2006/11/24

映画『麦の穂をゆらす風/ケン・ローチ』

麦の穂をゆらす風を見てきました。シネカノン系、渋谷のシネ・アミューズ で。

本当に有意義な映画だった。
見ようと思った動機として、北アイルランド問題・IRA等など、何気に耳にするがよくわからない事象に関して、イギリスと関連した表面的な知識はあるものの、なんか深いところまで突っ込むきっかけがなかったので、その辺りをこの映画で知りたい、または知るきっかけになれればなと思っていた。

結果的に自分が知りたいと思っていた事は、1920年のイギリスからの自由(独立)を目指したアイルランド人の戦争について、映像とリンクしたリアリティのある知識としてストックされたと思う(全てを確実なものと思うつもりはないが)。因みに「麦の穂をゆらす風」とはアイルランドの伝統歌(アイリッシュ・トラッド)の『The wind that shakes the barley』でイギリスによる弾圧からの抵抗の意を含んでいるみたいです。

歴史的な事実と共に、この映画から戦争や紛争を通じた普遍的な人の行動を知ることができた。
イギリスからの独立のためにどのような行動をとればよいのか。自分の命を犠牲にしてでも、自分たちの国の事を真剣に考え、自分たちの国がどのような政治体制を取れば最善なのか。イギリスからの名目上自由を獲得した後、多くの要因で自らの信念を固執してしまうために、兄弟関係すらも敵対してしまう事の悲惨さ。

映像的に悲惨なものが多いけど、この映画で伝えたいのはイギリスとアイルランドの単なる一国と一国の歴史上の事実ではなく、イギリスからの自由獲得後のアイルランド国内の大きく2派に別れ、昨日の仲間は明日の敵のような事態に陥ってしまう無政府状態の国民の心理状態の危うさかなと思う。何が正しいか分からないが、イギリスからの長い統治から解放を目指し、自らの信念で国を導こうとする人間達の様々な思いが錯綜する事で衝突してしまう結果を、最終スポットに当てられていたが、それは現在も存在する北アイルランド問題に起因したものなのだと理解した。

アイルランドに行きたくなった。
映像を通じた風景もそうだが、歴史からの興味はさらに訪れる動機を掻き立てる。訪れて色々感じてみたいなと。
純粋に本当に世界中には色々な問題があるんだなと視野が広がる時間でもあった。

こういう意味のある、個人的に本当に有意義と思われる映画をもっと多くの映画館で上映されればいいのにねー。まぁ映画に対して個人差があるのは理解できるが。

2006/10/28

部コンペ

行ってきましたゴルフ!
コース初デビュー!
あぁ楽しすぎた。完全にハマッタ。ゴルフ。

会社の部コンペで金曜夕方5時にバスで会社前を出発して箱根へ。
湯本ホテルで宴会、飲み飲みで。相当飲んだ。(飲まされた?)てか、バスに乗り込んでからずっと飲んでいたか。こんな感じなんですね、会社のゴルフコンペって。部コンペといえども、予想以上にフランクな雰囲気だったので、終始普通に楽しんだ。

で、翌朝6時起床で箱根くらかけゴルフ場へ。

天気は序盤曇っていたんやけど、午後に近づくにつれて最高の天気になってきた。めっちゃ青い空とそれに反射する芝の輝きの中、打ち下ろしコースのため芦ノ湖が一望できた瞬間は相当気持ちよかった。なんて贅沢な空間なんだろうと思っていた。

プレーについては、打ちっ放し数回行ったのみ、買ったゴルフクラブもほぼ未使用な状態の自分にとっては相当不安だったが、意外と予想以上に終える事ができてよかったよかった。諸先輩からもお褒めの言葉を頂いて感謝。プレーの上達意欲に俄然拍車がかかりました。

コース合計が約6000ヤード(約5.4km)で、さらに右往左往するので7、8kmは歩いた事になるし、高低差も相当あるコースだったので予想以上に疲れた。

細かいルールを含め何から何まで新鮮だったが、これまで未知だったゴルフに対する自分の視野がぐーんと広がる機会になった。これからも続けていきたい。とりあえずゴルフやる人、一緒にコース回りましょう。

2006/09/27

社長・副社長・専務・常務の方々と

今日は仕事後、タイトルの方々(自分の会社の)とどっぷりと話す機会があった。
会社の企画で、アフターファイブに2時間くらい、社員60人と、社長・副社長・専務・常務(15人くらい)と立食形式で食事をしながら・ビールを飲みながらざっくばらんに話すというものだった。同期がだれも来ていなかったので、最初はやや緊張気味だった。

短時間に色んな人と話して、より会社の事が見えたというか、何か言葉にしにくい刺激というか。まぁただ役員の人らはかなり気さくな方々だったし、最終的な意思決定をしている方々と思ったらなんか、色々と参考にしたい(すべき)部分が見えたというか。まとめると貴重な経験だったわけだ。

最初だけテーブルに案内されて、そこには人事の常務が居られた。
通常でかい組織の中に居ると、課長やら部長やらというポジションがあるわけやけど、常務とか専務とか役員になるとそれはもう大分上の存在に思ってしまうのも事実な訳で(ましてや新入社員からすると)。学生の時は会社組織外から会社を見ており、メディアに出るのはたいてい役員な訳だから、結構身近に感じていたのだが・・・。 

最初はそんな事を考えてビビッていたが(ましてや人事だ)、徐々に普通に会話しているというか、色々と自分が入社してから思う事を含め必要最低限自分が話して、それに対する含蓄ある答えを吸収していた。結構ざっくりな方だったが、大局はきっちりと掴んで、部下をぐいぐい引っ張っていきそうな感じがした。色々と自分の業務に対するアドバイスも頂いた。

お次は社長。うぁっ出た。って感じ。6人くらいに囲まれていて、会場内ではやはり人気。生で見たのは初めてだったので、ちょっとだけ感動した。この方がこのくそでかい会社組織の長と思うと、ちょっと感動。話をしていた方々が気を使ってくれて、マンツーに近い形で色々と話をさせていただいた。
 社長はかなりざっくばらんとしていて、遊び心があって、何なんだろう、風貌含め児玉源太郎のような人だった。あくまでも自分の児玉源太郎像は「坂の上の雲」からで、将としての器量等を含め尊敬に値する一人です。
 社長の言葉の節々・表情から、柔軟な何か、深い何か、遊び心がある何か、この先を見据えたどっしりとした何かを感じた。
自分と同じ部署に10年間居られた経緯もあるという事だったので、業務の話を含め自分に対する貴重なアドバイスも頂いた。何か限りなく広い視点からのアドバイスだったので、今後もそれを忘れないでおこうと思う。要は専門性を持てという事。ゆるぎない何かを持てという事。

次はうちの部署の専務。
以前にもお会いした事があるが、スマートな感じで、ジェントルマンですな。

最後は副社長。
ビールを注ぎに行くと同時に完全にマンツーマン。自分も結構ビールがすすんでいたので、もう普通に接していた。やたらメディアで見たことがあったので、親近感あり。
自分が5連の時ベトナムの当社現地法人に行った話を踏まえて、ビジネスのローカライズの難しさ、今後さらにグローバルに展開していくためには、ビジネスのローカル化がより重要性を持つ事等について、一番くだけて話をさせて頂いた。 
副社長のポジションに居る事への率直な話も聞かせてもらって、より親近感を持てた。


はじめにも書いたが、この会を振り返ると、役員というポジションに居られる方々は形式上恐れ多い印象があるが、実際は総じて気さくな方々だった。自分が居る組織を率いている方々と接し、くだけた話しをする事で、でかい組織ではあっても、自分がその歯車ではなく主体的に仕事をできるモチベーションをもらう事ができたのではないかなと思う。要は組織を動かしている人がどんな人であるかを知る事で、会社に対してクリアーになることが多く、自分が置かれている立場の明確化に繋がったのかな。新人でも思い切って参加してよかった。

2006/09/15

ベトナム

 現在5連休を併せて10連休を満喫しているATSUYUKI@ベトナムです。11日からべトってます。結局社会人になっても汚らしい格好で一人旅をしています。なんか、ベトナムに来てやっと落ち着いたって気がしています。
 先週末に友人の結婚式で大阪に戻り、関空?ホーチミンと来て、ホーチミンの喧騒が若干嫌になって、今はダラット(DALAT)という、ホーチミンから東へ車で6時間程行った標高1500M程の街にいます。この街は中々良いです。仏の植民地時代から避暑地として有名で、街の中心には湖があり、湖畔沿いにカフェ、レストラン、ホテルが立ち並んでいる。今日はバイクをレンタルして街を散策していた。ホンダの50CCのカブ式だが、俺が大学の始めの頃乗っていたオンボロDAXと比べても相当性能が良いし、早い早い。デザインもスポーティでクール。ベトナムではバイクの免許も何も要らないから(50CCくらいは)、ノーヘルで快適に異国の地を飛ばしていた。ここは冷涼な土地とあり、郊外まで足を運ぶと高原野菜(主にキャベツ)の収穫風景を伺えた。農業の風景は日本のそれと大差はなく、遠く離れた土地でも同じような方法で栽培されて収穫されて、トラックに積まれていた。
 また、夕方の湖畔沿い、夕焼けが湖に映えてすごく美しい瞬間が街に存在する時、バイクや車(バイクが圧倒的に多い)で行き交う人々を見ながら、やはりここでも自分たちが住む国と大した違いはなく、異なるものは歴史、文化(言葉含む)、風土のようなものであり、本質的な人間の営みは変わらないんだと改めて思った。旅にでるといつも、日本の生活では感じることがない純粋な感性が蘇ってくる。こんな青くさい文章を普段の生活では恐らく書く勇気もないが、今は純粋に自分はこんな事を思っているのでしょう。上記異なるものとして、歴史を挙げたが、これが自分の中でひっかかり、その後色々と考えるきっかけとなった。

考えたこと。半ばメモ代わりにこのBLOGを使います。

1.なぜアメリカがベトナム戦争を引き起こしたのか。
2.ベトナム社会主義共和国とあるけど、本当に社会主義国家なのか。
3.今後世界中が市場経済に飲み込まれてしまうのではないか。



まず、
1.なぜアメリカがベトナム戦争を引き起こしたのか。

 この動機として、上記重複になるが11日にホーチミンに入り、メコンデルタツアーや各種戦争、歴史系博物館等を巡った結果、自分にとって最も引っかかるキーワードはベトナム戦争だった。ホーチミンの戦争証跡博物館では、ベトナム戦争の悲惨な記録が展示されてあり、まぁ予想通り悲惨だった。なんか、もう自分が趣味でもなんでも写真なんか撮りたくないと思うほどリアリティに溢れて、何かを感じずにはいられないものばかりが並んでいた。博物館にお昼の休憩があることを知らず、実際その博物館の展示をみたのはほんの一部だったが、残りに関しても悲惨の記録が列挙されていることは明らかだったので、午後から見ようと固執はしなかった。それよりも、その戦争の本質的な部分は何かをベトナムに居る間に考えたかった。

