中に身を置き冷静に考えてみる。「この場所で住むひとつの家族がいる。彼らは必要以外電気をもたず、夜になると眠る生活を送っている。彼らにはそれが常識。こうして地球の裏側に生きている人がいる。僕の常識なんて世界的にみると全然非常識なんだ。」と考えていると、ろうそくの灯りがやたらと明るく感じて貴重に思った。ろうそくの灯りがレトロで格好良くみえた。その灯りの元での読書はその本の言葉以上のものをインプットしたように思う。
本来人間は保守的で、変化を嫌う生き物なのかな、と。でも変化が訪れた時、その変化を自分なりに解釈し吸収する事により新たな価値観が芽生え、成長していけるのかな等考えていたんだろう。

2005/10/09

少しアートな@東京

先日東京に行った際、少しアートな日を過ごした。
現在六本木ヒルズで開催中の杉本博司写真展に行ってきた。これはホント行って良かった。規模も大きく2時間半くらい会場に居たと思う。最近BRUTUSでも彼の特集されてましたな。
写真展というか、会場自体が写真との調和を考えて作家自体が構想されたもので、空間自体面白い。それまで杉本博司に関しては建築物をピンボケで撮影した作品群しかしらなかったのだが、今回会場を去るときにはこんなにも奥の深い偉大な写真家だったのだという印象を持った。と同時に写真に対しても色々考えさせられる事があった。特にコンセプトの大切さを改めて感じさせられた。
リンク先の一面、会場の最初の一枚でもある彼の劇場を撮った作品に関して、最初観た際は大判で撮影して黒も締まって非常に美しい作品だなくらいの印象しかなかった。しかし、彼のコンセプトは映画を一本丸ごと撮影するというものだった。映画一本分(約2時間)シャッターを開き放しで、結果的にできた写真はスクリーンの光が強すぎて観客等の姿は消し去られた理想的なものだと言う。長時間露光をする上で適正露出のもと作品を完成させるには、多くの時間を費やしたと思うし、彼がこの展覧会全体で表現しようとしている時間というコンセプトとも通じている。他にもまだまだ面白いコンセプトと写真技術を元にした作品が多く展示されてあった。建築物のピンボケ写真のコンセプトに関しても建築家が持つ設計前段階の構想をイメージしたそうだが、このような一貫したコンセプトで長期間、継続的に撮りつづけている彼の姿勢に作品を通じて感銘を受けた。

僕のように杉本博司をほとんど知らない、または知らない人でも会場では丁寧に彼のコンセプトが文章で書かれているので、写真(モノクロ)の美しさ面白さを感じ取れると思う。

後、MOLESKIN EXHIBITIONにも行ってきた。これは青山ブックセンター等の少しのスペースで無料で行われているもので、イラストレーターやデザイナーなどが各々のセンスでMOLESKINに描写等した作品が展示されている。僕が行った青山ブックセンター本店ではクリスチャン・ラクロワ等の作品があった。

2005/10/04

ボリビアの道路封鎖デモ

 サンパウロは南米旅行の終着点でその間のスケジュールは非常に不確定。ボリビア・ポトシ(POTOSHI)からアルゼンチン・ブエノスアイレスに行く際、ボーダー通過手続き等も含め通常2日で行ける。

 が、ポトシ近辺で大雪のためバス内で12時間ストップ。チェーンという概念もありません、もちろんスタッドレスタイヤなんてものも存在しません。夜が明けてみると同じようにストップしていたバスがずらーっと列をなしていた。その先に見事に横転しているバスを発見。雪で足元を救われたのでしょう。そらそんなものを目の当たりにして、標高4000mの山道を走る事はできませんね。そして、その後順調に進んでいたかと思うとまたストップ。今度は何かと思うと、バス乗客が一斉に荷物を持ってバスを降りだす。仲良くなったボリビア人の青年2人が「VAMOS、VAMOS(バモース、バモース)」さぁ行こう、さぁ行こう。と言ってるので、訳もわからずとりあえず僕もバスを降り山道を歩き始める。
 すると同じように多くのバスから降りて歩き出す乗客いる。しかし、外国人旅行者(欧米系・アジア系)は全くいない。少し道から外れた所が青空トイレになって、多くの人がトイレをしている(ボリビアだけが僕が行った4ヶ国のうち唯一バスにトイレがなかった)。そういう光景を横目に歩いていると僕も腹が痛くなってきた・・・。その後進んで行くと何やら人がやたらと(50-80人くらい)集まっている個所がある。
 僕はその時「土砂崩れがあって、それにみんな野次馬してるんだな。」と予想した。その場所に近づくにつれて、何やら旗が見える、人が言い合っている、辺りの道路上に不自然にサボテンや茨等の痛い系植物、岩等が散在している。そう、それは道路封鎖だった。その封鎖の仕方がかなり原始的で少し笑ってしまった。そのような道路封鎖ポイントが3箇所くらいあり最終ラインは明らかに先住民系のおばちゃんで構成された人のブロックができあがっていた。彼女らの表情は憂いに満ちていて、とりあえず封鎖しとこうという惰性的なものに感じられた。

 ボリビアに入る前から政情不安という事は頭に入れており、デモや道路封鎖も頻繁にあると聞いていたが、実際どのような理由でどのような人がどのようにそれを行っているかを知りたかった。チリに行くのをやめてあえて政情不安による治安悪化のリスクが存在するボリビアに入ったのも、実際デモという形で自分達の考えを主張する行為の裏側にあるものを知りたかったし、五感を持ってそれを感じたかった。道路封鎖という手段でデモを行っていた人たちは間違いなく先住民族のインディオ系の方々だった。彼らが何を望むか、それは貧困からの脱出である。仮に共産主義体制を平等の体制と彼らが理解しているのなら、本当にそれを臨んでいるかもしれない。一説によるとそれは真だと聞く。道路封鎖の現場を撮影したがったが、撮れていても1、2枚だと思う(モノクロフィルムで撮ったのでまだ現像はしていない)。最終ラインのインディオのおばさん達が作り出しているブロックを通過した時には異様な雰囲気で、カメラを出して撮ったときの多少の危険性を感じたので撮影を控えた。何せ明らかな外国人旅行者は僕くらいだったから。そしてその先に同じバス会社のバスが待機しており、それに乗ってボリビアとアルゼンチンの国境の町VILLAZONへと向かった。バス会社としても道路封鎖を想定してる事がわかったので、頻繁に道路封鎖が起こっている事が理解できる。

 というような経験をしていると、簡単にサンパウロに辿りつけそうな気がしないのは理解できるでしょう(上記の経験は特にボリビアに限った事だが)。後、サンパウロ都市圏は1500万の人が住んでいる程の大都市で簡単に目的住所に辿り着けるとは思わないからだ。ましてやブラジルではほぼ英語は通じないし。

2005/10/03

内定式で東京へ&少し旅を振り返る

 明日10月3日から会社の内定式が理由で3日間程東京に行ってくる(会社関係は月曜と火曜の午前だけだが)。東京在住の友人やら、同じようにあっちで内定式の友人何人かと会ってくる。2年前音楽と写真でコラボってライブをやった時(僕は写真だが)の友人が早くもタイに駐在してしまうので、しばしの別れを惜しむ会などもやってくる。


 そういえば南米旅行の際に内定先のサンパウロ支店に足を運び、幸運な事に現地駐在員の方とお会いしたというラッキーな事がありました。最初はネタのつもりでどんな建物かを見る程度の計画だったんやけど、目的地住所が近づくにつれてどうせなら誰かに会いたいと思いはじめた。
 いざサンパウロ支店の前に着くと、予想以上にセキュリティが高い様子で簡単に入れる感じでもなかった。日本の会社とは違い建物の周りに庭がありその周りを高い柵で取り囲んでいるような状態。なので建物に入るためには2つの玄関を通過する必要がある。敷地内に入る最初の玄関で、もう既に入れるような状態ではない。英語が通じない事が予想できるし、入る必要性がある存在とみなされる格好もしてなかったから。なんせ1ヶ月間寝るときも何をするときも一つのズボンでしたから(もちろん洗ってもいません)。
 そこで柵越しに敷地内を覗くと何やらアジア系の人がタバコを吸って休憩している姿が見える。チャーンスと思い、若干躊躇はしたがもう建物の中に入ってしまいそうだったので、思いきって少々大声で「すいませーん」と呼びかける。するとその方は僕が若干失礼に思いながらも手を振っている姿に気づいてくれる。柵は棒と棒の間に十分な隙間があるのでそれ越しに会話をする。その方は少しの日本語と英語を話せる現地採用で日系ブラジルの方。僕がどういう理由でここに来ているかを熱弁すると、中に入れてくれる手続きを取ってくれた。後で分かったのだが、その方は僕がこの会社で働きたいと思っていると理解していたそうだ。英語の微妙なニュアンスが伝わっていなかったのだろう、無念。日本からの駐在員の方と話したいと告げると建物内に案内してくれて、駐在の方を呼びに行ってくれた。
 少し時間が経った後に駐在員の方が現れる。日本語スピーカーつまり日本からの駐在の方はその方だけで社長補佐という役職に就かれていた。とてもお忙しい様子だったので少しの時間しかお会いする事はできなかった。その時はもろオフィスアワーだったし、ノンアポだったのでアポを取っておいてくれたら時間を取れたと言ってくれていたが僕にとってアポを取る行為はリスクのある事だった。

