2010/05/15

深い河

GWにインドから帰国した1週間後、八雲図書館で遠藤周作の深い河を読んだ。

インドを旅行している時からずっと読みたかった本であり、遠藤周作の宗教観を集約した本である。
今回のバラナシにおけるガンジス河で抱き、悶々とした感情をクリアにしたかった。

自分が先日のGWと2003年に訪れて、インドに対して持ったどこか他の諸外国と異なる感情、想いは何か、日本で暮らしていて何か通ずるものがあるのは何故かを明らかにしたかったのだ。
この一冊にすべての疑問解決を委ねる事はしなかったが、解決の糸口を得るツールとして期待した。

期待は裏切らなかった。映画化もされているが、未だVHSしかなくDVDは未発売。

現代を舞台に、ヒンドゥー教を含めたキリスト教に対する遠藤の宗教観についても記載されている小説。

主な主人公は5人居て、現代におけるそれぞれの個人がインド旅行ツアーに参加し、主にバラナシにおけるガンジス河をメインにそれぞれの想いを交錯させるもの。それぞれの個人が何故インド旅行に来ているのかという切り口で過去に遡り、例えば、妻の死を皮切りに輪廻転生の発想を持つ者、過去、ビルマ戦線に参加した老人が仲間の肉を口にしてしまう事による善悪、カルマ思想を持つきっかけとなった者。

これが、デリー、アーグラ、ジャイプル、バラナシと偶然にも今回自分が友人達と行った内容とぴったり同じだった事は驚きだった。まぁ北インドの定番ルートなのでしょうが。

つらつらと、内容を備忘のため記載するつもりはないが、はじまりは磯辺という50代の男の妻が末期癌に亡くなる章から始まる。彼の妻が死ぬ間際に輪廻転生を思わせる言葉を残す事から、彼がインドに行くきっかけとなる。

人が信じる神をそれぞれに選ぶのは、生まれた国の文化や伝統や各自の環境による事が多いと思う。

自分が印象に残った点として、「善悪不二」について。内容は次のとおり。
「人間のやる所業には絶対に正しいことはないと言えることはない。逆にどんな悪行にも救いの種が潜んでいる。何事も善と悪とが背中合わせになっていて、それを刀で割ったように分けてはならぬ、分別してはならぬ。」

上記内容は全くガンジスの沐浴と通ずる。遺灰を流すその横で人々がその横で幸せそうに沐浴をしている。(その水は横で遺灰が流されている事を知らぬような表情)

それはまさに宗教心の現れであり、彼らにとって輪廻転生が日々を過ごす上で当たり前である事が伺える光景であったように思えた。

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