2004/12/26

子供兵

何かと並行してやる事が多い今日この頃。先日、学生サークルが主催する平和を考えるイベントに参加した。

イベントの目的は世界中で起きている内戦や戦争に、子供も兵士として戦争に参加している事実に焦点を当て、皆で考えようというものだった。

講師として実際にウガンダで子供兵についてのフィールドワークをした方が来ていて、少年・少女兵の軍隊を除隊した後の実際のインタビュー映像を流し、その現実を語ってくれた。その映像中の、除隊した子供の表情を見ると、あまりに一般の子供の表情からかけ離れている印象をうけた。何か深い悲しみと恐怖を通り越したような目をしていた。その地域(ウガンダ北部)の子供は軍の拉致により強制的に子供兵にされるケースが多い。映像中の子供たちも、夜寝ている時、村に侵入してきた兵士に拉致され子供兵として軍に入隊させられる事が多かった。

インタビューを受けた元少年兵の一人は次のような経験をした。
一度拉致された後にもう一度軍の兵士と家族の元まで戻り、軍の兵士は少年に次のように強要する。
「母親を殺せ」。しかし、少年はそんな事はできず。すると軍の男はナタを持ってきて少年に、「このナタで母親の腕を切り落とせ。もししないなら、お前も家族も全員殺す」という。あまりの恐怖に少年はナタで母親の腕を切り落として再び軍に連れて行かれる。少年は、絶望感と共にもう家族の元に帰れないと思う。
非常にむごいが、本当にある話しなのだ。

子供を兵士として軍が利用する目的として大人の兵士よりも従順で、扱いやすく、洗脳する事により良い兵士になっていくと考えている。子供兵は前線に配置されるので地雷の被害などを受けやすい。また彼らが何らかのきっかけ(怪我や逃走)で元の生活に戻っても、通常の人のように生活するのは難しいと言う。

この問題を解決するために
(1)子供兵の発生防止
(2)除隊後の子供のケアがある。

(1)として、子供兵が発生する要因の一つに武器の軽量化があり、その点で先進国が深く関わっている。子供の体力でも簡単に扱える軽量武器製造の88%は先進国の企業である。近年では製造の効率化により、以前よりも安価で戦闘地にそれらの武器が送り込まれている。この点を何らかの規制により先進国企業に圧力をかけなければならない。

(2)として、除隊後の子供に対して社会復帰させる環境作りが必要である。具体的にはケアセンターの設立である。今回の講師として来られた方はウガンダのケアセンターに訪れ、除隊後の子供たちにインタビューしていた。それには子供兵の現実を知らせると共に、センターの内容充実の目的があった。

(1)、(2)を実行するにしてもまず多くの人がこの現実を知ることが重要である。現実を知らない限り、次の一手がうてないからだ。少しでも多くの人が子供兵の現実を知り、個人個人の尺度で考えてほしいと思う。

関連URL

2004/12/07

リベラルな人

昨日、大学で開かれていたコンサルタントセミナーに参加してきた。
岩瀬秀明さんという方の講演を聞く目的で参加した。
彼は神戸大工学部卒でいくつかのキャリアを経て、マッキンゼー入社、8年ほど勤めた後、現在はQOL(Quality of Life)という戦略系コンサルの代表取締役社長である。
彼の講演の中でいくつか印象に残ったもの3点挙げると

1.リスクフリー時の貴重さ
日々新しいものを捜し求めて生活している岩瀬さん。このスタンスは学生の頃から変わっていないらしく、その時々に好きなものをやっていたのでものすごく吸収が早かったという。彼の現在の価値観で20代前半、またキャリアが浅い人に対してのアドバイスとして、その状態、つまりリスクフリーな状態を目一杯有効に使って欲しいとの事だった。様々なキャリアパスを持つ人が純粋にそう語ってくれた言葉は、今の僕にとって非常に刺激的だった。

2.呪縛の徹底理解
コンサルタントとして新しいアイデアを出すために、まず呪縛を解く事と話されていた。問題の前提条件、制約条件を徹底的に理解した上で、それを取り払い、問題の本質に望む姿勢を持っているという。問題の本質に行く前に、問題の前提条件を徹底的に理解し、取り除けということか。

