2007/12/03

クレジットカードのポイント特典(マイルと交換)

あまり更新しないとぺんぺん草が生えてきそうなので、コーシン。師走やし。関係ないけど。

タイトルに書いた、クレジットカードのポイント特典について。
今朝の新聞で見た記事に、カード会社のクレジットカードのポイント特典でマイレージへの交換比率が見直されるとの内容があった。
 
 具体的には、三井住友カードの利用で得たポイントを全日空のマイレージへ交換する際の比率が利用者にとって悪くなるというもの。
 現在は三井住友カードのポイント1ポイント(通常1000円使う事で1ポイント)で、全日空のマイルが10マイルと交換できるが、2008年の4月以降は1ポイントに対して3マイルになるという話。今、自分はポイントが2倍になるマイペースリボ契約なるものなので、1ポイントで20マイルの換算。
 要は、クレジットカードを75万円利用(変更手数料などを除く)する事で、1万5千マイル(現在のANAの基準では国内往復航空券分)がゲットできるというものなので、この変更はありえへん。変更後は単純に250万円分のカード利用しないと1万5千マイルをゲットできなくなる。
 クレジットカード利用75万円に対して、国内航空券往復は4~5万円なので、6%くらいのリターンになり結構割がいいと思っていた(もっといいものがあれば教えて下さい)。また、リボの契約をしていても、一括払いの設定をしていれば金利もかからないし、お金を右から左に流すだけですごい価値のあるポイント特典だと思っていたのでショック。
 とりあえず、2008年3月中に今あるポイントを全て全日空のマイルに交換し、その後、どのカードに変えるのか検討する必要がでてきた。


そもそも、クレジットカード会社がこのような対応を取らざるを得なくなった要因として、①個人向けのローンの金利規制と②利用者のポイント交換のために備えている費用の増加がある。

①については、個人向けローンの金利規制強化を受けて、カード会社の収益の一つである、年20%台後半のローン金利が18%以下に下がった事。
②については、カード会社が利用者のポイント使用のために、予め発生する費用(貸借対照表上の負債項目の引当金)が前年比3割増で計上する状況である事。カード会社間のサービスの差別化により、多種のポイント特典が用意され、それに伴い利用者のポイント関連の知識レベルが向上してきて、カード会社の予想以上にポイント特典が利用されているのだと思う。

実際、さっき三井住友VISAに勤める大学時代の友人に電話をして、この件について聞いた(クレームの電話か!?と言われたが。そもそも、カードを選ぶ際もこの友人に相談していた。)が、引当金の増加に関しては、マイル特典を開始した当初は、これほどまでポイントを使ってマイルに交換する利用者がいなかった(または想定していなかった)との事。既に3~4年前から、ポイントからマイルへの交換比率については、カード会社の負担が大きいため、見直しの方向で話が進んでいたとの事。

上記まとめると、①について、消費者保護(金利を落とす)の観点で法改正が行われ、企業にとっては収益の減少が強いられる結果となり、②のようにポイントサービスで膨らんでいる負債に歯止めをかけるべく今回の対応になったのだと理解。
 利益追求である企業にとって、収益を確保するために、プラスαのサービスを低下する戦略をとる事は必然だと思う。ただ、自分みたいにマイルへの交換率の良さを念頭にクレジットカード会社選びをしている者にとっては、今回の件で他社のクレジットカードに乗り換えの動機となり、JCBや三井住友VISAにとっては顧客離れの要因となる可能性がある。
 顧客離れについて、上記企業はどのように考えているのだろうか。比較的情報に長けて、企業の収益的に痛いポイント特典(マイルへの移行等)を使いまくる人は、他社に流れて結構というスタンスなのだろうか。確かに、あまり自分はカード会社に利益をもたらすようなキャッシングや分割返済を使っていないかも知れない。年会費くらい。なんやかんやでそれもわずかだったような気がする。(そのわずかを差別化とするカード会社もありますね。)

 競合カード会社他社がどのようなマイレージ移行サービスを用意しているのか、現時点で自分はあまりよく知らない。もし、現状三井住友VISAから提供されているマイル交換サービスと比して、妥協できる程のサービスを提供している会社があれば、その会社への移行を考えるだろう。
 市場経済において、情報が共有されていて、合理性を追及する者達の集団だと、全てが合理的な行動をとった結果、より良いサービスを提供する会社に移るはず。でも今ってクレジットカードのサービスは百貨店や鉄道・航空等本当にたくさんあるが、個人ではどうしても情報量が限られるため、本当に自分にとって最適なカード選びも難しいんだろうなと思う。
 なんとなく選ぶのも嫌なんで、3月までには少しは色々検討してみようと思う。あまり時間をかけるのもどうかと思うが。

