2012/04/19

映画『チェチェンへ アレクサンドラの旅』

チェチェン・アレクサンドラの旅

終わりのない戦争。何のために。ロシアがチェチェンを独立させないため。ロシアのエゴ。そんな事を感じた映画だった。直接的な戦闘シーンはないが、チェチェンの最前線にある、ロシアの軍事キャンプを撮影している。この紛争、戦争に至る背景、場所等に関して何の説明もなされていない。

祖国とは何か。祖国のため。ロシアの女はカネ、テレビを見すぎる。

武器や暴力で真実を表すことはできない。
日本人の老女が語っていた。重要な事は理性だ。終わりのない物事は一切ない。

破壊ばかりしていて、建設はいつ学ぶの?

チェチェン人の少年は、いつ解放されるのかアレクサンドラに尋ねる。
アレクサンドラはその少年に、行きたい国はどこかを尋ねる。彼はメッカか、サンクトペテルブルクと答える。そこで、彼はイスラムを信仰している事を知る。事実、チェチェン人の大半はイスラム教を信仰している。

チェチェン人の女性はアレクサンドラを家に連れて温かく迎える。

チェチェンの伝統とは、家財を売り出しても、他者を迎え入れる事。

何を感じるのか。現在も行われている、戦闘状態。ロシアが現にチェチェンに侵攻している状態である事。

それは第二次世界大戦を描いている、自らの現況と異なると認識した上で見る戦争映画ではない。

リアルタイムで起きている事実。
実際のキャンプで撮影が行われている。
言論統制が成されているロシアで、このような映画を撮影し、許可でる事は意外だという印象があるが、直接的な事実に触れていない。
間接的に、何かを伝える。その読み取り手に様々な解釈があるが、描写によって、確かに何かを伝えようとしている。

理性が大切である事。
何も敵対的な感情を持っていない。早く解放されたいと少年は言う。チェチェンの老女の家族は、ロシア軍に殺害されている。でも、ロシア女性を家に迎え入れる。訪問者をもてなす心。彼らチェチェン人にはそのような心を持っている事を映し出している。

現実を知る事。ロシアの劇場爆破事件、チェチェン人が起こしたテロ行為だと表明している。現実はどうか、ロシアが自作自演で企てた犯行等、いくつかの諸説が飛び交っているが、未だ真実が分かっている事ではない。少なくとも日本のメディアは、チェチェン人の起こした犯行であると伝えていた。
テロ=イスラム過激派という構図が最近ではとても一般的になってきて、それはメディアを通じた知識である。
対テロ戦争の大義名分の元、ロシアはチェチェンに侵攻している。
四国程の面積。

そこがロシアではない事を、アレクサンドラがバザールに赴き、老女と話した時に明らかになる。

リアルを知る事。それは今の自分の立ち位置を認識する上でとても重要な事。自分は何をすべきか、だからこそ今自分がする事。この事象に対して、自分は何かする事が出来るのか?直接的には非常に難しいかも知れない。

チェチェンの失業率、78%。
産業も成り立っていない。

原油に依存している経済であるため、原油価格の乱高下もダイレクトに影響を受ける経済。その他の主要産業も整っていない。産業が復興していない要因としても、これまでのロシアとの紛争が考えられる。

1、ロシアの石油資源の権益確保。
2、ロシア連邦の統制。













2011/08/20

映画『Peace』

映画『Peace』/ 想田和弘 @ シアターイメージフォーラム

映像から多くのピースを感じることができる良い映画。

観察映画として、監督の妻の父や母の日常生活(主に体の不自由な方のボランティア)に焦点を当てたドキュメンタリー映画。

日常の中で、作者の義理の父が猫にえさをやるpeace、体の不自由な方を目的地まで運ぶpeace、年配の方(橋本さん)がタバコを吸う一時を表すpeace。

果たしてピースとは誰のどのようなものなのだろうか、そんな事を考えさせてくれる映画。
しかし、一方でpeaceとは誰の周りにもある身近なものである事も教えてくれる。

想田和弘監督の『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』を併読する事でより彼の作品の理解が深まる。

1シーンのDetailに数々の思考がちりばめられており、監督の思考の深さとドキュメンタリーの偶然性に感銘を受けた。
また、観察映画の前提として、既存の物事から大半を作り出すという、写真の連続帯の様な印象を受けた。

ドキュメンタリーとして、「テーマから映画を撮るのではなく、世の中を切り取った結果何か(表現したいもの)が現れた。」との監督の思考には写真に通ずる共感を覚えた。

今後は彼の他の作品の「精神」と「選挙」も観てみたい。

2010/10/24

白州蒸溜所見学

サントリーの白州蒸溜所に行ってきた。
サントリーウィスキー「白州」を製造している工場だ。この商品名に関して、白州次郎を連想し、「しらす」と思われがちだが、山梨県北杜市白州町の蒸溜所の名称どおりで、読み方は「はくしゅう」である。
同敷地には、サントリー南アルプスの天然水を製造している工場もある。

今回、酒を飲むのでさすがに鉄道を使った。
新宿から特急あずさで蒸溜所最寄りのJR小淵沢駅まで2時間。(小淵沢駅から工場まではタクシーで10分程度。)
特急あずさに乗ったのは初めてで、新宿からの乗車券(特急券+乗車券)で5500円。(ま、こんなもんなのか。チケットは金券ショップがおすすめ。片道4000円くらいで買える。通常における、この値段の下がり方からして、各種回数券に関して供給過剰の状態が伺える。余談。)

白州工場に行くに至った背景として、銀座のdi puntoというカジュアルイタリアンの店でたまたま「森香るハイボール」という、白州でつくったハイボールを飲んで旨いと感じて以来、この「白州」に最近はまっている事もあり、今回①蒸溜所見学(事前予約不要、無料)と②ハイボール体感講座(事前予約必要、一人700円)に参加するために行ってきた。

①蒸溜所見学で得た事。
・最初の蒸溜工程で生じる、大麦を水を通して発酵させた麦汁の匂いが何とも表現し難い匂いであった事。
・ウィスキーの味の要素は大きく2点、樽の種類と水を含む製造する土地の周辺環境。(樽が味に大きく影響を与えている事は知らなかった。)
・シングルモルト(麦芽)ウィスキーのシングルとは単一蒸溜所の原酒のみで造られている事を示している。
・樽の貯蔵庫の温度調整はしていない。
・ビール、焼酎と比して、ウィスキーの製造工程は長い。原料はいずれも主に麦(焼酎は色々あるが。)で、蒸溜工程がビールはなし、焼酎は一回に比べてウィスキーは2回。ウィスキーは長期にわたる樽熟成。


