2009/03/04

映画『お早よう/小津安二郎』

暫く更新をしていなかった。
年度末ですが元気です。

それはさておき、さっき小津安二郎の『お早よう』を観た。1959年の作品でとても面白かった。

引っ越して近辺にTSUTAYAがなく(前もなかったが・・・)、DVDを借りる事がなくなっていたのだけれど、年明けから赤坂のTSUTAYAを利用しだしてDVDを観る機会が増えた。

平日の夜に観ていると、(内容に係らず)70%の確率で途中で寝てしまうので、1本を2日に分けて観たりしている。

映画って何を観たのか忘れがちで、映画の内容以前に何の映画を観たのか思い出せない事も多いので、備忘録的にも良い映画は書き留めておいた方がいいかなと思っていた。
その行為に何の意味があるかわからないけど、何かを感じとれる映画にしたいという意識を持って観る方がいいかなと思っている。
本や音楽と一緒で、最近はできるだけ多くの映画に触れたいと強く思うようになった。

そこで『お早よう』。
これは、TSUTAYAに行った際、雑誌FRaUが『子供がいい味を出している映画』を推薦している棚があり、その一つとして『お早よう』があったので、直感的に借りたもの。確かにめちゃくちゃ子供がいい味を出していた。色んな事を気づかせてくれた深い映画だった。

舞台は1950年代後半の東京・荒川の土手近辺にある数件の住宅が共存するエリア。
まだほとんどの家庭で3種の神器(冷蔵庫、テレビ、洗濯機)が揃わず、子供はテレビを観に隣の家にお邪魔するという、"お隣さん"の概念が色濃く残る時代を映している。
主人公は兄と弟の二人兄弟。

ある時、彼ら2人がテレビを買ってくれと両親にあまりに無理を言うので、彼らは両親から『余計な事を言うな』と叱られる。そこで彼らは、大人も『お早よう』、『いい天気ですね』、『お元気ですか』等余計な事を言っているじゃないかと反論。それでも叱られる彼らは反抗の意を込めて言葉を発しない戦略を打って出る。

彼らは言葉を発しないがために、近隣の人にも挨拶をしなくなり、学校でも全く何も話さないので、"お隣さん"からその子達の家庭に対して陰口を言われるようになる。

彼らが言葉を発しない様子をみて、理由を耳にしたある大人は、『確かに生きて行く上で無駄な事が多いように思う。でもその無駄がないと人生はつまらない。』という。またある大人は、『お客と無駄な事を話して、車を売っている』ともいう。
生きて行く上で、何が無駄で何が本質かという、壮大な意を暗示しているかのよう。

ただ、終始子供達のコミカルな様子(おでこを押した途端に、おならをする事にハマっている等)が描写されていて、微笑ましい内容。
また、Nationalのテレビや各種家具等1950年代後半の日常を伺い知れる記録的要素も強い映画だった。

今後、小津作品をもっとみたいと思った。

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