2007/09/09

文化都市六本木

六本木はアートを発信する場となり得るのか。よくこんな事が言われていますが、どうでしょう。
普段丸の内で過ごしている身としては、最近の六本木は気になります。街の開放感という点で。
とかなんとか言ってて、東京ミッドタウンと現在ヒルズの森美術館で開催中のコルビュジエ展に行ってきました。

東京ミッドタウンの中に入るのは実は初めてで、広々とした空間を生かしテラスのスペースも十分に用意され、開放感があるお店(飲食)が多い。

Nirvanaという、かなりロックな店かと思いきや、めっちゃインド料理で結構いけてるお店に入りました。70年代からNYで伝説的(?)なインド料理屋として、愛されてきたお店らしいです。そもそもニルヴァーナという言葉が仏教用語で、涅槃(=理想の境地、完全な状態)を意味するらしく、お店のトレードマークが蓮である事も理解できますね。ランチはビュッフェ形式で味も良く、上品なインド料理を出してくれます。

別のフロアーには、雑貨やインテリアショップがいくつかあり、和を強調したラインナップとなっていました。これらのお店は六本木界隈の最近のコンセプト(日本の文化を発信していく)に合致しているが、物の割には高く感じる価格設定だった。裕福な外国人層を狙っているのでしょうかね。

六本木ヒルズの森美術館で現在開催中の ル・コルビュジエ展にも行ってきたが、内容が相当ボリューミーでよろしかった。かれこれ3時間半くらい居たと思う。
これまで自分が訪れたフランスでの彼の作品やインド・チャンディガールで彼が行った都市計画について、きっちりとしたコンセプトを再考できたのが有意義だった。実際の内部空間も演出されていて、なかなかコストがかかっている展覧会だなと関心した。特にマルセイユのユニテ・ダビタシオン(集合住宅)の空間演出(一つの部屋の間取りを再現)は自分が行ってみたいと思っていた事もありよかった。

2002年に欧州に行った際、コルビュジエの作品に触れる機会が多く、バーゼルからパリに向かう途中にフランス南東部のロンシャンの教会に訪れた。そのロンシャンの教会は現時点でも、自分がこれまでで最も感動した建築となっていて、建築というもので、あれほどまで感動してしまった自分を不思議に思ったくらいだった。何故教会の中の空間で、あれほどまで感動してしまったのか。空間を知り尽くし、考えて考え抜いた建築家だからこそ作り上げる事ができた空間だったのだろうか。おそらくそうなのだろう。

今回の展覧会で得た知識を元に考えた結果、ロンシャンの教会は彼のコンセプチュアルな部分と絵・彫刻等多様な表現方法を有している部分が相まって生まれた産物なのだと思った。イメージし、空間に落とし込む作業ってまさに絵と彫刻だと思うし、そういう意味で設計・施工を経て竣工の瞬間まで彼は綿密に計算できていたのかも知れない。恐らく、それが暗黙的に彼に形成されていたとしても、絵画と彫刻の一流の技法を身につけていない建築家に比べれば、その(イメージを最終段階まで綿密化する能力)差は歴然であると思われる。

ロンシャンの教会に行ってはじめて、建築の本質は内部空間にあると思った。
外観を形成するデザインと内部空間がどれほど相互依存しているのかは自分にはわからないが、建築は目でみるものじゃないと感じた事を記憶している。
建築空間は五感で感じ取るもの。そんな事を当時考えていたからなのか、ロンシャンの教会の写真がほとんどない事に気がついた。おそらく自分の事だから、視覚的にロンシャンの教会を切り取れたとしても、どうせ本質的な建築空間で得た感覚を伝える事ができないと思って、ひねくれていたのだと思う。五感で感じとれるものこそ建築の本質で、視覚的に紙媒体や展覧会でその建築を感じてもそれは本質じゃないと思うから、やっぱり、色々と訪れる事が有意義なんでしょうね。ロンシャンの教会はおすすめですので、フランスに行った際には訪れて下さいませ。

