2007/01/30

映画『フラガール』

週末、フラガールをみた。渋谷のアミューズCQNにて。
当初は酒井家のしあわせを見る予定だったが、一日前に終わっていた。

フラガールの上映開始時間にタイミングが合ったので、半ばしゃあなしでフラガールをみようと思ったわけだ。前回シネカノン系の映画を観た際に予告でやっていたので、作品の存在自体は知っていた。でも、これほどまでに素晴らしい映画だとは思わなかった。本当によかった。

このタイトルから予想するストーリーは、一般的に大体こんなものだろう。
「これまで全く何もできない連中が、団結してフラガール大会かなんかに出て優勝してはい感動!涙ーパチパチーっ」て感じだと思う。大体そんな感じのストーリーが多いのも事実。

ほんとは以下のようなお話。
昭和40年代の福島県いわき市。時代は石炭から石油の時代へと切り替わりつつある。そのような時代背景のもと炭鉱が閉山の方向に向かい、炭鉱会社は次のビジネスへ切り替える必要性に迫られる。そこで炭鉱会社は現在も存在する常磐ハワイアンセンターを営む事を決定する。そんな中炭鉱業に従事している人々(家族)の中にも解雇者が多数出てきて、何か新しい職に就かなければならないのだが、それまで何代にも渉って炭鉱と共に人生を送ってきた人々には新しい生き方には戸惑いがある。炭鉱の元に生まれ、大人になると必然的に炭鉱に入る。それを当然と生きてきた人々には、フラダンスのような半ば自分たちと相容れないものを排除しようとする意識が主流。ただそんな中でも、炭鉱で一生を終える事に疑問を感じ、何か新しい世界に憧れをもつ少女を含む何人かの人間も居る。

ま、ストーリーはこれくらいにしておいて、結果的にはフラダンスという未知のものへの感動が人を変えていくという事

次第に人間の保守性が崩れ始め、新しいものを受け入れはじめる。未知なものは誰だって恐怖感がある。自分の知らないものとはできるだけ触れ合いたくない。そんな意識よりもフラダンスの感動が勝ってしまって・・・という事を全面的に押し出しているわけではなく、実はフラダンスの感動云々よりも、時代が変わることによって、それでも人は生きていく必要があり、その働き方の一つとして、フラガールという選択肢があった事。

映画のワンフレーズで炭鉱夫役の豊川悦治のセリフで、炭鉱が閉山し縮小され行く行くは別の仕事に就く必要性がある現実を知ったとき、『なんで時代の流れに自分たちがあわせなくちゃならないんだ。』と、対極に立つ視点も肯定的に描かれている。

上でも記したように未知のものへの感動(フラダンス)が人の固定観念を変えていく。感動を受けた者は過去の価値観への否定がはじまり、結果的に新しい価値観が登場人物自身の中を占有していく。そんな登場人物の内面的な変化が地方特有の方言と相まって、感動を運んでくれた。

言葉より語るもの。どんな言葉で説得するよりも、表現で気持ちを伝える事ができたら素晴らしい。本作品ではそれがフラダンスだった。

映画の作り手としてはフラガールという題材を用いて、次の3点を伝えたかったのではないかな(主観が十分に含む)。
1、時代の変化に順応する事も時には必要
2、現代に通ずる女性の社会的地位の変化のポテンシャルが、昭和40年代の炭鉱であっても存在していた事
3、過去の考えに固執せず、未知なものを受け入れる素晴らしさ


上記を踏まえて良かった点をまとめると
・何を否定する訳でもなく、新しいもの(フラガール)、旧いもの(炭鉱)のどちらも大切であるというバランスの良さ
・邦画だから味わえる、日本語独特の方言を通じて表現される感動
・フラガールという一見軽そうなイメージの題材で、現在の社会構造を表現するかの如く内容に深みを感じたこと

おすすめですだ。

景観

寮に戻り、PCをつけてふと考えた。
何なんだろうこの囲まれてる感は、と。東京ではほとんど海が視界に入ってこない生活を送っている。学生の時は学校が高台にあったので毎日と言っていいほど海を見ていた。というか、必ず海が視界に入っていた。研究室の席も左をみると大阪湾が一望できた。何気に毎日景観に恵まれていたんだなと思う。