3.リスクの責任を自分で取れる人
これは岩瀬さんが尊敬する人物像。彼自身リスクに対して前向きな姿勢を持っているのが話し言葉でも感じれたし、現在の彼自身が理想としている生き方なのかなと思った。


1.2.3と挙げたが、講演中話されている節々から、本当にこの人は好きなことをやっているなーと感じた。好きなことと言えば少し軽いかもしれないが、興味があり、自分がその時々に夢中になれる事を探し、没頭する。自分がやりたい事なら、少々のしがらみも吹き飛ばし、実行に映す。自由、特に心の自由を優先にして生きている人なんだと思った。講演後お話しさせてもらっている時でも、時間価値の高い経営コンサルのイメージとは反して、ゆっくりとした雰囲気を持っており、話すテンポは忌野清志郎のようだった。ちょっと、理想だなと思ったりした。




下のは今の僕のPC壁紙。
ポスカからスキャンしたもの。
アンディ・ウォーホルの作品で、夏、文化村であったグッゲンハイム美術館展で展示されていた作品。
彼の作品であまり心動かされたことはないのだけど、この作品は素直にカッコイィと思った。シュッとした感じが。



Andy Warhol / Mercedes-Benz W196 R Grand Prix Car

2004/12/05

写真『演奏会撮影時の制約条件』 

今日、写真撮影のバイトに伊丹ホールまで行ってきた。撮影対象はエルデという混声合唱サークルの定期演奏会だった。そのサークルには研究室の後輩が所属していたので、仕事してはやりやすかった。普段、自分が街などをうろうろしながら好き勝手撮るのとは違い、演奏会の撮影となるといくつかの制約があるので、難しい面がある。具体的に3つ挙げると

1.光の制約
室内撮影となるので、自然光と違って少ない光量で限られた絞り値しか扱えない。よって、ボケ具合を写真に表現する事は困難。ま、ズームでクローズしたときのボケは当然発生しますが。あと、ストロボ使用時の固定的な絞り値は僕苦手というか嫌いです。

2.空間の制約
リハーサルでは比較的自由に動き回れるが、本番では観客の邪魔にならないよう、撮影場所は限定される。よって写真に角度のバリエーション、遠近感のバリュエーションを表現しにくい。遠近感はズームレンズで補完できそうだが、自分はどうもズームレンズでの距離のとり方に違和感を感じる。おそらくその違和感が写真にも現れてしまうんでしょう。普段は単焦点レンズを使って自分の足で距離感をとるタイプなので。

3.音の制約
演奏会においては、この点がすごいシビアだと思った。特に今日使った1Nはシャッター音が激しいので周りにすごい気を使った。静寂の時にシャッターを切ろうものなら、会場に響き渡ってしまうくらい。

2.3に関しては、ホント空気読むって事ですわ。ま、空気読む練習になったかな(笑)って全然読めてなかったりしてー


あと、演奏会に関してはすごい楽しませてもらいました。谷川俊太郎の詩がいくつか出てきて、そのときはただの観客でした(笑)。また4回生の最終演奏会でもあり、後輩の4年間の集大成を見させていただいきました。まろ君お疲れ様でした。ピアノ良かったぜよ。


因みに今日、使った機材を紹介しておくと

ボディ  canon EOS-1N
レンズ  17-35mm L f 2.8
     70-200mm L f 2.8
ストロボ canon 540EZ
フィルム コダックとフジ ESO 400の普通のん 計8本