ロンシャンの礼拝堂に向かう道中の風景と、立ち寄ったカフェの写真。ちょっと懐かしかったので。こんな田舎道を上っていった小高い丘にロンシャンの教会があるのです。



2007/08/03

サハラ

モロッコから帰ってきたのは、もう1ヶ月前の事だが、最近はバタバタと時間が過ぎているような気がする。
先週は会社同期の素晴らしい結婚式(にしだ、まおさんおめでとうね!)に出席するために久々にゆっくりと実家に帰ってリフレッシュしたが。やっぱ大阪はマイホームタウンいう感じがした。
最近は時間に後押しされているような気がする。これを書いている瞬間も金曜の深夜なのに何故か急かされている感じがする。以前よりも会社に居る時間は増えたかもしれないが。なぜだろう。


という事で、日記を辿り、モロッコでサハラ砂漠に行った際のあの自由な感情を取り戻してみようかなと思う。

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モロッコにて。
マラケシュで2泊3日の現地ツアーを組んでサハラに向かう。途中数々の街に立寄り、アルジェリアの国境近くの街に到達し、そこからサハラ入りを果たす。

サハラ。何もない世界。音のない世界だと認識する。
太陽の日差しが予想以上に強く、全ての水分を一瞬にして蒸発させてしまうだろうという感覚を持つ。
べっとりとした西日の中を、ベルベル人のハッサンが先導するアジア人で編成されたキャラバンは進んでいく。
時折、太陽の造影は実像よりもくっきりと映る。

やがて、砂丘の合間にいくつかのテントが見える。そこが、その日サハラを過ごす場所。

着いて間もなく、まだ熱の残る砂丘を駆け上がり、日が没する光景をみようと頂を目指す。
乾ききった砂に触れるたび、体の水分が奪われる。一瞬で喉がカラカラになり、下に水を置いてきた事を若干後悔する。

砂丘の頂に到達(結構達成感あり)し、辺りを見渡す。日が完全に没するまでにまだ時間はあった。大声を出してみたが、こだまはなかった。

何となく砂丘を背に仰向けになって空をみた。
左方に、次の夜には満月になっているであろう月。右方に、マンガのような分かりやすい星。空の色は右方だけやや赤みがかった深いネイビー。背中には昼間太陽に照りつけられ熱せられた砂の余温があった。

耳を澄ました。音がなかった。虫の音も、風の音もなかった。無の空間だった。

音のない空をずっとみていると、時間がたったような気がしてはっと起き上がった。

西方は赤とネイビーのグラデーションが出来上がり、自分を中心とした半径100KMは音のない、無の世界が広がっているという実感を持ってしまうほど壮大な光景が広がっていた。




2007/06/26

In Morocco

Bonjour.
Now I'm in Marrakech,Morocco.
I spend a week's holiday of my company in this country.
I haven't upgrade this blog for a long time,so I try it with free feeling here.
I want to write much by using Japanese lungage.
But I can't use it here,and in addition,it's hard for me to use keyboard of French spec.

Yesterday morning(6/24 AM 9 local time:time difference between Tokyo and Morocco is 9hours),I arrived at Casablanca in Morocco by air.
Total flight from Haneda to Casablanca is about 20hours via Kansai,Doha by using Qatar airline.
I use this airline for the first time,I think it's nice service.
Recently Qatar air make an alliance with ANA,so mileage traveled by using this airline are added frequent flyer program of ANA,and I did so this time.

And in Casablanca.
I directly came to Marrakech by train from airport of Casablanca(it takes 4hours),without staying in Casablanca.
Because I thought instinctively it's not interesting there.
Casablanca is famous for movie...

In Marrakech.
The old town(called "Medina" in Arabian country)of Marrakech is a UNESCO world heritage site.
Markets of Medina(called "Souk" in Arabian country)have an atomosphere of energize,exciting,crowded,historical,traditional,caos and so on.
All of people in here are many kinds of business.
For example,it's peformer of snake,entertainer,craftsman of traditional item(cattle and sheep leather,shoes),artisan of metallic item and so on.
Sorry,it's difficult for me(my poor English) to explain everything about medina and souk.
Anyway,it's nice.
But here,it's hot during the daytime,so I get tired easily when I walk outside.

Tomorrow,I will join a tour(3days-2night) of the Sahara Desert.
A little while ago,I entered this at the tourist office.
This plan is to go over Atlas mountain from Marrakech,to pitch a tent and spend night in the Sahara Desert and so on.
I'm very looking forward to this.
I will feel grand and free more and more.

and show the picture in this web after back to Japan.
maybe good pic...

enjoy the rest.
Bye.