②ハイボール体感講座で得た事。
・講座が開催された敷地内BAR白州のバーカウンターは、昔銀座8丁目にあった「バーうさぎ」のカウンターバーをそのまま譲り受けた。
・山崎との飲み比べもできるが、個人的な嗜好は、白州。山崎の方がスモーキーな印象で、白州の方がフルーティな印象。
・白州12年の方が10年よりもまろやかな印象を持った。
・おつまみとして出された京都小倉山荘のチョコ柿の種が抜群に旨かった事。
・アンケートの項目に「blogにこの講座の事を紹介しますか?」あった事。(チェックをしていないが、こうして紹介していること。)
・上記、森香るハイボールを初めて飲んだ店(di punto)はもろにサントリー系列だった事。
・「森香るハイボール」とは、白州をソーダでわったハイボールを指す、サントリー側の造名称であること。


白州工場は自然もよく、空気も綺麗し、週末のリフレッシュプランにおすすめです。
ウィスキーとか、ハイボール好きな人にとってはさらに良いです。
ウィスキー自体に興味が湧いたし、スコッチとか本場のものとの違いについても今後は興味を持ち始めそう。

上記から、自分はサントリーの回し者ではありませんので。

しかし、当企業は広告とか宣伝が旨いなーと感じる。
ハイボールという軸で、ウィスキー市場を拡大させつつある事を踏まえると、今回の見学会等でも「森香るハイボール」のPRに余念がなかった。
マーケティングの根本である、マーケットの創出を地道に実践しているように思えた。
高付加価値のハイボールとして、現在盛り上がっているハイボール市場に一線を画そうとしているのだろうか。
いい戦略だと思う。普通に美味しいし。

2010/05/15

深い河

GWにインドから帰国した1週間後、八雲図書館で遠藤周作の深い河を読んだ。

インドを旅行している時からずっと読みたかった本であり、遠藤周作の宗教観を集約した本である。
今回のバラナシにおけるガンジス河で抱き、悶々とした感情をクリアにしたかった。

自分が先日のGWと2003年に訪れて、インドに対して持ったどこか他の諸外国と異なる感情、想いは何か、日本で暮らしていて何か通ずるものがあるのは何故かを明らかにしたかったのだ。
この一冊にすべての疑問解決を委ねる事はしなかったが、解決の糸口を得るツールとして期待した。

期待は裏切らなかった。映画化もされているが、未だVHSしかなくDVDは未発売。

現代を舞台に、ヒンドゥー教を含めたキリスト教に対する遠藤の宗教観についても記載されている小説。

主な主人公は5人居て、現代におけるそれぞれの個人がインド旅行ツアーに参加し、主にバラナシにおけるガンジス河をメインにそれぞれの想いを交錯させるもの。それぞれの個人が何故インド旅行に来ているのかという切り口で過去に遡り、例えば、妻の死を皮切りに輪廻転生の発想を持つ者、過去、ビルマ戦線に参加した老人が仲間の肉を口にしてしまう事による善悪、カルマ思想を持つきっかけとなった者。

これが、デリー、アーグラ、ジャイプル、バラナシと偶然にも今回自分が友人達と行った内容とぴったり同じだった事は驚きだった。まぁ北インドの定番ルートなのでしょうが。

つらつらと、内容を備忘のため記載するつもりはないが、はじまりは磯辺という50代の男の妻が末期癌に亡くなる章から始まる。彼の妻が死ぬ間際に輪廻転生を思わせる言葉を残す事から、彼がインドに行くきっかけとなる。

人が信じる神をそれぞれに選ぶのは、生まれた国の文化や伝統や各自の環境による事が多いと思う。

自分が印象に残った点として、「善悪不二」について。内容は次のとおり。
「人間のやる所業には絶対に正しいことはないと言えることはない。逆にどんな悪行にも救いの種が潜んでいる。何事も善と悪とが背中合わせになっていて、それを刀で割ったように分けてはならぬ、分別してはならぬ。」

上記内容は全くガンジスの沐浴と通ずる。遺灰を流すその横で人々がその横で幸せそうに沐浴をしている。(その水は横で遺灰が流されている事を知らぬような表情)

それはまさに宗教心の現れであり、彼らにとって輪廻転生が日々を過ごす上で当たり前である事が伺える光景であったように思えた。

2010/05/09

Incredible India 2

インド所感の続き

◆バラナシ
前回行けなかったバラナシに今回は行った。ガンジス河畔のヒンドゥー教と仏教の一大聖地。

ガンジス河自体がヒンドゥー教ではガンガーと呼ばれる神を表しているので、ヒンドゥー教徒はこの河で沐浴をして体を清めたり、この河の水を飲んだりしている事は有名な話。ヒンドゥー教の成り立ちは紀元前5世紀あたりとされているため、現在もほぼ同様の形式で上記行為が存続している事自体が驚き。

ヒンドゥー教では、バラナシのガンジス川周辺で死をむかえると輪廻から解脱できると考えられている。そのため、この地でひたすら死を待つ人々が多くいる。

バラナシは「大いなる火葬場」とも呼ばれており、年中煙の絶えることはなく、死者はガンガーに浸されたのちに火葬場としての役割を果たしているガート(川岸に設置された階段。洗濯場のほか、巡礼者の沐浴の場)で荼毘(火葬)に付され、遺灰はガンガーへ流される。金が無い人、赤ん坊、妊婦、蛇に噛まれて死んだ人はそのまま流される。
ヒンドゥー教では魂のぬけた亡骸になんの未練も持たず、死体は空の器として不要とされているので、墓はつくらない。

実際、船に引っかかっている一体の遺体を見た。誰も驚く事なく、それが自然の営みと教わると、その現実を受け入れざるを得ない独特な空間がそこにはあった。
その時、藤原新也がガンガーに流された水死体が犬に食われる現実をみて残した言葉「人間は犬に食われるほど自由だ」が頭によぎった。
今回みた水死体が岸壁に流れ着いて、野良犬に囲まれると彼がとった写真と同じ構図になる。(参考:藤原新也のweb内mementmori)

火葬場で遺体を燃やして、灰を河に流しているわずか30M程の場所で、同じ河で洗濯をして水浴びをしている。これらの現実を理解するには、彼らの信仰心以外に存在しないと思う。
では自分は?と考えると、実際何を拠り所に生きているのかわからなくなった。
特にないというのが今の自分の答えかもしれないが、ある人にとっては、宗教というもので、多くのしきたりはあるものの、これを拠り所にする事で人生における幸福度が増すと考えているのだと思う。(ヒンドゥーにおいては、輪廻にまつわるもっと深い何かがあるのだと思うが。)

イギリスからの独立運動を指導したマハトマ・ガンディーも熱心なヒンドゥー教徒であったが、イギリスに留学してインドに戻ってきた際に、ヒンドゥーの仕来りにより牛の尿を飲んで体を清める等の行為を最初は拒んだという。(ヒンドゥー教/森本達雄著)
今後インドがより世界に解放された際に、ヒンドゥー教徒の宗教観はどのような変遷を遂げるのだろうか。ガンディーのように他国の習慣等を客観視する人々が増えたしても、依然悠久なる時間の中でガンジスの営みが行われ続けるのだろうか。