 ベトナム戦争の細部は詳しくないが、結果的には1973年南ベトナム政府率いるアメリカ側が破れ、北・南ベトナム解放民族戦線側が勝利した。これによって1976年にベトナム社会主義共和国が形成され現在に至る。アメリカがこの戦争を起こしたきっかけとして、よく言われているのは冷戦期における、中国に並ぶ社会主義国家をアジアに形成することが自国(アメリカ)にとってあらゆるマイナス要素を秘めているからだという事。
 この事に関して、今回の旅に持参した本のひとつに以前からずっと気になっていた ルービン回顧録/日本経済新聞社 なるものがある。この本の著者のロバート・ルービンは米国財務省長官を長年務め、メキシコ政府のデフォルトに対する回避や、アジア通貨危機を防いだとされている方。つまりはアメリカの財務面での政治介入の意思決定を行ったと言える人物。1995年メキシコのデフォルト危機に対して、IMF等の機関だけではなく、アメリカの立場として為替安定基金なるものを用いた融資を行った事に対して、「メキシコ政府の債務不履行によりアメリカの成長と繁栄が鈍化するからだ」と語っている。
 アメリカのメリット・デメリットの観点での対外政策は現在の数々の事象をみても、ベトナム戦争期と変わっていないと考えられる。


2.ベトナム社会主義共和国とあるけど、現在、本当に社会主義国家なのか。(知識は中学社会科レベル)

 ベトナムに来て思ったのは、アジアでは中国やタイに比べてもコンビ二もマクドナルドも見当たらない。単に規制がかかっているのだと思われるが。この点については、特に社会主義云々よりも、国の外交的問題にあたると思う。それよりも自分的には経済システムにおける社会主義がどのように影響を与えているのか気になった。
 1976年以降、ホーチミン主導によりベトナム社会主義共和国が建国され、1986年の刷新(ドイモイ)政策により社会主義を維持しつつ、市場経済を導入し、対外外交を促進させたと歴史的にはある。市場経済(自由経済、資本主義を象徴)と計画経済(社会主義を象徴)は対をなすものと理解しており、その計画経済により政府が生産と分配を統制するものと考えた結果、市場経済を導入することで国家体制は社会主義でなくなるのではないだろうか。(こんな事を議論するのに細部の言葉の定義も詳細にせずによくもべらべらと書き記していると自分でも情けなく思うが続ける。)
 ドイモイにより市場経済を導入し、生産や価格は市場に依存した形になる。結果的には政府の統制力が弱まり、生産者に競争原理が働き、多く稼ぐ者が現れる。多く稼ぐ者から税金として国が徴収し、それを国民に再配分したとしても所得を平準化するまでには至らないと思う。こうして次第に貧富の差が生じてくる思うのだが、どうでしょう。あくまでも、所得を平準化するのが社会主義と解釈している自分が間違っている可能性大。所得の平準化(貧富の差をなくす)に関しては、共産主義になって初めて実現しうると理論的には考えられているのでしょうか。
 結局はベトナムも対外的に貿易を促進させ、特に自国の産業としては有力なものがなさそうに思うが、短・中期的には外国資本の投下により、安定的な経済成長が見込めるのでないでしょうか。って偉そうに誰かから聞いたように書いていますが、実際、ワーカーレベルとしては高いものがあると感じる。理由として、アジアで典型な農耕民族であり、農耕における整然とした農地の整理や、きめ細かな手作業、この国の人全般からくる誠実そうな印象を挙げる(説得力に欠けるね)。


 
3.今後世界中がアメリカが主導する市場経済に飲み込まれてしまうのではないか。

 話は飛躍して、中国にしろ、ロシアにしろ、現在は市場経済による移行がなされ、ベトナムと同じような現象が起こっていると思う(むしろ、中国の方が先に移行していたか)。いわゆるアメリカに代表される、あらゆるものを市場に任せ、競争原理により国家的成長を目指す経済システムに向かっているという事。
 日本だって郵政民営化に代表されるように、小さな政府を目指して、市場に通じた競争原理の元、商売繁盛で頑張って下さいな。と言わんばかりの方策を採っているし。二極化、二極化と言われるのも、日本の経済システムも完全市場経済に移行している事を示すものだと考える。市場経済の行き着く先は、勝者と敗者なのだと思う。利益を出す者が勝ち、利益を出さないものが負ける。日本において、利益を出さない銀行を公的資金で介入するのは、市場原理に反しモラルハザードの際たるものだが、時として経済理論に則らない事が起こるのが現実の市場なのだと理解するしかない(もちろんあらゆる側面を考慮された意思決定だとは思う)。
 この先、仮に二極化が進み、貧富の差が激しくなった際に起こる、国家政治(経済システム含む)に対する圧力って何なんだろうか。なんとなく、富の平準化の圧力が発生しそうな。本当にどうなるんやろうね。他のアジアの国に比して、あまり国家成長を見込めない国がどんな策をとればいいんやろうね。完全市場経済(自由経済)における富の配分って、まさしくビル・ゲイツが立てた基金(それにウォーレン・バフェットが出資したり)で、世界の貧富の差を縮小する方向で使用される訳だけど。やはり、もうそれは国ではなく、個人(企業)の力で富を平準化するしかないんかね、この先。



なんか、こんな事を考えていると、本当にもっともっと知りたいことが増えた。やっぱり経済システムには興味があるし、理論経済学をもっとゆっくり学びたくなった。この点に詳しい方々に日本、東京に戻ってできる限りコンタクトをとっていこうと思う。ベトナムで曲がりなりにも色んな事を考える時間を持てて本当に良かった。今、俺ロバート・ルービンに影響受けまくっています。今回の旅は強烈な人との出会いはないが、良い本と出会えて良かった。明日は、ホーチミンに戻って、明後日に帰国します。

2006/08/22

ぼちぼちですね

『ぼちぼちですね。』中々いい言葉だと思う。ゆっくりとした感じで、特に嫌味でもなく控えめすぎる事もなく、あまりよく知らない先輩から「調子どう??」の返答に、いちいち考えず都合の良い解釈を相手に与えてくれるから楽。
関西のアイデンティティも凝縮されていて、なんか自分にはしっくりくる。
だけど、『ぼちぼちって?』と突っ込んでくる人には要注意、面倒くさい。だから、親しい先輩にはあんまり使わない。
職場のフロアには、新人の自分にとって少しだけ知ってる人が結構いるから、挨拶を交えて軽く話す機会が多い。よって、上のような軽い会話が多いわけだ。まぁ、そのようなちょっとした会話が繋がって結構仲良くなっていくものだ。

と、客観的にはほのぼのと仕事をやっているように思えるが、先週末とか昨日とかは結構泣きそうになってたわけで。やっぱその泣きそうになるのも、配属されて2ヶ月ちょっとのズブの素人同然の『ぼちぼちですね』とか言ってるやつに、重い責任とプレッシャーが伸し掛かってしまうからである。まぁ今日は結構充実感に浸っているのは正直な感想であって・・・。
こういう浮き沈みの中で、溺れそうになって、一回溺れて、また這い上がって徐々に成長していくのかなって思う。いや、思ってみる。

そんな、今のとこ浮き沈みの多い毎日だからこそ使える言葉。
それは『ぼちぼちですねー。』なのだ。

P.S 帰りに買った東京カレンダーのお店を片っ端から攻めたくなった。

2006/08/04

財布なくした

財布無くしたら、マ・ジ・で焦るね。

今日、同じフロアの同期と3時くらいにコンビニ行くタイミングが同じで、ちょっと休憩がてら外のベンチに座ってだべっていた。
んで、フロアに戻って仕事再開して、明らかに処理能力を上回る案件が次々に来て若干開き直りはじめたら、急に眠たくなってきたので、フロアの自販機にコーヒーを買いに行こうとした。その時・・・。(5時過ぎくらいやったかな)
あれ!?・・・、いつもは足元に置いているカバンの中に財布があるのにない。なんかカバンの中に財布がある気配もない。カバンの中と机の周りを入念に探したがない、ない。(若干焦りはじめる)

行動振り返り

1、3時くらいにコンビニでコンニャクのジュースを買って袋に入れてもらう(その際は確実に財布あり)→2、一階外のベンチに座る(財布もってたかな?)→3、しゃべる(もってた?)→4、フロアーに戻る(たぶん・・・)→5、すぐ目に付いた小さいゴミ箱にジュースの殻ごとコンビニの袋に入れて捨てる→6、席につく→7、5時過ぎくらいに財布がない事を認識

仮説:自分的に5が怪しい。コンビニの袋に財布を入れる癖があるので、袋に入れたままゴミ箱に捨てた。はず。

そんな自分の行動仮説を立てながら、コンビニの袋を捨てた円柱形の上が開いている小さいゴミ箱を覗くと・・・。
ゴミが全くない。そういえば、少し前にゴミ回収の業者が集めていってた。

かなり焦り始める。ますます自分の仮説が真実のように思えてくる。もうゴミがトラックに積まれて、焼却所に向かってるかもとか思う。

なんとかゴミを集めている人にコンタクトを取りたいが、全く見当たらないし、とりあえず管理室みたいなとこにTELして、状況を説明してゴミの置き場を教えてもらう。
んで、貨物のエレベーターに乗って、18階から地下2階にいく。その間、財布の中身を思い浮かべて、クレジットカードとか、銀行のカードとか、定期とか、免許証とか、かなり面倒くさい事を思い浮かべながら、ひたすらにゴミ置き場を目指す。

んでなんとか大量のゴミのありかを発見して、業者の方と会って状況を説明して、手伝ってもらいながら財布を探そうとする。が、一日でこのビルだけでこんなにもゴミが出るのねって思うくらいわんさかあって、ちょっと見ただけでは探し当てれそうにもない。業者の他の方もヘルプで総勢5人の方が僕の財布探しに付き合ってくれた。一旦、どのゴミ箱かを集めた人にわかってもらうため、18階に戻る。

んで、状況をSPに話すと、「どこかに置き忘れてんじゃないの?」と言われたので、それまで固執した自分の仮説を疑ってみる。

仮説再考:可能性があるのは2,3,4。もしかして、ベンチに置き忘れてんのかも。でも3時間くらい前やし、人通りもあるからまず誰か持って行ってるだろう、と思うが・・・。

