2007/02/18

友人の写真展(リクルート主催第28回ひとつぼ展)

大学の写真部同期の金川晋吾。
学生時代から独特の感性の持ち主で、言葉の表現力も素晴らしい。
なんか不思議な魅力がある彼の写真。いつもなんか不思議な世界に連れてってくれるのです。

そんな彼の作品が出展される写真展が明日(2/19)から新橋のガーディアン・ガーデンリクルートGINZAビルB1)で開催されます。そろそろビッグな写真家になってしまうので、今の内に要チェキです。是非足を運んでみてください。きっと日常では味わえない感覚が訪れるでしょう。
以下情報。

第28回写真『ひとつぼ展』 

【概要】
ポートフォリオによる一次審査を通過した出品者10名が、それぞれ3.3m(1.82×1.82m)のスペースの中で作品を構成し、発表する『ひとつぼ展』を2月19日(月)より開催。会期中の二次審査会でグランプリに選ばれると、1年後にガーディアン・ガーデンで個展を開催する権利が贈られる。

■会 期
2007年2月19日(月)~3月8日(木)
日曜・祝日は休館 入場無料

■会 場
ガーディアン・ガーデンMAP


因みに昨年の第27回も彼は1次審査を通過して会場で展示されていた。今回は断然グランプリ狙い、よな!?昨年の展覧会が終わったときから、今回選ばれる事を前提に構想を練ってたもんな!有言実行さすが。頑張れよ、アーティスト!応援してます。

2007/02/05

六本木

前のポストの流れで、六本木について。
3月末には商業施設・文化施設・オフィスが融合された東京MIDTOWNもできるし、六本木界隈はさらに面白くなるんじゃないかな。アートの発信を根底においた街づくりをしているところがいいね。最近は何かと六本木に来る機会があって、何かだんだんとこの界隈が好きになってきた。そもそも大好きな青山とか恵比寿とも近いし。
六本木ってなんか若々しい感じがする。
六本木ヒルズにレジデンスが併設されているように、東京MIDのコンセプトにもビジネスと住空間を同時に創出するってコンセプトがある。ヒルズは森ビルで東京MIDは三井不が手がけているみたいだけど、今後の六本木を活性化させる足並みは一致していると判断できる。そもそも、今回の防衛庁跡地のプロジェクトに関与する媒体って相当多様だと思うし、当然のように意思決定がデベロッパーに依存しているわけではないわな。

丸の内とか大手町のような古くからあるビジネス街と違って、ヒルズ族に象徴されるような六本木のビジネス街。
丸の内、大手町がある千代田区って夜
間人口は約4万4000人で23区で最も少ないが、昼間人口は約85万人にまで膨れ上がる。23区内で最も昼間から夜間にかけての人口減少が激しい。港区は昼間人口83万人に対して、夜間人口は15万人程度。(参考:東京都の統計
こ の数字をうけて定性的な評価をすると、丸の内と大手町は街に無機質な感じがする。皇居の周りは緑が多いが、何か無機質というか街に温かみがない。夜間人 口の多い世田谷区などでは街としての面白みが凝縮されているような気がする。街の面白みとか温かみと言う点で夜間人口が起因する要素って結構多いのだと思 う。
これまでの東京では、そういう昼間人口と夜間人口に差が出る都市形成が計画実行されてきたのだと思う。しかし、今とこれからの六本木に関して は、これ までにな い、昼間人口と夜間人口をどちらも増加させていくようなそういう街づくりがなされていく事になるのだと思う。いずれにせよ、どんな街に変化していくのかが 見ものである。実はこのような(都心に夜間人口を増やす事)発想って、前回登場した黒川紀章が提唱していることがわかった。(参考:首都機能移転で東京を人の住む街にする