少なくとも急速に都市化が進むデリーの街では、この国がヒンドゥー教の国だと決定づける事象には、遭遇しにくくなっている。(マクドナルドの数も2003年よりも明らかに増えていた。)それだけインド国内もグローバライズされている。

ただ、インドの人のアイデンティティは間違いなくヒンドゥー教に由来している。(インドにおけるヒンドゥー教徒は8.3億人)
それはボリウッドを代表とする映画、音楽等文化的な側面と共に彼らの精神面での支えにもなっているのだと思う。

今後インド経済が成長する中で、彼らのアイデンティティとしてのヒンドゥー教の考えを保持する事も他方で検討する事が必要になってくるのだと思う。

ガンジスの夕方の火葬風景と早朝の沐浴風景をガンジス河上の船からみたが、携帯でも写真を撮ったのでいくつか掲載する。


Incredible India 1

GWはインドに行ってきた。
学生時代のMRIインターンシップ時代の友人で、現在重電メーカーで働く友人が海外研修生としてデリーに滞在しているため、日本から同コミュニティの友人6名で遊びに行ってきた。

30日に出発して昨日東京に戻ってきたが、やはりインドは暑かった。
いつもオフィスの中で籠りきっているので、40度くらいの気温で熱風が吹くインドの灼熱はきつかった。
その点、日本の今の気候は最高ですな。
まずはそういう感想。

2003年の9月に一人旅で訪れて以来約7年ぶりのインドであったが、インフラ整備、携帯電話の普及等多くの点で圧倒的な成長を感じた。
デリーを拠点として、車と飛行機を使っての移動だった。コースは以下のとおり。
デリー→アーグラ(タージマハル)→ジャイプル→デリー:車2台をチャーターして移動。
デリー→バラナシ(サルナート):飛行機(航空会社、行き:Kingfisher、帰り:Spicejet)


◆デリー
・道路が整い、バスも電光版を備えたものが普及、デリーメトロの一号線も開通して都市化が促進されていたが、急激な自動車の増加により渋滞が蔓延していた。

・感覚的に牛が少なくなっていた。どこにいったのでしょうか?野良牛が居住するにも、草木の箇所がアスファルト整備されてしまうと食料にありつけないので自然と郊外に追いやられる流れになると思う。さらに草木の生長を促進するために、牛等に食べられないような柵も張り巡らされていた。他の都市でも同様で、政府のCO2削減対策との事(バラナシのガイド談。)


◆航空業界
・デリーからバラナシ(約600KM)は鉄道ではなく、飛行機で行った。(鉄道では約11時間かかるが、飛行機では約1時間。)

・行きは、Kingfisher、帰りは格安航空会社のSpicejetを利用した。値段はKingfisherは6,500Rs(約13,000円)、Spicejetは2,500Rs(約5,000円)。

・Kingfisherはインドのビール会社ユナイテッド・ブリュワリーズ(UB)傘下の航空会社。(インド滞在中は何度も同名のビールを何度も飲んだ。日本の味に近く、美味しい。)機内サービスが充実しており、約1時間のフライトの割に機内食も支給してくれる。機材はエアバス。

・Spicejetは、完全にローコストキャリアを前提にした戦略をとっており、機内サービスは水のみ(画面も音楽もない)。上記のとおり、値段はKingfisherと比して半分以下。機材はBoeing737。インド国内全域を満遍なく11都市に就航している。Spicejetの名は欧州のローコストキャリアEasyjetを思い浮かべる。(戦略も同様!?)

・上記どちらのフライトも空席はほぼなかったが、乗客はインドの富裕層もしくは観光客。鉄道はKingfisherの値段を基に考えると、一等でも約4分の1、一般庶民が乗るエアコンなし2等では約30分の1の値段。

・デリーのIndira Gandhi国際空港の国内線ターミナルの整備状況を拝見するに、上記航空会社の他にIndigoやAirsahara等の新興航空会社が競合しており潜在需要を感じられる。実際、デリー、ムンバイ等の大都市間の高速鉄道の整備がない状況、インドの国土規模、毎年約6%のGDP成長率等を考慮すると今後ますます拡大する市場になると思う。(当面は富裕層、観光客向けビジネスになると思うが。)


◆ホテル
・インド滞在の友人が全て以下のホテルを手配をしてくれたので、本当に感謝だった。日本でも馴染みのあるシャングリラホテル等いずれも相当良いホテルだった。自分が一人旅で使うような宿とはかけ離れていた。
Delhi:Vasant Continental、Shangri-la Hotel、The Leela hotel
Jaipur:Trident
Varanasi:Ramada Plaza

・ホテルの価格決定要素は立地、内装、外装、スタッフのサービス、料理の質、部屋の仕様、部屋からの眺望等が挙げられると思うが、その点首都機能を有するデリーのホテルは軒並み、ジャイプル、バラナシのホテルよりも高かった。

・デリーのホテルでは、空港からのアクセスが良い新興都市Gurgaon(外資や日本企業の拠点があり、重要な金融センターの位置づけでもある。)、The Leela hotelが最も高かった。

・個人的には立地以外の要素ではシャングリラホテルが良かった。


以上は経済的な側面のインドの所感。
Incredible India 2ではバラナシに行って感じた事を記す。

2010/01/31

No Man's Land

タイトル記載のアートイベント、No Man's Land。広尾にあるフランス大使館旧庁舎の解体に伴い、解体前の旧庁舎で日仏のアーティスト70名が現代アートを展示しているというもの。
大使館でアート!というと堅苦しい印象を受けてしまいますが、敢えてそのイメージをなくすために現代アートの展示にしたと言われている。

本来なら1月末までだったところを、2月18日(木)まで延長されるとの事。(何かの映画みたいですが・・・)
入場無料。よって週末は結構混んでいるが、多くの人の現代アートに触れる障壁を下げてくれている点に感銘。

そもそも大使館の中を拝見できるってのも良いポイント。
内容は盛りだくさんで、いくつか携帯で撮った写真を掲載しておきますが、個人的に非常に好きです。もう一回行きたいくらいです。

詳細URL





2009/10/01

Arabesqu,Hallelujah,Picasso

今朝スペインから帰国した。
旅の感性は後半になるほど成熟する。
今回の旅も後半にエッセンスが詰まっていたように思う。

旅前、何か漠然とした感情を抱きながらアンダルシアを周り始めたのだが、それがマラガ(MALAGA)で明らかになった。

マラガはスペイン南部、地中海に面し、ピカソが生まれて幼少期を過ごした港町。
気候が良く、魚介類を主としたTapasが有名でおいしい。
また、Museo Picasso Malaga(ピカソ美術館・マラガ)は多くの観光客が訪れる。(自身もその一人)
地中海を挟んでアフリカ大陸に向かうフェリーも出ており、アフリカ大陸(モロッコ等)との結びつきが強い。
古くイスラムの領土であった事もあり、名前においてもアラブ=イスラム色が残る町名(イスラムの呼び名はマラカー)となっている。