んで、18階からB1階に降りて、1階の玄関に上がってベンチを観にいくと・・・。

何やら、茶色い物体が。

あ、あった。あった。普通にあった。

それを避けるように、隣のベンチで人は座ってて、僕が財布を持っていった時に凝視されたので、「これ僕のんですから」と笑顔で理解してもらった。

真っ先にダッシュで地下2階に下りて、僕の財布を捜してくれている方にご報告して、お詫びをして、何度も何度もお詫びをして、でも、おじさん、おばさんたちは「あって、よかった、よかった。」と何度も言ってくれた。本当に申し訳ない気持ちだった。明日、改めて皆さんにお詫びをしようと思う。

ほんま、物を無くした時の自分の記憶ってあいまいで、変な仮説を立ててしまう。んで、焦れば焦るほど、その仮説に固執しはじめて、変な行動に出てしまう。これからはまじで気をつけようと思う。

でも、財布あってよかった。
財布の管理には要注意だ。

仕事中に何してんねんって感じやけど
ま、いっか。
因みに、普段はもちろんの事休憩なんてことでコンビニ行って、外に出るとかありませんわ。
たいていお昼から戻って仕事はじめると、気が付いたら夜って感じです、はい。

2006/07/29

東京一週間

ふぅ、やっと一週間が終わった。やっとと思うくらいやから、そこそこ疲れたのかなぁ。
水・木・金と飲みだったので、後半は充実していた。水曜は友達と、木曜は10時くらいから課長などなど先輩方との飲み、んで金曜は部署内の若手の飲みだった。どれも突発的な飲み会だったので、逆にテンションが上がった。前もって予定されている飲み会よりも、その場の空気で突発的に行なわれる飲み会っていい。
部署は比較的忙しくて、比較的飲み会が少ないので、あまり身近な先輩らと飲む機会が今の所ない。あっても形式的な飲み会が多いので、木曜はなんか仕事帰りに飲んでるって感じだった。
その後、電車で寝てしまい、丸の内線で池袋に着いても眠りこけていたけど、心優しき人が起こしてくれた。この前、電車内で知らん間に落とした本も心優しき人がわざわざ追いかけて届けてくれた。優しい人はどこでもいますね。

で、今週はSP(僕をネホリハホリ指導してくれる人、センパイ)が5連休中だったので、ちょっと開放感はあった。でも、仕事のプレッシャーは相変わらずで、というかむしろ日に日に増していって、それと共に冷や汗と脇汗も増していって・・・まぁなんとかやっているわけですが。やっぱ思う事は、主体的に動けてる時ってテンションも乗ってきて楽しいけど、受身で業務が進んでる時ってしんどい。できるだけ攻めの姿勢で仕事ができるように曲りなりにも色々考えるが、まだまだ知識の絶対量と経験がないので無理なわけで。亀の気持ちで頑張ります。

明日、土曜は組合のセミナーみたいなのがあるから、品川のホテルに行ってくる。んで、そこでボウリングもあるのできっちり200を出そうと思う。いい食事もあるみたいやし量よりも質を楽しもうと思う。以上。

2006/07/16

銭湯っていい!

今日は近くの銭湯に行って来た。部屋にユニットバスはあるが、狭いし水もよろしくなさそうなので、湯を貯めた事もない。

寮から徒歩5分くらいにある銭湯はいかにも町の銭湯って感じで、地域密着型。車を置くスペースもほとんどなく、大抵の客はチャリか徒歩で来てる感じ。
こじんまりしてるんやけど、サウナがあって、風呂の種類も露天風呂など含め6つくらいあって、清潔やし、めちゃめちゃ気持ちよかった。サウナ→水風呂頭までのスーパーコンボは最高に気持ちいい!サウナで血管・汗腺(?)を開いて、水シャワー+水風呂で収縮させる。血行が良くなると誰かが言ってたような。汗と共に老廃物がでたような。風呂自体もよかった。結果、癒された!!

なんか銭湯って、ほんま日本の文化やなぁって思う。外国に行っても、このような形態をあまり見たことないし、同時にコミュニティの役割を果たす日本の銭湯は素晴らしいと思った。最近は規模が大きく企業が経営しているスーパー銭湯形式が増えて、あまり地域密着な銭湯をみなくはなったが、後者の銭湯は地域コミュニティを充実させる役割を担ってるんやろうなぁ、って来てる人の会話とか聞きながら思っていた。

なんで、日本って温泉とか銭湯とか湯の文化が形成されたんやろうなぁって疑問が湧いて、色々知りたいことが増えた。温泉もこれまたええもんなぁ。湯を吟味できるようになりたいなぁ。違いのわかる人間になりたいなぁ。

実家に居るときは、あまり銭湯に行く機会はなかったけど、自分が住んでいる町を色々知る事や仕事の疲れを癒す、リフレッシュする目的でもちょこちょこ行ってみようかなと思った。
色んなリフレッシュの仕方あるもんねぇ。

2006/06/29

仕事 (祝100post)

 久々にBLOGを書こうと思ったら、今回が100回目のpostingになる。何を書いたのか過去の文とかちょこっと見たりして、やっぱその時考えていた事とか分かって意外とおもろい。へー俺こんな事考えてたんやなぁ、とか下手な文章やけど伝わってくる。

 仕事、配属されて約1ヶ月。んで、そろそろ来週くらいから本格的に任される部分が増えて仕事らしくなっていくらしい。

 まぁ業務の事はさておき、今日の仕事もそれほど遅くなく、予定もなかったので、丸の内線と西武池袋線を使っていつも通り曲をシャッフルにして受身的に音楽を聴きながら、読書しながらぼちぼち帰った。池袋から急行を使って焦るわけでもなく、準急で座って帰った。んで最寄駅近くの行った事のない定食屋でご飯を食べた。豆腐鍋みたいなものを食べた。一人でご飯を食べるのはあまり好きじゃないが、自炊機能のない寮なのでしょうがない。食堂があるのに、ご飯が出ない。部屋にはユニットバスの水周りだけ。
 帰りにセブンイレブンで次の朝食のサンドウィッチを買って、近くのコープで無糖のコーヒー1リットルを買ったり、コップを洗うスポンジを買ったり、除湿剤を買ったりした。これまで実家だった僕には新しい生活リズム。若干めんどくさいとも思う。

んで、コープから寮まで、じっとりと湿気が多く、でも夏の匂いが少し混じった道をゆっくり歩きながら考えていた。

おそらくこんな感じの日々が続くんだろうな、と。特にネガティブとか仕事に対する後ろめたさとかではなくて、自分的に充実した仕事ができたとしても時間はどんどん過ぎていくと思う。朝会社に行って、帰る時には日が暮れていて、予定のない日はこんな感じに帰る。いや、仕事が遅くなって適当に夕食を食べてまた仕事に戻るかもしれない。特に外に出る機会が少ない部署なので、昼に会社近辺で食事にでるくらいで後はずっと中かな。
 やはり平日の一日の大半を仕事に費やす事は間違いない。仕事が完全に慣れるまで短期的に見積もっても2、3年はかかると思うし、その間自分は時間の投資(消費!?)と共に客観的にみても大きく成長するとは思う。

 じゃあ成長って何よ。って感じなのだが、業務の処理スピードとか業務面の知識とかそれは新人として配属されたのなら、誰でも当たり前に向上していくと思う。じゃあ、本当の成長って何よって考えると、まず自分が目的を決めてその方向性に進んでいく事なんじゃないのかなと思う。資格とかもそう思うけど、何のために取るの?って。まず、大枠でも、長期的でも、短期的でもいいから自分がどうなりたいとか、取ってどうしたいからとかじゃないと、何か間違った方向に時間を投資してしまうんじゃないのかなって思う。当たり前とは思うけど。取ってから考えればいいじゃんって意見もあると思うけど、社会人として働きながら取る資格についてはそれでは時間がもったいな過ぎる。

よく聞くでしょ以下に記した『仕事の成果』の話。松下幸之助とか、京セラの稲盛さんとかが言ってる。結局誰がオリジナルやねんって思うやけど。

   仕事の成果=考え方×熱意×能力 
 
    考え方:人生哲学 -100から+100
    熱意:努力で決まる 0から100
    能力:先天的    0から100  

 これはきちんとしたマインドセットをしていないと、中々効率的に目的に近づかない事を説いてくれているのだと思う。

 何でこんな事を考える日になってしまったんだろうと思うと、具体的にはアクチュアリーの資格試験を年末に受けざるを得ない状況になっていることを、上司の話とドンと机に届けられた教材を見て実感した。そこで、仮に実際自分が何年かかけて、その資格をとった結果どうなるんだろうとか考えてしまっていたのである。戦略的には途中の軌道修正が効くように、汎用性の高い科目を今年は受けることにしているが。(ニヤニヤ)

 このBLOGをはじめた時から自分のPROFILEの所で、無駄に「世界で活躍・・・」とか恥じも承知で書いてて、でもそんなグローバルとか戯言も思ってみるもので、実際その観点で進むべき方向性に現時点ではあると思う。抽象的だけど、大枠を描く事で日々の行動や意識、読書で、目的を果たす戦略が浮かび上がってくる。と自分では思っている。


今日はまだ時間もあるし、読書でもしようと思う。

この前、丸善でフラッと買った『金融越境バトル/日本経済新聞社』。タイトルでもイメージできるように、規制緩和による日本の金融業界の障壁がなくなってきている事を題材にIT、ファンド、金融機関等、様々なプレーヤーを軸に書かれている本。興味ありと思って買ってみると、驚き。同じグループの時々昼飯を一緒にする先輩が普通に実名で書かれたインタビュー文が掲載されていた。見てくれたら分かると思うけど、台風デリバティブの開発のモチベーションや損保の今後の方向性と自分がどのようなマインドで業務を遂行しているのかが書かれていた。普段、熱い話をされない方なので、その本でその先輩の熱い部分を知ることができてよかった。その先輩含め先人(大袈裟やな)から色々と吸収させてもらおう思う。

まぁ、結局新人の今ごろって色々考える事が多いのでしょうね。ね、そこの新人!
とりあえず、ゴミの日じゃないと思うけど、ゴミ捨ててきます。では。

2006/06/11

ようやく新生活

今日久々にネット環境が復活。こんな時間にネットをしていると学生時の優雅な時間感覚が思い出される・・・。
そんな僕も社会人になって2ヶ月。
勤務地が東京になって、初めて実家とはなれた環境での生活がはじまった。6月最初に勤務地やら引越しやら新しい職場やら上司やら先輩やら、歓迎会やら、オールやら、通勤ラッシュやら、風邪ひいて熱だすやら、食生活がアンバランスな現代人には濃い目の野菜ジュースが欠かせない(?)やら・・・なんかバタバタとしていた。若干まだ風邪は治ってないけど、原因はやっぱり睡眠だという事や。枕はやっぱり首よりもちょっと上に重心を据えれるものが自分に適している事がわかったり。色んな発見もしています、はい。若干意味不明ですが元気モリモリで頑張っています。

東京ライフ、攻めの姿勢で楽しんでいきます。
仕事の方も、良い環境に恵まれたのだから頑張りなさいよ。と自分に言い聞かせています。くそでかい目標を立ててしまいそうな部署やけど、それは当分は内にしまって精進する。
まだまだ青2才、当分の間成長しかないっしょ。と、まぁやや楽観的ですが、そんな感じでいいよね。できるだけリラックスリラーックス。スーハースーハー。

以上。眠い。。

2006/04/30

休みだぁ@関西

久々の更新です.
先週末から帰阪して今は大阪で実務研修です.
といっても,まだまだゆるやかな日々が続いており,基本夜は飲みな生活です(笑)
働き出して色々と真新しい事を吸収してるんだけど,特にコンプライアンスなんかが引っかかって,中々ここで書き出す事は難しいね.そこのあなた,また飲みながら色々話しましょう♪

という事で週末の話.
土曜は先輩のお見舞いに行くために神戸の病院へ.1ヶ月ぶりくらいの神戸だったかな.先輩は相変わらず元気そうで何よりだった.まぁ暇そうやったけど,しばしの社会人休息やね.必要必要.