2007/02/04

黒川 紀章

国立新美術館に行って来た。
乃木坂が最寄になるけど、ほぼ六本木。
たいしてそそられる展示はやっていなかったが、黒川紀章展が やっていたので行ってみた。そもそも、黒川紀章が設計していた事すら知らなかった。どうせ港区だから、森ビルがデベロッパーで表参道ヒルズの時 のようにタダオアンドウの作品なのかなと思っていた。そしたらタダオアンドウは3月末オープンの東京MIDTOWN全体の計画に携わっていたみたい。んで東京 MIDは三井不みたい。てっきり港区の土地は森ビルが買い占めてると思ったぜ。

で まぁ国立新美術館の話ですが、自分の中では黒川紀章=メタ ボリズム、メタボリズムと毎回僕にとって定義を確認する必要のある言葉を発信してそれを念頭に建築してるっ てイメージがあるわけです(黒川先生に詳しい人ごめんなさい)。でも、心斎橋のソニプラとか馴染みのある作品もあって、さらにアムスのゴッホミュージア ム新館も黒川紀章だったではないかと思い、少し親近感を持った。

その黒川紀章がひょっこり会場に居られた。オーバーサイズのスーツで太目のストライブのシャツを着て、
KARL LAGERFELDが常にかけてるような太目のグラサンをかけていた。 思ったより小柄だった。通常メディアを通じて見る人に対して実物より大きいイメージを持っているものだ。逆にイメージより大きい人もいるという話も聞く。

んでまぁ、会場の人は最初誰も気づいていないわけだ。気づいても誰も絡もうとしない。他にも展覧会があったし、無料だし、多くの来展者が黒川紀章に興味を持っているわけではないのでしょう、と思った。まぁ、俺は若干怪しい人がおるなとは思っていたが、案の定彼だった。
そこまで感激!って感じでもなかったけど、まぁいい機会だと思って話そうと試みてしまうわけだ。
そ こで、何を話してやろうかと。建築の事をつらつらと質問しても大抵の事はWEBで仕入れ可能な情報なので、その展覧会のパンフレットには何で袴+刀のサ ムライスタイルなのかとお尋ねした。すると『それが僕の正装なんだよ。』って。じゃあなんで、今日はスーツなんですか、と僕。今日は若干カジュアルだか ら、と彼。まぁ、普通の会話だが。とてもフランクな方で、アムスのゴッホミュージアムの事も軽く触れてみたり、ええ人やなーと。

今回の国 立新美術館のどこにメタボリズムの概念が組み込まれているのですか?みたいな、如何にもどっかで語ってそうな質問は逆に避けたかったし、特にそれ を知ったところで自分のその建築に対する五感を通じたイメージを変えさせるものにはならないと思う。コンセプトを知ることで左脳的に論理的にその建築を解 釈する上では役に立つ情報だと思う反面、本来あるべき芸術の捉え方という点で純粋な感覚が排除されるように思う。自身に先入観を与え、仮説を築き上げてし まうと思えるからだ。

これまでの自分はアートに触れようとするとき、一つの作品のコンセプトを知ることに注力していたと思う。でも最近、岡本太郎の今日の芸術という著名な本を読んで、芸術というものに対する見方が変わった。つまりは上記のようなスタンスになった。以下、感銘を受けた文章を引用する(本文44-45P)。

絵を見ていて「いい」と思ったとき、その人にとって、そう思った分量だけ、わかったわけです。あなたはなにもそれ以外に、わからない分など心配することはありません。
 いつでも自分自身で率直に見るということが第一の条件です。そして何かを発見すれば、それはまず、あなたにとって価値なのです。絵はクイズのように、隠された答えをあてるために見るのではありません。
白紙でどんどんぶつかっていき、それによって古いおのれを脱皮し、精神を高めていくべきです。今まで、良いと思っていたものが案外つまらなくなり、かえって無関心だったものに急に情熱がわいてきたりします。

まぁ、つまりはなんかシンプルに芸術に触れていきたいな、と思ったわけだ。

どうせならパンフレット+詩集を買っていけといわれたので、サインという名のクロカワキショウの名前が入ったパンフレット+詩集を買って帰った。