2007/01/30

景観

寮に戻り、PCをつけてふと考えた。
何なんだろうこの囲まれてる感は、と。東京ではほとんど海が視界に入ってこない生活を送っている。学生の時は学校が高台にあったので毎日と言っていいほど海を見ていた。というか、必ず海が視界に入っていた。研究室の席も左をみると大阪湾が一望できた。何気に毎日景観に恵まれていたんだなと思う。

今は会社で18階に居るけど海は見えないし、景色を楽しむ程の余裕はない。ただ周りには緑がたくさんある素晴らしい空間が存在すると思う。仕事中であっても時々感動的な瞬間が訪れる。それは会社の電気が消えたとき。一瞬で辺りが真っ暗になって(自分的には毎回結構びびるのだが)、ふと窓の外を見ると素晴らしい景観が広がっている。皇居を挟んで新宿方面のビル群が闇の中でくっきりと輝いていて何とも格好いいのです。客観的にみると自分の周りのPC画面の明かりもなんか画になるのです。白色系の色は闇と調和せず光に存在感があった。暖色系は懐かしい感じがするがシャープさに欠ける。そんな事を毎回考えてしまうのです。
でも大抵早々と再点灯されて、現実に戻るのです。

自分は特に景色が良い所を好む。旅行してた時に泊まる所も、クオリティには妥協できても、窓外の景色には妥協していなかったように思う。
写真の時もそう。視覚的に感動できるものを撮る。シンプルにただそれだけだった。

今の寮は特に景色がある訳じゃないので、窓の外を観てたそがれる事もない。

人間が感動する対象って色々あると思うけど、景色で感動する人って多いのではないでしょうか。逆にそれだけ普段の生活で視界に入るものがすごい大切なんだと思う。

住むエリアも大切だけど、景観を優先的に考えて海が見えるマンションとかに住んでしまうんかなー。となんか自己分析してみた。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 海が見えないことで自分がどこに存在しているか分からなくなる時がありますね.島国魂の影響でしょうか.大阪湾を見すぎた影響でしょうか.周囲に海があると感じることで,自分がしっかりとした地盤の上に存在しているんだと感じ,落ち着くのでしょう.

 生まれ育った街で,愛情に囲まれ20年以上生活をして上京.忙しさの隙間にふと感じる孤独感.自分が安らぐ海をどこまでも見ることができず,周囲に永遠と広がる現実の世界に取り囲まれている心境になる瞬間.オフィスで仕事に熱中している間に職場の先輩は帰宅し,ふと気付けばオフィスには一人.多くの人間と接しているにも関わらず,何か満たされぬ自分への愛.

 僕は,東京へ来て二年目.こんなことを感じる時が多々あります.僕は,オフィスで残業した経験はありませんが.東京の裏側が見える時,それがオフィスの電源が落とされ,周囲の景色が見える時なんでしょうか.そういえば,昨年3月の終わり頃,一人教室で夜桜を見たことを思い出します.その時,僕も教室の電気を消しましたね.真っ暗の教室から見える夜桜は,綺麗なものでした.なぜがほっとするものです.それは,自分がきちんと陸にいることを感じることができているからかもしれません.陸の上にいて陸にいることを感じるのは,意外と難しいものですが,ふとした瞬間に真っ暗な闇の中に陥ると,周りが陸であることを簡単に感じることができるものです.そして自分も同じ陸にいる.

 本ブログ管理人の大好きな言葉である「客観視」.電源の落とされたオフィスから見える景観は,なにやらそんなものを感じさせますね.それは,大都会東京の客観視でもあり,自分の存在の客観視でもあるのでしょう.

 孤独を感じる時,自分を見つめなおすことのできる方法を意図的に使ってみます.その一つの方法として,残業中にオフィスの電源を落としてみる.いいかもしれませんね.僕もやってみます.

atsuyuki さんのコメント...

コメントか本文かわからんコメントありがとう。つーか、名前書けよ。誰かわかってるけど。何か満たされぬ自分への愛。って別に俺病んでないで(笑)
例のプラントの情報よろぴこ。
近々飲みにいくぞ!
論文がんばれ!!