で,せっかく車で神戸に来たのだからと思い,帰りに買い物でもしようと.元町にある
creationっていう靴屋に行った.最近は毎日仕事靴なので,何気にカジュアルの靴が欲しいなぁと思ってて.長い事カジュアルのんは買ってなかったし.で,僕のニーズにぴったりな靴を発見→購入という流れ.うん,満足満足.消費消費♪

で,夕食にビストロジローという神戸大丸から近くの路地を入ったところにある洋食屋さんにも行った.狙いを定めていた訳じゃなく,フィーリングで入ったが,入るやいなやアタリな予感がぷんぷん.基本カウンターのみで木質が漂う造りで,上品な喫茶店という感じ.マスターは豪華客船浅間丸のシェフだったらしい.どうりで船の絵が飾られているわけや.
僕はタンシチューを食べた.タンシチューってお店で食べた事がなく,期待しまくり.かなり濃厚なデミグラスソースで,肉もめちゃくちゃ柔らかくおいしかった.ただ,僕的にもうちょっとさっぱりしたデミグラスソースの方がよかったかな.赤ワインの味が強すぎたのかも.まだまだ口がお子様なだけだと思うが.お連れさんはフィレビーフカツレツを食べていたが,むしろ僕はそちらの方が絶品だった.衣が絶妙に薄く肉のうまみを存分に引き立てていた.←こんなコメントよくあるっしょ.まさしくこれ.
このお店は是非友達にも紹介したいです.

で,今日,日曜は家族と和歌山の黒潮市場に行った.母上がやたら行こうと誘ってくるし,否定する理由もなかったので行ってきた.学生の時よりなんか週末はOFFスイッチになる.で,黒潮市場.ポルトヨーロッパに隣接していて,新鮮な魚介類等が売っており,その場で買ったものをBBQできる.海沿いでBBQは超気持ちいいね.やっぱいいよ.海沿いBBQ.ここは片付けとかは要らないし,食材の補充も簡単だからまた友達と来たいね.

明日からまた新しい部署の実務研修で,多くの人と初めてお会いする事になるだろうから,失礼のないよう,にこやかに接して,色々学ばせていただこうと思う.ま,2日間か.がんばろ.

2006/04/08

あー休みだ

今餃子で有名な宇都宮です。ネットカフェも全くないので、フレッツカフェで高速ネットを体験という名目でネットしてます。メールもみれないし、MIXIもガードされてるみたいなので、せめてBLOGだけでも更新してやろうと。
えー今栃木で会社の研修やってまして。
今週一週間は怒涛の如くでした。初社会人なわけで、疲れた疲れた。なんか長かったなぁ。
入社式があったりで、その後はおべんきょおべんきょで講義の日々でした。でもなんか新しい実際的な事を学ぶってたのしい。周りの意識も高いし、ええ奴らで毎日飲んでる。研修所が鬼のようにクールで空間が素晴らしく、飯も相当うまいし、ルームサービスも行き届いているし、各部屋や研修所内の至る所にROY LICHTENSTEIN のアートが飾られている。談話室の椅子とかも、デザイン効いてて、バーゼルのVITRA DESIGN MUSEUMでみたようなものだし。とりあえず素晴らしい環境で研修ができてて嬉しい。さすが建築大賞とってるわ。
明日は同期とレンタカー借りて、足尾銅山や渡良瀬川や日光に行く予定。
来週の週末はTOKIOに繰り出そうかなと。
初社会人のみんなはどうしてるんやろうなー。

2006/03/31

大阪最後の日? 会社とは・・・

でもないと思うけど.
今日は朝から一人で九条にあるシネ・ヌーヴォーへ.
現在モーニングショーで公開されているTHE CORPORATIONを観ようと思って.
 
 興味を持ったきっかけは,最近企業とは・・・みたいな事に関心があったから.いくつか読んでいる本の中で会社はだれのものか/岩井克人がある.この本の中で,まず企業と会社の言葉の定義を明確にして,さらに株主・経営者・従業員が明確に分離されているものを会社とし,その会社の価値を2つにわけている.それは1:モノとしての会社の価値と,2:法人として規約されるヒトとしての会社の価値.簡単に言うと1:モノとしての会社の価値とは株式のこと.2:ヒトとしての会社の価値とは,法人格を持つ会社がヒトとして所有している資産の価値としている.
 例えば,ライブドアのニッポン放送の買収を通じてフジテレビの支配権を握ろうとした問題において,ライブドアが断念せざるを得ない背景として産業資本主義におけるおカネの論理と,ポスト産業資本主義におけるヒトの論理との違いがあったという事を示している.
 つまり,ホリエモンの「カネで何でも買える」という思想は,会社の買収を試みた際,モノの側面のみをみた発言で,会社のヒトの側面を無視した行為だと筆者は論じている.ここであの時のニュースを思い出したのだが,フジテレビの番組に出ているタレントがホリエモンが仮にトップに君臨したら自分が出演している番組を降板すると言っていた事.これらタレントは2の価値に当てはまると思う.フジテレビの社員に関しても2の価値で,この事件がきっかけで彼らが会社を離れてしまうとフジテレビの資産価値が弱まる.まぁ現時点では,資本主義のルールに乗っからない行為をしたライブドアの問題を取り上げるのはナンセンスかもしれないな.
 現在の日本をポスト産業資本主義と定義した上で,産業資本主義の時と違って製造業に関しても,他社との違いにより付加価値を生み出す必要があると説明している.その付加価値を生み出す事に関してヒトの果たす重要性がますます高まり,元来ヒトが資産と言われている業種(メディアなど)に関しては顕著に現れるという.このヒトの価値の高まりが,おカネだけでは会社は買えない理由であり,この本の筆者の主張として,これからますますヒトに対するおカネの価値は低下していく事を挙げている.
 まだ1回しかこの本を読んでないので完全理解には乏しいが,自分が上で記したポスト産業資本主義などの抽象的な言葉に対する説明・定義づけもしっかりされていて,これから会社はどうなっていくのかを考える上で基本的な下地が形成できる,わかりやすくて良い本だと思う.
 
 で,肝心な今日観た映画the corporationでは,会社を擬人化して,利益を追求する強欲なものと理解した上で,利益をあげるためにどんな事をして,社会にどんな弊害を及ぼすのかを示している.というのも現在,会社(狭義の企業)が社会に絶対的な影響力を持ち,自己中心的に世の中を支配していると示している.
 完全なドキュメント映画なので,事例が多く出てきたが,例えばウガンダの少年兵問題に関して,計量武器の供給は大半が先進諸国企業である事.この事は以前の項でも自分は考えていた.
 その他には,ボリビアのコチャバンバの水道業務をアメリカの建設業を軸に何でもやっている会社ベクテルが民営化を試みた際に起きたエピソード.リンク先をみてもらったら分かると思うが,迂闊に人間が生きていく上で必須の水を,営利団体(すなわち会社)に業務させる事は非常に怖い.以下引用.

わずか60ドルの月給で生活するしかない母親が、とにかく水道を使い続けるだけのために、15ドル余りを支払うように指示されたのだ。

ありえない・・・

 他に,かなりショックだった事例として,第2次世界大戦時ナチスのユダヤ人粛清のための管理に,だれがどのように対処されるのかを記録するためにアメリカのIBMのパンチカード機器「ホレリス」が必須だったらしい.映像でも流れていたが,5はガス室送りや6は特別処刑(例えば銃殺)など,一人一人がどのようになったかを記録されている.
 この映画は初志一貫して会社は利益を追求するものとして扱い,ある意味ミクロ経済の点からもそれは明らかだけど,かなり冷徹な存在としてCORPORATIONというものが描かれている.

映画の内容はここまでとし,以下少し話はそれながらも続ける.

 次のような本を読んでみて,これまたなんか企業にとっては奇麗事やなと思ってしまう.日本をロハスに変える30の方法 ? BUSINESS LOHAS/ローハスクラブ
LOHAS=Lifestyle Of Health And Sustainable頭文字をとったものだが,健康的で持続可能な環境に配慮した生活を行なう.みたいな事.まぁそのままやけど.健康的に生きることや地球を大切にしようと言う姿勢を持つ事は自分でもクールだと思うし,自分もそうありたいと思う.どっちかというと環境にも体にも良いものを食べたいと思うし.そう思い,具体的に実行する事がLOHAS的な生き方なんだとさ.
 だけど,それ(環境配慮など)を企業が行なうのは矛盾していると思う.というか,それを前面に押し出しているのは嘘のような気がする.この考えは先の「会社は誰のものか」の著者,岩井克人さんのものだが,結局は長期的な利益を求めて,環境に配慮している会社,地球に優しい会社だと認識させ,ブランドイメージ向上の結果,株価の向上を期待しているとある.
 最近では日本の会社が,環境配慮の時流にあり,それに乗っかるように色んな会社が環境配慮を謳っているが,今の中国市場で一般国民にそんな事をアピっても何にもならんと思う.高度成長期の日本に環境配慮を謳う会社があったかどうかを考えると理解できる.例えあったとしても,少数派であると会社として環境配慮を謳うメリットはない.理由は多数派になって環境配慮の時流を作らないと,一般国民にも浸透しないし,消費者に浸透しないとそれが消費へのインセンティブに加味されないから,投資家もカネを出してくれない.

 まぁ明日からちょうど4月1日で,今日が学生と社会人の節目の日でもあるし,これから属することになる会社についてちょっと批判的につらつらと書いてみましたがな.
 
 明日の午後に上京して,インターンシップ時のメンバーと,千鳥ケ淵緑道で夜桜してその後新宿で飲みに行こうという計画になっている.久々の再会なので楽しみや.4月3日入社式はどこの会社もそうやろね.しばし大阪を離れます.みんなGOODLUCK.俺もGOODLUCK.では.