2007/05/15

Garota de Ipanema


なんとなく写真をスキャンしたので、ついでにupしてみる事にした。
ブラジルのリオの写真。
リオ。
街と海の距離が近くて、とてもいい印象を持っている。
街と海の物理的距離というよりも、人が海に対する精神的距離が近いと感じた。
暮らしている人が海を愛しているからなのだろうか、人と街と海が調和していた。
人の生活に海の存在が浸透していたように思う。
おかげで空気が軽かった。

イパネマ海岸からちょっと歩いた所にあるカフェ、Garota de Ipanema。
Anotonio Carlos Jobinが店の名前同様の曲をつくるきっかけになったところ。
もちろん、Jobinの曲が先で店名が後。作曲当時の店名はヴェローゾだったらしい。自分は、jobinがこのカフェで座っていたとき、美しい女性が窓越しに通り過ぎていったのをきっかけに曲がつくられたというエピソードを元に、それっぽい写真をとってみたのを覚えている。でも、よう考えたら通行人を意識して撮ってる訳やから俺めっちゃきもいやつやん!はずかし。載せるんじゃなかった。

Garota de Ipanema(邦名:イパネマの娘)は色んなアーティストにカバーされているけど、一番好きなのは Samba Pa Ti/V.Aに入ってるJarabe de PaloのLa chica De Ipanema。相当さわやかな空気感を感じ取れるはず。

そろそろ、旅の季節(?)なので、どこかに行こうかなと思っている。

2007/04/22

写真 国立新美術館

久しぶりに写真UPしてみた。
スキャナーもゲットしたし、元々写真をWEBにのっけることを目的にしたBLOGだった事を思い出した。今回のおNEWのスキャナーはCANONのやつで、ネガスキャンができるすぐれもの。最近は、よく青山のナショナルフォートというプロラボにフィルムを出して現像してもらっているので、どっかの量販店に出した時のように仕上がりに憂慮する事はない。やっぱりモノクロの面白さに未だ逃れられず、GW前半に帰阪する時に、大学の部室まで行って写真をプリントしようと思う。以下、ちょっと前に国立新美術館に行った際に撮ったもの。



2007/03/27

選択

気が付くともう年度末。前回からの投稿からもう一ヶ月も経ってるではないか!

社会人1年目ももう終わってしまうなぁと、少しは思ってみたりはする。2006年度の4月からの一年は長い気がしたけど、ここ半年はすごい短く感じた。
2年目からはもっともっと時間が早く過ぎていくと聞く。時間の波に飲 まれないようにしないと。
ていうか時間の波って、ほんま誰かうまく表現したもんやわ。誰しもこの言葉からイメージできるもんね。抽象的事象を言葉で具体化させる 事って難しいけど、人に何かを伝えるためのスキルとして重要だと思う。

いきなり話は変わるが、今日の朝、「選択」というものについて考える機会があった。

朝、 いつものように寮のポストから新聞を抜き出して出社した。今日の日経は第1部の内側に第2部が折り込まれていた。僕はそれを新聞の厚さと、ポストの前 に置かれたゴミ箱に中身をみられる事なく捨てられた第2部の存在を確認して理解した。その際、自分も寮の多くの人と同じように第2部は捨てて、第1部だけ 通勤に持っていこうかなと思った。カバンがかさ張るのも嫌だし、不動産の広告とか今の自分に特に必要のない情報だと持っていっても意味がないため。
でも何故か、捨てるという選択をしなかった。

そしていつものように西部池袋線から丸の内線に乗り換えた後、新聞を読み始める。
さっき捨てるという選択をしなかった第2面は何が書かれているのだろうかと思い、まず目を通すことにした。自分の選択はいかほどのものっだたのかを確かめ たかったのかも知れ ない。
すると関西の経済が特集されており、そこには空港政策の識者として、大学・大学院の研究室の恩師が載っておられた。
本当に尊敬する人なので、朝から 色んな意味でとても嬉しい気分になった。
同時にすごい基本的だけど、こうして社会人になっても周りの人のおかげで自分が成り立っている事を感じた。

本当に些細なことに対しても、生きていく上であらゆる選択肢があって、その度に自分は何かしらの決定をする。
選択と同じようにチャンスもあり、知らず知らずのうちに何かを取捨選択していて、もしかしたらチャンスを逃したなんて事も多分にあるかも知れない。

前進するためには選択する必要があり、選択してしまったらその道を進むしかない。
しかし、ゴールには数多くの行き方があると思う。
旅の話になるが、事実リマをスタートしサ ンパ ウロがゴールの旅をした際の行き 方なんて無数にあったし、結果的に当初全く予定しなかったプロセスを辿った。
でもゴールにはたどり着いた。