旅をして思ったが、アンダルシア一帯は、Alが頭に付いている町(これはアラブを意味する)が多い。特に地中海沿岸にそれが象徴されており、リゾートで有名なAlicante、比較的大きな都市であるAlmeriaやジブラルタルの隣にあるAlgeciras等多くはアフリカ大陸と近接する港町だ。もちろん、グラナダのAlhambraもそれにまつわる意。少し脱線。

マラガでの話。
町の中心に40Mを超えるドームを備える大聖堂(カテドラル)とALCAZABAと呼ばれるイスラムを象徴する宮殿が現存する。
そのカテドラルの壮厳たる内部空間に身をおきながら、ゆっくりとこの土地の事を考えた。
カトリシズムにまつわる音楽を聴きたかったが、生憎なかったので、Debussyの2つのアラベスク−アラベスク第1番を聴いた。

アンダルシア地方は、15世紀のレコンキスタ(カトリック勢力の国土回復運動)により、現在に至るまでカトリックを主として文化、建造物が構築されているが、イスラムの文化が細々とマラガを含むアンダルシア地方に残っている。
グラナダのアルハンブラ宮殿もそうだが、カトリックの時代になってからもそのアイデンティティとなるイスラム色の強い建築等を破壊す事なく、実際に使用した。

この地で生まれたピカソはキュビズム、シュールレアリスムの旗手として多くの新しい芸術を生み出した。
彼の生まれ育った上記歴史的背景を有するアンダルシアの地が、彼の芸術に少なからず影響を与えていると思われる。
彼の作品に多く牛が描かれるのも、マラガでの幼少期によく親とともに通った闘牛場での出来事が影響しているのだという。
アルハンブラやALCAZABA等でみた、美しいアラベスク模様を有するイスラム建築の装飾は非常に幾何学的な側面を有し、キュビズムの創出に少なからず影響しているのかも知れない。

このようなイスラムとカトリックの融合の歴史と文化が、現在のこの地に住む人々の食や芸術に影響を与えている事を肌で感じ取れた事が、今回の旅の大きな収穫と考える。

2009/09/28

Cadiz from Malaga

Hola!
I'm in Cadiz(oldest port-town of Europe)from Malaga(4hours by bus).It gets light until 8PM here.
Now,Catholic festival(VIRGEN DE LA MERCED) was performed on outside of the Hostal my stay.
The owner of the Hostal can speak Japanese very well because he stayed to work Spanish Restaurant of Tokyo(Nakano-ward) for 20 years.
He is very kind to talk about this festival,Cadiz's history and so on.

In this trip,I traveled mainly Andalcia(southern part of Spain,Granada,Malaga,Cadiz)
And I'm impressed by many things(people,drink&dishes,architecture including Alhambra,nice weather,and so on).

It's last part of this trip and I'll back to Madrid 5 hours by train tomorrow.

2009/09/22

休みでアンダルシアへ

明日火曜の朝から成田→フランクフルト→マドリッドでスペインに行ってきます。2002年に、バルセロナにはどっぷり行ったので、今回はアンダルシアを中心に行ってきます。気が向けばポルトガルにも行こうかな、と。

もう9月は仕事がないので、開放感に浸りながら行きたいのですが、始発で成田に向かわないといけないのに未だ荷物も詰めず呑気にラジオ聞きながら、こうしてブログを更新しています。

結局1週間そこそこの旅だし、だいたい今の日本と気温が変わらなさそうなので、それほど準備するものも多くないかなと。むしろ本のチョイスが重要。Lonely Planet Spain、Transitのスペイン特集、ドン・キホーテ、ジャン・コクトーの小説、銀河鉄道の夜を一緒に。

カメラは未だ24mmレンズ一つのみ。今回は三脚を新調したし、フィルムも多数買い込んだ。

久しぶりの旅行なので、とりあえず楽しみだ。

心を自由に、行ってきます。

2009/08/11

夜の写真(赤坂〜表参道)

最近は会社帰りに家の近くのカフェに寄って帰ることが多い。
MIDという山手通りにあるお店で、毎日夜中2時までやってるので閉店時間に焦らされる事なく、ゆっくり本等が読める。
広々と席を使えるのもとても良い。

今、山手通りは中央環状新宿線の地下トンネル掘削工事が延々と行われており、地上部分も工事中の様子を常に保っているのだが、お店を出て歩いている時にいつも思うのだが、なーんとなく工事現場って格好いいのだ。
夜の工事現場に限られるのだが、特に作業中のハロゲン投光機を使って作業している時の光はめちゃめちゃ格好よくて、遠くからみるとすごく良い空間が演出されている。
撮りたい。

夜の写真と言えば三脚が付き物だが、最近は一眼レフすら持ち歩かず、専らコンパクトのGR1vのみを持って外出する。先日、赤坂から青山霊園を通り抜けて表参道まで歩いた時にとった写真(青山霊園辺りの夜はやっぱりちょっと怖い)。
道をテーマに撮った。
そもそも、このブログの趣旨って写真載せる事やったわぁ、という事を思い出して実行。









後、下のは全く関係ないが最近とても好きな写真。

Bill EvansのI Will Say Goodbyeのジャケットの写真で、西日に向かって車が橋を駆け上がっていく様子。
この先の風景を敢えてみせないシンプルさに完成度の高さを感じた。
このジャケットに惹かれてCDを買ったが、結局最近はかなりの頻度で聞いている。
Waltz For Debbyほど名盤じゃないかも知れないが、今はBill Evansの中では一番好き。

一番上の写真はこの写真に影響を受けているつもりだったが、単に広角で遠近的にとっているだけだった(涙)



2009/08/02

週末徒然(原宿)

全く更新してなかった。
友達からもブログどうなってんの?と言われ、書く事に。
今週末は原宿に居る事が多かった。

土曜のキーワード:CAFE LIBERTE ぐるなび

土曜は友達の誕生日パーティーで明治通りから少し入った所にあるCAFE LIBERTEというお店で30人くらい集まった。
といっても結構知らない人が多く、アウェー感があったが、共通の友人も居たので遅くまで盛り上がっていた。
店的には南米をイメージしたカフェとあったが、特に南米感はなかった。テラスには植物が茂っていて、ジャングル的だったが整然としていたので鬱陶しくはなかった。オープンエアーの店でテラス席を貸し切っており、幸いにも土曜の夜は比較的涼しかったので開放感があり心地よかった。
総じて都会的ないいお店だった。
奥まった場所と3階に立地する事もあり、普段から店内は混み合っている様子はなかった。
店員はちょっと・・・なところもあったが、使えるお店だと思います。