ボリビアの道路封鎖デモに続く

2005/09/30

阪神優勝

 てか、一昨日帰国したら阪神がマジック1ですか。一ヶ月前出発する時にはまだ中日と競ってたのに。で、昨日阪神優勝ですね。研究室の仲間4人が甲子園でみていたらしく、僕の研究室からの帰りとタイミングがあったため、ミナミに繰り出す計画を実行。道頓堀川は完全に封鎖されている事は分かっていたけど、どんな感じに盛り上がっているか楽しみだった。
 やはり道頓堀は盛り上がっていた。ほんと祭りだった。あれだけの人を狂乱させる阪神のパワーは物凄いと思った。道頓堀の飛び込みが不可となると、何か別のおもろい事を考える(大阪人のDNAなのでしょうか)。引っ掛け橋南の地上4階程の高さがある広告塔に数人が交互によじ登り、お立ち台ですか。楽しいアホな事をされていました。いやーVIVA阪神なエンターティナーがたくさんいるものです。しばらくミナミの街を徘徊したあと、東心斎橋のBARと湊町のオープンテラスでカジュアルな飲み屋2軒を梯子して朝まで久々の再会を兼ねて話してました。もちろん辺りは阪神優勝ムード一色でした。
 なんか大阪が以前よりもさらに好きになりました。

2005/09/29

帰国

今日一ヶ月の旅から帰ってきました。9月27日(火)の9時30分エアカナダ、トロント発バンクーバー経由で9月28日(水)の17時関空着でした。帰りの飛行機はずっと昼間で寝れるか心配だっが、バンクーバー発の機内食でビールとワインを連続で飲んだので結構よく寝れた。特に疲れもなく関空に着いた訳だが、何やら今、蚊にかまれたようなできものが体、特に腕に広がっている。自分でそれを見て鳥肌が立つくらい。うぁーきもっ。関空の検疫所ではマラリアの潜伏期間は4週間とか言ってたので少し心配。先ほど洗濯物を出すときに親が変な虫を発見。明らかに日本に居なさそうな虫。あーきもっ。虫はほんと嫌い。マチュピチュに居た得たいの知れない小さい虫もうざかった。小さいのにやたらと攻撃力が高い。蚊にかまれたみたいなかゆさがあるのだが、かゆみと痕がひどいと2週間ほど続く。旅での虫系だけは注意が必要。

今日はこのできものが早く治る事を祈りながら眠ります。

2005/09/26

i`m in Toronto.i`ll back to Japan tomorrow

hi!now 9/26 am 10:30,i`m in Toronto.it`s rainy today.i came here from Sao Paulo yesterday.
In Sao Paulo,i watched football game of Sao Paulo FC.it was very nice.amd I saw some architecture by oscar nemyer.for example,memory of Latine America and copan edifico.

yesterday,I walked around in Toronto.it`s clean,safety traffic,nice building.but i felt normal,not exciting.i felt excited little to Chinatown.In that place,they are vitarity same as other place of Chinatown. and i ate Chinese food(wantang-noodle,spring roll).

today,i`ll go to record and book shop and so on.i`ll chill out here.

2005/09/22

I'm in Rio de Janeiro.next to Sao poulo

Bon noches!9/21 PM22.i'm in Rio de janeiro.yesterday i came here from Igauz by bus.it took 24hours and i felt it to be very tired because i used flight from Buenos aires to Iguaz.i was very impressed to Iguaz fall.i respected nature.

i stay hostel in Ipanema.It's very nice around here.But I hear it's dangerous little bit in Rio,so I'm in hostel now.today I walked around Rio de Janeiro by using some transportation.for example I went to Ipanema,Copacabana,niteroi and so on.i went to niteroi museum by Oscar Niemeyer(i wanted to go there before).Inside exbition is not good,but Architecter is good.Ipanema,Copacabana beach is wonderful,so if possible i want to swim tomorrow.i have swim pants.

tomorrow i'll go to corcovado and so on.and evening i'll go to Sao paulo by bus(about 7hours).day after tomorrow,i ll see football game of Sao paulo FC.my friend live in sao paulo will invite me that football game.when i crused in Puno,i met with him.

2005/09/17

now i'm in Buenos aires.

Buenos noches.
i'm in Buenos aires.now it's seprember 16th 23:00.
3hours ago,i just came here from san salvadol de jujuy in Argentina.
it's take 2days by bus from potoshi in Bolivia,because there is many happenings.
one is snow,and the other is blocked road by Indio in Bolivia.
The fuct of blocked road tell me about bad policy situation of Bolivia.
it's incredible for me.i want to tell in detail after,and use japanese font.

i feel Buenos aires is good city,and there are many fashionable people look like Europe.I felt so when i had dinner and i walk around here. and i think it's not dangerous here.

now i'm sleepy because i had much cerveza(beer) and vino(wine) with two guys from Bolivia.I came from Potoshi with two guys and one family.so it's fun for me to spend time on bus.

tomorrow,i will dig and walk aroud this city.i'm looking forward to.

good night,ciao.

2005/09/14

i'm in potoshi. next (villazon) argentina

hi.now,i'm in potoshi.but sooner i must go bus terminal in potoshi(rest 30minutes).i will go to villazon.it,s border town between argentina and bolivia. from there,i go directly to buenosaires. just go bus stastion. story of potoshi and uyuni is later.
ciao!

2005/09/12

Boliva.I'm in Uyuni(salar de Uyuni),next to Potosi

Buenas tardes!こにゃにゃちわ。9月11日正午現在、ボリビアのウユニという、とてつもなくでかい
塩の平原(salar de Uyuni)の近くの町にいます。意外と日本語フォントが入ってるものです。日本人観光客が多い証拠です。今日は午後4時頃から、塩の平原に向かい、そのど真ん中にあるホテルに泊まる予定。やぶぁいらしいです。ほんと、マチュピチュより感動したっていう人をよく聞きます。

てか、昨日ラパスからバスでORUROを経由してトータル12時間くらいでここにやってきたのですが、そのバス最悪でした。ORUROを出てからはずっと砂利道の上を走って(7時間くらい)、バスもしょぼいし、窓が氷つくほど激寒やし、何といっても砂煙がバスの中を覆ってたことはきつかった。且つ縦ゆれ、横揺れのオンパレード。当初はこれくらいの事を予想していたんやけど、ペルーのバスの感覚が抜けきれずやった。
ラパスから南の観光地に行く際の道が整備されていない事は、この国の状況を表しているのだろうか。物価に関しては、ペルーよりも格段に安いです。1US$は8BOLIVIANO(ボリビアの通貨)で、普通のホテルはシングルで25BOLIVIANO程で泊まれる。さっき食べた外国人向けの朝食も10BOLI。昨日夜食べた、南米でメジャー食事、鶏(ケンタッキーみたいなん)とポテトの組み合わせが7BOLI。まぁこんな感じで安いのです。ただ今日の夕方からの塩のホテルに泊まって塩の平原をくまなく楽しむ1泊2日のツアーは40US$。

そして、明日の夕方にUyuniに戻り、そのままバスで標高4000mの銀山の町ポトシに向かいます。鉱山の現状を知るツアーに行く予定。その後、国境を越えアルゼンチンに入る予定。てか、かなり急ぎめでいかないと旅を終結できないなと感じ始めている。

I had my pocket picked in Lapaz!!