旅のゴールと上記のゴールを同一視する事には無理があるかもしれないが、まぁ人それぞれの解釈だろうし、同じと思えば、きっと同じになっているんでしょうな。
でも物理的距離を示すゴール(旅のゴールなど)以外のゴールって何なんやろうね、人生のゴールとか、仕事のゴールとかで使われる事があるけど、実はその本質って物理的なゴールと近い(もしくは同じ)のかもしれないね。
少なくとも自分は自分の旅してきた経験 を思い返してそう 感じる。だとすると、ゴールが見えないとどこに進んでいいのかわからなくて選択もできず途方にくれてしまうので要注意、か。

これまでと同様、今後もあらゆる事を選択していかねばならず、ゴールを見据えながら自信を持って選択し、自分の道を切り拓いていきたいと思う。

なんかまじめな気分で社会人2年目を迎えていこうと思います。はい!

2007/02/18

友人の写真展(リクルート主催第28回ひとつぼ展)

大学の写真部同期の金川晋吾。
学生時代から独特の感性の持ち主で、言葉の表現力も素晴らしい。
なんか不思議な魅力がある彼の写真。いつもなんか不思議な世界に連れてってくれるのです。

そんな彼の作品が出展される写真展が明日(2/19)から新橋のガーディアン・ガーデンリクルートGINZAビルB1)で開催されます。そろそろビッグな写真家になってしまうので、今の内に要チェキです。是非足を運んでみてください。きっと日常では味わえない感覚が訪れるでしょう。
以下情報。

第28回写真『ひとつぼ展』 

【概要】
ポートフォリオによる一次審査を通過した出品者10名が、それぞれ3.3m(1.82×1.82m)のスペースの中で作品を構成し、発表する『ひとつぼ展』を2月19日(月)より開催。会期中の二次審査会でグランプリに選ばれると、1年後にガーディアン・ガーデンで個展を開催する権利が贈られる。

■会 期
2007年2月19日(月)~3月8日(木)
日曜・祝日は休館 入場無料

■会 場
ガーディアン・ガーデンMAP


因みに昨年の第27回も彼は1次審査を通過して会場で展示されていた。今回は断然グランプリ狙い、よな!?昨年の展覧会が終わったときから、今回選ばれる事を前提に構想を練ってたもんな!有言実行さすが。頑張れよ、アーティスト!応援してます。

2007/02/05

六本木

前のポストの流れで、六本木について。
3月末には商業施設・文化施設・オフィスが融合された東京MIDTOWNもできるし、六本木界隈はさらに面白くなるんじゃないかな。アートの発信を根底においた街づくりをしているところがいいね。最近は何かと六本木に来る機会があって、何かだんだんとこの界隈が好きになってきた。そもそも大好きな青山とか恵比寿とも近いし。
六本木ってなんか若々しい感じがする。
六本木ヒルズにレジデンスが併設されているように、東京MIDのコンセプトにもビジネスと住空間を同時に創出するってコンセプトがある。ヒルズは森ビルで東京MIDは三井不が手がけているみたいだけど、今後の六本木を活性化させる足並みは一致していると判断できる。そもそも、今回の防衛庁跡地のプロジェクトに関与する媒体って相当多様だと思うし、当然のように意思決定がデベロッパーに依存しているわけではないわな。

丸の内とか大手町のような古くからあるビジネス街と違って、ヒルズ族に象徴されるような六本木のビジネス街。
丸の内、大手町がある千代田区って夜
間人口は約4万4000人で23区で最も少ないが、昼間人口は約85万人にまで膨れ上がる。23区内で最も昼間から夜間にかけての人口減少が激しい。港区は昼間人口83万人に対して、夜間人口は15万人程度。(参考:東京都の統計
こ の数字をうけて定性的な評価をすると、丸の内と大手町は街に無機質な感じがする。皇居の周りは緑が多いが、何か無機質というか街に温かみがない。夜間人 口の多い世田谷区などでは街としての面白みが凝縮されているような気がする。街の面白みとか温かみと言う点で夜間人口が起因する要素って結構多いのだと思 う。
これまでの東京では、そういう昼間人口と夜間人口に差が出る都市形成が計画実行されてきたのだと思う。しかし、今とこれからの六本木に関して は、これ までにな い、昼間人口と夜間人口をどちらも増加させていくようなそういう街づくりがなされていく事になるのだと思う。いずれにせよ、どんな街に変化していくのかが 見ものである。実はこのような(都心に夜間人口を増やす事)発想って、前回登場した黒川紀章が提唱していることがわかった。(参考:首都機能移転で東京を人の住む街にする