あと、今回の店の地図等の情報でぐるなびがリンクされていたのだが、最近のぐるなびの店の網羅性にも驚いた。
つい最近の日経ヴェリタス(会社で購読している、僕の好きな紙媒体のひとつ)の記事でぐるなびのビジネスモデルと収益性について特集されていたが、Web上に店情報の掲載料を獲得するために新規店舗の開拓を都内だけでも500人体制で行っているという。
今後もどんどん掲載されるお店が増えてくるのはもちろん、感度の高い店(要はあまり知られていないがいいお店)もぐるなびに引っかかってくるのかなと思う。

これまでは、至極主観的ではあるが、ぐるなびに載っているお店=ベタな店という考えが僕自身にあったが、今後は口コミとかのみで訪れる客を相手にしていた店も、ぐるなびに掲載せざるを得ない状況になるかも知れない。
というのも、ぐるなびの掲載効果が日に日に増していってその事実を店側に突きつけられると、中途半端に隠れ家的に経営していた店も集客力の向上を理由に表舞台(ぐるなび掲載)に引きづり出されるような気がする。

また、ぐるなびは、①新規出店支援、②人材支援、③仕入れ支援、④売上アップ支援等のサービス(コンサルティング)も、ストックされた独自の情報力により、掲載店舗に提供していくという。
恐るべしぐるなび。


日曜のキーワード:GLACÉAU Vitamin Water 八尾良太郎

日曜は、GLACÉAU popupという、最近街で目にするNY発のグラソービタミンウォーターのプロモーションイベントが原宿のH&Mの上階で行われており、そこで普段からBBQとか白金高輪のBAR(Weekends Tokyo)で仲良くしてもらっている良太郎君の個展が開催されていたので足を運んだ。

最終日に駆けつけたら、ちょうどGLACÉAU Vitamin Waterのイベントがやっていて、そのイベントにも参加できたのでラッキーだった。
倉本美津留が司会兼演奏もやっていて、はるな愛、バカリズムとかも出ていた。バカリズムの官能野球小説ネタは面白かった。

彼の個展の話だが、上のリンク先を観てもらえればイメージできると思うが、白の壁にポップな色でキャッチーな人物の有名なカットをコピーした絵画と、彼らの普段着を想像してスタイリングしたアート。
パリッとした絵と首より下の洋服のスタイリングの質感のギャップがデジタルとアナログの対比のように面白かった。
Vitamin Water のカラフルさともマッチしており、Vitamin Waterのプロモという観点でもよかったね。

今後のアーティスト八尾良太郎に期待です。

2009/03/08

書籍『21世紀に生きる君たちへ/司馬遼太郎』

タイトルに書いた『21世紀に生きる君たちへ』司馬遼太郎著を読んだ。
同じ会社で働く、元小学校の教諭をされていた2児の母である先輩が貸して下さった。
会社帰りの喫茶店の時間と、家に帰ってからの時間の2度読んだ。小学生でも読めるように字が大きいのですぐに読めるが、非常に奥が深い本。

以下、感想。
とてもよかった。
恐らく、自分が小学生の時にこの文章を読んでも大して感動はしなかったと思う。それは、その当時の自分が司馬遼太郎という人物がどのような人間なのかが知らなかったからである。小学校の読書感想文を3年連続オズの魔法使いのあとがきをコピペしていた自分が懐かしい。


自分が現時点で人生の柱とする書物が2つある。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』と『坂の上の雲』。
これら2つの本に大きく影響を受けた自身にとっては、改めて司馬遼太郎から授かった言葉を反芻する機会となった。

司馬さんが歴史を学ぶ事の素晴らしさを本書でも説いているが、自身も強くそう思う。
そもそも上記2つの大書を通じて、司馬遼太郎から大きく影響を受けてるので、自分が彼に共感を持つのはもっともな事だが。
歴史を学ぶ事で、この世で生きて行くための知恵を身につける事ができると思っている。
その理由は司馬さんが本書でも記載しているように、『自然の中で人間が営む生活はいつの時代もほとんど変わらない。』と思っているから。

上記2つの本は(ご存知かも知れませんが)、それぞれ幕末の動乱と、日露戦争について書かれているのだが、どちらも史実を描写するというよりも、その時代に生きる人間(の内面)に焦点を当て記されている。
これらの本で、まさに坂本竜馬という人間や彼を取り巻く人間、日露戦争に係った人間について学んだ。

竜馬がゆくでは坂本竜馬から『気を気で返すな』という事を学んだ。

具体的なエピソード。
尊王攘夷の風潮が濃くなった幕末の京都で、坂本龍馬が細い路地を手下の藤兵衛と共に歩いていたとき、向こうから親幕派の2人がこちらへ向かって来た。
互いにすれ違う事もできない細い路地。殺気だって敵だという認識を持って近づいてくる。
肩と肩がぶつかり合うと、切り合いになる事が予想される。
そこで手下の藤兵衛が竜馬にひとこと「兄貴、やりますか」。そこで竜馬、「まぁみていろ。」と。
いよいよ距離も近づいて、向かってくるものが刀に手をやったとき、竜馬は近くののら猫をとっさに抱え上げ顔に押し付ける。「よーしよしよし。」と。
相手は拍子抜けしてその場を立ち去る。
そこで竜馬は藤兵衛へ一言。「今の切り捨て御免の風潮が高まる中、相手が殺気立っている時にこちらも同じように返すと切り合いになり一方がやられる。それ程無駄な死はない。今流す血は何になる!?つまり、気を気で返してはいけない。」と。

坂の上の雲では、秋山真之(日本海海戦でバルチック艦隊を破った戦術を考案した人物。東郷平八郎の参謀。正岡子規の幼なじみで親友。)から、「どんな大著でも学べる事はたかだかメモでとれる数行だ。」という事を学んだ。

日露戦争で、日本の勝利を決定づけた日本海海戦の丁字戦法やバルチック艦隊が日本海周りに進行してくる事のヨミは、神頼みでも何でもなく、彼がワシントンの図書館で古代からの戦争を全てレビューし、歴史から学んでいた事が大きな影響を与えていると言われている。

そんな彼が同じ松山出身で古くからの友人の正岡子規の病床を伺った際、たくさんの本を子規に送った。その時の言葉として、「自分みたいな軍人にとって書物は戦場で使う知識を得るために読むもの。実際に戦場で使える知識は、どんな大書であってもせいぜいメモで書き取れる数行だ。だから、その数行をメモしさえすればもうその本には用はない。だからお前が持っておけばいい。」と。

自分もこの考えを受けて、自分の人生で読む本に対しては、何を得る事ができたのかを常に考えながら読むようにしている。何か少しでも得る事ができればそれは自分にとって価値がある事だと思っている。

以上のように、司馬遼太郎から学んだ身としては、今回の『21世紀を生きる君たちへ』で書かれていた、「自己を確立せねばならない事」、「根っこの感情(いたわり、他人の痛みを感じること、やさしさ)を持つ事」、「たのもしい人間となる事」等々について、影響を受けた上記2冊でも愚直に伝え続けていたのだという彼の一貫性について感動した。