2004年12月5日(日) 混声合唱団エルデ撮影@伊丹ホール




2004/11/18

モンドリアン

 最近は就活をはじめた影響なのか、あまり芸術に触れる機会から遠ざかっているように思う。写真を撮る意欲もあまりないし、映画も以前よりはあまり見ていない。何かにつけて読む本も自分の将来の理想方向を見据えた短期的に読むべき本に限定されてきているのかも。そんな自分は今、経済合理主義人間と化してしまっているのか(大袈裟ですね、はは)。そんなカチカチっぽい理想像はないので、少なくともアートが自分なりの尺度で感じれる人間にはなりたいですね。
 今ふと部屋を見渡したら下添付のポストカードが飾られていたので、なんだか改めてこの作品、いや彼、 Piet Mondrianの作品に感銘を受けておりました。やっぱりこの抽象性、幾何学性には深みを感じさせられます。これはcompositionっていう作品なんやけど、同タイトルでもいくつか違うパターンのものがあって、僕的にどれもいい感じです。モンドリアンの作品に触れたのは、欧州を回った際のいくつかの美術館でだが、一番インパクトを受けたのが、ポンピドゥ・センターでのBroadway Boogie Woogieだった。抽象的、幾何学的技法を用いてこんなにも感覚的伝達ができるのかと感動した事を覚えている。人間の感覚は抽象的部分が多く占めると思うし、その抽象的部分を抽象的表現を用いて訴えるのは、本来なら最も人間の感覚に響くのではないだろうか。って考え方もありですよねー。少なからず僕自身の写真においてモンドリアンの影響を受けてることは間違いないです。


mondrian
Posted by Hello

2004/10/28

ネットカフェの戦略

 久しぶりにBLOGに手をつける、ていうか存在をすっかり忘れてしまっていた。というのも実家が近距離と言えども新居に引っ越したせいもあってネット環境が整っていない状態なのである。

今は誰もいない研究室からPOSTしております。明日中に戦略系コンサルのウィンタージョブエントリーをしないといけません。こんな作業は普段ならお家でやってしまうのが一番リラックスしながらできるのですが、今は仕方ありません。

最近では今まで行ったこともない、漫画喫茶にいくようになりました。理由はウィンタージョブのエントリーですが。原案はワードで作っているので、ネットがつなる所ならそれほど時間をかけずできるんですがね。
 漫画喫茶、インターネットカフェというものがほんとに増えてきたなーって気がします。昨日は図書館に行く前に、堀江にあるネットカフェに入ったんですが、内装というか置いてある雑誌とかテーブルや音楽が、いわゆる堀江界隈にあるカフェのイメージで作られていました。地元にもそこと同じ名のネットカフェがあるのですが、サービス内容はほぼ同じだが、価格や、店舗内の雰囲気はかなり違っていましたわ。
そこは多数出店しているネットカフェだし、出店に関していろんな戦略が打ち出されていると思う。堀江店に関しては間違いなくあの一般的なオシャレカフェに対抗すべく戦略を打ち出していたと思う。一般的な堀江にあるカフェと差別化の要素となるのはネット環境が確保されていること、これが今後かなりきいてくると考えているのだろうか。もちろん、漫画も大量にあるわけやし、一般的なオシャレカフェとの住み分けも考えられる。それは昼間友達としゃべりメインのオシャレカフェ、夜は暇だし一人でネットカフェ。でもそのネットカフェも感覚的に昼間のカフェの雰囲気に近いからすんなり空間に浸れる。
堀江店の戦略として、エリア特性を踏まえた上で利用顧客にいかにオシャレという雰囲気を感じさせるか、この点をかなり重要視しているように思った。現段階での利用者は、普段堀江のカフェを頻繁に利用しているような感じの人は少なかったが、今後の顧客分類をみていくとそのような路線へと転向していくのだろうか、結構興味深い結果がでるかもしれない。堀江店はまだ出店して間がないし、口コミや価格面でのリピーター確保と認知度をあげるための、短期的戦略も考えているのかもしれない。少なくとも価格面では地元よりも一時間あたりの利用料金が安かったので、現在価格面では戦略実行中かもしれませんねー(堀江のほうが地元よりももちろん土地代は高いです)

まぁネット目的でなくても、友達誘って一度そのネットカフェの堀江店は紹介してみたいなーって印象はもちましたわ。あぁいう形態がもしかすると今後のカフェの主流になってきたりして!?

あー今からエントリーで要求されているお題についての戦略を考えねば。妥協せず頑張ってみよっと♪

2004/10/07

脱駒ヶ根!