今は会社で18階に居るけど海は見えないし、景色を楽しむ程の余裕はない。ただ周りには緑がたくさんある素晴らしい空間が存在すると思う。仕事中であっても時々感動的な瞬間が訪れる。それは会社の電気が消えたとき。一瞬で辺りが真っ暗になって(自分的には毎回結構びびるのだが)、ふと窓の外を見ると素晴らしい景観が広がっている。皇居を挟んで新宿方面のビル群が闇の中でくっきりと輝いていて何とも格好いいのです。客観的にみると自分の周りのPC画面の明かりもなんか画になるのです。白色系の色は闇と調和せず光に存在感があった。暖色系は懐かしい感じがするがシャープさに欠ける。そんな事を毎回考えてしまうのです。
でも大抵早々と再点灯されて、現実に戻るのです。

自分は特に景色が良い所を好む。旅行してた時に泊まる所も、クオリティには妥協できても、窓外の景色には妥協していなかったように思う。
写真の時もそう。視覚的に感動できるものを撮る。シンプルにただそれだけだった。

今の寮は特に景色がある訳じゃないので、窓の外を観てたそがれる事もない。

人間が感動する対象って色々あると思うけど、景色で感動する人って多いのではないでしょうか。逆にそれだけ普段の生活で視界に入るものがすごい大切なんだと思う。

住むエリアも大切だけど、景観を優先的に考えて海が見えるマンションとかに住んでしまうんかなー。となんか自己分析してみた。

2007/01/03

帰阪と帰京

年末に業務が終わり、バタバタとしながら大阪に戻って、色んな人に会ってパワーをもらって、風邪も誰かからもらって、そして今日、一時間待っても恐らく座れないだろう新幹線に2時間半立つこと覚悟で飛び乗って、明日から仕事再開。
あーなんかリフレッシュはできなかったような関西でしたわ。モチベーションはアップしましたが・・・。
時間が限られている分タイト目にスケジュールを組んでしまうんでしょうな。
今年は余裕目に時間を見積もって、何事も余裕を持って行動するようにします。時間に対する感覚をもっときっちり持たないと、なんかその内痛い目に合うような気がしてならない。体調も壊してしまうと思うし。

まぁでも今日は新幹線にてラッキーがありました。
上でも書いたように、今日の新幹線はUターンラッシュで混みこみ。
新大阪発でも座ろうと思うと、1時間くらいはかかる。まぁ指定席をきっちりとっておけという話ですが・・・。この点の自分の「なんとかなるわ精神」も要改善です。
で、もう並んでいても拉致があかないと思ったので、2時間半立つ覚悟(途中で座れるかもという邪念を排除して)で、立ち読書する覚悟で席が埋まった新幹線に乗り込みました。
中国での西安ー上海間の悲惨な状態での17時間くらいに比べたら、揺れのない新幹線の2時間半くらい余裕だろうと言い聞かせながら新大阪を出発しました。
さらにストイックな事に手持ちの本の中で最も眠くなるであろう本(保険法/山下友信ら、有斐閣)と格闘する事に決めたのです。連結部には既に人が居たので、乗客の側に立つことにしました。子供の横だと大してうっとうしがられないと思ったので座っている子供の横で2時間半過ごす事にしました。
京都まではまぁ楽勝です。荷物を棚に置いたり、音楽の準備とか本の準備をしている間に着きました。まさか新大阪発の新幹線で京都に降りる人が居るわけもないと思っていましたが(座るのには相当時間がかかるため)、若干確認してしまった自分が恥ずかしい。お次は名古屋。まぁ余裕余裕と思いつつ、読書も進んできたー。音楽もいい感じで快適な立ち読書を続ける。そうこうしている内に、名古屋着。んーここでも降りる人は居ないかなーと思いつつも、若干確認してしまう。名古屋を出たとたん、この新幹線は大半の人が品川か東京に降りる人だったのだと分かる。
名古屋からが長ーいのだ。特に静岡が長ーい。若干風邪気味も影響してちょっと嫌になってきた。でもひたすら読書の集中力を切らすまいと思いながら上京中。自分との戦いだ。今日の午後にテレビで観た箱根駅伝復路の走者を思い出しながら(いやーあれは感動したよ)、自分は相当余裕だと言い聞かせていた。
とその時、僕の側で座っていた子供のお父さんがやってきて(子供とお父さんは別々の場所で座っていた)、落ち着きがなくなった子供を抱き上げて「どうぞ」と僕に席を譲ってくれたではないか。立ち読書時間は出発からジャスト1時間半でした。想定外で無欲のラッキーでした。
でも、名古屋とましてや京都でも降車確認をしてしまってた事からすると、まだまだ無の境地は程遠いと反省した。

この出来事を通じて今年一年もひた向きに努力をしようと思った(立ち読書=努力とはいい難いかもしれないが)。そしたら必ず道は開けると信じて。

今週末は3連休なのでリフレッシュできそうです。