2007/02/04

黒川 紀章

国立新美術館に行って来た。
乃木坂が最寄になるけど、ほぼ六本木。
たいしてそそられる展示はやっていなかったが、黒川紀章展が やっていたので行ってみた。そもそも、黒川紀章が設計していた事すら知らなかった。どうせ港区だから、森ビルがデベロッパーで表参道ヒルズの時 のようにタダオアンドウの作品なのかなと思っていた。そしたらタダオアンドウは3月末オープンの東京MIDTOWN全体の計画に携わっていたみたい。んで東京 MIDは三井不みたい。てっきり港区の土地は森ビルが買い占めてると思ったぜ。

で まぁ国立新美術館の話ですが、自分の中では黒川紀章=メタ ボリズム、メタボリズムと毎回僕にとって定義を確認する必要のある言葉を発信してそれを念頭に建築してるっ てイメージがあるわけです(黒川先生に詳しい人ごめんなさい)。でも、心斎橋のソニプラとか馴染みのある作品もあって、さらにアムスのゴッホミュージア ム新館も黒川紀章だったではないかと思い、少し親近感を持った。

その黒川紀章がひょっこり会場に居られた。オーバーサイズのスーツで太目のストライブのシャツを着て、
KARL LAGERFELDが常にかけてるような太目のグラサンをかけていた。 思ったより小柄だった。通常メディアを通じて見る人に対して実物より大きいイメージを持っているものだ。逆にイメージより大きい人もいるという話も聞く。

んでまぁ、会場の人は最初誰も気づいていないわけだ。気づいても誰も絡もうとしない。他にも展覧会があったし、無料だし、多くの来展者が黒川紀章に興味を持っているわけではないのでしょう、と思った。まぁ、俺は若干怪しい人がおるなとは思っていたが、案の定彼だった。
そこまで感激!って感じでもなかったけど、まぁいい機会だと思って話そうと試みてしまうわけだ。
そ こで、何を話してやろうかと。建築の事をつらつらと質問しても大抵の事はWEBで仕入れ可能な情報なので、その展覧会のパンフレットには何で袴+刀のサ ムライスタイルなのかとお尋ねした。すると『それが僕の正装なんだよ。』って。じゃあなんで、今日はスーツなんですか、と僕。今日は若干カジュアルだか ら、と彼。まぁ、普通の会話だが。とてもフランクな方で、アムスのゴッホミュージアムの事も軽く触れてみたり、ええ人やなーと。

今回の国 立新美術館のどこにメタボリズムの概念が組み込まれているのですか?みたいな、如何にもどっかで語ってそうな質問は逆に避けたかったし、特にそれ を知ったところで自分のその建築に対する五感を通じたイメージを変えさせるものにはならないと思う。コンセプトを知ることで左脳的に論理的にその建築を解 釈する上では役に立つ情報だと思う反面、本来あるべき芸術の捉え方という点で純粋な感覚が排除されるように思う。自身に先入観を与え、仮説を築き上げてし まうと思えるからだ。

これまでの自分はアートに触れようとするとき、一つの作品のコンセプトを知ることに注力していたと思う。でも最近、岡本太郎の今日の芸術という著名な本を読んで、芸術というものに対する見方が変わった。つまりは上記のようなスタンスになった。以下、感銘を受けた文章を引用する(本文44-45P)。

絵を見ていて「いい」と思ったとき、その人にとって、そう思った分量だけ、わかったわけです。あなたはなにもそれ以外に、わからない分など心配することはありません。
 いつでも自分自身で率直に見るということが第一の条件です。そして何かを発見すれば、それはまず、あなたにとって価値なのです。絵はクイズのように、隠された答えをあてるために見るのではありません。
白紙でどんどんぶつかっていき、それによって古いおのれを脱皮し、精神を高めていくべきです。今まで、良いと思っていたものが案外つまらなくなり、かえって無関心だったものに急に情熱がわいてきたりします。

まぁ、つまりはなんかシンプルに芸術に触れていきたいな、と思ったわけだ。

どうせならパンフレット+詩集を買っていけといわれたので、サインという名のクロカワキショウの名前が入ったパンフレット+詩集を買って帰った。

2007/01/30

映画『フラガール』

週末、フラガールをみた。渋谷のアミューズCQNにて。
当初は酒井家のしあわせを見る予定だったが、一日前に終わっていた。

フラガールの上映開始時間にタイミングが合ったので、半ばしゃあなしでフラガールをみようと思ったわけだ。前回シネカノン系の映画を観た際に予告でやっていたので、作品の存在自体は知っていた。でも、これほどまでに素晴らしい映画だとは思わなかった。本当によかった。