写真展終了!!と感謝




 本日写真展が終了いたしました.
まず,中崎町という梅田の少し外れた,且つ非常にわかりにくい立地にも関わらず,足を運んでくれた友人(先輩・後輩含め)には感謝しています.立ち代り入れ替わり来ていただき,僕自身全く暇な時間がなく,嬉しかった.花やらワインやら京菓子やらの差し入れもホントにありがとう!!

 開催されるまでは,計画していたものの不安で不安で仕方がなかった.観にきてくれる人はいるだろうか,観に来ていただいた人に満足してもらえるだろうか・・・,など等不安の種は尽きなかった.展示においては,写真とセンス,その他様々な点で信頼のおける友人Kに手伝ってもらって何とか色のバランスや作品の感覚,照明や音楽,椅子・テーブルの配置など,かなり満足のいく展示会場に仕上げた.来てくれた人はわかると思うが,会場というよりも自分の趣味の部屋にしたって感じ.上の写真は写メールで撮ったやつ.
 
 梅田から徒歩圏の中崎町と言えども,立地的にわかりにくいし,来場してくれたほとんどの人が自分が告知した人だった.やっぱり身近な人に観てもらう喜びがあるし,久々の再会もあったし,自分が学生の最後を締め括る最高の機会だったと思う.展示していたのはこれまでの旅の写真がメインで,頂いたコメントをみていると,旅に行きたくなったや,自分の創作活動の参考になったや,観に来ていただいた人には何かしらプラスの影響を与える事ができたのかと思う.まぁ毎度の如くポジティブな解釈かもしれませんが.来場してくれた方々の今後の活動における微々たる動機でもこの展覧会で発見していただいたなら,これほど嬉しいことはない.

 僕自身が例えば,インドを旅する際の動機は2つあった.一つは欧州からの帰りの飛行機でチューリヒからシンガポールに向かう際,ボーダレスの世界を体感した後に,偶然パキスタンとインドの国境上空を通過して(座席の前面モニターで確認),真っ暗な闇の中に光り輝くボーダーラインをみた瞬間はとてもショックだった事.2つ目はチベットチベットという現在のチベット問題を浮き彫りにしたドキュメンタリー映画をみた時,舞台となった現在仮のチベット政府が置かれるインドのダラムサラに興味が惹かれた.結局インドにも行ったし,ダラムサラにも足を運び,ダライラマの秘書から数々のチベットの問題についてお聞きし,彼らの思想も自分なりに解釈することができた.

 何が言いたいかって言うと自分がこれまで,いや,これからも重要としている事は「計画は実行するためにある」って事だと思う.これははっきり言ってカルロスゴーンの言葉です.大学1年か2年の時にルネッサンスって本を読んだときに,これや!!って思ってインプットしていた言葉であり思想.
 動機があって計画を立てる,そして実行する.簡単なようで意外と難しい.でもそれを続けると日々充実して過ごせる.学生のうちはそんな感じだった.
 
 今回の展覧会もそう.意地でも計画を実行に移してやるって結果.一年くらい前から個展でもやりたいなーと思って,友達にも話していた.実際,修士論文に予想以上に時間を取られ,残された約1ヶ月の時間で中国旅行と写真展は厳しいかと思ったが何とか両方実行できた.それは今となればすごい充実感を与えてくれたし,自信にもなった.でもこんな計画を実行できるのも,身近な家族のおかげであると思うが,今思うと本当に感謝せなあかんなと思ってしまう.

 今日でも写真展の片付けを親切な友人達が手伝ってくれて,その後はタイミングよく叔母夫婦が食事に誘ってくれて,僕の門出を祝ってくれたりと,自分本当に周りに恵まれているなぁと感謝しまくり.
 計画を実行に移す.これは当分の間社会人になっても,自分の頭に据え置くキーワードだと改めて思う春一歩手前の夜でした.

2006/03/22

写真展の告知!

色々と書きたいことはありますが,とりあえず写真展の告知をしまーす.

             Atsuyuki Mori Photo Exhibition
                  「feeling my way」
          2006.3.27.Mon-3.30.Thu @Gallery Pichikuri





期間:2006年3月27日(月)-3月30日(木)11時-19時(27日のみ14時-)
場所:ギャラリーピチクリ
:http://www.pichicri.com/
大阪市北区中崎西1丁目6-36 サクラビル223号
MAP
:http://www.pichicri.com/map.html

・谷町線中崎町駅2番出口すぐ.
・梅田からでも徒歩圏なので気軽にお立ち寄り下さい.ていうか来てください!

2006/03/16

帰国して思うこと ソウル編

昨日,中国(少し韓国)の旅から帰ってきました.
徐々に振り返って,自分なりに整理してみようと思う.

大まかに言うと,
重慶(チョンキン)に入国⇒そこから長江を3泊4日で船に乗って下り,三峡ダムを通過⇒宜昌(イーチャン)に到着⇒バス4時間で武漢(ウーハン)⇒鉄道14時間で西安(シーアン)⇒鉄道17時間で上海⇒飛行機でソウル⇒日本
という流れ.

 一昨日,午後に上海からソウルにOZで移り24時間ステイしての帰国だった.仁川国際空港で大きな荷物を預けて,ガイドも何も持っていなかったので空港においてあった地図を持って明洞行きのバスに乗ってソウルの中心部に行った.

 偶然居合わせている友人との待ち合わせ時間まで,明洞(ミョンドン)や新村などを散策して,活気に満ちた街を楽しんでいた.

 5年前,大学1年の春休みに訪れたソウルとは相当変化していたような気がする.その際に10日間程滞在していた,東大門近くの街並みは劇的に変化していた.あの時は大通りを外れると,哀愁が漂い趣がある路地などが存在していたのだが,大学路辺りは裏路地まで近代的な建物が立っていてがらりと雰囲気が変わっていていた.『こんなにも活気がある場所だったっけ』て思うほど活気に満ちていた.
 街並みもそうだが,物価面でも相当変化していた.例えば梨花女子大近くのスタバで飲んだカフェモカは3800ウォンだった.100円が800ウォンなので日本円換算で470円くらいか.高いですよねー.ソウル中心部までのバスも8000ウォンで約1時間だったっけ.

 その後友人と久々の再会をして飯を食って,彼は仕事で結構忙しそうだったので日本でまたねと言って別れた.で,まぁちょうど感度3200のフィルムがカメラに入っていたので夜の街でも撮ろうかと思い,東大門からそれた辺りの趣のある路地を撮ったりしていた.
 ちなみに,感度(ISO)が大きくなればなるほど,少ない光でもシャッターを切ることができるので,夜でもノーフラッシュで撮影できます.その分粒子が粗いので,画質的には感度の低いものよりも劣ります.感度3200やと空港のX線に通すと感光してしまいます.感度(ISO)1000までなら大丈夫みたいです.少し余談.

 で,かなーり寒くなってきたので宿を見つけようと思い,マクロな地図にゲストハウス(Seoul Backpackers)を発見していたのでそこに向かう事に.東大門から西に2駅行ったところなのだが,いざ行ってみると周りはラブホ街で結構怪しい雰囲気.でもなんかそこらのハングル文字とネオンがいい感じでおもろかったので,パシャパシャ撮っていた(相当怪しいはず).ハングル文字ばっかなので,簡単に見つけれそうもないと思ったが,唯一HOTELと書いてある観光ホテルで尋ねて,詳細な所在が分かり発見&到着.

 そこで素晴らしい出会いがあった.受付の兄ちゃんなのだが,今年の1月まで日本にワーホリで来ていたので日本語が堪能.その人と中国のことについてなど少し会話をした後,なんか妙に話が合うなって印象.
 その後彼の仕事が終わってから飲みにいこうと誘ってくれて,近くの飯屋に.めっちゃ辛いホルモン料理をアテに飲んでいた.彼は自分よりも一つ下で,軍隊も2年経験して,今はマーケティングの会社でインターンをして,夜はゲストハウスでバイトをしている.最初,自分よりも年上と感じたのは軍隊を経験しているからだろうか.ほんと礼儀正しくて,配慮もきちんと出来ていて,なんて気持ちのいい奴なんだと節々で思う.
 将来的に彼は叔父さんの現在日本市場に卸している衣料品会社に入る事になっているため,今はそれに向けて様々な修行をしている.生産地が中国やベトナム,ロシア等様々な国にあるため,それぞれの現場を経営者になっても感じたいの事から,中国語と英語をマスターする目的でいるらしい.近々イギリスに留学すると言っていた.後,経営的なものもグローバルマーケティングに柱を置いてよく勉強されてる.そこで,今の韓国のインフレの状態やアジア地域の国民性,中国の事,彼が日本で感じたこと,その他プライベートな事までほんと色々話した.
 ただ,韓国の経済については憂いていた,公務員の初任給で比較しても日本とほぼ同じ状態になっているのだが,それは為替の影響が強くて,実質的なコアとなる産業に不安が残ると話す.現代・サムスン・LG等製造メーカーが経済の柱を形成しているが,それらが今後日本と中国の兼ね合いでどのような位置付けでやっているのかが不安要素と彼は見ていた.気が付くと深夜4時を回っていた.
 人との出会いって不思議ですな.なんで日本におってもそこまで思考パターンとか,その他様々な要素で会う人ってそれほど多くはないのに,こんなとこでこんな感じに出会うことになるんだろうって.空港で何気なしに取った地図にいくつもあるゲストハウスから感覚的に一つに赤丸を付けて,住所も詳細の情報も載っていないのにそこにふらっと行く事になって・・・.


 思えば5年前,本格的な旅をしようと思い立ったのがここソウルだった.あれから色んな国をみて来て,学生の最後に再びこの国に訪れた.韓国の経済的変化を物価や街並みを通じて実感したが,それと同時に時間の流れも実感した.この5年間で自分の視野は格段に広がって,とても濃い5年だったんだろうかなと思う.
 特にこんな想いを得たいがために,韓国を訪れた訳じゃないのだけど,同じ国に時間を置いて訪れる事で何か物凄い懐かしさを感じられた.色んなものが絡み合って言葉にするのは難しい.たぶんそれは時間的なものだけじゃなく.自分自身の事も大いに関係していると思うのだけれど・・・.

2006/03/11

Now i 'm in Shanghai

Nihao!
I'm Shanghai.It's cold in here.
now,I stay internet room at Shanghai library.
today I walk around The Bund ,ride metro,eat noodle and came library.I spend a relax'in day.
yesterday I came here from Xian by train.
This train(to Shanghai from Xian) was the worst I've ever experience.I don't say quality of train,I say very very tired!!

imagine
you are in a full train and stay in.
imagine
you don't have your seat,and there's no space to sit on ground.
imagine
you must stay 17hours!!