今回の読書で、上記2つの小説により言語化できないまま自分にストックされていたものが再燃して、司馬さんが何を伝えたかったのかがよりクリアになる機会となった。

というような読書感想文をお貸し頂いた方に送った。

2009/03/04

映画『お早よう/小津安二郎』

暫く更新をしていなかった。
年度末ですが元気です。

それはさておき、さっき小津安二郎の『お早よう』を観た。1959年の作品でとても面白かった。

引っ越して近辺にTSUTAYAがなく(前もなかったが・・・)、DVDを借りる事がなくなっていたのだけれど、年明けから赤坂のTSUTAYAを利用しだしてDVDを観る機会が増えた。

平日の夜に観ていると、(内容に係らず)70%の確率で途中で寝てしまうので、1本を2日に分けて観たりしている。

映画って何を観たのか忘れがちで、映画の内容以前に何の映画を観たのか思い出せない事も多いので、備忘録的にも良い映画は書き留めておいた方がいいかなと思っていた。
その行為に何の意味があるかわからないけど、何かを感じとれる映画にしたいという意識を持って観る方がいいかなと思っている。
本や音楽と一緒で、最近はできるだけ多くの映画に触れたいと強く思うようになった。

そこで『お早よう』。
これは、TSUTAYAに行った際、雑誌FRaUが『子供がいい味を出している映画』を推薦している棚があり、その一つとして『お早よう』があったので、直感的に借りたもの。確かにめちゃくちゃ子供がいい味を出していた。色んな事を気づかせてくれた深い映画だった。

舞台は1950年代後半の東京・荒川の土手近辺にある数件の住宅が共存するエリア。
まだほとんどの家庭で3種の神器(冷蔵庫、テレビ、洗濯機)が揃わず、子供はテレビを観に隣の家にお邪魔するという、"お隣さん"の概念が色濃く残る時代を映している。
主人公は兄と弟の二人兄弟。

ある時、彼ら2人がテレビを買ってくれと両親にあまりに無理を言うので、彼らは両親から『余計な事を言うな』と叱られる。そこで彼らは、大人も『お早よう』、『いい天気ですね』、『お元気ですか』等余計な事を言っているじゃないかと反論。それでも叱られる彼らは反抗の意を込めて言葉を発しない戦略を打って出る。

彼らは言葉を発しないがために、近隣の人にも挨拶をしなくなり、学校でも全く何も話さないので、"お隣さん"からその子達の家庭に対して陰口を言われるようになる。

彼らが言葉を発しない様子をみて、理由を耳にしたある大人は、『確かに生きて行く上で無駄な事が多いように思う。でもその無駄がないと人生はつまらない。』という。またある大人は、『お客と無駄な事を話して、車を売っている』ともいう。
生きて行く上で、何が無駄で何が本質かという、壮大な意を暗示しているかのよう。

ただ、終始子供達のコミカルな様子(おでこを押した途端に、おならをする事にハマっている等)が描写されていて、微笑ましい内容。
また、Nationalのテレビや各種家具等1950年代後半の日常を伺い知れる記録的要素も強い映画だった。

今後、小津作品をもっとみたいと思った。

2008/11/03

文化的な一日@銀座&六本木

 今日は文化の日一日前に相応しい文化的な1日だった。

 会社の同期が、11月1日・2日の2日間銀座で開催されている銀座JAZZ Festivalの中止リスクをカバーする保険を主催者に提供しており、フリーパスらしきものを持っているとの事なので、連れられてこのイベントに行ってきた。

 このイベントは銀座のシャネル、バーバリー、アルマーニのホールや時事通信社のホール等にて、世界各国、国内から集まった13グループのJAZZ(系)奏者によって演奏されるイベント。GINZA International Luxury Committee(GILC)という、銀座で店舗を構えるラグジュアリーブランド(上記シャネル等)で構成される組織が、銀座の認知度とブランド力を高めるために開催しているフリーイベントの一種。銀座の認知度とブランド力が高まる事で、最終的にそれら企業の利益にも貢献する取組である事は予想できる。

 そもそもが無料のイベントなので、最初、フリーパスのメリットを見いだす事は出来なかったが、行ってみてはじめてわかりました。各アーティストの演奏を聞くためには、全23ステージそれぞれ事前に予約して、抽選の結果各ステージ毎のチケットをゲットしないといけない。昨日の青木カレンのステージのチケットは7倍くらいの倍率だったらしい。
そんな面倒くさいプロセスなしに、途中の入退場OKで色んな会場を好きなように回れるフリーパスは非常によかった。同期に感謝。おかげで今日だけでも5つのステージを回る事ができて、色んなアーティストの演奏を聴く事ができた。

やはり生演奏はよい。

 特によかったのは時事通信で行われていたエミリー・クレア・バーロウとシャネルのネクサスホールで行われたパリジ・ミュゼット・トリオ(ゲストボーカル:アワ)のステージだった。

 エミリー・クレア・バーロウはカナダ・トロント出身の女性JAZZボーカリスト。ブラジル音楽の影響を受けているため、ボサノボ風の曲調にアレンジされたものが多く、実際セルジオ・メンデスのカバーとしてso many stars等を歌っていた。so many starsを歌い終わった後「the Ginza street has so many stores.」とボケていた。自分としては逆に、知っているボサノバの曲がJAZZ風にアレンジされていたのが新鮮で、印象に残った。

 パリジ・ミュゼット・トリオは、フランス出身の奏者で、アコーディオンが印象的でいかにもおフランスを思わせるパリ・ミュゼットという音楽の奏者。ジャンゴ・ラインハルトの曲でミュゼット音楽には触れた事があったけど、今回はその音調にセネガル出身の女性ボーカルのアワの声が加わった事がとても新鮮で心地よいステージだった。


 その後、六本木ヒルズに場所を移し、森美術館が主催しているMAMアートコースとして、姜 尚中の「21世紀の国際社会とこれからの日本」と題した講演会に参加した。学生の時から好きな学者であり、最近では「悩む力」と言う本を読んだが、いつでも含蓄ある言葉を放ち、クールさを持った佇まいは非常に好感度を持て、彼のスマートな部分に惹かれてファンになる女性も多いのだろうと思う。実際、300人規模の会場の7〜8割くらいが女性であった。

論旨は、主に日本が今後どうなるのか、また姜 尚中としてはどう考えるのか、を中心に2時間程の内容であった。

 彼の今後の日本のあるべき姿としては高福祉・高負担の社会、つまりは北欧型の社会を目指すべきである事を主張していた。
 日本の経済成長の6割が依然として内需が占めるため、内需拡大が政策の優先順位としては高く、国民が将来に安心を抱けるような年金制度・医療保険等のセーフティネットの構築等が必要とし、それを実行し得るリーダーの出現もまた重要と説いていた。
 また、国のリーダーを生み出すための選挙制度の改革が必要であり、そもそもマックス・ウェーバーの言う『可能な事をするだけではなく、不可能な事にチャレンジして可能にしていく』気概を持った人材の政治への参加機会を広げる根本的な施策が必要であると話していた。