このタイトルから予想するストーリーは、一般的に大体こんなものだろう。
「これまで全く何もできない連中が、団結してフラガール大会かなんかに出て優勝してはい感動!涙ーパチパチーっ」て感じだと思う。大体そんな感じのストーリーが多いのも事実。

ほんとは以下のようなお話。
昭和40年代の福島県いわき市。時代は石炭から石油の時代へと切り替わりつつある。そのような時代背景のもと炭鉱が閉山の方向に向かい、炭鉱会社は次のビジネスへ切り替える必要性に迫られる。そこで炭鉱会社は現在も存在する常磐ハワイアンセンターを営む事を決定する。そんな中炭鉱業に従事している人々(家族)の中にも解雇者が多数出てきて、何か新しい職に就かなければならないのだが、それまで何代にも渉って炭鉱と共に人生を送ってきた人々には新しい生き方には戸惑いがある。炭鉱の元に生まれ、大人になると必然的に炭鉱に入る。それを当然と生きてきた人々には、フラダンスのような半ば自分たちと相容れないものを排除しようとする意識が主流。ただそんな中でも、炭鉱で一生を終える事に疑問を感じ、何か新しい世界に憧れをもつ少女を含む何人かの人間も居る。

ま、ストーリーはこれくらいにしておいて、結果的にはフラダンスという未知のものへの感動が人を変えていくという事

次第に人間の保守性が崩れ始め、新しいものを受け入れはじめる。未知なものは誰だって恐怖感がある。自分の知らないものとはできるだけ触れ合いたくない。そんな意識よりもフラダンスの感動が勝ってしまって・・・という事を全面的に押し出しているわけではなく、実はフラダンスの感動云々よりも、時代が変わることによって、それでも人は生きていく必要があり、その働き方の一つとして、フラガールという選択肢があった事。

映画のワンフレーズで炭鉱夫役の豊川悦治のセリフで、炭鉱が閉山し縮小され行く行くは別の仕事に就く必要性がある現実を知ったとき、『なんで時代の流れに自分たちがあわせなくちゃならないんだ。』と、対極に立つ視点も肯定的に描かれている。

上でも記したように未知のものへの感動(フラダンス)が人の固定観念を変えていく。感動を受けた者は過去の価値観への否定がはじまり、結果的に新しい価値観が登場人物自身の中を占有していく。そんな登場人物の内面的な変化が地方特有の方言と相まって、感動を運んでくれた。

言葉より語るもの。どんな言葉で説得するよりも、表現で気持ちを伝える事ができたら素晴らしい。本作品ではそれがフラダンスだった。

映画の作り手としてはフラガールという題材を用いて、次の3点を伝えたかったのではないかな(主観が十分に含む)。
1、時代の変化に順応する事も時には必要
2、現代に通ずる女性の社会的地位の変化のポテンシャルが、昭和40年代の炭鉱であっても存在していた事
3、過去の考えに固執せず、未知なものを受け入れる素晴らしさ


上記を踏まえて良かった点をまとめると
・何を否定する訳でもなく、新しいもの(フラガール)、旧いもの(炭鉱)のどちらも大切であるというバランスの良さ
・邦画だから味わえる、日本語独特の方言を通じて表現される感動
・フラガールという一見軽そうなイメージの題材で、現在の社会構造を表現するかの如く内容に深みを感じたこと

おすすめですだ。

景観

寮に戻り、PCをつけてふと考えた。
何なんだろうこの囲まれてる感は、と。東京ではほとんど海が視界に入ってこない生活を送っている。学生の時は学校が高台にあったので毎日と言っていいほど海を見ていた。というか、必ず海が視界に入っていた。研究室の席も左をみると大阪湾が一望できた。何気に毎日景観に恵まれていたんだなと思う。

今は会社で18階に居るけど海は見えないし、景色を楽しむ程の余裕はない。ただ周りには緑がたくさんある素晴らしい空間が存在すると思う。仕事中であっても時々感動的な瞬間が訪れる。それは会社の電気が消えたとき。一瞬で辺りが真っ暗になって(自分的には毎回結構びびるのだが)、ふと窓の外を見ると素晴らしい景観が広がっている。皇居を挟んで新宿方面のビル群が闇の中でくっきりと輝いていて何とも格好いいのです。客観的にみると自分の周りのPC画面の明かりもなんか画になるのです。白色系の色は闇と調和せず光に存在感があった。暖色系は懐かしい感じがするがシャープさに欠ける。そんな事を毎回考えてしまうのです。
でも大抵早々と再点灯されて、現実に戻るのです。