ラパスでの話。結果的に9月10日午前11時ごろ、初スリに会いました!
旅の半ばで気が緩んでいたのかもしれないが、街中で悠々とシャッターを切っていた。果物のフレッシュジュースを屋台で悠々と飲んで居たときにチェックされていたのだろう。ジュースを飲み終えた後、お金を払い(2BOLI)、財布をズボンの左ポケットに入れ、肩にカメラをぶら下げたまま人が行き交うごみごみとした市場の細い路地へ歩み始めた。
商店の軒と青空市場の間を通り過ぎようとしたその時、何かわからない水分が自分の顔にかかった。その瞬間、反射的に上から何か水が落ちてきたのかと思い上を見上げた。その時両サイドには2、3人の男の気配。彼らも水分がかかったのかと思うようなリアクション。かなり一瞬なので顔も確認できないくらい。その後、左ポケットに手をあてると明らかに財布がない空虚な感覚。その瞬間2、3人の男の行方を見たが、どれも違う方向に消えていった。さらに反射的にその財布の重要度を確認。あまり重要でない事が判明。旅行でしか使わない6年前に買った財布。中身は15US$と250BOLIVIANO。合計4000円くらい。
ほんと、不幸中の幸いだった。ラパスで3日間滞在したホステルの支払いを済ませたとこだったし、現地通貨がなくなっていたので両替に行こうとしていたとこだった。犯人は支払いの際に出し入れしていた財布を狙っての犯行だったが、僕の旅の時の命は右ポケットなんですよね。あまり具体的に話すと今後恐いので止めときます。ただ、この件をきっかけに旅の安全面に関してかなり気が引き締まった。安全対策委員会が1時間ほど自分の中で行われた。ただ、あの時顔にかかった水分、おそらく唾だと思います。唾かけスリがボリビアであるという内容を何かでチェックしていた。そう思うと無性に腹がたった。

スリに遭う前の話。ラパスに着いた時、ボリビアの政情があまりよろしくないと聞いていたが、ストなどで騒がしい感じではなかった。夕方になると、ボンボンと何やら爆発の音がするのだが、花火を上げているらしい。市民の政治に対する反発と捉えていいのだそうだ。町中を小型バスで移動している時、警官が武装し銀行や官邸など一つの場所に集まっているのを見えた。少し緊張する瞬間だった。
ville de Luna(月の谷)で会った日本人学生に連れられて、日本人folkloreミュージシャン(福田大治さん)のコンサートに行った。ゲバラにささげる曲はボリビアの人にオオウケだった。やはりこの国においてゲバラは英雄らしい。その関係だと思うがキューバ料理屋が目に付いた。そのコンサートが終わってから、ボリビアに留学している日本人留学生含め、キューバ料理屋に行った。MOJHITOはうまかった。CUBANITOというラムとトマトとタバスコを入れた酒は僕にとって罰ゲームだった。

何かこの国、ボリビアの政情に関してもう少し深く知りたいと思うようになった。民主主義、市場経済主義を敷いている国の体制に不満を持つ貧困層(主に先住民のインディオ)がストやデモを引き起こしている事。確かにペルーに比べてボリビアの方が先住民族の数が目立つ。先住民的な意識では誰もが平等を良しとする社会主義的な政権を望んでいるのだろうか。もし彼らの中にゲバラを崇拝する事が政治的願望とリンクするなら、それをこの国に身を置き感じれた経験は僕にとってpricelessだ。では、なぜこの現時点の体制が先住民を中心とする貧困層を生み出すのかだが、一つに主要産業がないことが挙げられる。それ以外にもっと根元的なもの民族的なものがあるように感じる。この点はゲバラが南米の政治体制に矛盾を感じていた通ずる。次に行くポトシ銀山でも何か新しい発見があるように思う。

2005/09/08

I'm in Puno, next to Lapaz

いやいや、ペルーにきて初めて日本語フォントが使えます。今は9月7日の22時でPUNOという標高3800メートルのペルーの街に来ています。ここはチチカカ湖という世界一標高の高い湖があります。今日は朝7時から夕方5時までその湖をクルージングしてきました。途中、欧米版大富豪をフェリーの上でやりました。フランス、イギリス、ベルギー、イスラエル、ブラジル、これまた面白い面子です。ルールは日本と比べてマイナーチェンジしてますが、まぁ理解はできます。大富豪はプレジデントと呼んでいたが、日本で用いる貧民等の表現は民族的に用いなくてそれらはドクロと訳していました。僕が一瞬、slave?と言ったら、NoNO Dokuroって言われました。いや、でもこれを書いてて思うのだが、ドクロって日本語なのでは。でも確かに彼らはドクロと言っていたのですよ。それをきっかけに、かれらと色々仲良くさせてもらいましたわ。パリで今面白い場所や、イスラエル、パレスチナの状態、サンパウロFCを観に連れていってやる等などかなり楽しい時間をすごしました。何よりも生の声で話、情報を聞けるのが貴重な経験です。何かものすごく世界における自分の位置づけを考えてしまう時間でもある。

チチカカ湖のクルージング話。インディオにとって、古くから様々な意味合いを持つ湖なので、現在でも彼らはそこに住んでいる。彼らの暮らしを見物するプログラムもあり、色んな驚きもあったが観光用に作られた感がもちろんあった。どのような心境で彼らは僕らツーリストに自分たちの暮らしをさらけ出しているのだろうかと思う。従来のように、魚を湖でとってそれと物々交換で野菜などを仕入れる暮らしよりも楽なのだろうか(もちろん今も魚類は採っているが)。

明日、9月8日朝7時のバスでボリビア、ラパスに向かいます。当初の予定とは変更です。ウユニの塩の平原を見てみたい事や、ポトシ銀山にも行っておきたい。ゲバラの事も一要因です。

ペルー最後の夜に思うのだが、この国は相当な観光資金を手に入れているし、力を入れている。マチュピチュを例に考えると、クスコから1泊2日で行って帰ってくるのに安くても1万円程必要で、現地の人で行く人はほとんどいない。現地の人は1食200円程(店で)ですから結構な裕福層じゃないと難しいことがわかる。この旅をする上で結構高いプランに毎日先進各国から引っ切り無しに人が押し寄せる。クスコからマチュピチュの麓アグアスカリエンテスまでの鉄道は連日満席に近い(シーズンにもよるが)。僕も行き当たりばったりでチケットをとった。うん、マチュピチュビジネスは大成功してると思う。そんなビジネス的な観点ばかりで眺めているわけでなく、感動しまくってますから。ペルーの観光以外の産業はどうか?日本を代表するような産業、つまり電子機器産業や自動車産業はこの国には存在しない。電化製品はソニー、松下、シャープ、サムスン、LGだし、車はトヨタ、三菱、日産、現代、ホンダ、ワーゲンだし。街ではキョロキョロしてるがペルー製を見たことない。なので、観光産業に力を入れざるを得ないとも言える。まだ観光資源に恵まれているペルーは幸いだ。

コロンビアでも電子機器や自動車市場は日本や欧米の企業に牛耳られているらしい。昨日クスコからプーノまでバスが一緒で仲良くなったコロンビア人のオスカーが言ってた。昨日は彼とプーノで部屋をshareし、夜は一緒にピスコサワー(ピスコはペルーを代表するお酒)を飲んだ。彼は僕と全く同じ年生まれで、大学では環境学を学んでいるらしい。かなり気さくで笑いのツボが似ていた。ラパスで石油会社からの研究依頼で調査しに行くらしい。その後、ブエノスアイレスの姉さんの所で2ヶ月間stayするらしい。eosの海外版の一眼レフを持っていたなぁ。多分kissシリーズの海外版っぽい。

更新が若干滞っているとのY.M君からの指摘がありましたが、この通り(?)生きています。元気です。ちょっと体が痒いけど。マチュピチュではホント感動して、さらにマチュピチュの背後にそびえるワイナピチュと言う山に登り、そこからのマチュピチュやそれを取り囲む山々の風景は最高でした。かなりタイトめなスケジュール且つ色んな人との出会いも会ったので、ネットできない状態でしたねん。俺、ほんとに良い経験をこの旅でしてると思います。

ではそろそろペルー最後の夜を締めたいと思います。CIAO!