 白州次郎も大切にしていた精神、ノブレス・オブリージュ(nobless oblige:高貴な者が社会に果たすべく義務感)を持った日本のエリート学生が非常に少ない現状を、米国や韓国のエリート学生のアントレプレナー志向と比較して憂いていた。


知識の詰まった人の言葉には深淵なる響きがある。彼の講演を受けてそんな事を思った。


以上、銀座と六本木にて、文化的なとある一日でした。


2008/09/30

上海で会った彼

感情と記憶が風化しないように記す。

彼とは2006年3月に学生時代を締めくくる卒業旅行で中国を旅行した時、上海・外灘のユースホステルで出会った。
最初、旅慣れたヒッピーっぽい日本人のにぃちゃんが居るなぁと思っていた。色は黒く、髪は括ってフレームの細いスタンダードな黒ぶち眼鏡をかけ、Tシャツにちょっと破れたストレートの埃がかったブルーデニムを穿いていた。自分以上にコテコテ、というよりも大阪市内で話される大阪弁を話していた。事実、大阪市内在住の自分より4歳程下の“彼”であった。

彼とは、他に居たゲストハウスの日本人と共に2日間くらい、普通に晩飯を食って飲んだりした。でも彼とは特に夜中によく話した。話をする内に無限の広がりがある時間を過ごしている気分になった。世界の事、人間の事、そんな本質的で根源的な話ばかりしていた。

夜中ビールを買いに行く時、敢えて中国系のコンビニに行って、サービス精神の無さが共産主義に起因していることを、同じく上海市内にある日系のローソンと比較して議論してみたり。

彼は旅から多くを学んでいたので、そもそも社会主義体制を敷いているキューバの街中や人はどんな様子か、彼がすばらしい国(素晴らしい湖がある)と称するグァテマラの話など多く聞いた。危険な話も聞いた。また、彼が自分と会う数日前に中国の雲南で軟禁にあって身ぐるみを剥がされた話も具体的に聞いた。その時の悪人の様子や連携プレーはどのようなものだったか。リアルで面白かった。金がなくなったので、上海から大阪までは船で帰ると言っていた。

その時自分自身は、河合隼雄の精神世界、立花隆の脳科学、茂木健一が提唱するクオリアについて興味を持っていた時期だったので、そんな話をしていくつかの本を紹介した。

僕は彼の事を世の中の形式ばった事は分かっている訳じゃないけど、生きて行く上で本質的なものを掴みきっているような感じがした。とても抽象的だけどそんな印象を持った。だからこそ、彼がどんな人間になるのか楽しみだった。間違いなく社会の枠にとらわれる事なく、生きて行くのだろうと思っていた。

帰国後3週間後くらいの3月下旬に学生時代の締めくくりとして自分が開催した大阪・中崎町の写真展にもふらっと顔を出してくれた。それ以降彼の近況はSNS上で確認していた。連絡等は特にしないが、相変わらず自由で生きているなぁと刺激をもらっていた。

そして、つい最近の日曜の朝、大阪から東京に戻ってネットを付けた時、SNS上で彼のお姉さんから、彼が亡くなったとの連絡があった。事故で。報告の文字がとても重かった。

9月の頭に自分が休みで大阪に帰った時、何故か無性に彼に会いたいと思っていた。彼は無限の可能性を感じさせる何かを持っているので、久々にどんな事を考えて過ごしているのか知りたいと思っていた。未知なる価値観を吸収したいがために会いたい友達は、自分の中でもそうはいない。でも結局会えず、次に大阪に帰ってくる時に会おうと思った。そして上記事実。後悔はあったが、全てを受け入れるしかない。

あまり死について長々と書くつもりはないが、身近な事象である事を改めて感じた。
彼のお姉さんから、彼が旅先で会った写真家に影響を受けて写真をし始め、その写真家が自分ではないかとの連絡を頂いた。もし自分であればそれはとても嬉しい事。

人の人生に良い影響を与えられる人間になりたい。

2008/07/16

移動

 最近、というか一昨日前の日曜に引っ越しました。
今日初めて千代田線を利用して出社しましたが、通勤が非常に楽になりました。始発の駅なので座っていけます。朝の精神的ゆとりは大事なものだと、実感しました。有り難いという感覚はすぐに慣れてしまうので、この気持ちを忘れないようにしようと思います、はい。

 BLOGの更新もかなり低頻度になっていたので、ここでワンポスト、引越について!と書きたい所なんですが、もうあまり乗る事のなくなった副都心線の事について書こうと思う。

 あ、でも引越を手伝って下さいました会社同期4人(内2人は引越バイト経験者の強者)の皆様、本当にありがとうございました。自分は引越というものを相当なめていました。運ぶとか、詰めるとか、乗せるという動作が大半を占める引越において、マンパワーの必要性を強く実感させられました。引越はとてもアナログなものだと感じたので、今後も引越という作業が機械化され難いのかも知れません。

 旅とかしていると、何でも自分だけでできそうな、何とか生きていける、俺はサバイバルに強い人間だぜ、逆境に強い人間だぜ、なんて錯覚してしまう事がしばしばありますが、先日の引越を一人でする事(時間の制約あり)は不可能だと思いました。確実に、引越impossibleでしたわ。

 困難であった原因はただ一つ、本です。社会人になって、アマゾンを利用してポンポン注文して買っていたと思う。本って相当密度が高い。コンパクトにまとめられた日本の本って、段ボールにすっと入るがぎっしり埋めるとホンマ重い。未だ部屋には、ダンボールに入ったままの書籍達が6、7箱あります。でかい書棚を買おうと思っているが、そもそも減らす事もしようと思う。

 と、思い立った所で、副都心の話はまた別の機会にしよう。最近、ロイズ・アンティークスで売っている風の英国1930年代のアンティーク調の家具(どちらかというとモダンより)を半額以下で買えるお店をチェきっています。どなたか情報あれば個別にプリーズ。

2008/05/21

ポートレート by 坂田栄一郎

今丸の内界隈で坂田栄一郎さんのポートレート写真展が開催されています。(参考URL)
坂田さんはAERAの表紙を撮影している写真家なので、誰もが一度は見た事がある感じの写真です。

毎週金曜の昼は丸ビルに食べに行く事が多いので、その際、丸ビル1階の展示場でインパクトのある大判モノクロのポートレート写真に衝撃を受けたのがこの展覧会を知るきっかけ。
以下に展覧会情報を掲載しているが、丸ビル、新丸、オアゾ、行幸地下ギャラリー等に計900作品もの、著名人の顔を撮った大判の写真が展示されている。