自分は特に景色が良い所を好む。旅行してた時に泊まる所も、クオリティには妥協できても、窓外の景色には妥協していなかったように思う。
写真の時もそう。視覚的に感動できるものを撮る。シンプルにただそれだけだった。

今の寮は特に景色がある訳じゃないので、窓の外を観てたそがれる事もない。

人間が感動する対象って色々あると思うけど、景色で感動する人って多いのではないでしょうか。逆にそれだけ普段の生活で視界に入るものがすごい大切なんだと思う。

住むエリアも大切だけど、景観を優先的に考えて海が見えるマンションとかに住んでしまうんかなー。となんか自己分析してみた。

2007/01/03

帰阪と帰京

年末に業務が終わり、バタバタとしながら大阪に戻って、色んな人に会ってパワーをもらって、風邪も誰かからもらって、そして今日、一時間待っても恐らく座れないだろう新幹線に2時間半立つこと覚悟で飛び乗って、明日から仕事再開。
あーなんかリフレッシュはできなかったような関西でしたわ。モチベーションはアップしましたが・・・。
時間が限られている分タイト目にスケジュールを組んでしまうんでしょうな。
今年は余裕目に時間を見積もって、何事も余裕を持って行動するようにします。時間に対する感覚をもっときっちり持たないと、なんかその内痛い目に合うような気がしてならない。体調も壊してしまうと思うし。

まぁでも今日は新幹線にてラッキーがありました。
上でも書いたように、今日の新幹線はUターンラッシュで混みこみ。
新大阪発でも座ろうと思うと、1時間くらいはかかる。まぁ指定席をきっちりとっておけという話ですが・・・。この点の自分の「なんとかなるわ精神」も要改善です。
で、もう並んでいても拉致があかないと思ったので、2時間半立つ覚悟(途中で座れるかもという邪念を排除して)で、立ち読書する覚悟で席が埋まった新幹線に乗り込みました。
中国での西安ー上海間の悲惨な状態での17時間くらいに比べたら、揺れのない新幹線の2時間半くらい余裕だろうと言い聞かせながら新大阪を出発しました。
さらにストイックな事に手持ちの本の中で最も眠くなるであろう本(保険法/山下友信ら、有斐閣)と格闘する事に決めたのです。連結部には既に人が居たので、乗客の側に立つことにしました。子供の横だと大してうっとうしがられないと思ったので座っている子供の横で2時間半過ごす事にしました。
京都まではまぁ楽勝です。荷物を棚に置いたり、音楽の準備とか本の準備をしている間に着きました。まさか新大阪発の新幹線で京都に降りる人が居るわけもないと思っていましたが(座るのには相当時間がかかるため)、若干確認してしまった自分が恥ずかしい。お次は名古屋。まぁ余裕余裕と思いつつ、読書も進んできたー。音楽もいい感じで快適な立ち読書を続ける。そうこうしている内に、名古屋着。んーここでも降りる人は居ないかなーと思いつつも、若干確認してしまう。名古屋を出たとたん、この新幹線は大半の人が品川か東京に降りる人だったのだと分かる。
名古屋からが長ーいのだ。特に静岡が長ーい。若干風邪気味も影響してちょっと嫌になってきた。でもひたすら読書の集中力を切らすまいと思いながら上京中。自分との戦いだ。今日の午後にテレビで観た箱根駅伝復路の走者を思い出しながら(いやーあれは感動したよ)、自分は相当余裕だと言い聞かせていた。
とその時、僕の側で座っていた子供のお父さんがやってきて(子供とお父さんは別々の場所で座っていた)、落ち着きがなくなった子供を抱き上げて「どうぞ」と僕に席を譲ってくれたではないか。立ち読書時間は出発からジャスト1時間半でした。想定外で無欲のラッキーでした。
でも、名古屋とましてや京都でも降車確認をしてしまってた事からすると、まだまだ無の境地は程遠いと反省した。

この出来事を通じて今年一年もひた向きに努力をしようと思った(立ち読書=努力とはいい難いかもしれないが)。そしたら必ず道は開けると信じて。

今週末は3連休なのでリフレッシュできそうです。