2008/04/27

NIKKO IS NIPPON

今週末、大阪から両親が上京していたので、東京・日光観光をしてきた。
父の日光に行きたいとの希望があったので、関空−羽田の飛行機往復、新宿−日光・鬼怒川温泉間直通特急スペーシア(JRと東武の相互乗り入れで2006年から運用開始)のチケット、鬼怒川温泉の宿を手配していた。
母は関西圏の番組でみのもんたが赤坂サカスを紹介していたとの理由で、そこに行きたがっていたが、時間的制約で却下(僕も行った事がないので、案内のしようがない)。
とりあえず現在開催中の恵比寿の写真展を見せて、その後、スペーシアで新宿から鬼怒川温泉へ。あいにくの雨だったので、宿でゆっくり、夜はゆば料理を食した。ゆばは日光エリアの名物です。

翌日は、鬼怒川温泉から日光へ。
日光東照宮へは、2006年に入社した後の研修期間中に同期と研修先(栃木県)からレンタカーで行った事があったが、若干懐かしく感じられた。
親の世代の小学・中学校時代の修学旅行先に日光が選ばれる事が多かったらしく、事実母の中学生時代の修学旅行先も日光だったとの事。父も20年くらい前に訪れていたとの事。

そういった意味で、上述した新宿−日光間を繋ぐ特急スペーシアのHPは良く出来ている(今回特に親がこのHPを見た訳ではないが。)。
団塊世代が一度は訪れた事がある日光へもう一度足を運ばせようとの狙いがあり、且つバスで訪れる事が大半である日光の観光客を取り込もうとの狙いがあるのだと思う。
キャッチコピーは『あの日のあなたへ、走ります。』。『走ります』の語呂がしっくり来ないが、電車のPRなのでまぁしょうがない。
ほのぼのとして、懐かしい気分にさせてくれる。ひとつひとつの写真もよいが、ローディングに時間がかかる。でも、トータルして何か日光に行きたいと思ってしまうようなHP。

で、実際スペーシアで行ってみた感想。
ニーズの創出を図るべくHP内には色々な日光の名所を示してくれているが、実際電車で日光を訪れ、それらの名所を行こうと思うと車の方が利便性が高い。スペーシアのチケットには日光の東武バスのフリーチケットも付いているが、バスは運行頻度も少なく自由度に欠け、短時間に網羅的に路線を把握する事は困難。
シンプルに日光東照宮に行くのならばスペーシアの選択肢でOKですな。
若者ではなく年輩を対象にしているHPの構成からしても、マーケティングがきっちりできているなぁと思った。

日光東照宮とかって、壮大で徳川の偉大さを感じれる(因にわたくしはむしろ倒幕した坂本龍馬たちを激しくすごいと思った。)ものであるけど、未だに何故この土地に行きたいと思うのかがよくわからない。親に聞いた日光に行きたい動機も、「懐かしさ」からだという結論。一般的には、歴史を学ぶ事と近い感覚で訪れる人が多いのかな。参拝するという事。何に対して参っているのか。先祖、神?参拝するという一種生まれながらに備わっている先天的なものがある!?
と考えてしまったが、特にこれに関しては意味を見いだす必要はないのかな。でも、この件についてお詳しい人、独自の考えをお持ちの方がいれば教えて頂きたいなぁ。

日光を後にして、上今市という所にある日光街道沿いの杉並木を訪れたが、そこに関しては特別天然記念物と文化遺産にも登録されているだけあり、東照宮に続く道としての神聖さが長い間備わっている、そんな感覚を持つ事ができた。高野山の奥の院の感覚に似ていた。

その後東京に戻り、親が自分が勤める会社の近くに行きたいとの要望(←ありがち)もあったので、丸の内辺りを案内した。東京における新宿等のターミナルと比して、東京駅を出た丸の内側の道幅と建築敷地間のゆったりさと、それが皇居の緑に続く様をオフの視点で改めて眺めると、整然としていて一種の神聖な感覚を持ってしまった。でも、この風景から活力は感じられなかった。今ふと思ったが、「神聖である事」と「活力がある事」は相反する事象になるのだろうか。神聖さは必ずしも活力を生み出さないのだろうか。(発散しがちなのでこの辺でやめる)

一通り丸の内を案内した後羽田へと向かった。かなりタイトなスケジュールだったのでお疲れになった事でしょう。僕も結構疲れました。