卒検合格して、18日間居た駒ヶ根ともようやくおさらばです。
今はバスの時間待ちで、最後の教習所PC使用です。

もう田舎生活は当分結構ですね。
やっぱり、のどかな生活をしてるとモチベーションが急減します。と言うよりも人でしょうかね。
都会の喧騒感が無い分、ゆっくりと時間が流れていて一日の移り変わりを心地よく感じれる精神状態で生活していました。なんとものんびりした時間を過ごしていました。帰ってからは自分自身の方向性に沿う、具体的行動を重んじた生活になるでしょう。帰ってからの半年は自分にとって、より具体的にビジョンを定め、とりあえずの方向を明確化する作業が必要とされ、そのことに多くの時間を費やすことになるでしょう。『狭めることを不安に思う必要はない』という友人のアドバイスも頭に入れて、自分の成長するために無駄の無い時間、つまりタイムマネジメントをしっかりしていこうと思っている。
やはり今後当分の間も『行動力』が僕の生活の基本となりそうだ。


話は戻り、駒ヶ根はとても良い印象を受けたし、素晴らしい魅力的な要素もたくさんある。なので、また必ずここに来たいと思う。もちろん9月23日の三国煙火に日程を合わせて。
そろそろ出発だ

2004/09/30

9月最後

まだまだ合宿中の僕。もう路上にも出て、自然にドライブしております。
明日からは10月でそろそろ大学も後期スタートしていくんやろね。
そんな流れをよそ目に僕はあと1週間くらいこの日本アルプスに囲まれた土地でバカンス気分を味わいますがね。

2日前に駒ヶ根高原美術館に行ってきたのだが、高原美術館と名がつくものやちょっと田舎の美術館とかは、あまり激しい作品とかはなく、なーんかゆるーい風景画とか人物画とかが展示されているイメージが僕の中ではあった。ところが、その駒ヶ根高原美術館では藤原新也草間彌生等、僕自身興味のあるアーティストの作品が所蔵されていた。特に藤原新也については、常設展が存在するのはこの美術館だけらしく、その時はメメント・モリの作品が展示されていた。帰り際、館内の方に常設作品のセレクト基準を聞いたところ、女性館長の父親が戦争で亡くなられたらしく、生と死にまつわる作品を所蔵したいという想いから、そのコンセプトに会うアーティストとコンタクトを取ったりしてこれらの作品を常設する流れになったのだそうだ。

やっぱ藤原新也の作品と詩にはいつも考えさせられてしまいますわ。
『死の瞬間が命の標準時』『火はアナキズムである』 写真と一緒にどうぞ。

2004/09/24

駒ヶ根市の祭り

昨日、凄まじい祭りをみてきた。
現在合宿中の駒ヶ根市で年に1度開催される、五十鈴神社における三国煙火と言われる祭りだ。
簡単に言うと、爆音と共に今まで見たことも無いような大量の花火が境内に降り注ぎ、その中を祭り参加者の青年団が上半身裸で突き進んで行くというもの。はっきり言って、火傷なんかは当たり前らしい。

距離も近いため、かなりスリリングで観客席にも火の粉が降り注ぎ髪の毛が焦げる可能性は非常に高い。
実際僕もマジで!?って思うくらいの火の粉が降り注いできて、観客もパニックに陥っていた。
百聞は一見にしかずで、一度是非皆さんにもこの祭りは経験してほしい。毎年9月23日に上記の神社で行われている。絶対に、間違いなく驚きますよ!

で、最後祭りが修了した後に青年団が境内から下ってきて、観客が歩いて帰る参道の両側に立ち並びはじめたと思うと、青年団全員で『ありがとうございました』の連呼。
地域住民により成り立っている祭り。その『祭』の意味を深く考えさせてくれるきっかけともなりました。

2004/09/22

免許合宿@信州駒ヶ根

怒涛の如くインターンが終わり、今は運転免許合宿で信州駒ヶ根にきている。
現在、3日目かな。まぁ普通に教習やってるね。結構空き時間があるので、読書の時間を多く持ちながらのんびりとすごしてる。

昨日は無性に運動をしたくなって駒ヶ根市周辺をランニング、競技場を見つけ侵入、ナイターソフトボール試合を横目で見ながら、球場内をしばしランニングした。何せ2週間以上ろくに体動かして汗を流してなかったので、爽快感はおおきかった。

ホテルに戻る際、もうすっかり夜は肌寒いし、慣れない土地で人通りも少ない道を歩いていると何故かもの悲しくなった。でも、この感覚って体験したことあるぞーって思ったら、それは高校の時、クラブを終えて自転車で帰っている夜道での感覚だった。その高校のときの感覚から派生して、イロイロな事を思い出された。
やっぱり記憶って、五感なんだなと思った。