When I tried to buy a train ticket,I couldn't get ticket sleeper class.Because there are many people to Shanghai from Xian,and basically there are many many people in this country.so I reluctantly bought seat class ticket.but then,I thought it's Ok.When I ride train,I knew my thoughtless decision.

Between 3/10 pm 6:30 to 3/11 am 11:30,I can seat properly only last 30 minutes!Expect this time,I sit barely on little little space of ground or stand.Because cart of salesclerk cross in crowded every about 30-minutes.
Of course,I couldn't sleep at all.

As a result,you know,I was very tired.but it was precious experience.I thought many things on that time.On same viewpoint of chinese people,I could see attitude of trainman from monopoly system.It was much different from Jpanese one. Derivative from this think,economic system of present China,the national character of this country,how will be China from now on,and so on.

Yesterday night,when I eat and drink with people from Japan I met same hostel,we talk about many things include above contents by midnight.It was special time.

In this trip,I got valuable experience.
think about gap between inland and coast,about Three Gorges crusing including(Three Gorges Dam ),and so on.
afterdays I maybe write here.


just hungry(><)
I'll go to eat Chinese food.
ciao.

2006/03/03

チャイナー&写真・個展

はい.
明日の昼1時の便でチャイナに行ってきます.2週間弱行ってきます.重慶IN,上海OUTです.んでアシアナで行くので帰りにソウルでストップオーバーして,偶然居るらしい友人と肉食うつもりです.
特にいつもの旅みたいに,テンションが上がってませんな.まぁ,まったり内陸部から沿岸部に鉄道移動しようかなと.近い国でメディアからの情報は多いけど,逆に未知数が多い国なので色々感じることは多いのかなと.今回の旅は前回同様,あまりバカンス的な意味合いが強くなさそうなので,社会人になったらそろそろ短期ゴージャス型のバカンス旅行を満喫したいとか思っている.てか,休みの日数的にそれしかできなくなるのか.

とか何とか言ってるが,この時間になって何も準備してない.今日の帰りに衣類圧縮袋とアップルストアーでipodの携帯バッテリーとヨドバシでモノクロとカラーのフィルムを買ったくらい.

はい.
昨日卒業確定です.2日前の時点ではある必要な単位が放棄になっていて相当焦りまくってました.まぁ,結果的に担当教官のミスが明らかだったので問題はなかったが,必要以上の労力が要った.なんせ,研究室旅行で岡山美作の湯郷温泉滞在中に,助教授と家から電話がかかってきたからね.処理に大変だった.
節目で一波乱あるようです.

はい.
写真の個展やります.
旅行から帰ってきたらそっちモードに切り替えます.
3月27日(月)ー30日(木)まで,梅田・中崎町でやります.
この個展で学生を締めくっくて,とりあえず東京に向かおうかなと.
来てくださいね.
詳細は帰国後お伝えします.

2006/02/27

就活セミナー

今日は4月から働く会社の就活セミナーに内定者として参加した.

いやはや,結構疲れた.
というのも,セミナー内の内定者の部屋とやらを担当することになり,午前:40分×4ターム,午後:40分×4タームを内定者1人につき8人程度の就活生の相談を受ける.もちろん内容は就活全般の事.

セミナー開始前に参加内定者代表として挨拶したのだが,その際,さすがに就活生150名の前となると緊張だ.午前の部の挨拶では,ここまで噛むかってくらい噛んだので逆に笑いが取れてよかった.いや完全に笑われた!中途半端に噛むんやったら思いっきり噛めだ.で,噛んだことを認める照れを全面に出せ!だ.で,最後にきっちり締めたらこっちのもんだ.って変にポジティブ.

で,セミナー開始.
内定者の部屋にやってきた就活生が持つ不安や聞かれる点は大体共通したもので,面接や筆記試験,採用プロセスや自身の志望動機や,どんな就活をやってきたか等など.それらの事に対して内定者がお答えする形式.人に語れる程の経験値もないが,自分の話を皆さんカリカリとメモしてくれていて,その度にお役に立ちたい系のアドレナリンが分泌されて俄然やる気に.真剣に取り組んだ分正直疲れたが,終わってから挨拶に来てくれる人や遅くまで話し込んでくれた人がいて,なんかちょっとうれしかった.
基本自分,人の役に立ちたい系なのだと今日改めて確認.

また,一ヵ月後社会人になる自分にとって,再度就活・就職というものを振り返れて有意義だった.やっぱ頭の中を整理するって大事やね.なんかスッとした.

んで,終わってから内定者達とのるーびーは仕事帰りの一杯先取り味だった.

2006/02/21

久々にコモル

日曜の夜から久しぶりに篭った.六甲山腹の暗室に.

 途中,印画紙を買いにヨドバシに寄ったのだが,銀塩系の売り場がやたらと小さくなってる.印画紙の種類も少なくなってるし,その他の必要道具の選択肢もだんだん少なくなっている.お気に入りのAGFAの生産も終了したし,しぶしぶ古巣のILFORDの半光沢・サテン地を買う.ILFORDはフィルムも含めお気に入りメーカーなので,しぶしぶではないわ.
 てか,フジの銀塩用品を覗いて見ると(ちなみにフジの製品は自分の性に会わないので3年前から一切使っていません),『原油価格の高騰と銀塩市場縮小による生産コスト増大により価格を上げさせていただきました』.だってよ.銀塩用品メーカーがばたばた生産を止めて,フジだけとかなったら,独占的に価格操作されるぞ.この,フジの強気の姿勢を見る限りあり得るぞ!他のメーカー頑張れ!
 何かとアナログな人には不都合な時代になりましたね.

以上はヨドバシでの感想.


で,夜通し篭る気満々であったが,久しぶりの後輩と部室で飲む事に.ビールばっかり飲んでいた.11年かかった味を堪能するために円熟も飲んだ.が,後半過ぎて味がわからず.ウイスキーをコーラで割って懐かしいとか言うてる未成年の後輩がいた.こんな流れでコタツ効果もあり,いつの間にか睡眠→朝.んでやっと篭り始める.




 やっぱり,久しぶりに薄赤暗い部屋に篭るのはいい.何がいいってトリップができるから.像を印画紙に焼き付けて液に浸して像を浮き出す事で,右脳に引っ付いてるあやふやな記憶を具現化してくれる.必ずしも過去にトリップするだけじゃなくて,そこから派生した色んな思考に結びつく.自分が撮ってきたものって自分の記憶やし,何気にシャッターを切っているようでも,その瞬間に感動を覚えた何かがあるんやろうと思う.たとえアーティスティックな写真を生み出そうと思っても,記憶としてその瞬間は刻まれているはずやし,作品のコンセプトに影響を与えていると思う.
 何が言いたいんかよくわからんけど,上の写真一枚をとっても自分の中では色々と思い返してしまう事があった.この写真では特に聴覚的な記憶が蘇った.

 これは,ボリビアのコパカバーナという所で,場所に関しては以前UPした写真の項で記してある.
 ラパス行きのバスの待ち時間が3時間くらいあり,感じの良いカフェに居合わせた時のこと.
若いセンスの良い夫婦がやっているお店で,客は誰も居なくて,久しぶりに濃いコーヒーを飲んでまったりしていた.外の天気も抜群にいいし,気温もほど良くいいし,旅も順調だったのでこのテンションを伝えようとポストカードを書いたりもしていたかな.
 何よりも,その時流れていたRita・LeeのBossa'n Beatles内のin my life(spanishバージョン)がヒットだったというか,その空間にとてもマッチしすぎていた.後はFrank emilio等cuba音楽が流れていた.

今回上の写真を焼くときは,Rita leeを流してボリビアにトリップしていた.
少なくとも,この写真で視覚・聴覚・味覚は蘇ったかな.


ちょっと前にキックザカンクルーの脳内バケーションって曲あったけど,俺あのフレーズめっちゃ好きやわ(そのPVでは,台湾が彼らのバケーション先でした).
ってとこから暗室=脳内トリップの場所とします.勝手にしとけって感じですよね・・・.まぁまぁ.

今回脳内トリップしすぎて,100枚近く焼きこんだ.
おかげで暗室のドアを開けると,辺りは真っ暗でそこにはだーれもいなくて,朝方からめっちゃ降ってた雨も止んでて,濡れずに下山できましたとさ.おわり

2006/02/19

おつかれおれ

今日は修論審査会だった.
教授2人と助教授1人で,狭い部屋で30分弱の論文に関する審査会.
面接やね,あれは.部屋に入る前の一年前の緊張感が懐かしかった.実際面接を受けるつもりのテンションやったから,何も持たずに入ると.助教授が「論文は持参していないのか?」,「はい」,「まぁどこに何が書いているのならいいが」と.まぁ自分がどこに書いたかくらいは分かるだろうと平常心を装う.

 修論のタイトルは『地方空港の国際化が地域経済に与える影響分析』.まぁ理論研究ではなくバリバリの実証研究である事はタイトルだけで理解できますな.
 
 一昨日の公聴会(全体のプレゼン)の際にも思ったのだが,教授2人は本質をついた質問をどんどんしてくる.何とも現実に即した説得力の高い攻め方をしてくるので,こっちも論理的に返答しようとするが,同じ文脈でまた質問,また返答・・・と2,3回返すのに精一杯.
 A教授に関して,彼は質問に対して僕がどう返答してくるか予想して,さらにそれに付随した本質に迫る質問をしてきて,さらにその先まで想定しているようなので,しまいにこっちが論理破綻してしまう.おそらく,僕が教授にとって想定内の返答をしているのだと思うけど,そのやり取りは極めて研究の本質を突いたものになっているので,最終的に教授の論点を受け入れるしか出来なくなる事があった.
 
 明らかに今日の審査会の教授2人に関しては,研究に関して相当広い視野を持っているので,突いてくる内容にも重みがある.自分の研究アプローチが所属系統では稀ではあり,例え彼らがその分野の深い知識を持ち合わせていなくても,修士レベルの学生の現実を扱う研究に対してはだいたい分かっているよくらいの感じなのかな.
助教授がしてくるテクニカルな質問に関しては,むしろこっちが,「あんたそれは理解不足っしょ,もっと僕の論文を読みなさい」って点があった.

 審査会後,助教授との打ち合わせの時にプラスアルファのタスクを与えられたが,修論全体に関して地味に労ってくれたので,嬉しかったのは間違いない.研究室入った時はめちゃめちゃ言われてたもんね,俺.

 その後,夕方からM2全員で王子公園の定番,鳥ひげへ.まぁどうでもいいですが,微妙に歯茎が痛かったので,串が当たらないように注意して焼き鳥を食べました,はい.
いやむしろ,歯茎の下に隠れてる歯が痛いかもしれない.これは一大事だ!

