2013/09/24

書籍『心/姜尚中』

夏目漱石の「こころ」の現代版だろうか。

それとも本書の雑誌(青春と読書)連載時のタイトルは「新・君たちはどう生きるか」なので、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」の構成を基にした書籍か。

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先生(姜尚中)と出版サイン会に来ていたある青年(大学生)とのメールのやり取りで物語は進行してゆく。

先生がその青年に惹かれ、親身になって彼の悩みや相談事に対応していたのには理由があった

それは近い過去に他界した姜尚中先生自身の息子とその青年が重なってしまったからだと最後に記されている。

以前、NHKのドキュメンタリーでも特集していたのでそれは事実だと思われる。作品のモデルとなった青年とも面会していた。


本書の中身はフィクションが含まれていると思うのだが、青年は「①親友の病死」、「②病死した親友と自分が愛した女性」について悩む。

「何故若くして親友が病死しなければならなかったのか」、一方、「親友が他界する間際に、自分と同じく好きな女性の事を好きだと告げられて、どう生きればよいのか」等の深い悩みを抱え、都度先生にメールで相談する。そして先生が親身に応える。

青年が、生と死について考えたいと思い志願した東日本大震災の海中不明者の捜索ボランティア。

遺体を引き上げていく過程で自ら悟った「死」とは何かについて。

遺体を引き上げる都度、死と直面し、青年はその意味を考える。同時に若くして他界した親友の死を重ね合わせる。


『「死」は「生」を輝かせてくれるもの』、多くの感情の紆余曲折を経て、そう結論づけた青年。


主眼は「生と死」だが、ゲーテの「親和力」の内容を多分に引用し、男女間の複雑性についても述べる。ゲーテの「親和力」自体、理性を超越した男女間の愛により悲劇が訪れる様と内面的感情の挙動を描いているのだが、それは現代に至る普遍性を持つから引用しているのだと思われる。

青年から愛を告げられる意中の女性。

女性はその青年に好意を寄せるもののドイツに残してきた彼との狭間で揺れる。
女性は言う、「その彼は一緒にいると張り合う感じがあって、いいところを見せようとして自分を作ってしまう。会う前後でも緊張する。」。
一方、青年といる時みたいに素になれないとも言う。

「でも、それ(前者)が胸の高鳴りみたいなものに繋がって、そういうものを恋というものじゃないかと思ったりする。」と。

どちらが正しいか分からないので少し距離を置きたい、ドイツに行くと言う。青年は落胆。

時間が経ち結果的に女性は青年の元に戻ってくるのだが、その間、先生は青年に多くを伝える。

・人間は○か×か、黒か白かに弁別できるほど単純ではなく、もっと混沌としたもの。
・他の生きものと違って生半可に知恵を持っているだけに、人間はそれを分析し、分類し、自分の支配下に置こうとしたがるが、そんな事ができるはずはない。
・混沌というそのものが、まさに人間という自然でもある。
・愛が強くなれば強いほど、また愛がピュアであって欲しいと思えば思うほど、かすかな濁りですらも許せなくなる。しかし、濁りがあればあるほど、愛が募り、ピュアなものへの憧れが強くなっていくように思う。
・愛と不信、純粋と汚濁とは、手に手をとって人の心に熱を与えつづけているとも言える。


重要なことは、ものごとの正解・不正解を弁別することではない。右か左のどちらかを選ぶことでもない。両方を受け入れること。

これは「死」と対峙する時にこそ重要で、「死」から得るものはまさにその人の一生に何があったとしても受け止めること。

死は生の中にくるまれて存在している。死と隣り合わせ、死と表裏一体でつながっているからこそ、生は輝き、意味のあるものになる。


そんな事をこの本から気づかされた。
自身の人生の糧にしたいと思う。

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