行幸地下ギャラリーと呼ばれる、東京駅から丸ビルや皇居側(千代田線の二重橋前)に地下でつながる通路の壁面ガラス内に200作品程展示されている事を知り、今日の出勤時と、退社時もそこを経由した。さらに昼休みもこの場所を訪れて、作品というか時系列に展示された著名人一人一人の顔の表情を楽しんでいた。普段から人気の少ない地下通路なので、ゆっくりとした時間を過ごせてよい。

”顔はその人自身を語る。”
どこかでだれかが言ってそうなフレーズが、今日写真を見ている際、自分の脳裏に浮かんだ。ガラス越しに作品を観ていたので、光が反射して自分の顔も半透明に重なって見えた。

個人的に、写真の被写体としての人(の顔)は何事・何物にも勝るインパクトとメッセージを見るものに与えると考えている。
坂田さん自身の解釈を経て、被写体としての人はメッセージを放っている。

今日みた中(行幸地下ギャラリー)では、田中麗奈、川上未映子、Ann Sallyの写真が印象に残っている。いずれもグレー調で白っぽい感じで仕上がっており、透明感のある存在として切り取られていた。

一度”人”をご覧になってみてはどうでしょう。

【展 覧 会 名】 AERA創刊20周年記念
坂田栄一郎 「LOVE CALL ―時代の肖像―」
【会   場】
<東京丸の内エリア>
丸ビル (マルキューブ、3階回廊)
新丸ビル  (3階アトリウム)
行幸地下ギャラリー
丸の内オアゾ (○○広場〔おおひろば〕)

【会   期】 2008年5月9日(金)~6月8日(日)
11:00~21:00
会期中無休
【入 場 料】
無料

2008/04/27

NIKKO IS NIPPON

今週末、大阪から両親が上京していたので、東京・日光観光をしてきた。
父の日光に行きたいとの希望があったので、関空−羽田の飛行機往復、新宿−日光・鬼怒川温泉間直通特急スペーシア(JRと東武の相互乗り入れで2006年から運用開始)のチケット、鬼怒川温泉の宿を手配していた。
母は関西圏の番組でみのもんたが赤坂サカスを紹介していたとの理由で、そこに行きたがっていたが、時間的制約で却下(僕も行った事がないので、案内のしようがない)。
とりあえず現在開催中の恵比寿の写真展を見せて、その後、スペーシアで新宿から鬼怒川温泉へ。あいにくの雨だったので、宿でゆっくり、夜はゆば料理を食した。ゆばは日光エリアの名物です。

翌日は、鬼怒川温泉から日光へ。
日光東照宮へは、2006年に入社した後の研修期間中に同期と研修先(栃木県)からレンタカーで行った事があったが、若干懐かしく感じられた。
親の世代の小学・中学校時代の修学旅行先に日光が選ばれる事が多かったらしく、事実母の中学生時代の修学旅行先も日光だったとの事。父も20年くらい前に訪れていたとの事。

そういった意味で、上述した新宿−日光間を繋ぐ特急スペーシアのHPは良く出来ている(今回特に親がこのHPを見た訳ではないが。)。
団塊世代が一度は訪れた事がある日光へもう一度足を運ばせようとの狙いがあり、且つバスで訪れる事が大半である日光の観光客を取り込もうとの狙いがあるのだと思う。
キャッチコピーは『あの日のあなたへ、走ります。』。『走ります』の語呂がしっくり来ないが、電車のPRなのでまぁしょうがない。
ほのぼのとして、懐かしい気分にさせてくれる。ひとつひとつの写真もよいが、ローディングに時間がかかる。でも、トータルして何か日光に行きたいと思ってしまうようなHP。

で、実際スペーシアで行ってみた感想。
ニーズの創出を図るべくHP内には色々な日光の名所を示してくれているが、実際電車で日光を訪れ、それらの名所を行こうと思うと車の方が利便性が高い。スペーシアのチケットには日光の東武バスのフリーチケットも付いているが、バスは運行頻度も少なく自由度に欠け、短時間に網羅的に路線を把握する事は困難。
シンプルに日光東照宮に行くのならばスペーシアの選択肢でOKですな。
若者ではなく年輩を対象にしているHPの構成からしても、マーケティングがきっちりできているなぁと思った。

日光東照宮とかって、壮大で徳川の偉大さを感じれる(因にわたくしはむしろ倒幕した坂本龍馬たちを激しくすごいと思った。)ものであるけど、未だに何故この土地に行きたいと思うのかがよくわからない。親に聞いた日光に行きたい動機も、「懐かしさ」からだという結論。一般的には、歴史を学ぶ事と近い感覚で訪れる人が多いのかな。参拝するという事。何に対して参っているのか。先祖、神?参拝するという一種生まれながらに備わっている先天的なものがある!?
と考えてしまったが、特にこれに関しては意味を見いだす必要はないのかな。でも、この件についてお詳しい人、独自の考えをお持ちの方がいれば教えて頂きたいなぁ。

日光を後にして、上今市という所にある日光街道沿いの杉並木を訪れたが、そこに関しては特別天然記念物と文化遺産にも登録されているだけあり、東照宮に続く道としての神聖さが長い間備わっている、そんな感覚を持つ事ができた。高野山の奥の院の感覚に似ていた。

その後東京に戻り、親が自分が勤める会社の近くに行きたいとの要望(←ありがち)もあったので、丸の内辺りを案内した。東京における新宿等のターミナルと比して、東京駅を出た丸の内側の道幅と建築敷地間のゆったりさと、それが皇居の緑に続く様をオフの視点で改めて眺めると、整然としていて一種の神聖な感覚を持ってしまった。でも、この風景から活力は感じられなかった。今ふと思ったが、「神聖である事」と「活力がある事」は相反する事象になるのだろうか。神聖さは必ずしも活力を生み出さないのだろうか。(発散しがちなのでこの辺でやめる)

一通り丸の内を案内した後羽田へと向かった。かなりタイトなスケジュールだったのでお疲れになった事でしょう。僕も結構疲れました。








2008/03/16

写真展告知:3/24-5/10 Atsuyuki Mori Photo Exhibition@La Muggina Cafe

恵比寿のLa Muggina Cafeで写真展をする事になりましたので告知させて頂きます。東京進出第一弾です。
カフェのスペースに展示させてもらう形式で、カラーを中心に50作品程展示する予定です。これまでの欧州、インド、南米、東アジア等の作品に、昨年7月に訪れたモロッコの作品を加えた展示となります。
すごくよいカフェなので一度覗いてみて下さい。お店のHPにも情報公開される予定ですのでご参照ください。




Atsuyuki Mori Photo Exhibition
"Innertravel"
開催期間:2008/3/24.Mon-5/10.Sat

◇住所
東京都渋谷区恵比寿南2-3-12 (JR山手線・埼京線 恵比寿駅 西口より徒歩4分程)
TEL: 03-3760-4244 <MAP>

開催時間:12:00 - 24:00 (月-木、土)
     12:00 - 28:00 (金)
     日曜はお休み