2005/09/04

tomorrow is machu picchu

buenas tardes,i am in cuzco.
i came here yesterday(9/2) by bus.i was very tired because it was 22hours from Lima on the zigzag road,and what's more,high altitude.But(i think)the bus which i got is better than ones in Japan.when i was on the bus,i was served meal 3 times(look like airplain). its cost is about 20 dollars.Long-distance bus market is hard competition in Peru.On the other hand ,train which i will get on tomorrow from cuzco to machu picchu is monopoly of perurail.train cost is about 50 dollars,about 4 hours. i can learn some things from above fucts.but i'm looking forward to train to machu picchu.

cuzco's story.cuzco is very nice city ,with traditionally,historically,very fine weather.until a few minutes ago(now 9/3 pm10),i take photos of night view with tripod.i expect this negatives include good works.from now on,i try to take more photos.
ciao!

2005/09/02

Lima is fun, next is cuzco

hola! now i'm in lima. lima is safety and fun. yesterday, i saw and dug someplace in lima by bicycle. i like bycycle,in japan too.i rode coastline of the pacific.the pacific ocean view is wonderful because it was fine(often cloudy in lima).
and last night, i had a party in hostel with australian,canadian,german,italian,englishman,swiss,espanola,finlandian and peruvian.i was familiar with them much more than i expected.Lady from spain was very cute! we had much drink and special time!! .
today's evening i will go to cuzco by bus. it's about 20hour! i expect very tired.cuzco(altitude 3000m) was capital of inca emperia and is given world heritage.
i'm looking forward to. ciao!

2005/08/30

IN LIMA

Buenos diaz!
now 8/30 AM9,I'm in Lima.Between Peru and Japan,time difference is 14 hous. it's cloudy and little cold.
I'm tired of long flight,total 20hour! through vancouver,toronto.
from now,I will go to see the Pacific on foot.The further side of the sea,there is Japan!
Que tenga un buen dia.

2005/08/28

南米へ

明日、8月29日から学生最後の夏を締めくくるであろう放浪の旅に出ます。行き先は掲題の通り南米!!リマIN サンパウロOUTです。ペルー、チリ、アルゼンチン、ブラジルの順でGOGO!帰りに特に意味はないが、エアカナダ利用だからトロントに3日間ストップオーバーして滞在予定。

今日は南米での色んなリスクを想定しつつ、カードや保険の規約書を熟読したり、窓口に行って説明を求めたり、トラベラーズチェックと現金の比率を決めた上で両替したり・・・と。普段の旅ではしないような事まで今回は念入りに行った。向こうの天候や季節を考慮して、モノクロやカラーのフィルムを選んだりしてるとすぐに時間が経ってしまった。

とりあえず安全第一、BUT オープンマインドで行ってきます。
このBLOGに旅日記更新しようかと考えております。

2005/08/18

Read recently 更新

Read recentlyを更新しました。

・木を見る西洋人 森をみる東洋人/リチャード・E・ニスベット
・レクサスとオリーブの木/トーマス・フリードマン
・仕事力(朝日新聞社)
・コーポレートガバナンスの経済学/小佐野広
・経済物理学(エコノフィジックス)の発見/高安秀樹
・フランス映画史の誘惑/中条省平
・さおだけ屋はなぜ潰れないのか?/山田真哉

2005/08/17

BLUE NOTE

 一昨日OSAKA BLUE NOTEに行ってきた。ハービスENTに移転してからは初めて訪れたが、内部空間は移転前とほぼ同じだった。というか東京等のBLUE NOTEも同じような空間になっているんでしょうね。観てきたのは小曽根真トリオ。彼のラジオプログラムを聞くし、以前から興味がありライブに行きたい思っていたアーティストだった。この期間、学生はスチューデント優待が適用されるので、普段の半額でライブを楽しむ事ができた。ドリンクはデュポネソーダを頼んだ(MENUには載ってないがロックでも大丈夫)。

 最新アルバム「REAL」からの楽曲演奏だった。印象的だったのはベーシストのジェームス・ジーナス 作曲の「OCTOBER SONG」と小曽根真作曲でエレクトリック・ピアノのフェンダーローズを用いた「DANCE ON THE BEACH」だった。OCTOBER SONGの序盤のメロディーにぐぐっときて、DANCE ON THE BEACHのフェンダーローズの幻想的な生音は自分にとって新鮮だった。

 音楽評論家みたいに音楽から得た感情を理論的に説明する事はできないけど、抽象的な感情が芽生える時間って必要だと思った。音楽や芸術などからプラスの抽象的な感情を持つ事で、非日常的な感覚が生じる。自分の柱となる時間(自分の柱となる時間なんて学生の自分には存在しないに等しいのですが・・・)から切り離された、非日常的で自由でリラックスしたいい時間を過ごす事が自分の幸せ度を向上させると思う。結局いい時間を過ごすためには機会を作り出す必要があると思いますが。コンサートホールみたいに観客が多くなくアーティストの距離も近いので、ライブを楽しむという点でBLUE NOTEではいい時間を過ごせたと思う(色んな意味で)。

2005/08/15

同窓会

 昨日は初の高校学年全体の同窓会があった。3セクで悪評高きりんくうゲートタワービルの全日空ゲートタワーホテルにて。9クラス(1クラス約40名)からなる学年で、160名程の参加があった。クラス担任参加者は2人だったのが少しさびしかった。

 高校卒業して早6年、中々懐かしいものです。なんなんでしょうね、高校時代一緒の時間を過ごしたというあの親近感。最も素の部分が曝け出されていて、互いに秘密を知っているような。これから知り合う人とはどこか異なる、飾られていない自分が出せるような。基本的に自分自身のノリや性格は変わらないと思っているが、どこから変わらないというと僕の場合高校からだと思う。地元に根付きながらも精神的にも成長してきて、色々葛藤し、でもバカ騒ぎして将来の不安も全くなく、自由な感情で過ごしてきたのが高校時代だったと思うなぁ。そんなある意味大学時代よりも、純粋で自由な精神の元で過ごした高校の友達は落ち着くという点ではビンゴだと思う。

 同窓会会場では、皆自前のデジカメで写真を撮っていたけど、高校の時にはそんなもの誰も持っていませんでしたから。ポケットベル全盛期の時代やったしな。時の移り変わりを感じさせるエピソードでした。

2005/08/03

甲子園


もうすぐ夏の高校野球が始まりますね。この時期になると、自分が高校まで野球少年だった事を懐かしく思います。そんな事はどうでも良いんですが、先日(7月31日)阪神戦を観に甲子園に行ってきました。研究室にインドからの留学生(博士号取得で今秋帰国予定)が居られて、その方がどうしても甲子園に行ってみたいと言われていたので、急遽初のヤフオクでチケット4枚を競り落とした。甲子園は高校野球が始まるので、阪神は長期ロードに入りオークションでも結構高値が付いていた。結局、レフトスタンド正規価格1枚あたり1700円のチケットを3000円弱で購入した。阪神人気なんやなぁとつくづく思った。

実際、甲子園に足を運ぶと独特の雰囲気がありますね、ホンマに阪神好きな方々が多い。レフトスタンドでさえも9割方阪神ファン。阪神ファンというだけで、一種の連帯感が生まれてる。お隣さんとも仲良くなったりでお菓子の交換したり(笑)それも、関西系なのでコテコテ(僕も人の事は言えないが)で面白い。試合はまぁ投手戦やったし、阪神は負けてしまったので残念でしたが。

陽が沈む頃に吹く浜風が気持ちよくて、その時に飲んだビールは最高やった。やっぱこの時期はナイターが気持ちE!一緒に行った留学生も近くに居る阪神ファンと絡んだりして楽しんでいた。この方には僕がインドに行った際、友人を紹介してくれる等非常にお世話になった人だから、この機会にすこしでも恩返しができてよかったよかった。

2005/07/19

暗室


昨日から部室に泊り込み、写真の現像・プリントを久々にやった。1℃のずれ一秒のズレがあっても、微妙に仕上がりが違ってくるフィルム現像をする時はいつも通り集中力が要る。フィルムの中に収まっているカットを絶対に無駄にしたくないと思う気持ちが強くなればなるほど集中力が増す。これまでも数々の現像ミスはあったが、その度に自分が存在していた時間の喪失にショックを受ける。特に一期一会が多い旅先でのカットが詰まったフィルムの現像ミス程、虚しくなる事はない。学部2年の時、タイ北部の原住民(カレン族やったかな)の村を訪れた際、現地の子供達と触れ合い収めたカットがカメラの不具合と現像ミスが相まり真っ黒な状態のネガが出来てしまった。あらゆる後悔と共に眼前も真っ暗になった。