そして、昨日の夜から合宿用に買い込んで来た技術価値評価戦略経営論を読み始めた。まぁ、どちらも分厚い本だしこんな機会にしっかり読もうかなと。この2つの本は、自分が今後プロジェクト評価、またはマネジメントの分野の研究をする上で有益であろうと考えている。技術価値評価は現在の潮流であるMOTの考えを元に、ここでは特にR&Dにおける評価プロセスの手法等を提供してくれる。戦略経営論は、マネジメントという自分にとってまだまだ抽象的だが、プロジェクトを行う際に根本となる概念なので、自分の方向性と照らし合わせながら、得たい情報は何かを明確化させて読み進めていきたいと思う。

2004/09/08

インターン3日目終了

やぁやぁ、月曜から始まったMRIのインターンも今日で3日間が終わりました。
僕が配属されている社会システム部門での、今日までのタスクは中部国際空港建設整備による経済効果についての報告書の把握・位置づけをまとめるものでした。扱っている事象を具体的に述べると、中部国際空港建設工事が及ぼす経済効果、中部国際空港を計画するに当たり新たな海上アクセスルートを設けることによる経済効果。他には、航空輸入貨物ルートの把握、ビジネス旅客流動調査、臨空型産業の経済効果、これらは現在の名古屋空港の時点を原単位として、中部国際空港ではどうなるかのシミュレーションをする。具体的な数値等をみていると、実際、中部国際空港の有効性は証明されるものも多いかもしれない事は僕自身理解できた。それらを、利用する人に一目でわかるように概要と、そのプロジェクトの評価項目における位置づけをわかりやすく整理するというもの。具体的に、各冊子をA4一枚くらいにまとめて、後はエクセルで各項目ごとに短く説明を入れていくというもの。

まぁ部門のことはさておき。同時期に入ったインターン生は、各部門一人ずつなのであまり横のつながりがもてないのが現状。でも今日はランチミーティングという名目の交流会があった、そこでは参加者の自己紹介などがあったが、人事の方の前だったし、集団面接みたいだった。しかししかし、僕は圧倒された。自分自身のことを論理的に話すという点でものすごい価値を与えることができる人がほとんどだった。学歴とかそんな表面的なことではなく、本質的な部分の価値を参加者の方々は持っていたように思う。彼らの話し振りに芯の強さを感じることが出来た。自分自身はまだまだふらふらしているように思った。彼らは機会を最大限に利用できる人達ではないだろうか。そこんとこを含め、明日の飲み会で彼らから色々吸収させていただきたいと思うね。

2004/09/03

バタバタ


chibetian incense
Posted by Hello

あ,最近全く投稿してなかったです.
明日からインターンのために東京に行かなあかんし,そのための準備はあんまりないけど,今日中に仕上げなあかんレポートがあるのですわ.深夜1時から起きっぱなしやけど,なんか最近は生活リズムがめちゃくちゃでいつ寝たらよいのかわからんくらいですね.今,『中国の経済成長における物流構造の変化とそれが日本に与えるインパクト』って内容のレポート書いてるんやけど,あんまり進みません.中国国内の物流構造は日本の常識と全く異なるし,そもそも社会主義経済からの変化やから,現在では劇的な変化を遂げているらしい.その辺の具体的な知識をインプットしながら書き進めるしかなさそうなので・・・.さっさと終わらせて学校に持っていこっと.

で,写真は上の文と全く関係ないけど,インドのダラムサラのちょっと北のマクリオドガンジー(ダライラマが亡命中の場所)で撮ったお香屋さんのディスプレーです.ここはチベット民族の人が多く住んでいます.そこでダライラマの秘書役みたいな人とかなり仲良くなったんやけど元気してるかなーあの人.近々メールしてみよっかな.

2004/08/24

写真『香港ビルヂング』


Hong Kong Building Posted by Hello

やっとこさ写真の載せ方が分かったので,手始めに適当な写真を載せました.これは昨年の10月にインドの帰りに立ち寄った香港のビル郡です.この内の一つのシティバンクのビルに堂々とした印象を受けたので,その際下から撮影したときの写真です.今後はリンク等で僕の写真を一杯発信していけたらと思ってますね.