2006/02/17

結婚式
















じゃあなくて,結婚式の2次会ですな.高校の友達のん.
アナログカメラの嫌な点.一月にあったこの会のネガをやっと昨日現像に出して,取りにいったこと.まぁそんなことより,この結婚式2次会.

新郎・新婦ともに自分の高2のクラスメイト.2人とも仲良くしてた友達だからなおさら感慨深いものがあった.なかなかこんな結婚式にはめぐり合えんやろな.
高2というと,修学旅行もあったし,ほんと良い思い出が一杯な気がする.
高校の環境も良かったし,最高にあほなやつらがいたような気がする.今でも笑いの基準は高校時代だと思う.勉強が出来なくても将来を憂う事なく,部活の仲間やクラスの仲間と毎日あほやっていたような気がする.大笑いしてた気がする.先生もほんとに良い人ばっかだったし,大学とはまた違う自由が与えられていたような気がする.なんか毎日晴れだったような気がする.それは言いすぎか.

たぶん彼らも同じような思い出を持っていることだろう.

そんな素晴らしい思い出を共有できてるっていいですな.

それにしてもゴールインできて,非常にめでたい!めでたいめでたい!


と,俺の周りももうそんな時期かと・・・.まだ働いてませんが,何か?

久々な高校連中とも会えて楽しかった.ほとんど社会人だった.んで,あほだった.

2006/02/10

提出!修了?そして・・・

変な時間(朝3時)に起きてしまった.意味不明な生活体系からくるものか.

昨日(9日),15時頃,論文提出!!!
充実感が満ち溢れた.自分でも妥協なしに提出できて,よかったよかった.何かしこりが残るものにだけはしたくなかった.後はまぁ,来週に発表と公聴会を残すだけだ.不安要素はまぁ,ないな.ちゃっちゃとパワポでもつくるか.

昨日の一連の流れ.
論文提出後,研究室のM2達と,HAT神戸のなぎさの湯へ.
その後,王子公園のいなかもんへ.相変わらずうまい料理とビールで研究室の面々と戯れるが,途中,ビールと寝不足で記憶なくなる.その後,いつものKZ宅へ.みんな一瞬で寝る.まぁ疲れきっていたからしゃあないが.


で,今日の朝.皆が寝てる中を帰宅.みんな,よー寝れたんかいな.Mっちとか.

 で,次の視点は,社会人までの期間をいかに過ごすか.だったので,さくっと旅でもしようかと.持っているシンガポール航空のマイレージ,クリスフライヤーの使用期限が3月末までなので,それを使ってどっかいこうかなと.まぁだいぶ前から中国の奥地って決めてるんやけどな.

で,今日の神戸からの帰りに梅田の第一生命ビルにあるシンガポール航空のオフィスに.スターアライアンスの中でも,成都とか桂林とか重慶とか,やや内陸まで行ける航空会社がアシアナ航空だけ(今調べたらANAもありそうやな)だったので,おそらくアシアナを使おうかと.普通にANA使ってさっといくんもありやけど,ストップオーバーで帰りに久々ソウルに寄りたいとも思ってて.そんなに遠くに行く期間もないし,近場が好都合かな,と.
 で,オフィスに行った理由は,SQのWEBでマイル使うための路線検索の際に,OZの詳細な乗り継ぎ便が表示されなかったため.SQのオフィスからでも,OZの国内端末しかアクセスできないため,例えばインチョンー成都間のブッキング状態を(日程が確定しない限り)知ることができないらしい.ま,でも中国内の行き先に柔軟性を持たせれば,楽にチケットが取れそうな感じを持った. 
 スターアライアンス内でも,それほどWEB面で融通されていないんかなという印象だった.その辺のサービス面では会社毎に差がありそうやな.
 中国内陸と言ってもまだ,それほど行きたいところが決まっていないため.もう少し考えようと思う.

で,さらに帰宅途中.心斎橋のアップルストアーに.やっとipod(30ギガ)を買う.

で,さらに本屋に寄る.難波のジュンク堂でお目当ての本を探すがない.ますます購入したいので,旭屋に行く.ないと思ったが,あった.この前の日経日曜で書評もされていた,「物理学者ウォール街を往く」
年始にも書いた卒業までの目標,本15冊を読むの中で,この本は質・量を考えて2冊と換算しよう.

2006/01/30

声がでない

今年2回目の風邪.

原因は不規則,睡眠不足と自分では分かっているものの,週末2日とも論文作成やら飲みやらで京阪神の3都物語を演じてみたり,まぁ風邪が悪化するのもしょうがない.
前回はインフルエンザだったが.今回は熱はないものの声がでない程喉がやられる系だ.4年に一度くらい声が出なくなる風邪にかかっているような気がする.

声が出なくなるのは,本当にしんどいです.
まぁ完全に出なくなるわけではないんやけど,自分の思うような音量やトーンが出せなくなる.そうなると,人とのコミュニケーションがやや不安になる.自分自身のことをうまく伝えれなくなると,自分からコミュニケーションを控えてしまう姿勢になる.

あるアメリカの心理学者が行なった『人が他人から受け取る情報の割合』の研究で,「言葉」「声質」「顔の表情」という3つの情報のうち,「顔の表情」が55%,「声質」が38%,「言葉」はわずか7%だという.相手の顔の表情,声音,声量などと言葉とで矛盾した情報が与えられた場合,人は言葉以外の非言語情報を9割以上の割合で重視して相手を判断するという実験結果がある.

こう考えると,昨日の同じ大学内定者の飲み会での僕の情報伝達力は格段に低かったと思われる.実際,「今日はあんまりしゃべらんなぁ」と言われた.うまく声が出ないと思うので,表情もこわばり,声量もうまく出せていないので,上の心理学者の見解では僕は伝えたい事の1割しか相手に伝わっていない事になる.

ということで今日は論文よりも喉の回復を最優先し,自宅療養をした.と言ってもここぞとばかりに寝まくっていただけ.夕方になって,声が治る気配もないので行きつけの病院にいく事にした.注射を打って,薬をもらった.

話は前後するが,本来なら今日は助教授と研究の打ち合わせがあった.昼頃に研究室の秘書さんから,「先生が風邪で休みなので打ち合わせは延期」との連絡があり,ややホッとした.助教授意外と病弱でナイス.
が,論文の提出期日は変わる事なく,明日からは再び研究室な生活だ.

友人に喉の風邪にはりんごと生姜が良いと聞いたので,今りんごを食べながらこれを書いています.密が詰まっててマイウーです.

2006/01/22

仮説思考とやら

最近の生活は2日に1日は研究室で,もう1日は自宅で寝る生活.研究の頭でやや混沌としてたので,一昨日の帰りに雑誌を買って気分転換.

買った雑誌は年に4回東洋経済からだされている,THINK.いわゆるビジネス雑誌で,面白いトピックの刊は買うようにしている.

今回は仕事で実践するコンサル力がテーマで,別に自分がコンサルタントになる訳じゃないけど,このテーマに関しては関心があるので購入.

気分転換のつもりで読んでいたが,今やっている論文作成の行為に直結するアイデアを吸収できた.

それは仮説思考という考え方.

ボストンコンサルティンググループの内田和成さんの項でこの仮説思考の利点について説明していた.仮説思考の定義は「物事を答えから考えること.
まず,仮の答えを出し(予想し),その答えまでのプロセスを導いていくやり方.
彼は「コンサルタントとして鍛えられていく中で,仮説思考を基にした仕事の進め方を身に付けていくために,問題解決のスピードが格段に早くなる.」と語る.

自分も含め,多くの人がそうであると思うが,仮の答えを見出す事が困難だと感じる.

この点(仮の答えを出す事)に関して,内田さんは将棋の羽生善治の例を出して,直観力,カンの働きが重要になると話す.羽生名人は将棋の一つの局面に80通りの指し手の可能性があるが,そのうち2、3の手だけを直感で選び自分のカンを頼りに検証していく.ただ,単なるヤマカンではなく経験や学習を通じて自分自身の中にストックされたデータベースを基に,それらを活用しながら集中して考える事で筋のよさそうな仮説が浮かび上がってくるのではないかと言っている.

確かに,今自分が作成している修士論文においても,卒業論文の頃よりも仮説(結果)が自分の中で明確化されているように思う.それは,おそらく土木計画という分野の研究室に曲がりなりにも3年間属し,その分野の論文にも多く目を通し,数々の背景を基にした研究の目的を自分なりに理解できるようになったからではないかと思う.なので,学部4年の頃のカンよりも,現時点の研究に対するカンはより洗練されたものではないかと思う.

ただ,その仮説に関しては間違っていても問題はないと内田氏は話す.「どんどん仮説を立て,検証して間違っていたら別の仮説を立てる.よさそうならば,その仮説を進化させる.それの繰り返しだ.すなわち仮説・検証の回数が重要だ」と.

確かに,分析を進める上で予想外の展開や新たな発見により軌道修正が必要なことは自分自身の経験からも理解している.失敗のパターンや成功のパターンを自分の中に暗黙知ではなく形式知としてストックする事で,確かなカンを構築する事ができるのだと思う.
そのカンってのが将来を展望する先見力にもつながるのかな.

とりあえず吸収したものは実践しないと意味がないと思うたちなので,今回の仮説思考の項で得た事を研究で実践する事にした.

研究における大局的な仮説をさらに細分化して,章毎の仮説,節毎の仮説を決めどんどん論文としての形にまとめ上げていく.最後の最後まで良い結果をだそうと分析をうじうじやるよりも,現時点でだせるだけの結果を出し論文の枠組みを仕上げて,修正という形で分析をやり直すアプローチで臨もうと思う.