そんな失敗から学ぶ事が多い。温度に対するシビアさ、温度計のチェック。時間の二重計測。単純な事だけど、今じゃ徹底するようになった。
これまでの現像時の失敗を集約したら(カメラ正常時)
1:温度(室内、現像液等)、2:時間(現像、停止、定着、+αでかくはん)の二つだと思う。
この2つをきちんと正確に行えば、フィルム現像は失敗しないと考える。経験的カンの影響はあっても10%程度だと思う。

右の写真は7月頭に研究会で東京に行った際、ふらりと表参道から青山に立ち寄り撮影したもの。実は3、4年前にもこの建築の錯綜的な構造に惹かれ興味を持ち撮影した。今回リベンジ。

2005/07/04

映画『モーター・サイクル・ダイアリーズ』

 昔よく行ってた中崎町の古着屋にこの前久々に行った際、馴染みの店員さんと南米の話で盛り上がりタイトルに挙げた映画の事を薦められた。チェ・ゲバラが主人公の映画だが、彼については高校の時から興味を持っていて、Tシャツを買う等していたが、キューバ革命の指導者くらいの理解しかなかった。そんなチェ・ゲバラにこの映画を観てさらに惹き付けられた。

 モーター・サイクル・ダイアリーズ。内容はチェ・ゲバラが革命家になる前の医大生時代、友人と2人で南米をバイクで旅した事に焦点が当てられている。彼が記録として残したものが題材にされているので、多少脚色があっても実話である。
 
 ゲバラは23歳のハンセン病を学ぶ医大生。旅の目的を特に定めず、彼の生まれた土地アルゼンチンからはじまり、チリ、ペルー等を経てエクアドルまで到達する。この旅での出来事がきっかけで、彼がその後革命家として志すようになる。これまで自国(アルゼンチン)だけで生き、国家間の障壁など考えなかったゲバラが、共産主義を志すが故に浮浪者の道を歩まざるを得なくなった夫婦や、チリのチュキカマタ銅山にて働く者達に会った際、何か言葉にできないものが湧き上がる。その時からの心情を言葉を通じて表したのは、彼がペルーのハンセン病療養所でボランティアを行った際のスピーチだった。
「無意味な国籍による障壁があるが、南米大陸は一つの混血民族から成り立っている。ゆえに偏差な地方主義はやめてペルーと統一された南米大陸に乾杯!!」
(僕、感激!!)

 
 まるで坂本竜馬の発想だと思ったが、やはりチェ・ゲバラも坂本竜馬を尊敬していたらしい。彼が革命家として、マルクス主義を掲げるキューバ革命、つまり社会主義国家としてキューバを成り立たせるために先導したが、なぜ彼が社会主義を選んだのかはこの映画では分からなかった。社会主義国家を広める事で南米大陸が統一する事ができたのだろうか。直感的に現在の結果論として成り立っている国家群を眺めると厳しそうな気はするが、彼なりの理想とする社会主義国家群像があったのだろうと思う。竜馬は理想通りに日本を統一した。ゲバラは結果的に南米は統一していないが、彼のアプローチ(社会主義体制を国家に適応する事)でどんなシナリオを描いていたのか、それが非常に気になった。

 このようなゲバラに興味津々になってしまうと同時に、映画の中の視覚的部分で南米にもさらなる興味を持ってしまった・・・

2005/06/23

映画『THE LIFE AQUATIC』

 今日は公務員試験を教える講師バイトがあり、大阪医専という梅田にある医療専門学校に行ってきた。今日は物理を教えたが、かなり基礎的な部分が中心なので自分も思い出しながら勉強が必要。人に教える事前提でインプットする必要があるので、自分が簡単に思う事象でも意外とむずい。そもそも、どんな知識でもアウトプットをイメージしながらインプットする事が重要ではないかと思ったりした。じゃないと言語化できていない知識が自分に入っているだけで、定着しにくく短時間で自分から離れていくような気がする。


 バイトの後、帰路に梅田ガーデンシネマがあったのでふらっと寄ってきた。特にどの映画を観ると決めていたわけではなく、時間がジャストだったTHE LIFE AQUATICを観た。内容は海洋探検!!で海洋ドキュメンタリー映画を撮るべく冒険にでる主人公達。といってもまじめ度は少なく、所々CGを用いたアニメーション等が盛り込まれており、ジョークも頻繁にでる。
 感想は・・・、良かった。特に衣装と音楽に惹かれた。海洋探検のクルーのユニフォームや帽子などにセンスを感じた。かなり格好良いマリンスタイルだった。アディダスがこの映画用のチームシューズを提供する等、ファッション的な要素が多くのシーンに散りばめられている。音楽はデヴィット・ボウイの曲をボサノヴァ調にアレンジされたものや、かなりUPPERめなテクノポップなんかな、DEVOの一人が手がけた曲も要所要所で流れる等、多様なジャンルのものがチョイスされていて楽しかった。

2005/06/15

あいちきゅうはく

に火曜の早朝から行ってきました。全く無計画な数人で勢いのみで行ったので、少々反省する事はあったが僕の目指す万国文化人へ一歩近づけた、かな。うん、よかった!
途中のコンビニでドリンクと一緒にチケットを買って、そこで駐車場も教えてもらったり。(補足:駐車場は万博内にはないので周辺駐車場で車をとめて、そこからバスで会場に向かいます。)
ほぼ寝ずの状態で行ったため、序盤は暑さと、人の多さに加えて、猛烈な睡魔と戦いながらの、モリゾー・キッコロ博でした。

感想としては、やっぱり企業のパビリオンはすごい!という事です。明らかに金がかかっています。
ソニーの50m×10m(?)のスクリーンで映像を見たとき、そう思いましたね。ただ、どの企業パビリオンも混みすぎ!ネットで予約するべきでした(反省)。


今後、愛地球博に1日だけ行こうと思ってる人のために↓

・おしゃれな靴より、歩きやすい靴を。いや、むしろおしゃれで歩いても疲れない靴を!

・僕らが、チェコ館併設のレストランがあまりの混みようにチェコの生ビールを飲めずに、モルツで妥協していた時(それでも喉カラカラ時のビールは最高だが)、話しを切り出してきた16回この博覧会に来ているおばさん(厳密には名古屋のおばはん)の3つのおすすめ

1,配布整理券でみれるマンモスイベント(ソニーの巨大スクリーン)→確かに物凄くよかった!感動した!

2,トヨタ館→後に残しておいて空くのを待ってたんやけど、あれよあれよと最終回になってやべーと思ったら、定員オーバーで入れず(涙)

3,夜の大地の塔→帰る際に、思い出して後悔。なんとか外観から内部をシミュレーションした。

・平日やから空いてると思うと痛い目に遭います。僕らが遭いました。これからも、もう閉会するまで空く事はないんじゃないかと思うほどの勢いがありました。

・眠たくなった時は、愛・地球広場で寝ましょう。人工芝生が気持ちEです。夜はここで、野外フェスです。ビールとおつまみでひたってください。

↑こう書いていると、全く何もしてないやーと思われがちですが、あまりに万国文化人への意識が強すぎたため国のパビリオンを攻めすぎました。インド館に行ったとき、国の匂いってあるって思いました。匂いが記憶を蘇らせるというか、インドに行った時の言語化されてない感覚が蘇ってきました。なんかちょっとシュールでした。

・カメルーン館は手を抜きすぎ。もっと精進しなさい。エムボマ凹むぞ。

JR東海のリニア体験3Dシアターはなーんかダサかった。でも、Tシャツは気にいったので買ってまいました。

イギリス館はセンスよかった!