2004/08/20

夏の平日

昨日,久々に研究室に泊まった.大阪湾に向かって神戸の夜景が一望できるあの環境は特殊である.
なんかやっぱりあの研究室は独特の匂いがある.あまり良い匂いではないのでなんとかしたい.

最近「人口減少経済の新しい公式」という本を読んだ.
一般的に今後日本において,少子高齢化が進むといわれているが,僕自身それによって日本経済がどのようになっていくのかが具体的に分かっていなかった.しかし,この本ではこういう漠然とした僕のイメージを,人口減少によって引き起こされる弊害または利点を国(大都市圏,地方)・企業・個人レベルにたって論じている.本書では,データの使い方等研究アプローチとしても参考になるところがあった.どの分野でも日本経済を含む将来予測をする研究なら,この本の内容は一読して損はないだろうと思った.

2004/08/16

平和とは

さっきドキュメント番組で,昨年起きた,大学生による広島の平和記念館の千羽鶴焼却事件の経過と影響が放送されていた.多くの人がショックを受けた事件だったけど,その後犯行者の大学の学生が中心となって,千羽鶴を全国から受け付けたり,自ら作ったりと,本来ならこんな作業はなくてもよいはずだったんだけど,彼らは平和ついて深く考える機会になったのだと思う. 僕自身も,あの事件で,千羽鶴の意味や,平和とは?って事を考える機会になった(もちろん犯人に対してはありえない気持ちだったが).
放送では,多くの人が僕と同じように,僕よりも強くあの事件を通じて様々なことを考えていた事が分かった.印象的だったのは,コンビニで働くおばさんが,お客さんに呼びかけたりして鶴を折って,その心はやはり平和だから働く事ができる,なんとか自分も平和に対する感謝を示したいという気持ちがあっての事だった.また,この機会を通じて子供に鶴の折り方を教えたり,平和について教える親がいた.

普段平和といわれる国に住んでいる人間にとって,平和を感じる事は難しい.阪神大震災や9.11のときもそうだったが,僕らは何かしら天災や大事件が起こった「機会」によって平和を感じているように思う.また,地球上にある平和ではない現実をメディアなどを通じてみて,相対的な平和を感じているだけかもしれない.平和の捉え方には個人差があるし,僕自身は過去・国家との比較などによる相対的な平和を感じている.平和だからこそ,平和について考え,それを自分の行動にフィードバックさせる必要があるんじゃないかなと思った.

2004/08/13

世界報道写真展2004

 今日,ハービス大阪で開催中の世界報道写真展2004に行って来た.
昨年は行きそびれたので,2年ぶりの報道写真展だった.
今回はイラク戦争を中心とした世界の内戦・紛争など,普段日本のメディアから知る事もない事実を切り取った写真も多く展示されていた.
 エンターテイメント部門やスポーツ部門などでは,色使いや構図においてすごいセンスを感じる作品があったが,一番衝撃的で現実を見せ付けられ,自分の感情を揺さぶり,鬱になるほど考えさせられる作品は普段の僕の生活からは接する事のない人の表情だった.
 イラク戦争でのバグダット空爆による,父(夫)を失った家族の表情は,その瞬間の悲しみよりも,将来に対する絶望感,戦争を疑問に思うような余裕も与えず,ただ一方的に事実を突きつけられ,その形のない,敵かどうかも分からない物体に自分たちの人生が奪われていく.そんなありえないような事が実際にはある.
 リベリア内戦において,やるかやられるかの極限状態で,ある兵士が反政府軍に対しての攻撃が成功して,喜んで飛び跳ねている瞬間と説明されていた写真があった.確かに自分が撃ったロケット弾が敵に命中して飛び跳ねていたが,男の表情は(自分がやったことを次には誰かにやられる)という恐怖心が前面に出ていて,その感情の高鳴りが伝わってきた写真だった.
 