2006/01/18

震災の記憶@研究室



今研究室でふと1月17日阪神大震災について触れたら、淡路の人間に軽軽しく語るなとか言われました。俺も一応大阪在住なんで、頭にCDラジカセくらいは落ちてきたんですがね・・・。

まぁ自分の席の左手には上の写真(携帯でとりました)にあるように昼と夜で神戸の景色がいつも見えていて、10年前にはものすごい事が起こったのだと思うと、少し冷静になってしまう。

この間研究室を掃除していると、当時の研究室の学生が綴った震災当日の日記があった。折角なので、自分がこの事実を振り返る意味も込めて少し抜粋してそのまま載せようと思う。


以下日記より(1995年1月17日地震発生後、明るくなりはじめた頃から)


 空がちょっと白んできたので、私は車を学校に持っていくことにした。ブロックをのけて学校へ走り出すと信号は作動していないし、道路はいたるところで割れているし、JRの高架は落ちてるしでえらいことになっていた。ところが、学校に着くと、学校は何事もなかったかのようだった。私の原チャリも倒れていなかった(倒れてまた立ったという説もある)。ここで、実家に電話して無事を知らせ部屋に戻った。

 部屋に戻ると(ちなみに部屋は御影石町)うちのマンションの周りは騒然としていた。うちのマンションの古い木造住宅はほとんど倒壊していたが、それらに火がまわってしまったらしい。「母と妹がまだ家の中にいるんです」という女の人の声がして、周りの人たちと助けようとして行ったが、もうすでに火が回っていてどうしようもできない状態になっていた。消防車は来ないし、消火栓から水も出ない。家族の人が「さっきまで声がしてた。まだ生きているから助けてあげてー」と叫ぶが誰も何もできなかった。そうこうしているうちに、一面火の海になってしまって、とうとううちのマンションにまで延焼しそうになった。
近所の住人と一丸となってバケツリレーをして、なんとかそれ以上の延焼はまぬがれたが、それでもかなりの面積が焼失してしまった。
このバケツリレーは朝の8時過ぎから昼の2時過ぎまで延々続いた。途中チャリンコでMが来て手伝ってくれた。

やっと下火になったので、Mと原チャリに2ケツして学校に向かった。もう道路は大渋滞していてローソンも長蛇の列だった。
私とMは飲み物を確保し、学校に来ると見事に電気が来ておりTVもうつった。
その晩はSも加わり3人で寒さと余震に震えながら研究室で明かした。

その次の日、朝農学部で炊き出しのおにぎりを2個もらい昼過ぎ、Mと私は「地獄のアウトロー」と化し、2ケツ、ノーヘル、歩道走りで西宮北口まで逃げ出した。阪急で梅田まで行くと、まるで何事もなかったかのように普段どおりだった。知り合いの阪急の姉ちゃんは相変わらず笑顔で商品券を売っていた。力が抜けた・・・


以上 日記より。


微妙にオチがついていたが、結構リアルな内容だった。もちろんほんの一部の震災エピソードやけど、貴重な体験談としてのこの日記をあの時ごみ箱にポイしなくてよかった。他にももっと大変な事があったんやろうなと思いながら、また左手に見える神戸の空をみてしまう深夜@研究室でした。

2006/01/14

世の中デジタル化?

ニコンが銀塩フィルム市場におけるカメラ・レンズ生産の大幅縮小の記事をみて.高級機のF6とマニュアル入門機FM10を残し,レンズに関してはオートではなく,マニュアルレンズのいくつかだけを残すらしい.

僕はキャノンユーザーなので,直接的なダメージはないのだが,最近,撮影のバイトで先輩にニコンのF100を借りて初めてニコンカメラを使ったのだが,キャノンのオートフォーカスよりもボディーやレンズがアナログ的な設計で硬派な印象を持っている.この点に結構惹かれてニコン機に乗り換えてもいいかなと思っていた.

今回の記事に関して思ったことを少々。

1,ニコンユーザーのメンテはどうなるの?

 うちの写真部には結構F80とかF100を使っている人がいるのだが,そのどちらもが生産中止,さらにオートフォーカスのレンズも生産中止なので,長期的に見たらそれらのメンテナンスが厄介になりそうだ.特に古くに生産されていたマニュアル式のカメラと比較して,これらのオートフォーカス製品は電化製品的気質が強く,電子部品が各々に設置されている.ので,他でまかなえるような代替部品はなく,修理にはメーカーを通す必要がある.

ただ,デジタル一眼のレンズ等の部品で補える可能性もあるし,ニコンにとっては既存ユーザーに対するブランド力を低下させないためにも,その辺の策は考えていることだろう.
 
2,キャノンが銀塩カメラ市場独占?

 日本における銀塩市場で,キャノンとニコンが2大メーカーだが,この内のニコンが縮小となると,キャノンが銀塩のオートフォーカスカメラに関してはニコンユーザーを囲い込む構図になるのか。いくらフィルム市場が減少しても,今後も少なからず需要は存在すると思うので,キャノンがどのような手をうって来るのかが気になる。
 今回のようなニコンのフィルム市場縮小の影響で一般消費者はよりデジタル一眼へ向かうのか,それともフィルム一眼なら選択肢の多いキャノンにしようと思う人が増えるのか。

3,ていうか銀塩自体が消える?

 先の記事から,
昨年1月から11月の国内全体の出荷台数累計は、フィルムカメラが前年比49.2%減の28万5344台と大幅減。デジカメは前年比1.1%減の757万3630台と横ばい。レンズ交換式デジタル一眼レフは、前年比52.3%増の50万513台と需要が拡大という内容に関して。

数字だけみると,各メーカーはデジタル一眼に資源を集中させたいと思うが,この市場に関しては有望市場であるがその点競合が多い。
松下やソニー,富士フィルム,など等フィルムカメラ市場では存在しなかった企業が競合となる。もちろんキャノンもだ。
デジタル一眼に関して,ニコンは蓄積されたノウハウで高級路線で他者と差別化していくだろうと思うが,今後どうなっていくだろう.
根強く残ったフィルムカメラユーザーはキャノンが奪っていくのか。

自分は銀塩を愛している一人なので,使うものに関してはできるだけ多くの選択肢を持ちたいし,将来的にみても根強く残るユーザーだと思うので,このニュースは少し悲しいものである.

というのも現像の際,露光によって潜像を生じた乳剤中のハロゲン化銀を金属銀に還元するプロセスを,あの暗くて薄赤い空間で眺め,何とも言えない感情を今後も持ちつづけたいと思うからだ。ある意味,自分にとっての癒しの空間である暗室に,今後とも篭る動機を与えてもらう必要があるのです(笑) 

2006/01/09

更新

久しぶりにテンプレートを更新した。
なんか使いにくい面もあるが,ま,当分はこれでいこうかなと。

後,read recentlyも更新しました。
やっぱ,改めてその時その時で関心の強い本を読むのが一番効率がいいな,と。

友人は残された学生生活1ヶ月10冊読むと言ってましたが,僕は後3ヶ月で15ー20冊読めればいいかな,と。1冊の質と量にもよりますがね。たまには有言実行型で。

それよりも,論文の方でまだまだ膨大な文献を読む必要があるし,2月中旬までは研究がメインでぼちぼちやっていこうかと。

2006/01/02

新年を展望する

 次に2006年が自分にとってどんな年なのか展望してみると・・・初社会人になる年である。
生まれて初めて自分が社会に飛び出すわけだ。なかなか感慨深いが、これまでも別に社会と切り離された存在だった訳じゃないし、社会人になる事で特殊な環境に放り込まれる、とも思っていない。むしろ今の自分にとって未知の領域が広がってそうで楽しみだ。人の出会いとかはもっと楽しみだ。

 根本的に何かしらの生産をしてお金をもらう訳だから、学生の頃よりもシビアな世界であるのは間違いない。安藤忠雄さんとバイト中に会ったときこう話してくれた。『自分の研究室の生徒に対しては厳しくない。でも設計事務所の部下に対しては相当厳しい。なぜなら後者の人間にはお金が発生するから。』
 
 そういえば表参道ヒルズが楽しみだ。

 まぁ、社会人に対して色々想いを巡らせていても後3ヶ月な訳だから、今ある学生の時間を最大限有効活用すべき事を考えていこう。それが、4月からのモチベーションにも繋がると思うから。

 2月上旬の修論提出までは、それに大半の時間と労力を注ぎ込もうと思っているが・・・。常に部分をチェックし全体を俯瞰する事を心掛け、一日一日のタスクを決めて確実に実行していこう。それと並行して、自分に足りない部分を補うべく本、その時に最も関心がある本を効率よく読もう。

 で、修論提出後は写真に関する何らかのイベントをしよう。旅行もちょっこっとしよっかな。うーん、あっという間に3ヶ月が過ぎていきそうだ。

 後悔のない日々を送る事。これに尽きる。

2006/01/01

旧年を振り返る

 久しぶりにこのブログで文を書くような気がする。
2006年にもなった事だし、少しは2005年を振り返ってみるのもありかな。と。

 2005年を軽く振り返ってみる。

大きく分けて 1、就職活動 と 2、南米旅行

1、就職活動

に関して結論から言うと、人との出会いそのものだった。
後悔のない就職活動をしたいと思っていたので、その通り後悔のない就活ができた。
行動に移す事に重きを置いていたので、本当に良く動いた。自分の可能性を存分に引き出したかったし、機会を失う事が何よりも嫌だったので、夜行バスを使って何度も東京に行ってた。その行為は特につらくなかった。機会を失う事に比べては。おかげで本当に幅広い分野の業種を見ることができたし、多くの貴重な人との出会いもあった。

 色んな分野を試した自分、五感で感じてきた自分だからこそ、4月から働く会社が最適だと思えるようになったんじゃないかなと思う。

 本質的な事は経験しないと分からない、人と会ってみないと分からないと真剣に思えるようになった。それが自分にとっての就職活動だった。このスタンスは今後の自分の価値観に大きな影響を与えるものとなる。

 今思うと、就職活動期に仲良くなった友達とは今後とも仲良くやっていけそうな気がする。


2、南米旅行

2005年の8月30日ー9月30日の期間、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、ブラジル、帰りに3日間トロントを巡った旅。
この旅の詳細は過去のアーカイブ(2005年8月 2005年9月 2005年10月)を見てもらったら分かると思うが、とりあえず未知の何かを求めたいという探究心が行動に移させたと思う。

 このような旅をする事で自分が世界的な問題に対して身を持って感じ、考える機会になる。それが長期的に自分の中に形式的にしろ暗黙的にしろストックされ、経験したトピックがあると容易に自分の中に入ってきてくれる。さらに、容易にその際に考えていた問題意識も蘇る。
例えばボリビアの話。
最近(2005年12月28日)のトピックで、ボリビア大統領が初の先住民系(インディオ)のモラレス氏になった事。この方、社会主義運動党らしく、さらに最近のトピックではキューバに訪問してカストロ氏と会談したりしている。

この件に関して、2005年9月中旬に自分が訪れた際、先住民による道路封鎖デモの経験から考えた事。
彼らは市場経済の流れについていけない事からくる貧困が理由に、おそらく単純な思いで社会主義というものを熱望していた。それと並行して、少なからずゲバラの影響が彼らにとって大きい事がいくつかの場面で感じ取れた。町にいくつかのキューバ料理屋もあり(実際に食べた)、親キューバ的である面も感じとれた。

上のように自分が経験から考えた事が、数ヵ月後に今のボリビアを考える上でのキーワードとして現れてきた。なので、どういう状況で、どのような背景でこの社会主義運動党の人物が選ばれたのか想像する事はできた。少なからず人口の40%を占める先住民の思いが通じた選挙だったのかもしれない。

 今回、社会主義党で先住民の大統領選ばれた理由としては、ボリビアの市場経済導入による腐敗政治や貧富の格差に対して、国民の不満が溜まっていた事が挙げられている。
 
 このような遠くの南米の最貧国の選挙にも、自国のように夢中になって好奇心を持ちつづけられる事、これが僕にとって旅をする意義かもしれない。