スペイン館の人が着ているユニフォームはおしゃれだった。

・ベルギーの竹馬舞台は結構迫力があった。その日はベルギーの日で先のイベントが行われていた。ベルギーの王子様が来ていたのか、皆が騒いでいたが、あまり興味はなかった。むしろベルギーのビールを探していた。

等など、まだまだ書きたいが気が向いたら続きを書こう。

2005/06/10

アメリカンMAP

最近、ふとアメリカに行きたいなーと思ってたら、なんかちょっとでもそれに近づけるGoogle Mapsを発見。アメリカの地理って留学や旅行した事がない人って案外知らんもんよね。でもなんか興味あるよなー。ボストンからシカゴまでどうやっていくんかなーとか、何号線通っていくんやろ、とかとか。MITとハーバードの位置関係ってどんなやろとか、周りに何あるんやろっとか。そんな好奇心が全て満たせて結構びっくりしてました。アメリカを車で旅行したくなったわ。 

2005/05/26

写真『夕焼けシルエット』


shilhouette
Posted by Hello

夕焼けシルエット、こんなタイトルだった。2002年の10月くらいだったかなー、秋晴れの日の夕方。大阪の大正区、工業地域。物凄く空気が澄んでいて、西に傾いた陽が真っ白な雲を赤々と照らしている時。何か面白い被写体があるに違いない、特に歩む方向も決めずただひたすらに感動できる画を求めていた。新しいカメラも買って、急激に写真にはまっていた時だと思う。今改めてみてみると、白と黒のコントラストの表現もそうなんやけど、いかにも人工物的な幾何模様と空・雲の有機的な形、これをシンプルに表現するにはやっぱモノクロがマッチするのではないかと思う。

2005/05/22

写真『人工的ブルー』


blue
Posted by Hello


2年前くらいかな、写真部の合宿で下呂温泉に行った時。駅近く地下道の照明です。別に殺虫灯とかではなく、不思議な青を放っていました。あまり使わないリバーサルフィルムを使用していたので、普段のカラーフィルムよりも色に気を使いながら撮影していたと思う。地下道などで使われる電灯の色が青とは僕的に珍しい感じがするのだが、暖色系よりも波長の短い青を選ぶ理由があったのだろうか。うん。下呂温泉協会のこだわりかな。でも控えめな青でこういう青、なんか好きだ。

2005/05/21

写真『視覚的に懐かしい』


outside bus
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懐かしい感じのする空。Shimlaからダラムサラに行く道中、ヒマラヤ山脈を延々とバスに揺られていた時。ふと窓越しに見上げた空が、小学生の時、夕方家に帰る途中、自転車をこぎながら見上げたなんとも言えない淡い色をした空に似ていた。小さい頃の抽象的な感覚が蘇ってくる瞬間だった。今思えば、ちょっと前のauの宣伝に使えるくらい、元ちとせの曲にぴったりな風景だった。

2005/05/07

地味に更新


c


上の写真はまぁ特に意味がなくて、昨年末にあった高校の忘年会の場所にあった照明を撮っただけです。最近現像出したらでてきました。

Read RecentlyやPhotoの中も少し更新!2004年3月に卒論・修論お疲れ研究室旅行で行った城崎の写真中津の写真もちょこっとUP。そろそろインドのカラーもUPしようかなと。

2005/05/06

映画『パリ テキサス』

昨日、BSでやってたパリ、テキサスを観た。ヴィム・ヴェンダースの作品で以前からも観てみたかったんだが、レンタルする必要もなくラッキー。タイトルのパリ、テキサスとあるが、パリの土地は全く出てこず、舞台としてテキサス、ロス、ヒューストン。ま、実際にテキサスの中にあるパリという町は関係しているのだが。観て思った事、内容はさておき、映像が気持ちE!同じ被写体を撮影するにしても、風景の気持ちよさを存分に引き立てる構図を提供してくれている。こういうロードムービーをみると、無性に旅行に行きたくなってしまう。若干行ったつもりにもなってしまう。アメリカを車で旅行したら面白いでしょうねー。相当気持ちE!(使いすぎ?)でしょうね。GWの脳内バケーションには持ってこいだったかな。僕は中々家で本を読むのは苦手なようで、家では映画にかぎるな。外では本かな。

2005/04/25

怖い事故

今日は本当に怖い事故がありましたね。
結構近いエリア且つ、電車通学の僕にとっても怖い事故だった。
久々に行った写真部の部会で後輩と話していると、彼はまさにその路線の通学者で、事故の1時間弱前に乗っていたと言う。さらに毎日1、2両目に乗っているという。というのも彼は喫煙者で、快速乗り換えの駅の喫煙所が1両目近くにあるからだという。今も救出作業が続いているみたいやけど・・・。

2005/04/20

アカデミックな・・・

今日は久々の授業に出た、今期初めての授業だった。自分と異なる研究科、経営学研究科の授業、経営管理特論だったのだが、学部の時からお気に入りの素晴らしい教授である金井壽宏先生の授業だ。
本当にこの先生は内外からの評判がいい、僕自身も以前授業履修した時から崇拝している有名な経営学者なのだが、授業に足を運ぶといい感じのアカデミズムをぷんぷん放ってくれる。こういう授業は自分のモチベーション維持、もしくは向上のために必要な授業だ。
今日は「科学的管理手法」の提唱者、Frederick Winslow Taylorについての授業だった。彼の古典訳書「科学的管理法」について内容を議論する時間を持った。彼は今現在の日本の生産組織形態はもちろんの事、レーニンにも影響を与えている、つまりは社会主義にも影響を与えている人とあって素人の僕には驚きだった。ただ生産工程や社会主義とはかけ離れたように思うが、共通する事として、どちらも組織の平準化を目指している事だ。基準の設け方は生産工程の場合はトップに基準を設けたが、社会主義の場合どのレベルに基準を設けているのかは分からない(もうちょっと勉強セナ)。日本が誇るメーカーの生産システムや、組織形態に影響を与えているとあって、テーラーの古典「The Principles of Scientific Management」を読む事は、金井先生曰く(テーラーの解説書を読むのではなく原著を読む事に非常に意味がある)らしい。あくまでも経営学者を目指している人向けに言っていたのだろうけど。たかだか、100ページ弱らしいです。とあって、早速先程アマゾンで注文しました。安いです。500円くらい。安い自己投資自己投資、へへ。
 確かに古典を読む事、原点を知る事は自分自身も数年前から気を使うようになっていた。音楽や写真にしろ自分の好きなアーティストが影響を受けたアーティストをしろうとしている。本でもそうやな。すげー経営者が影響を受けた書物!なんかをミーハー心で読んでいたように思う。なんか、そういうのって考えてみると自分の現時点で好きなアーティスト(経営者)の価値観に近づきたいって思ってるのかもしれない。
そういうのを時間かけて突き詰めれるのは、学生の特権かも知れない。ってか。
 

2005/04/17

内定者懇親会

昨日内定先企業の関西メンバーの懇親会があった。少々緊張したが、多種多様な方々が居て優秀さを感じさせるメンバーだった。不満要素は全くなく、これからどんどん仲良くなりたい。皆がお互いにそう思っているような印象を受けた。僕もそのひとり。
人事の方々も僕が現時点で抱える業務への疑問や不安を親身になって聞いてくれる。セミナーの時に僕が外部から発した質問に対する真摯な態度と全く代わらないものがそこにはあった。人との縁、そんな抽象的なもの、でも生きていく上で必ず存在すると思うもの、それを僕は就職活動という期間に経験したと思う。そして今、最も縁を感じた企業への入社を決定付けようとしている。また、そこには自分が活躍できるフィールドが存在し、漠然とだが生き生きと活躍している自分の姿がみえる。
今後はそれが仮説的であるかもしれないが、中長期のビジョンを定め、学生の時期を最大限有効に使う生活を送りたいと思う。らくーにゆるーく、でも切れ味のある生活を送ろっと。
4月末には丸の内本店で全国型内定者全員が集まる懇親会がある予定。関東では間接的な友人も決まっているらしく未知な出会いが楽しみ。

2005/04/14

気分転換

という事でテンプレートを変えてみました。
就活でばたばたしていたけど、ほっと一息です。
4月中には就活も終わるでしょう。お、その後にGWがありますねー
最近上海に行きたいので、いこっかなー。

2005/03/09

写真追加

どもどもー

ざっと上に写真のっけてるんですが、追われ終われ!のエントリーシートの合間に上のMORIBLOの中でちょくちょく写真追加してるのでまた見てください。あ、コメントもよければ。