 この前の流れ星の話じゃないけど,この地球からはどこからでも星を見ることができる,イラクでもリベリアでも流れ星は見れる.僕らが見ている星から地球をみたらどうだろう?きっととてもとても短い距離で全く違う世界が広がっているなんて思いもしないだろう.やっぱりこの地球で生きている,生きていくからには地球のことを知るべきだと思う.同じ人間のことを知るべきだと思うし,この地球を良い方向に向かわすべき使命は全人類の遺伝子に組み込まれてるんじゃないんかな.少なくとも今日の展覧会の出展者(カメラマン)にはその遺伝子が含まれているわけやし.
今日は,地球規模の視点から自分を見つめなおして,方向性を考えていく良い機会になった.と同時に少し鬱気味になってしまった.

2004/08/09

伊勢志摩満喫!

なんかタイトル見ると,中国語っぽいな.
しかし,サッカーアジアカップの決勝戦の中国の様子見ると大変やな.色々まだまだ問題があるなー

それはさておき,昨日今日と研究室旅行で伊勢志摩に行って来た.鳥羽市の南東部の千鳥が浜で泳ぎ,その近くの潮美館で泊まった.学生の身分で,この旅館の料理・サービス共になんとも贅沢だと思った.伊勢海老等の豪華な料理は本当に満足してしまった.
夜には花火を海岸でやったのだが,その時の空に広がる星は本当に素晴らしすぎた.あれほどの星を見たのは,過去にほとんどないと思う.流れ星も偶然見ることができた.その夜,旅館の屋上で寝そべっていた時も含めると合計3つの流れ星を見た.その夜は,ほんと幻想的で,でっかい気分になれる時を過ごした.流れ星について無性に知りたくなったので調べてみようと思う.



2004/08/07

淡路島の海

昨日,写真部の皆と淡路島の海に行ってきた.ちょっと前,徳島の海に行った際,日焼け止めの使用を怠ったので急激に大焼けしてしまって,痛いわ,その後かゆいわ,脱皮するわで悲惨な目に遭ってしまった.今回は日焼けの免疫ができてるかなと思いつつ,またまた日焼け止めを怠った結果,日差しが弱かった分助かったが,ヒリヒリ感が生じて,もうちょっとで同じ過ちを繰り返すところだった.明日から1泊2日のゼミ旅行で伊勢湾の海に繰り出すが,同じ失敗はしないでおこうと思っています.

昨日最初行く予定だった阿万海岸は,前日に事故があったらしく閉鎖されていた.パトカーが止まっていたけど,一体どんな事故があったのかは不明である.警察の捜査上閉鎖せざるを得なかったのでしょうね.その後,慶野松原という海水浴場に行った.まぁ,決して水はきれいとは言えなかったが,全く不満もなく楽しんだ楽しんだ.帰りに南淡町のゆーぷるという温泉に寄ったのだが,ここはかなりお勧めで,細かいところまで顧客の視点に立った設備・サービスが提供されていて大満足だった.「この温泉の為に今日の海水浴があるみたいなもんだ.」と誰かが言ってたが,僕もその言葉には共感してしまった.

2004/08/04

中国の地域経済力格差について

 今日,特別講義で名古屋大の林先生が来られて,sustainableな交通,都市についての発表をしていただいた.都市計画の分野でバンコクの交通計画に主要なポストで携われていたり,グローバルな舞台で活躍している先生であり,たくさんの今後の自分にとって有意義な知識を提供していただいた.
 そこで,僕自身今日の朝読んだNIKKEI WEEKLYで掲載されていた中国企業のASEANに対する投資が増加している事実から派生した質問を,林先生に授業の終わりに投げかけた.

 僕が疑問に思っていた事は,中国の沿岸部と内陸部の経済格差であり,それが今後どういう方向に進むのかというものだった.一般に多くの方がこの事に対して関心はあると思われるが,明確な解を持っている人はそう多くはないはず. 僕自身としては,内陸部の所得水準の低い人々が,沿岸地域,または高成長の都市に労働者として流入してきて,低賃金労働力を必要とする企業に雇われ,次第に所得の底上げがなされ,都市の郊外化,発展が進み,都市が内陸部のほうまで及ぶ.その結果,内陸部もある程度都市が形成され,沿岸部との経済格差が解消されてくるのではないかという見解だ.あまりに飛躍的で論理と呼ぶにふさわしくない見解だ.
 
 しかし,今日僕が見た記事は僕の見解と全く違う方向性を持っていたのである.中国の企業はASEANに対する投資を拡大しているというのだ.理由としてベトナムにおいては低賃金労働者の獲得,タイにおいては中国語教育のための投資,ミャンマーにはインド洋に進出するための企業進出が挙げられていた.特に,ベトナムの低賃金労働者の確保に関して、まるで中国が先進国であるかのような印象を疑問を持った.ベトナムの経済成長は7%であり,アジアの中で中国の次だ.しかし,何故中国は内陸部の労働者を利用しないのか?中国は中国全体の成長はどうでもいいのか?
 その辺りの林先生との議論をまとめると,やはり距離的に考えてグローバリゼーションの企業戦略から,内陸部のアクセスビリティの低さを考えるよりも,それほど遠くないASEAN地域の工場立地を求める.また,様々なコストを考えて,ただ低賃金の労働者よりも,学習能力のある,または経験値のある人材を利用するほうが結果的にコスト減と考える事ができる.必ずしも内陸部の中国労働者が学習能力がないと否定できないが・・・。

 先日チャイナインパクトで読んだが,中国国内は文化的・その他いくつかの要因で5つのメガリージョンに分かれているという.儒教の精神から来る、血縁的つながりを大切にするし、同じ中国だからといって連帯感が強い事は必ずしもない。この事から,中国の企業としては 「同じ中国の発展のためだから」という横並びの思考ではなく、完全に利潤最大を基に動いているんだなと思う.資本主義体制化における企業である限り当然の行動だと思うが・・・。中国の経済体制って・・・。僕が中学辺りで学んだ中国の経済体制はもう昔のことなのですね、先生。

 内陸部と沿岸部の経済格差の問題を中国の企業の行動で考えるのは難しいことが分かった.企業はやはりどの国においても企業なのだ.中国国家の政策として企業に内陸部の低賃金労働力を有効に活用するインセンティブを与えてやる必要がある.まずはインフラ整備に関して、企業のコストとしてのアクセスがウェイトを占めるのなら必須であろう.あと,関税率の低下も必要である.企業のASEAN立地の要因として上に書き忘れたが,中国よりもASEAN諸国は低関税率なのである.

以上,だらだらと長かったが,自分的に少し整理できたから良しとしよう.今日は多めに寝よっと.

2004/08/03

企業の物流について

 昨日,研究会があり松下の物流部門の方が来られて松下のSCMについて講演していただいた.
専門的,かつ具体的に松下のSCMを語っていただいたが,それはやはり松下の持つ製品,工場立地,市場に併せた物流システムであり,経験的な部分が相当加味された物流システムだと感じた.
複雑でかなり改良されていたからだ.
 この前,WBSでトヨタについて特集されていたが,そこでもトヨタはカンバン方式を大々的に一般に対して公表している.トヨタの張社長は実際にそのシステムを使っているトヨタ社員そのものに価値があるので,その方式が一般に漏れても大丈夫なのだという.システムのノウハウを理解した社員に自信を持っているのだろう.確かに映像でも流れていたが,システムを理解し使いこなせるようになるだけども相当時間を要するようだった.そのシステムが浸透した社員が育成されてきた事で,彼らを管理する役職も必要なくなったのだという.トヨタのカンバン方式に関してもトヨタの製品,工場立地,市場にマッチングされたシステムを構築しているので,いくら他社がトヨタと同じシステムを導入してもうまくいくとは限らないのだろう.その都度問題点を解決して,長い失敗→反省→改良の作業を繰り返し,完成したのだろう.
 という事で,僕が企業の物流に対して持った感想は,物流システム自体にその都度の柔軟性が必要であり,日々改良されているという事.ある成功した企業の物流システムを絶対視してはいけないという事.なぜなら,物流システムはその企業のもつ製品,工場立地,市場を加味した上で構築されているから.



2004/08/02

初日記?

いやいや,やっとBLOGというものに取り掛かれたよ.
意外とというか,かなり簡素化されていて楽勝やったが,
オリジナリティの高いものにしたいんやけど,
BLOGGERでもその辺は満たされるのだろうか.
やはりレンタルサーバーなどを借りてMOVABLE TYPEとかを
実行するほうがいいんかな.その辺はとりあえず,
BLOGGERを利用して考えをめぐらせたいと思う.