さっき、息抜きで、坂の上の雲読んでたんですが、やっぱいいですね。僕は児玉源太郎が好きです。柔軟な発想がいい。203高地で多大な死者を出している現状に、乃木に代わって指揮をとり命令を下しているところ。砲兵専門家に依存していた乃木の行動とは打って変わって、児玉は戦場において専門家を信じず一言
「諸君らはきのうの専門家であるかも知れん、しかし明日の専門家ではない」
専門家の既成概念による枠組みを取っ払うべく行動にでた。うーん、実際誰が正しいかは結果論で、当事の戦況や心理状況を考えると本当にリーダーの採るべき行動によって全てが決まると言っても過言ではないのですね。さらっと読み進めてるけど、この本はいつも多くを発見し、考える事ができる本です。・

2005/03/03

続き

前回の続きでー。意味不明な方は前回からどうぞ。

結局そのインド系外国人の方は、乗客でした。まぁ僕自身不安で状況を聞いてもらいたかったので、自分のバスに置いていかれたエピソードを語り、共感(?)してくれたような、なかったような。でも、空席はたぶんあるよという嬉しい情報をくれる。

運転手が戻ってきたので、交渉開始。できるだけ怪しまれないように、深夜にも関わらず昼間の笑顔ではきはきと状況と希望を話す。その時、別のJRバス運転手が来て、僕の置かれた状況を聞くと「僕のとこ、がらがらですわー」。
なので、そちらのバスにお邪魔する事に。

現金は持っていたのですんなり乗車。しっかり領収書はもらう。
その運転手のお兄さんは、僕の置かれた状況に同情してくれて、「電話とか貸しますんで何でも言って下さい。ゆっくり休んで下さいね。」と温かいお言葉。
ほっと一息ついて、消灯された車内を覗くと、ほんとにガラガラ。30人定員中4人くらい。かきいれ時の週末なのに。格安高速バスの影響で、JRバスの乗客がとられてると言ってた。頑張れっJRバス!

バスに乗りながらこの後の展開を考える。
・現在乗っているJRバスは東京行き
・僕を置いていったバスは新宿行き
・いずれにせよ、東京駅から新宿まで行く必要あり
・なんとか元のバスの運転手と話す必要あり
→ようやく、僕がおらん事に気づいてちょっとだけ慌ててるやろ。でもさらっと客を置いていくくらいやから、あんま気にしてないかも(ムカッ)

まぁとりあえずは、
・東京着いてから一度自分の携帯にかける→アホ運転手がでる→ほぼOK
・携帯にでない→ネット上に会社の番号、緊急用の番号があったと思うので、マン喫で調べる→電話

その日、名神高速の静岡あたりで雪のため通行止めになっていて、JRバスは中央道を迂回してきたから数時間遅れで東京駅に到着。降車する前に、電話を借りて自分の携帯に電話。つながる、運転手でる、ほっと一息と同時にちょっとだけ文句。まぁ、僕を置いていったバスは、雪で通行止めになった東名高速を迂回して中央道で来るスキルはなく、東名で立ち往生していたため、未だ新宿にも着いていないらしい(トホホ)。電話をかけた時まだ沼津だった。

とりあえずこの後も、何回か公衆電話から自分の携帯にかける等かなり手間取ったが、数時間後、新宿到着予定の場所に行って荷物、鞄達と再会する。とりあえずJRバス等でかかった料金も多くもらえたし、JRバスは快適だったし、まぁ運転手も謝ってくれたし、ネタにもなったし、結果オーライという事で何とか元の状態(?)に戻る。

はぁこんな感じ。ええネタやろ。面接でつかおかな。

2005/02/27

バスが僕を・・・

先日就活でちょこっと東京に行ってきたのですが、ありえへん経験をしてしまいました。
価格の安さにつられてサンシャインツアーとかいう夜行バスで行って来たんですが、とんでもない事をしでかされました。


そう、
途中立ち寄るサービスエリア(滋賀の多賀SA)に僕を置いて、バスは東京に向けて行ってしまったんです!


小さいときから、皆さんも修学旅行や遠足にバスで行ったとき、何となくバスの発車時刻を気にしていましたよね。僕自身も昔から、バスにほうっていかれたらどうしょうとか、サービスエリアで降りても何かそわそわする事があったんですよね。でも経験上、バスはまさか自分をほうって行かないだろうという思い込みがありました。

話しは戻り、とりあえずサービスエリアを2周半走りました。やっぱりバスはありませんでした。全く違うスキーツアーのバスとかも入り口まで行って覗き込んだり、今ある現実を否定する行動をとっている自分。走りながら自分の置かれた状態と次にとるべき行動を確認しました。予定バス発車時刻はAM1時20分のはずやったのに、僕の時計はAM1時15分。なんでやねん!!ほんまありえへん。あの乗務員のおっさん確認なしかよ!!あの適当め!! とか思う。

所持品:財布のみ ← 最悪ーーー

携帯、スーツ、その他荷物は全てバス。携帯を持ってこなかったのが悔やまれる。

とりあえずサービスエリア内に向かいながら冷静になる。チケットの領収書があり、一応電話番号が載っているがおそらく営業時間外で用無しと予想。期待度2%で公衆電話からかけるが案の定用無し。サービスエリアの中は週末なので、多くのウィンタースポーツを前にテンションが上がってる人々→孤独感倍増のなんとも憎い演出。このエキストラ達め。どうせどっきりやろ、なんて亜流な事は考えなかった。

次に、インターネットが使えるかなーとSA内の食堂の方に期待度5%で尋ねるが・・・→やはりNO。

一度外に出て辺りを見渡すと共に、残された2つの選択肢の実行計画
1、東京行き長距離トラック交渉
2、もしかしたらの東京行きJR高速バスへの期待(自分よりも遅い時間に大阪を出発しているもの)

僕を放置していったバスが戻ってくる期待は限りなく0に近かったし、どんな手段であれ東京に辿り着くまでに発生した費用は払ってもらうつもりでいた(当然だが)。とりあえず、夜行バスの価格低下理由をWEBによる最適な配車計画が可能になったからや!とか友達に言っていた自分を悔やむ。僕がされたのは明らかにサービスの質悪やんけ。

とか、考えてうろうろしていると、今まさに着いたっぽいJRバスが律儀にも3台も止まっているじゃあーりませんか。ドライバーは乗っていなかったので、戻って来次第交渉をスタートしようと思う。

しかし、なんでこんなネタになる経験をしなあかんねん!と内心思いながらも、まぁおもろいかと納得の路線を歩みはじめる。

ちょっと間してからバスの方に行くと、バスの入り口辺りにじーっとたっているインド系なのかパキスタン系なのかって感じの外国人の方が居て、あまりにもじぃーっと立ってるので、もしかしたらドライバー!?って思いつつ、3回くらい目が合ったところで声をかけると・・・。

続きはまた後日。

近々締め切りの消費財メーカーとシンクタンクのエントリーが待機してくれていますので。

でわでわ

2005/02/15

就活モード?

いやはや、久しぶりの書き込みです。
研究室の学部4年、修士2年の卒業・修士論文の提出も無事終わり、僕自身もようやく就活モードに!?といっても別にこれまでと変わることなくぼちぼち進めていくつもりですが。
とりあえず、論文提出で奮闘された皆様お疲れ様でした。

最近、何冊か本を買って読んでたんですが、今の僕にとって気になるタイトルの本を読んでみました。
その名も、『採用の超プロが教える できる人できない人』。
この本の著者は安田佳生というワイキューブの代表で、これまで社長1000人、学生2万人と接して得られた知見をもとに書かれています。
こういう下りからはじまると、まぁあたりまえの事が書かれていても「ふむふむ、なるほど、そうか」と聞き入れてしまう自分がいます。

本書の中でひとつ印象に残った部分として、
彼が、ビジネスマンとして必要な素質として・素頭のよさ・素直さ・エネルギー量を挙げている。まぁこの辺も耳にたこですが。
挙げた中の人材のエネルギー量を測る部分で、「人生の目標バー」をどれだけ高く設定しているかという項目がある。そこで、彼は高いモチベーションを保ちつつ、バーを越えようという人生設計図を持っているものが勝つと、断言している
このように、著者自身が断言している内容が本書では多々含まれている。
ワイキューブ自体、人材確保のノウハウを企業に提供したり、中には大手企業の人材コンサルもしていて、彼の価値観が企業の人事の価値観に影響を与えているかもと考えられる。まぁ、軽く読めるし、できるやつ・できないやつの定義とか、たった100円でわかる人間の器とか・・・興味深い内容も含まれているので、一読の価値はあるのでは。


話しは変わり
ついさっき、友達からの電話でビールの宣伝をされましたので、この場で挙げときます。
なにやら、近々アサヒの本生ゴールドというものがでるらしく、彼はこの売れ行きをあげようと必死そうだったので僕は応援してあげる事にします。本生ゴールドは発泡酒の値段そのままで、かなり上質な飲み応えらしい(と言ってました)。皆様も見かけたら飲んでみましょう。役所広司(←ウッケー、別所哲也やんけ!)がでるCMも始まるらしいです。徐々にCM本数も増やして、スーパードライよりも多く流すみたいですよ。アサヒさん結構この商品に力入れてるみたいですね。ぐいぐい飲みましょうー ぐいぐいー

2005/02/02

如月始動

どもども、2月になりましたね。
そろそろ、学校の課題やテスト等が落ち着くはずやったんやが、まだまだそっちも気に留めておく必要があったりの今日この頃。

寒いですねー。

極寒の夜の空って、やたら澄んでて、なんか黒がしまってて、強そうな印象を受けてしまう。空が人間を上から攻めてる感じ。
こんな夜に写真撮りに街に繰り出して、三脚立てて寒さに耐えながら、シャッターが閉じるまで20秒くらいじっとしていたいものです。昨年の今ごろはしょっちゅうそんな事をしながら写真を撮っていたように思う。ちょうど友達のバンドの曲を写真で表現するって事に夢中になってた時やったような。

「五等星」って曲をイメージして撮った写真。中津の夜を凍えながら怪しく動き回っていた、その時の空気感と空の印象が、今日見上げた夜空の感じに似ていた。僕的に中津は大学の最初の方から好きな場所で、梅田の輝きに消されるけどしっかりと五等星並み(肉眼でギリみえるのか)の輝きは持っている(?)、そんな場所です。阪急使っている人もほとんど降りた事なかったり、名前すら知らない人もいるようですが、一度中津で降りて梅田に歩くなり、スカイビルに行くなりしてみて下さい。2,3個の発見は辛うじて保証します。

そんなこんなで中津で撮った『五等星』


Canon Eos-7,EF 24mm, Kodak Royal-Gold 400

2005/01/22

並行作業

ほんと並行してやる事が多い今日この頃。
今、月曜にある2つの授業の課題レジュメ&パワポつくり中です。

1つ目はうちの研究室の助教授担当の授業。内容は現在の航空市場の競合状態を列挙し、モデル化し、均衡解導く・・・等。
□僕が選んだものは、アメリカのある路線でサウスウエスト航空とアメリカン航空等のメガキャリアが引き起こしている価格競争をモデル化・・・。現段階で自分が提示する内容自体も理解不足→ミクロ経済の本片手に式の概念やらを一つ一つつぶしていく必要あり。

2つ目は建築界の重鎮(?)とされている重村力って先生の授業。
この授業は僕以外その教授のゼミ生なんやけど、土木の僕がこの授業を履修した理由として。

今から2,3年前だろうか、梅田のサウナでバイトしていた時です。
そこはなんと安藤忠雄さんがよく利用されていました。彼が来た時、僕のミーハー心があんな有名人が居るのに話しかけないわけがなく、4、5回お話しさせてもらったことを覚えています。
安藤さんが裸に近い(もしくは裸)状態やけど彼のバックボーンを知っているため、少なからず緊張しますわな。彼の事を全く知らない他のバイトの子は「え、あのおっさんが、まじで!」っていうまぁ当然なリアクションをしていました。そこで安藤さんと色々話させてもらっている内に、僕自身の話しになった時、「あー重村さんおる大学かー」って事を言われました。その時僕の中で、重村要チェック!→いつかその先生の授業履修してやろう!!→今期履修!!!but課題キツイ(トホホ)みたいな感じです。

その授業は先生が忙しく回数は少なかったけど、一つ一つの授業は毎回各自が授業の目的に沿って調べてきたことを発表→先生コメント。みたいな形やから、毎回緊張です。でも先生の示唆は鋭く、且つすさまじい知識ストックを感じさせる話しぶり。いやはや、さすが重鎮、刺激的でした。と、過去形になっているが、月曜には最終プレゼンがあるわけで、完成までまだまだ時間がかかりそう。なんとしても完成させねば。

ちなみに僕がこの授業で取り組んでいるのは、“人がどのような要因のもとで行動するのか”って事を今和次郎が提唱した考現学の「人の行動に関する調査」の部分と、観光行動の心理的作用を結びつけた形で書き進めている。建築の授業だが、僕の中では「建築外の思考」が前提となっている。

2005/01/21

写真UP

写真UP!
MORIBLOってとこからリンク先のフォトアルバムに飛びます(↑)。現時点でスキャン&UPしたインドの写真を載っけています。
どうぞ、見てください。写真見てくれた方、写真アルバムの中の「CONTACT MEMBER」ってとこから、リアクション語ってくれたらうれしいです。僕自身、写真のモチベーションが上がる事必至なのでお願いしときます。また今後もカラーなど含めて色々UPしていきますんで、観てくださいねー

2005/01/16

ウォントとニーズ

先日、就活で東京に行ってきました。
その時に持っていく本として、書棚から一冊の文庫本を選んだ。
タイトルは「生きること 学ぶこと」。なんてまじめなタイトルでしょう。大学1回の時に読んだ記憶があったが、内容はほとんど忘れ去られていました。
著者は広中平祐という数学者で、いざ目を通してみると、今の僕に素晴らしい知見を与えてくれました。その知見とは「ウォント(欲望)とニーズ(必要)の違いを理解した上で、創造に重要なものはウォントである」という事。その言葉だけ見ると若干抽象的かもしれませんが、就職活動中の自分にとってもウォントとニーズを考えながら物事を選択していく大切さを実感した。

以下本書の言葉を引用する
「ニーズ」と言う言葉は、空間的に言えば、外部の状況を判断して割り出した必要性であり、時間的に見ると、過去から現在にかけて人間が経験した事、得たものを基準にして割り出した必要性という意味に使われる。これに対して「ウォント」は、自分の内部から出てくる必要性であり、現在と未来に時間軸をとった上での必要性を意味している。すなわち、欲望とか、欠乏を内包した「必要」がウォントの意味なのだ。

そして、彼が「複素多様体の特異点に関する研究」でフィールズ賞を受賞するほどの研究成果を出せたのは、ウォントという情念が常に彼を動かしつづけたからだと言う。
ものを創る過程には総じて飛躍が必要であり、彼の飛躍の原動力はニーズではなく、ウォントであった
という。

また著者は若者の就職に対して、情報などによりニーズを割り出して就職先を決める人が圧倒的に多いと言う。例えニーズから割り出した就職先であっても、それが何らかの形でウォントに切り替わらない限り、どこかで挫折してしまうのではないかと言う。

理性による判断から生まれた「ニーズ」、現在の自分の中にある何かいたたまれない情念から生まれる「ウォント」。最近、就職に対して自分自身はニーズ一辺倒で考えて来た感があった。ニーズありきのウォントになっていたと思う。その場合のウォントは何かしっくりこないなと思う事が多々あった。そういう思考回路を一度リセットする機会をこの本で持つことができて有意義だった。

あーー2日酔いなのか、風邪なのかわからないこの体のだるさ。リセットして欲しいです。

2005/01/04

2005年スタート

新年3日が過ぎようとしてます。
意気込んで年末年始にがっつり本読み計画を立てたものの全くです。
まぁある意味家族や親戚や友達等と密度の濃い時間を過ごしたのでありでしょうか。
うん、ありにします。

明日もまだお気に入りの図書館は開いてくれませんが、そろそろ生活リズムを作って具体的に課題などをこなさなと思う深夜。生活リズムは自分自身非常に重要視しているのですが、作り出すのはなかなか難しい。

リズムを形成したいとき<僕の場合>
                             
1.必ずこなさなければならない事(課題)を把握
         ↓
課題をこなすためのおおよそのプロセス把握
<期限から逆算してどれくらい困難そうか> 

2.自分の将来像把握
     ↓
将来像に必要な事(読書等)把握

1,2より
課題と読書のその時点における優先順位を選定       
           ↓
優先順位に応じて一日の時間配分選定
<飽きやすいので並行する>
                      
ん。ていうか誰でもこうするか。
結局は短期的な目標設定により自身にプレッシャーをかける事が大切なんでしょうな。